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 何の為に真実を求めるのだろう。

 

 

03

「樹ー。起きなさーい」
 誰かの声が聞こえる。この声は姉貴のものだ。下の階から聞こえたそれによって俺は目を覚ました。
 俺の名前は川崎樹。しばらくしたら高校生になる普通の青年。家事をしているのは仕方がないからであって決して俺の趣味ではない。両親がいなくて姉貴と二人暮しだからだ。
 そう。俺は間違いなく二人暮しだった。いいや、今もそうであるはずだった。
「ああ、樹。おはよー」
 隣から陽気な声が聞こえてくる。こいつが、こいつが……!
 ごみを捨てられなかった怒りが戻ってきたが、とりあえず落ち着いて目の前の外人を見る。
 リヴァセール・アスラード。青い髪と銀色の瞳を持つ、一昨日の夜俺の部屋に転がり込んできた外人。こいつのせいでごみが捨てられなかった。いっぱいたまってたのにどうしてくれるんだよ。おかげで姉貴に怒られた。なぜ俺が怒られなきゃならないんだよ、まったく。
「何を機嫌損ねてるんだよ樹。苛々するのはカルシウムが足りない証拠だよ?」
「うっさいな! どうでもいいけどお前あっち行けよ!」
 そう言って外人を追い払う。まったく、苛々すんのはお前のせいだってのに。
 外人は相変わらず黒い服を着ていた。それも決まって長袖長ズボンで。さすがに頭には何も被っていない。何だか知らないけど見るからに暗い奴だよな。腹が立つことに性格はそうでもないけどさ。
 結局昨日はこの陽気な外人は何もせずに俺の仕事を見ていた。何もすることがないなら手伝え、と言ったがあっさり断られた。しかも飯だけはちゃんと食うんだもんな。なんて自己中心的なんだよ。
 でも夜になって姉貴が帰ってきた頃、外人はどこかへ行った。人に見つかるのはやばいから別の場所で寝るとか何とか言って。やれやれと思って寝て、朝起きたらちゃんといるんだもんな。いい根性してやがる。
「おはよう姉貴」
 服を着替えてから下の階へ行き、朝食を作っていた姉に声をかける。朝食はいつも姉貴の仕事で、昼と夜は俺の仕事だ。おかげですっかり料理が上手くなってしまった。
「やっと起きたわね、樹。今日は何があるか覚えてる?」
 え、今日? 何かあったっけ?
 姉貴の言葉を聞いて思い出そうとするも、別に何もなかった気がする。だって残念なことにごみの日でもねえし、スーパーの安売りの日でもないし。
「あ、分かった。公園の掃除の日か」
 唐突に思い出したが、今日は月に一回の公園の掃除の日だった。家事に関係ないからすっかり忘れてたな。
 いや……なんで俺って家事のことしか頭にないんだよ。我ながら悲しくなってくる。
「やっと思い出した? さあ、ぐずぐずしないでさっさと準備しなさい」
「へーい」
 そう言ってテーブルを挟んで椅子に座り、パンにかぶりつく。今日の朝食はサンドイッチ。昨日もそうだった気がする。もしかして姉貴の奴、手ぇ抜いてんじゃねえのか?
「そういえば今日こんな手紙が来てたわよ」
 姉貴はそう言うと俺に一つの封筒を見せてきた。どこにでもありそうな何の変哲もない茶色の封筒。思い返せば俺の部屋にも同じものがあったな。なんてどうでもいいことを考えながらも、その何とも普遍的な封筒を受け取った。
 中を覗いてみる前に誰から来たものかを確認する。封筒の裏側を見てみると――、
 ……。
 一瞬、時が止まった気がした。
 一体何考えてんだよあの外人!
 そう。封筒の裏側に書かれていた差出人の名前は、他ならぬあのリヴァセールだったのだ。しかも俺より上手い字で達筆に日本語を書いてやがる。
 あいつ言ってたよな確か、人にばれるとやばいとか何とか。それはどうなったんだよ!
 何はともあれ中身を覗かないとあいつが何を考えてるかなんて分からない。俺はかなり複雑な思いで封筒の中身を震える指で取り出した。

 

 + + + + +

 

 毎日がつまらない。
 ただ息をしてその場に佇んでいるだけ。
 本を読んでもつまらない。
 人と話をしてもつまらない。
 それなのに、僕は生きている。
 生きている意味なんてないのに。
 僕を知っている人なんていないし、誰も僕を必要としていない。
 だからといって、全てが知りたいわけじゃない。
 何か変化があるよりは、このまま静かに過ごしていたい。
 だけど、見えてしまうものは仕方がない。
 見えてしまっても、関わらなければ良いだけ。
 なんでまだ、生きてるんだろ。
 どうせなら、初めからいなかったことにしてくれればよかったのに。

 

 + + + + +

 

 要約するとつまり、こういうことだ。
 リヴァセール・アスラードはホームステイを希望する。つまり俺の家から平凡を奪う気でいる。イエスかノーかは公園の掃除の時に聞くとか聞かないとか。
 絶対にノーって答えてやる。
 俺は心の奥底で固くそう誓ったのであった。
「ホームステイなんてなんだか素敵ね。どこの国から来た人なのかしら」
 俺だって知らねえし、はっきり言って知りたくもねえわ。それに素敵じゃねえよ。頼むから騙されないでくれ姉貴。
「樹、あんた確か家事で疲れるって言ってたわよね?」
 そりゃあ姉貴が全然してくれなくて俺ばっかりに押しつけるから――ってそれがこれとどう関係してるんだよ。
「ちょうどいいじゃない。その外人さんと住めば疲れも二分の一になるでしょ?」
 何言ってんだ、そんなことあるわけねーじゃねーか! 二分の一どころか俺の疲れが倍になるわっ!
 そう思ったが口に出して言うことなどできるはずがない。もしここで俺が既にその外人さんと知り合いだとばれたら、姉貴はいい気になってこの誘いを承諾してしまうだろう。駄目だ駄目だ、このままでは姉貴が勝手に!
「俺、やだからな」
「え、どうしてよ?」
「それは……」
 そこまで言って言葉に詰まる。適当な理由がこんな時に限って思い付かない。畜生、本当に俺って頭の回転が悪いんだから。自分で認めてしまうとさらに虚しくなってしまう。
「どうせ外国語が分からないからとかそんな理由でしょ? だったらむしろいいじゃない。外国語の先生してもらったら? ……あ、そろそろ時間ね。樹も早くしなさい」
「えっ、あ、姉――」
 すたすた。
 姉貴は俺にお構いなしに言いたいことを言い、家の外の倉庫へ足早に歩いて行った。こんな時だけは行動が早いんだから。
 いやちょっと待てよ、やべえじゃねえか! このままじゃ駄目だ。駄目すぎる。
 俺は慌ててサンドイッチを口の中に放り込むと大急ぎで外に飛び出した。

 

 + + + + +

 

 ずっと待ち続けていても、その人はここには来ない。
 ひたすら待ち続けようと、あの人は来る気配がない。
 ここにある思いは希望じゃない、単なる憎しみが一つだけ。
 でもたとえ出会えたとしても何かをするというわけでもなく、ただどんな顔をして、どんな性格で、どんな生き方をしているのかが知りたかった。
 私には長い時間があるし、過去も未来も関係ない。
 時間は流れていく。
 もう何十年も昔のことだったか。
 恨みや憎悪の心より、ただ、自分を取り戻したいと願うだけ。

 

 + + + + +

 

 俺はすごい勢いで公園へと走っていった。とはいえ公園は俺の家のすぐ隣だったので一瞬で辿り着くことができたのだけど。
 さて、姉貴はどこにいるのだろうか。
 姉の見慣れた姿を捜すがその影はどこにもない。まさかもうリヴァと話してんじゃねえだろうな? 俺が発見した時には時すでに遅し……なんて冗談じゃねえ! さっさと捜せよ俺!
 自分で自分を急かしながら俺は必死になって二人の姿を捜した。そうこうしているうちに近所の人々は集まり出し、ぱらぱらと掃除を始めてゆく。
 しかし俺はそれどころではない。これは俺の生死に関わる問題なんだ、何人たりとも邪魔をするな!
 そんな馬鹿みたいなことを考えていると一つの会話がどこからか聞こえてきた。
「じゃあ、今すぐにでも出ていきます。大丈夫ですよ、住む場所が変わるだけですから。まあ、ちょくちょくそちらにも行きますんで。心配無用ですよ」
 聞き覚えのある声に、俺は耳を澄ました。今度は別の声が聞こえてくる。
「そうか。見つけたってのは本当だったんだな。まったくお前には頭が下がる。いつもご苦労だな」
「いえ、それは情報がよかったのです」
 と、元の声は控えめに言う。その言葉に別の声が返す。
「それも実力のうちさ。お前が頑張ってくれるから俺は楽ができてるんだ。まったくいい部下だなあ、お前って奴は!」
 そう言って声は笑う。その間、元の声は何も言わない。
 笑いが止まった頃、元の声が聞こえた。
「そろそろ行きます。ちょうどそこで待っていてくれてるようですし」
 思わず面食らった。相手は俺がいることに気付いていたのか。
 別の声はさっきと変わらない調子で言った。
「ああ、じゃあな。俺もできるだけ探すからな」
 その声が終わると足音が聞こえた。向こうへ行く音と、おそらくこちらへ向かってくる音。そして元の声の奴は俺の目の前に来た。
「盗み聞きなんていい趣味してないね、君」
 そう言ったのは言うまでもなくリヴァセールだった。お前にだけは言われたくないぞそれは。
 なんてことを思ったがそれはあえて言わずに、俺は本来の目的であったことだけを言っておいた。
「てめえ一体どういうつもりなんだよ。ホームステイだあ? 俺の家に住むだと? お前は俺の苦労を増やす気か! 俺は認めないからな、絶対に!」
 リヴァセールはしばらく黙っていた。何か真剣そうな目つきで俺を見据えながら、何も言わずにただ立っていた。
 やがてにこりと微笑むといつもの口調で言ってくる。
「別にぼくは君に認めてもらわなくても君の家に住むつもりさ。もう承諾の返事ももらったしね。残念だったね。ぼくの方が早かったな」
 思わず絶句する。
 もう承諾済みですと?
 絶望。
 こんなことって、こんなことって――。
「う……」
 あまりにも理不尽な仕打ちに、俺に叫ぶ他はなかった。
「嘘だあああああっ!」

 

 終わった。
 間違いなく俺の平凡は終わってしまった。
「そんなにすねないでおくれよ、樹。いいじゃないか、同居人が一人増えるくらいさあ。ね? そうでしょ?」
「うるせえよっ!」
 いちいちまとわりついてくる外人に反発し、公園内の草を素手でむしる。その外人は俺の隣に座り込んでいるだけで何もしようとしていない。掃除くらいしろよお前!
 とにかくだ。
 俺はぬいた雑草を一まとめにして右手で握ると立ち上がり、リヴァセールを見下ろしながらはっきりと言った。
「俺の家に住むとなった以上、家事は絶対にすること! さぼったりしたら絶対に許さねえからな!」
 これだけは何が何でも守ってもらわなければ。でなきゃ俺の身がもたない。
 外人はしばらく俺を見上げていた。何だよ、文句言ったって駄目だからな、こればっかりは!
「分かったよ」
 反発するかと思ったが、外人は立ち上がると俺に静かに言ってきた。
 なんかこいつって、妙なところで素直だな。
 外人はそんな俺の考えを知ってか知らぬか、そう言うとどこかへ去っていった。俺は追いかけようとしたが、その前に姉貴に呼びかけられてしまった。
「樹ー」
「あんだよ」
 まだちょっと苛々したままだったが振り向いて答えた。
「どうやら仲良くなれたみたいじゃない。よかったわねー。お姉ちゃん安心だわー」
 そう言って微笑む。姉には悪いが今の俺にはそれは皮肉にしか聞こえませんですぜお頭。
「さあ、そろそろ掃除も終わりね。あんたも片付けなさい」
「へーい」
 気が乗らないまま片付けに入る。
 俺はその時ふいに空を見上げた。
 ああ、なんて空は広いのだろう。空には雲一つなく、何の障害もなく俺を迎え入れてくれるようだ。
 頭がぼーっとしてそんなことを考えた。いいなあ、空は。何も悩みがなさそうで。
 そのまま掃除を終え、俺は家に帰った。
 そして俺は最後の平凡な夜を過ごしたのであった。

 

 + + + + +

 

 人に必要なものが勇気なら、人に勇気を与えるものは正義だ。
 そして正義を導き出すのは信念であり、その信念が歪んでいたら、何でも悪になってしまう。
 俺の勇気は、悪なのかどうか。
 確かめる方法がないから、人に頼ってしまうのかもしれない。

 

 

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