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第一幕
―光につれられて―

 

 俺の名前は川崎樹。どこにでもいそうな高校生。
 そんな何の変哲もない俺だけど、今大変なことになっている。
 俺は一体これからどうなるのだろうか。

 

第一章 異世界

 

06

 俺はとにかく待つことにした。なぜなら、あの馬鹿な外人がきっとここに戻ってくるだろうからだ。あいつは俺を雇い主とやらに会わせたがっていた。そう簡単に俺を見捨てることはないと思う。岩の上に座り込み、どれ、空でも見ていようか。
 空は青い。雲は白い。俺の知っている常識と見事に一致している。もしかしたらここは異世界なんかじゃなくて地球のどっか遠いところなんじゃないのか? その可能性だって否定できないはずだ。
 その疑問の答えを探すにしても、まずはあいつを待たなければならない。まったくあの外人め、余計なことしやがって。
 俺はリヴァを待った。時計を持っていなかったのでどのくらい待ったかは分からない。
 十分くらいか。一時間くらいか。いや、三時間くらいか。俺はとにかく待ち続けた。
 来ない。外人は一向に来ない。いくら待っても来ない。腹が立つほど来ない。
「…………」
 やっぱこういう場合って、俺自ら動くべきなのか?
 はあ。
 まったく気が乗らなかったが、とりあえずこの崖らしき場所から下りることにした。
 立ち上がって下を覗いてみる。一体何メートルあるのかは知らないが、この崖はかなり高く、下にあるはずの地面など一点も見えなかった。途中雲とか掛かってるしさ。これを俺に下りろと?
「できるわけねーよなー! はははー!」
 開き直って笑ってみた。誰もいない崖の上で一人馬鹿みたいに笑う俺って一体。限りなく虚しい。
 つーか、これってよくあるやつだよな。RPGとかで現実世界の平凡な奴がある日目を覚ましたらそこは異世界でした、とか。わけが分からないままうろうろしていたらいきなり何かに襲われました、とか。そこを誰か格好いい頼りになる人が助けてくれました、とか。そしてその人と一緒に旅して無事に元の世界に帰れました、とか。
 じゃ、俺って今その話のどこなんだ? 目を覚ましたら異世界でした、か。
 そのままいったら次は何かに襲われるのか……。
 俺は下を見た。既に俺は高さと孤独に襲われている。
 じゃあ次は誰か格好いい頼りになる人が助けてくれました、か!
 そりゃあいいや。じゃあ俺は何もしなくていいんだな。ああ、なんて楽なんだ。俺って実は運がいいのか?
 俺はまた待つことにした。今度は頼りにならないリヴァではなく、そのシナリオで言う『格好いい頼りになる人』とやらを。

 

 +++++

 

 なぜだ。なぜなんだ。
 なぜ誰も来ないんだよ!
 もう空が暗くなってきてるぞ? 俺にこのままここで寝ろとか言うのかよ!
 ……はあ。
 本日二度目のため息を吐き、仕方なく立ち上がった。こうなったら俺が自分の力で下りるしかない。
 しかし、これをか。
 再び確認するように眺めてみたが、崖はもうこの上ないほど高かった。高すぎるし雲が掛かってるしで舌の様子など何一つとして見えない。それに崖は約九十度。直角じゃねえかよ、おい。
「やっぱ下りられるわけねーよなー! はははー!」
 はあ。三度目のため息が出る。
 俺は同じことしか言えないのかよ。なんだかとんでもなく情けない。
 いいや、駄目だ駄目だ! こんな暗いこと考えたらそれこそ暗い奴になっちまう!
 とはいえ、一体どうすりゃいいのやら。俺は登山どころか五階建ての家以上の高さの場所なんて行ったことなかったんだぞ? そりゃ今いるけどさ!
 しかしよく考えたらあれだよな、こんな高いし何もないところにわざわざ登る奴なんていねーよな。じゃ俺って一体何なんだ……。
「畜生、あの外人野郎! 次に会ったらぶん殴ってやるっ!」
 そして『格好いい頼りになる人』役の誰か! お前この崖を見て諦めたな? もし見つけたら蹴飛ばしてやる!
 ……はあ。四度目。
 本気でどうするか考えよう。

 

 そもそもこれって本当に現実なのか? もしかしたらこれは夢でしたってオチがあるかもしれない。じゃ、寝てみるか?
 ここでか。
 さすがに無理。怖えよ。風が吹いたら飛ばされそうだもんよ。
 でももし夢だったら何か変な事しても無事に済むんじゃねえのか? 例えばRPGとかでよくある魔法が使えるようになるとか。もしかして俺、既に使えたりして。
 いや、でもそもそも魔法ってどうやって使うんだ?
「えーと、確かRPGとかでは、こう、ばーんと!」
 …………。
 両手を大きく広げてみるが何も起こらない。
「じゃあこうか?」
 人差し指を前に突き出してみるが何も起こらない。
「じゃ、こうだろ!」
 片手を上にあげてみたがやはり何も起こらない。
 なんで俺、こんなことに必死になってんだろう。
 はあ。五度目。

 

 +++++

 

 ついに夜の帳が下りてしまった。吹き付ける風は肌寒く、独特の虚無感が空を支配し始めている。そんな中、俺はいまだに崖の上で唸っていた。
 くそ、何かないのか何か。
 今度は自分の服装を見てみた。半袖の上着に長袖のTシャツ。下はただの長ズボン。昨日はいろいろ考えてたせいか、パジャマに着替えるのを忘れていたらしい。
 ポケットの中を探ってみるも見事に何も入っていなかった。気が利いてねえなあ、過去の俺ってば。
 本当にどうにかしなければ。でもどうにかって、どうやってどうにかするんだよ?
 やっぱ俺が自ら動いてこの崖を下りるしか方法はないのか? 考えたくはないが、ここまで待って誰も助けてくれなかったとなると、それが現段階で考え得る最も正解に近い回答なんだろうな。
 はあぁあ。特大で六度目。
 ため息ばかり吐いていても仕方がない。俺は覚悟を決め、すっと立ち上がった。
 よし、覚悟しろよ崖! この川崎樹様がお前を攻略してやる!
 一人張り切っているがこの際もう格好悪くたっていいさ! とにかく下りてやる! 下りてやるぞ、てめえ、この直角崖め!
 ――で。
 崖って、どうやって下りりゃあいいんだ?
 ……はあ。七度目。

 

 結局、今日はそのまま終わってしまった。俺はいまだに崖のてっぺんにいる。
 このままで本当に大丈夫なのか?
 誰か『格好いい頼りになる人』役の人、格好よくなくてもいいからさっさと来てください……。

 

 気が付いたら朝になっていた。俺はあれからどうやら眠ってしまったらしく、崖の上で横たわっていた。
 ゆっくりと身体を起こす。俺はまた今日も何らかの方法を考えて時間を潰さねばならないらしい。そう考えると限りなく虚しいな。
 あーあ。元はと言えばあの外人が悪いんじゃねえか。俺をこんな恐ろしい場所で一人にさせるなんてさ。
 ま、愚痴はこのくらいでいいとして。
 空で輝くのは心なしか大きく見える太陽さんだった。彼を遮るような白い雲たちはほとんどおらず、とても清々しい空気が周囲に充満している。今日もいい天気だな。じゃあまずは誰かが来るのを待とうか。
「あ、起きたのかあんた」
「うえっ?」
 いきなり隣から声が聞こえてきた。びっくりさせやがって! 変な声が出たし、崖から落ちるところだったぞお前!
「なんだよ、そんなに驚かなくてもいいじゃねえかよ」
 この狭い崖のてっぺんに二人もいるとかなり窮屈だ。相手は俺のすぐ隣にいた。こんなに近くにいて今の今まで気付かなかった自分の感覚を疑いたくなってくる。俺は一体何を見ていたというのだ。
 とにかく相手をまじまじと観察してみることにした。そいつは若い男――じゃなくて青年だった。緑の髪を肩の辺りで後ろに束ね、緑色のマントを羽織っていた。そのマントの下は貧乏そうな長袖長ズボンで、なぜか少し疲れたような顔をしている。
 俺はなんだかピンと来た。
 こいつがシナリオで言う『格好いい頼りになる人』役だな、きっと。格好いいかどうかは別として、こいつが来たからには俺は安心できるってか!
 でもお前、もうちょっと早く来てくれてもいいのによぉ。俺がどれだけ苦労したと思ってるんだよ。まったく、見るからに面倒そうな顔しやがって。
 何はともあれ、早速相手と話をすることにしてみた。
「えっとー、そのー、……あんた誰?」
 まず聞くことといえばそれだった。
「俺か? 俺の名はグレン。お前は?」
 話しかけてくれたのが嬉しかったのか、相手、グレンの顔が一瞬にして輝かしいものに変わった。俺はそれに戸惑いつつも、いつかの外人の時のように自己紹介した。
「俺の名前は、川崎樹」
 ついついフルネームで答えてしまった。癖付いてんだな。
「かわさきいつき? 変な名前だな。どう呼べばいい?」
 俺にしてみればあんたの名前の方が変な名前なんですけど。なんて、この異世界とやらじゃそれが普通なんだろうな。
「どうって言われても、外人には樹って呼ばれてたけど」
「がいじん?」
 グレンは頭上に疑問符を浮かべ、首を傾げる。なんだ、ここには『外人』って言葉もないのかよ。この世界に国はないのか?
「まあそれはいいんだよ。そもそも、なんであんたはここにいるんだ?」
 答えの分かり切った質問をぶつけてやった。彼がこんな崖にまで登ってきた本当の理由は、『格好いい頼りになる人』役だからに違いない。
「そりゃあお前、この崖の上から変な声が聞こえてきたから登ってきたんだよ。そしたらお前が寝ててよ、俺は起きるのを待っていたのさ。んで、今に至るというわけ」
 ……何なんだその中途半端な理由は。
「おい、なんでそんな不満そうな顔をするんだ。俺は事実を述べたまでだぞ」
 俺はそんなに不満そうな顔をしていたのだろうか。自分で自分の顔は見えないので分からないが、不満と言えば不満だな。
「でも登ってきたって、一体どうやって登ってきたんだ?」
 登ることが可能ならば、必然的に下りることも可能となってくるはずだ。これで下りられないとか言ったら蹴飛ばして崖から落としてやるぞ。
「そりゃお前、気合いだよ、気合い。それ以外には好奇心からさ。で、結局あの変な声は何だったんだ? やっぱお前の声だったわけ?」
 グレンは顔を輝かせて聞いてくる。何なんだよこいつ。そもそも気合いだと? それって下りられるのか?
「あのさー、俺ここから下りられなくて困ってるんですけど」
 とりあえず他のことは無視して正直に言いたいことを言った。それを聞いたらグレンは大袈裟に笑い出しやがった。
「だっはっはっはっは! お前自分で登っといて下りられなくなったのかよ! こりゃ可笑しい! だっはっはっはっは!」
「笑うなあ! ……で、どうやって下りたらいいんだよ?」
「仕方ねーなー。この俺様がお前を手っ取り早くここから下ろしてやるよ!」
 相手はそう言って勢いよく立ち上がった。はっきり言ってすっげー不安なんだけど。
「ほら、お前も立てよ。早く下りてえんだろ?」
 かなり怪しかったが、とりあえず言われた通りにした。こいつが本当に『格好いい頼りになる人』役なら、俺は彼の言うことを聞かなければならないのだろう。……本当にそうならば。人違いじゃなければ。
 とんでもなく人違いのような気がする。だってなんか、ものすごく頼りなさそうだし。
「ほら、じゃあいくぞー?」
 背後からグレンの明るい声が聞こえた。いや、ちょっと待て、もしかしてお前――。
 どげし!
「ぎゃあああああああ!」
 嫌な予感が的中した。あの野郎、俺を崖から突き落としやがった!
 なんてことすんだてめえ! 俺が一番恐れていたことを!
「おーい樹ー! 頑張って生きろよー!」
 上から奴の陽気な声が聞こえる。うっせえなてめえ! 黙ってろよ、畜生!
 なんて恨んでる場合じゃない! もう地面が近いじゃねえか!
 どうするんだよただの土じゃねえか! 森とかだったらよくある話ではクッションになったりするのに、地面じゃ絶対助からねえじゃねえかよ!
 畜生! あの野郎、俺が死んだら呪ってやる! 覚悟しておけよグレン!
 俺はぐっと目を閉じた。

 

 それから先は、どうなったのか覚えていない。

 

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