07

 少女の姿が消えたことは、少なくとも残された三人にとっては大きな衝撃を与えることになった。
 その中で最も罪悪感を感じていたのは他でもないカイだった。罪悪感を感じずにはいられなかったのだ。なぜなら自分の目の前で少女が影に連れ去られてしまったのだから。
 ずっと見ていながらも何もできなかった自分。助けを呼ぶことも、声を上げることすらできなかった弱い自分。カイは自分が情けないと思った。同時にそんな自分が大嫌いになった。
 自分で自分を罵ってやりたかった。壊してやりたかった。でもそうすることすらできなかった。気がつけばカイは自分の行為は仕方がなかったものだと言い訳を並べ始めていた。そのことに初めて気づくと、自分はどうしようもない馬鹿な人であり、そんな自分を庇おうとする自分の本音を恥ずかしいと思った。
「俺」
 口から言葉が漏れる。本当は今じゃなく、あの時に出てこなければならなかった言葉が。
「俺のせいだ」
 少年と青年はそんなカイの様子をじっと見ていた。少年は申し訳なさそうに謝るカイの顔を見て、自分まで申し訳ないように感じられたのだろうか、今にも泣き出しそうな顔をしていた。しかし青年はいつもと変わらない顔で相手をじっと見ているだけだった。
 カイは本当に気がどうかしてしまいそうに思えた。何かをしていないと責任に押しつぶされてしまいそうで、流れ始めた時を止めることはできないと今更ながら深く後悔していた。
「俺、俺が――助けに行かなくちゃ」
 言葉より先に体が動いていた。それにも気づかない様子でカイは口から声を漏らし続ける。
「俺が行かなくちゃ。俺のせいだから俺が行って助けないと。俺が何もできなかったからサキはさらわれてしまったんだ、俺が無力だったから! 俺が無力、そうだ、あいつが怖くて、どうなるか分からなかったから、自分を守ることに必死になってて。自分なんてどうでもよかったのに! 俺なんかどうでもよかったのに、どうして俺はこんな自分を守ってしまったのだろう。俺が怖いって思わなければ、こんなことになりはしなかったのに。
 ……強ければ。俺が、もっと強ければよかったんだ。俺がもっと強くて、実力もあって、どんな恐怖にも打ち勝つことができるほどの精神を持ってさえいれば!」
 白黒の世界はカイに何をもたらすだろうか。本人にそれは分からなかったが、それでもカイはこの世界は自分の願望を膨らませるだけのものにしか見えなかった。
 ただ強く願っていた。強くなりたいと思った。誰にも負けないほど強くなりたいと切に願った。願うだけでは強くなれないと知っていたけれど、それでも彼には天に向かって望みを言う他にできることはなかった。
 その思いが神に届いたのかどうかは分からないが、突然彼の目の前に光が舞い降りた。光は輝きを失いながらゆっくりと何かの形を作り始める。カイは願いよりも何よりもその光景にびっくりしてしまって、ぽかんとして目の前で起こる出来事に釘づけになっていた。
 はたして、それは光の階段になっていた。
 カイは咄嗟に思い出した。かつて自分が書いた日記の内容。そこには天に行く方法が記されてあった。その方法というのが今目の前にあるような、階段を上っていくということ。
「カイすごい!」
 目の前の光景と自分で書いた日記の内容とを比較していると、後ろから声をかけられてさらにびっくりしてしまった。驚きながらも後ろを振り返ると、とても嬉しそうに顔をほころばせている赤い髪の少年がすぐ近くにいた。
「これって日記にあった天へ行くための階段だよね。きっとカイが願ったからこれができたんだよ! すごいや、カイの願いは神様に届いたんだ!」
 アクロスは本当に心の底からそう思っているようだった。だけどカイにはどうしてそんなに嬉しそうな顔をしているのかよく分からなかった。
「おいおいアクロス君。うかれすぎだっての。やっぱりまだまだ子どもだなぁ」
「な、なんだって? これを見てうかれないほうがおかしいじゃんか!」
「はいはいそうだねー」
 そうかと思うと少年は今まで静かだった青年と喧嘩を始めていた。もっともそれは喧嘩というよりも、明らかにロウがアクロスをからかっていただけなのだが。
 それだけなのに、どうしてだろうか。
「う……」
 視界が歪んでよくものが見えなくなった。だけどどうしてこんなことになるのか自分でも分からなかった。分からなかったけど、どうしようもなく悲しかった。悲しくて悲しくて仕方がなかった。
 でも本当は悲しかったわけじゃない。嬉しかったんだ。嬉しいけど素直に喜べない自分がいた。だから彼は必死になって溢れ出しそうな涙を見せまいとしていた。
「なあカイ」
 ふと隣から自分を呼ぶ声がして、はっとして顔を上げる。見た先にいたのは青い髪の青年。
「別にお前のせいじゃないと思うんだけどな。だって俺たちがあんなつまんない喧嘩なんかしてなかったら、きっとサキちゃんだってあの影みたいな奴が近寄ってるのに気づいたと思うし、それに――」
 ロウはカイを慰めてくれていた。カイにはその思いが充分すぎるくらい伝わったように思えた。それもやはり嬉しかったが、今ここで何かを言ってはそれだけで自分が駄目になりそうな気がしたので何も言うことができなかった。
「だからさ、俺たちも悪かったんだ。責任なら俺たちにだってある。そういうことさ、な? アクロス?」
「えっ? あっ、うん、そうそう! そういうことだよ!」
 いきなり話を振られたアクロスはそう言ってたものの、話の内容がよく分かっていないようだった。それでもロウの言うことに同意しているのはやはり彼のことを信用しているからなのであろうか。
 カイはちょっとだけ優しい気持ちに触れた。
「うん。一緒にサキを助けに行こう」
 にこりと笑った。笑ったら、気持ちが落ち着いた。
 笑ったらアクロスも笑った。とても嬉しそうに笑った。それにつられたのか、ロウも笑った。ちょっとアクロスをからかっているような笑みは彼らしかった。カイはそれを見て、やはり驚いてしまった。だけどそれは顔には出さなかった。
「ロウ」
 青年の名前を呼んで瞳を見つめる。カイは少しだけ躊躇したが、そんな思いを振り払うように思いっきり頭を横に振ると言うべき言葉を口の中から外へ出した。
「俺に剣をくれないかな」

 カイは常に剣を欲しているような気がしてならなかった。それは精神的なものではなく、彼の身体が有無を言わずにそうさせているようなものであった。だから彼の意志がなくとも身体が勝手に欲していたのだ。今までそれを無視していたが、今回のことでカイはその意味を見出したような気がした。
 彼が剣を求めた時、ロウはちょっと変な顔をした。どうしてそんなことを言うのか分からなかったのだろうとカイは解釈したが、本当はもっと違う理由があるのだとはっきり分かっていた。だけどそれを聞くようなことはしなかった。
 ロウは無言で服の裏側に隠し持っていた袋を取り、その中から掌にすっぽり収まるほど小さな何かを取り出した。それをカイに渡すとなんだか複雑そうな表情を作った。
 ロウからそれを受け取ったカイは手の中に握ったそれをまじまじと見つめた。明らかにそれは剣には見えなかった。ロウはカイをからかっているのだろうか、と思ったがそうではなかった。それは本当に剣だったのだ。
「うわっ!?」
 カイはびっくりして地面に尻餅をついた。なんとも情けなかったが、そんなことを気にしている場合ではなかったのだ。なぜなら手の中に握っていた変な物が急に変形して剣の形になったのだから。びっくりしてしまったので変形した剣を地面の上に取り落としてしまった。
 それを見てロウは愉快そうに笑った。
「ははは、アクロスと同レベルだな、カイ!」
 何気なく馬鹿にされたようでカイはむっとした。しかしもっとむっとしたのはアクロスであった。
「ほらほら二人ともそんなにむっとしてないで。サキちゃんを助けに行くんだろ? 早くしないとあの影に何されるか分かったもんじゃないぞ」
 それだけを早口に言うとロウはさっさと階段を上り始めてしまった。カイもそうだったと思い直し、地面に取り落とした剣を拾って階段を上り始めた。その後ろから慌てた様子でアクロスも駆け上がってくる。
 剣を握るとカイは安心できるような気がした。だけどそんな安心なんて本当の安心ではないと思った。それでも安心できる自分がいて悲しいと思った。まるで心と身体が反発し合っていて、カイには何がなんだか分からなくなってしまいそうだった。……

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 ただまっすぐに。目指すべきものだけを見て走る。それははたして容易なことなのだろうか?
 それでもたった今それを実行している三人がいた。
 天へと続く道はひたすら光を放っている。

 

 

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