05
読み上げた本の内容は、少なくともカイにとっては理解できないものばかりだった。神だの天だのと言われてもさっぱり分からない。
カイは足場を見つけながら本を読んでいた青年に近寄っていった。
「どういうこと? 何なの世界創造って」
赤い髪の少年は体を起こし、重ねられてある紙の上に座って青年に聞いた。
だが青年は本を読み終えてから一言も喋らない。最初は誰も気にしていなかったようだがさすがに心配になったのか、栗色の髪の少女が声を出して聞いた。
「何か分かったことがあったの?」
「え? あ、いや――」
なんでもない、と続けて本を閉じる。
彼の顔に見えるのは暗い影だけだった。
「あのさ、あんた達」
ようやく青年の元へ辿り着いたカイは全員に向かって声をかけた。一斉に視線がカイに集まる。
少し緊張しつつもカイは続けた。
「あんた達は俺のこと知ってる人なのか?」
彼の中の時間は動き出したばかりだった。当然過去にも何度か時間が動いていたことがあったが、止まってから動き出すまでの時間は彼から記憶を奪っていた。つまり彼は自分のことすらも知らないような状況に立たされているのである。
だから聞いてみたかった。自分のことを知っているかどうか。
しかし訪れたのは沈黙だけ。
カイは焦燥に駆られてくる思いがした。なぜ誰も何も言ってくれないのか分からなかった。知っているなら教えてほしかったし、知らないならそれはそれで言ってくれればすぐに諦められる覚悟もできていた。それなのに沈黙とはどういうことなのか。この予期せぬ答えにどうしていいか分からずに、カイはすっかり困ってしまった。
「あの、あんた俺の名前知ってたよな? 人違いとかじゃない、よな?」
少し怖れながらも彼は続けて聞いてみる。黙っていることはカイの期待を膨らませる結果にしかならなかったのだ。
それでも誰も応えない。
「あの、間違えたならそう――」
「また記憶喪失かよお前は! これで何回目になると思ってるんだよ!」
突然の大きな声にカイだけでなく二人の少年と少女もすっかり驚いてしまった。声を出した当の本人は何事もなかったかのように一つため息を吐き、ぽんとカイの肩に手を置く。
「お前の名前はカイ。俺はロウで、赤い髪の少年がアクロス。んで、茶色い髪の少女がサキちゃんだ。お前はアクロスとサキちゃんには初対面。ここまではオーケイ?」
大きな声の後には立て続けに説明をされ、カイは頭の中に情報を入れることに必死になっていた。頭を抱えながらもこくこくと頷く。
「お前は何か自分のことを覚えてるか?」
「いやその」
ちょっと待ってほしいというのが彼の本心だった。しかしそんなことを言う暇さえ与えてくれない。
「残念だけど俺が知ってるのはそれくらいなんだ。初めてお前に会ったときにはすでに記憶喪失だったからな。当時のお前は名前しか分からなかったんだ」
「そ、そうなのかぁ」
カイはだんだんと不安になってきた。
「でも俺、本当に何も覚えてないからなぁ」
ぼりぼりと頭を掻く。今まで見ていた青年の瞳から視線をそらし、無造作に置かれてある紙の山に目を向けた。
「だけどこれからどうするの?」
別の話題の口火を切ったのは赤い髪の少年、アクロスだった。積まれた本の上に座り直して青年の、ロウの顔を見上げる。
「あの本から何か分かった?」
「ああ、いや――」
「分かったんだね」
答えを渋っているロウに嫌味のようにアクロスは言う。
ロウは苦い顔を作った。
「分かったんだね」
もう一度同じ言葉をアクロスは繰り返す。カイはその様をおろおろとしながらも眺めていた。
「あの、カイさん」
いつのまに傍に来たのか、カイの隣にいた栗色の髪の少女、サキが声をかけてきた。
「私、なんだかあなたを知っているような気がするの」
「え?」
思ってもいなかった言葉にカイは反応した。心臓の鼓動が速くなるのを感じる。
「本当!?」
次に気づけば叫んでいた。それによって周囲の視線を集めてしまったが彼はそんなことは気にしなかった。ただ自分の感情のままに言葉を続ける。
「本当に知ってるの? 本当に、本当に俺のことを知っているんだね!?」
そして彼はその時に初めて過去を知りたがっていたことに気づく。
求めていたのは過去だった。
失ったものも過去だった。
カイは気づいた。そして知った。けれども彼は気づかないふりをした。なぜなら自分の中にある感情の正体を理解してしまうと後戻りできなくなると考えたから。
今ならまだ諦めるという行為が可能だった。だからこそカイは少しだけ正直になろうとしたのだ。
「俺のこと、知ってるの――?」
いくらか勢いが冷めたが同じことを繰り返す。
「いや――ううん、ごめんなさい、はっきりとは分からない。ただ何か、そう、何かあなたに懐かしさを感じた気がした。それはなんだか誰かを通してあなたを知っているような、そんな感じ」
栗色の瞳は何度もまばたきをする。その奥には見えない壁があるだけだった。
だったらその誰かというのが知りたい。それが最も正直な気持ちだったが、もしこの気持ちを相手にぶつけると本当に迷惑をかけてしまうのでカイは黙り込んでしまった。
「なあカイ」
はっとして振り返る。見つめてくるのは青い瞳だった。
「お前さ、この前俺と別れる時に俺が日記でも書いとけって言ったんだよ。もしかしたらそれが残ってるかもよ?」
「日記?」
言うまでもなくカイには心当たりがない。
「それ探してみるか。アクロス、サキちゃん。手伝ってくれ」
「えーっ。こんな紙の多い部屋の中から本を探せってぇ? 無茶にも程があ――」
「いいよ、探そう。ね、アクロスも」
その場で微笑んだのはサキだけだった。少女は嫌がっているアクロスに笑いかけた後、振り返ってカイの目を見た。カイはさっきの自分の気持ちを思い出して顔を赤くした。
「なんでサキまで」
「一日一善ってやつかな」
他愛ない会話を繰り広げながらも二人は積み上げられた本を一冊ずつ眺め始めた。カイは日記なんて覚えていないのでどんな日記帳なのかなんてことは全く分からない。だから探すならば一冊ずつ中身を確かめなければならなかった。
最初はほとんど呆然としていたカイも、やがて三人と共に紙の山を解体することにした。
『カイ、カイ』
『ん? ――どうした』
『なぜ君はそんなに俺の瞳を覗きこんでくるの?』
『さあなぁ。少なくとも最初は物珍しかったからだと思う』
『最初は? じゃあ今はどうなの?』
『今は――』
どれくらいのあいだ四人は探し続けただろうか。言うまでもなくこの部屋には紙や本が多すぎたので、もしかしたら見つからないという可能性も充分にあった。それでも探しつづけた結果、カイはそれらしい物を本の中から見つけ出した。
「これかな、日記って」
適当にぺらぺらとページをめくってみる。そこにはびっしりと字が書かれてあり、ページの上にはいかにも日記らしく日付が書かれてあった。
「見つけたの? カイさん」
傍に寄ってきたのはサキだった。カイはとりあえず眺めるのをやめて日記らしき書物をサキに渡してやった。
「四月四日、朝。今日から日記を書くことにする。理由はあれだ、また俺の記憶が消えてしまわないようにするためだ」
字面を追いながらサキは内容を朗読し始めた。その声に気づいてアクロスとロウも作業を止めてサキの声に集中した。
サキは一つページをめくる。
「四月五日、夜。今日は誰も来なかった。明日は誰かが来るような気がする。そういえば昨日はロウが帰ったんだった。二日続けて誰かが来るなんてむしがいい話だよな。諦めよう」
カイは微笑した。
「四月六日、昼。今日は雨が降っていた。雨は好きだな。誰も来なかったけど。まったく誰かに会いたいんだけどな」
ページをめくる音が聞こえた。
「四月七日、夜。今日は人が来た。相手の話によると俺のことを知っているらしい。その証拠に顔を合わせた瞬間に俺の名前を呼んできたから間違いないだろう。今日はもう遅いから明日になったら詳しく聞くことにしよう」
周囲の空気が変わった。それを痛いほど感じたカイはびくびくしながらも自分の書いた文章を読むサキの声に集中した。
「四月八日、夜。今日は長い話をした。話した相手は昨日から家にいる人。名前をらいと言った。黒い髪と目を持つ若い人だった。多分男だろう。
そいつは俺の知り合いであり、昔に俺はこいつと一緒に世界をうろついていたことがあると言った。俺は友人と一緒に自分の村の外の森で傷ついて倒れていたらいを見つけて看病しようとしたらしい。だけどらいは追われている身であって村に辿り着く前にその追っ手に襲われたらしく、俺もらいもたくさん傷ついて友人は時を滅茶苦茶にされたと言う。どういうことなのか詳しくは話してくれなかった。それにあまり聞く気にはなれなかった。
それから俺が目を覚ますとすでに村は崩壊していたらしい。俺はそれは魔物のせいだと言っていたらしい。どうして分かったのかなんて知らない。俺はらいと友人とを連れて魔物の親玉を倒すべく旅に出たそうだ。
だけどその旅はすぐに終わってしまったらしい。俺はらい達と魔物の親玉のところへ辿り着いたらしいけど、着いた時にはすでに世界は滅ぼされかけていた。親玉も倒したそうだ。だけど崩壊は止まらなかったと言う。要するに遅かったんだそうだ。
俺達はばらばらになって別の世界へ行った。その直前にらいが教えてくれた。俺の記憶喪失は時の呪いによるものらしい。それを施したのはらいに初めて会った日に会った、らいの追っ手の誰からしい。呪いを解けるのはその本人だけだとか言っていた。らいが言うにはそいつは世界のはるか上にある世界、天にいるらしい。その当時はそれ以上時間がなかったから天には行けなかったけど、また会った時に必ず連れて行ってやると約束した。
再び会いに来たんだから連れて行ってくれるのかと聞くと、らいは今は行っても無駄だと言った。どうやらその呪いを施した本人が天にいないらしい。それじゃあ行っても意味がないよな。
だけどらいは俺に天に行く方法を教えてくれた。なんだかこの世界のどこかに天まで続いている階段があるらしい。それを登っていけば天に着くそうだ。かなり単純なんだな天って。まあいいや、分かりやすいから。
それだけを話すとらいはまた会おうって言って出ていった。もっと話していたかったけど仕方がない。らいも忙しいって言ってたもんな。だけどまたきっと会いに来るだろう。その時を待って俺も部屋を片付けておくことにしよう」
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