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07

 寒い。冷たい。冷たい。
 身体が凍りそうだ。身体が冷たい。
 頭が回りそうだ。ぐるぐるする。ぐらぐらする。
 光が、光が見える。白い。
 白い光が見える。
 白い光が――呼んでいる。

 

 気が付いたら俺はどこかの広場らしき場所に横たわっていた。そして周囲にはそんな俺を物珍しそうに見ている、いわゆる野次馬が群がっていた。
 俺が起き上がると人々は一気にざわつく。何か口々に俺に言ってくるが、そんな一斉に言われたって分かるかよ。
「あんた大丈夫だったのかい? こんなところで寝てたら風邪ひくよ。寝るところがないならあたしらの家に泊めてあげたのに。遠慮なんてしなくていいんだよ?」
 どこかの気のいいおばちゃんが早口に言った。いや別に寝てたわけじゃないんだけどなぁ。
「すみません。もう大丈夫ですから」
 とりあえず恥ずかしかったのでここから脱出することにした。何が大丈夫なのかなんて俺だって知らないけど、そう言わなければ周りの人々が許してくれそうになかったのだ。
 俺がそう言ったので野次馬連中はすぐに姿を消した。はあ、やれやれ。これでやっとうろつくことができる。
 と言っても、ここってどこなんだ?
 俺は立ったまま辺りを見てみた。どこかの広場っぽいけど、そのわりには人が多い。地面は石の床で、周辺を見回すと低い階段が多数見える。そして至る所に何か屋台のようなものが並んでいて、まるで祭りでもしているみたいだった。
 とにかくいつまでも立ち止まってても仕方がないので、その辺をふらつくことにする。
 俺がまずしなければならないこと。それは第一にリヴァを見つけること。そして第二にグレンの野郎を蹴飛ばすことだった。まったくあいつのせいでとんでもない目に遭っちまったじゃねえかよ。
 あれ、そういえば俺って。
 ふと気が付いてざっと自分の姿を見てみた。そして、驚く。
 あんな高いところから落ちたのに、俺の身体は傷一つ負っていなかった。身体のどこも痛くないし、それよりもまず俺がこんなところにいること自体おかしい。だって俺が落ちたのは何もない土の地面の上だったはずだ。それがこんなところにいて傷も負っていないなんて、絶対に何かおかしい。
「うーん」
 もしかしてグレンの奴が助けてくれたのか? そうとは考えにくいけど、他に納得できる理由が見当たらないもんな。でも、あいつが人を助けるようなことがあるだろうか?
 ま、悩んでても仕方がない。とりあえずここがどこなのか聞いてみることにした。誰か話しかけやすい人とかいないかな。
 その時、階段に一人で座っていた少女と目が合った。少女と言っても俺と同い年くらいか。黄色の長いふわりとした髪と、海のように深く青い瞳。顔立ちは綺麗なのに身に着けている服装は高価そうなものではなく、貧乏そうなぼろのマントをすっぽりと身体全体が隠れるように羽織っていた。それがなんだか似合っていない。
 俺が相手を見ていると相手も俺を見ていた。やがて彼女は立ち上がり、俺の近くに歩いてくる。そして顔を少し傾けて微笑みながら俺に話しかけてきた。
「何か、困ってるの?」
 それは何気ない言葉だったが、俺にはなぜかその言葉が大事な意味を持っているように思えた。目の前の少女は俺の顔をじっと見つめ、俺の言葉を待っている。
 よかった。話は聞いてくれるみたいだ。この子にここがどこなのか聞いてみよう。
「あのさ。俺、ここがどこなのか分からないんだけど、君は知ってる?」
「私も分からないの」
「そっかー。あはははは」
 なぜか笑ってしまった。だって相手がとてつもなくにこにこして答えるんだもんよ。
 いや、そうじゃないだろ。何をのんきに笑ってるんだよ俺は。
 しかし、この子も知らないのかぁ。それじゃあ別の人に聞くしかないな。
「ねえあなた、名前は?」
 青い大きな瞳はまだ俺を見ていた。そうか、この子もここのことが分からなくて困ってたんだよな。だったら一人にするわけにはいかないか。俺だってそこまで冷たくはない。
 だからとりあえず自己紹介した。
「俺の名前は、川崎樹」
 また同じように答えてしまった。やっぱ癖づいてんだな俺ってば。もうこの際そんなことは無視。
「いい名前だね、樹って。私はアレート。よろしくね」
 ……え?
 驚いた。この子、リヴァと同じこと言ってるじゃんか。いい名前だって。
 でも、まあ。
 俺は相手――アレートに向かって手を差し出しながら、できるだけ笑顔を装うよう気を付けつつ言葉を発する。
「どうやら祭りでもしてるみたいだ。ここがどこなのか探るついでにでも、一緒に見に行こうぜ、アレート」
 少女は満面の笑みを俺に見せ、差し出した手をしっかりと握った。

 

 +++++

 

 俺と少女――アレートの二人は広場をざっと見て回り、一周して元の場所に帰ってきた。ここは本当に祭りをしているようで、その内容は俺の知ってることとは違っていたが、よその人間が見ても祭りをしていると分かるようなものだった。俺たちは見ることにすっかり夢中になり、ここがどこなのかを誰かに聞くという目的をすっかり忘れてしまっていた。
 でもアレートのことは少しだけ分かった。彼女は俺の隣を歩きながら、俺とこんな会話をした。
「樹はこの世界の人じゃないの?」
 最初に聞いてきたのはアレートの方だった。俺は何も深く考えずに素直に答えた。
「俺の知ってる場所ではないのは確かだけど。アレートもそうなのか?」
 アレートはその時、少しだけ不安そうな顔をしたような気がした。でもそれはほんの一瞬だけだったのではっきりとは分からない。
「私も、そうなの。気が付いたらここにいたんだ」
 気が付いたらって。それって俺と同じじゃないか。だったらアレートも例のあの『格好いい頼りになる人』役を探してるのか?
 しかしそんなことは口が裂けても言えるわけがない。だってこれは俺一人の予想だし。いや、予想っていうか、推測っていうか。どっちでもいいか。
 そんな馬鹿みたいなことを考えつつも、俺はアレートに何気なく話しかけた。
「じゃあ俺たちって同じなんだな。何も分からねえけど、まあ、よろしくな」
「そうだね。会えたのがあなたでよかったよ、樹」
 アレートはそう言ってまたにっこりと笑った。

 

 で。結局戻ってきてしまったわけであるが。
 今度こそ忘れずにここがどこなのか誰かに聞かねば。そしてあの外人かグレンの野郎を見つけなければ。
 そうは言うけれど、本当にあいつらはここにいるのだろうか。さっき回ってきた時は見つからなかったけど、もう一度だけ探してみるかな。もしかしたら見つかるかもしれねえし。
 そして見つけたら絶対に蹴り飛ばしてやる。
 俺はそう心に誓い、また捜しに一周した。
 いない。誰もいない。影も形もない。不安よりも怒りが増えるほどいない。
「樹の知り合いさん、いないね」
 隣からアレートの声がする。ああ、ごめんよアレート。あの馬鹿な外人や考えなしの野郎のせいで君まで巻き込んでしまって。もし見つけたら思いっきり蹴り飛ばしてもいいぜ。というか、思う存分蹴り飛ばしちまえ。
「これだけ捜していないとなれば、別の場所にいるってことなんだろうなぁ」
 考えてみればそっちの方が確率高そうだしな。いや、それ以前にあの二人がここにいるって確証なんて全くないんだ。ここにいなかったとしても少しもおかしくないわけであり。
「じゃあ他の所を探すの?」
「そりゃあいつまでもここばっかり探してたって仕方ないからな。町の外にも出てみなけりゃ」
「確かにあなたの言う通りだね」
 そう言ったアレートの声が今までのものと違っていたことに俺は気付いた。しかし俺が何かを言う前にアレートは口を開く。
「私はもう少しここでいようと思うんだ。しばらくしたら、あなたを追うよ。だからここで一回、さようなら」
 そう言った少女の顔からも笑みがなくなることはなかった。アレートは俺に会った時からずっと微笑んでいた。嬉しそうに、楽しそうに。だから俺も不安を拭い去ることができた。おかげでまだ今日は一度もため息を吐いていない。これって結構すごいことなんだぞ、俺にとっては。
「さよなら、か。俺はそれじゃなくて、またな、の方がいいと思うんだけどな」
「それもそっか。また会うかもしれないのにさよならは変だよね。あなた結構頭いいんだね!」
 褒められた。何か違う気がしたが褒められたら嬉しい。俺って本当単純だなあ。
「じゃあ頑張ってね、樹。またね!」
 ま、いっか。
「ああ。アレート、またな!」
 こうして俺たちはすぐに別行動を開始したのであった。

 

 その時俺はまだ何も知らなかった。
 俺が彼女、アレートと出会った理由も、なぜここに来たのかということも、なぜグレンと出会ったのかということも。
 そしてなぜリヴァセールがここにいないのかということも。
 俺がそれらを知ることになるのは、まだまだ先の話である。

 

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