04

 白い世界の景色の中に、淡い色彩が三つ混じっている。それはのろのろと前進していた。向かう先にあるのは白い空だけ。
「ねぇ二人とも、これからどこへ行くのさ?」
 どこかつまらなさそうにアクロスは前を歩く二人に尋ねる。少年はいつも目的地を最後にしか教えてくれなくて、子供扱いされたようで機嫌が悪くなっているのである。
「そう拗ねるなよ、アクロス」
「だってさぁー」
 いつものように青年はアクロスを軽くあしらった。その顔には少しも罪悪感が浮かんでいない。
「そもそも本当にアクロスも表の世界へ行くつもりなのか? 子供にはきついかもよ?」
 まるで追い打ちのようにロウは言う。だがその顔にはさっきとは打って変わって笑みが見えていた。それは相手を見て面白がって見せる笑みではあったが。
「なんだよー、子供扱いして! ロウに何言われたって絶対に行くんだから! 子供であろうときつかろうと、行くって決めたからには絶対に行く!」
「はいはい分かってるから」
「じゃあなんで聞いたんだよっ!」
「あははは……」
 響くのは笑い声。
 傍からそれらのやりとりを見ていた少女は、くすりと笑みをこぼした。

 

「表と裏には何らかの繋がりがあると思うんだ。その繋がりが分かれば道も見えてくるはず。だからまず最初に情報収集しなくちゃならないんだ」
「情報収集? なんだか疲れそう……」
「おっ、早速挫折するか? アクロス君」
 地面の上に座り込み、三人は小さな話を始める。
「もう何も言わないよ。言ったら文句しか飛んでこないからね」
「文句じゃなくて馬鹿にされてるだけじゃないの?」
「ははは、サキちゃんの方が正しいな」
 アクロスの機嫌は悪くなる一方だった。だけど本気で相手を嫌うことなどできるわけがないのも事実である。少年は人には悪いところもあるけど善いところもあることを知っていたし、何よりきちんと理解して相手を信じていたから嫌いにはなれなかったのだ。
 純粋な思いは時には少年の武器となる。意識しなくとも、彼は身を守る業を持っていたのだ。
「さて、本題に戻るが……」
 わざとらしく一つ咳をし、青年はそのまま続きを話す。アクロスもサキもさっと気持ちを切り替えた。
「俺の知り合いに書庫を持っている奴がいるんだ。そいつも俺と同じで色彩を持ってるんで街から離れて暮らしててね。書庫も結構な大きさだし、情報収集には最適だと思うんだ」
 話を聞きながら二人は相槌を打つ。ロウにはそれが気持ちいいのか、笑顔がどんどん眩しくなるのを抑えきれなかった。
「そういえばあいつも表の世界に興味を持ってたんだった。一度でいいから行ってみたいってよく聞かされてさ。本当に……アクロスにそっくりで子供だ」
「また子供って!」
 大声をあげてからアクロスは頬を膨らます。
 サキにはすぐに反応するあたりが子供っぽいと思えたが、それを言うとまた少年が機嫌を悪くしそうなので何も言わなかった。それに少女の本心では、子供であっても大人であってもアクロスはアクロスでしかないと思っていたから。
「では目的地も決まったことだし、出発しようか」
 にっこりとした笑みを浮かべたまま青年は立ち上がる。それにつられて二人も立ち上がり、進むべき方角に視線を向けた。
 見えるのは白い景色だけ。
「……早く行こう。ロウ、サキ」
 白という色彩は、熱くなった心も一瞬にして冷ましてしまう。跡に残るのはいつも空虚だけ。
 やがて三つの色彩はその場から姿を消した。

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 本と紙に埋もれた部屋の中を一人の男が忙しそうに動いていた。どうやら整頓しようとしているらしく、何冊もの本を腕に抱えて右往左往している。しかし整頓どころか部屋は散らかる一方で、すでに足の踏み場は皆無と化していた。どこに目を向けても紙がばらばらになって散らばっている。
 彼は青い髪を持つ若い男だった。短い髪には癖があって曲がっており、ろくに髪の手入れをしていないのがまる分かりな程ぼさぼさの頭をしていた。服装もだらしがない若者のような、サイズの合っていなさそうなだぶだぶのズボンを着用している。
 せわしなく動いている彼だが、まだ一度もこの部屋の中で転んだことがなかった。整頓していくうちに足の踏み場もない部屋にも慣れてしまったらしい。それを彼は自慢したくなったのか、急に手に持っていた本を放り投げて部屋の扉の元へ向かった。
「今日は客がありそうだな。整頓はそいつに手伝わさせるか」
 扉を開け、機嫌よく外へ出る。彼の家には一つの部屋しかなく、ごみ箱のようなあの部屋の外は白い大地だったのだ。
 男は天を仰ぐ。空に見えるのは黒い太陽だけ。
「誰が来るんだろう……」
 その日は誰も来なかった。
 翌日も誰も来なかった。
 さらに翌日になっても誰も来なかった。
 だが彼は毎日決まって同じことを言う。同じ動作をしながら、少しも日々を感じないように。
「今日は誰か来そうだ」
 まるで彼の中の時が止まっているかのようである。
 誰かが来ない限り彼は動かない。
 誰かが去っていくと再び動かなくなる。
 彼の時間を進めるには、彼の傍にずっといてくれる人が必要だった。
 しかし誰も彼に近づこうとはしない。その理由には髪の色のこともあるし、おかしな性格のことも含まれている。だがそれ以前に整理整頓が下手な面で多くの人が引いていったことを本人は知らない。
 ぼんやりと空を見上げながら彼は何を考えているのか。
「人の役に立つことがしたいのになぁ」
 願うことは誰にでもできる。
 出てくるのは到底叶わない夢ばかり。
「誰かに会いたい――人が、恋しい」
 静かに目を閉じる。
 いっそこのまま消えてしまいたいと思った。消えてしまえば淋しさも願望もなくなるだろうから。
 だけど。
「よっ、久しぶりぃ!」
 彼の肩に誰かの手が置かれる。男は目を開けて振り返ってみた。
「元気してたか? カイ」
 見えたのは懐かしい笑顔。
 そして男の――カイの中の時間が動き出す。
 カイは訳が分からないかのように、ぱちぱちと目をしばたかせる。その隣を一人の青年がまるで当然だと言わんばかりに通り過ぎていった。後に続いて二人の少年と少女も通過する。
 突如として現れた三人組が部屋の中に消えてから、カイは彼らを追うようにして振り返った。
 彼の中の時間は止まっていた。だが、今は動き出している。
 欠けているものは過去。そして、自分。
 自然に足が動いていた。ゆっくりと手をのばした先にあるものは、見慣れたはずの扉。
 再び動き出すということは、変化が起こるということ。
 何もかもを失っていた彼にとっては、それは大きな意味を秘めていたのであった。

 

 扉の先でカイが見たものは、ごみ箱のような部屋を懸命に片づけている三人の姿だった。カイはその様子をしばらくぽかんと眺めている。
「よし、こんなもんかな」
 少しも時間が経たないうちに青い髪の青年が口を開いた。まだ完全に片づいてはいなかったが、それでも充分整頓されていて足の踏み場はある。
 カイは感心し、同時に嬉しくなった。
「あーもう、疲れたぁ」
「私も。紙って意外に重いんだよね……」
 汗もかいてない青年の隣に座り込んでいた二人は口々に言う。赤い髪の少年はその場に寝転び、栗色の髪の少女は積まれた本を椅子の代わりにして座っていた。
「まあ休むのはいいけどさ。ここが人の家だということを忘れるなよ、二人とも。……あぁ、カイ、そこにいたのか。丁度いいや、お前の隣に積まれてあるその赤い本を取ってくれ」
 言われたとおりカイは本を手に取り、青年にそれを渡す。
 青い髪の青年は短く礼を言うと本を開き、書かれてあった内容を口に出して読み出した。

 

 遥か昔、一人の神が世界を創造した。
 世界には表と裏の二つの顔があり、表には光が溢れ、裏には魔力が溢れていた。
 二つの世界は決して繋がることがなく、互いに行き来することは不可能だった。
 神はその二つの世界を見て悲しんだ。なぜ一つの世界であるのに二つに分かれてしまったのかと。
 そして神は新しく世界を創った。今度は互いに拒絶し合うこともない、本当にたった一つである世界を。
 しかしその世界と昔に創った世界は決して繋がることはなく、後から創った世界は空の上へと昇っていった。
 神はそこを天と呼んだ。
 天で神は生命を創った。最初にできたのは天使と呼ばれる者だった。
 天使に心はなかった。天使は神の道具にすぎなかった。
 神はそれをも嘆き悲しんだ。次第に神は天使を創るのをやめた。
 代わりに別の天使を創り始めた。彼らには心があり、感情があった。神は彼らを意志天使と呼んだ。
 天使は忘れられていった。
 それから下の世界に人が創られた。人が創られ、生命が大きくなり、大地に光が溢れていった。
 これが世界創造の始まりである。

 

 

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