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08

「ほわあぁ……なんだぁ、ここは」
 そこはまるで緑だった。光が差し込む透き通ったような緑。どこを見ても緑、緑、緑。もう緑しかない。
 そう、ここは、
「森」
 である。
 そしてなぜ俺がこんなところで呆けているのかというと、あの広場を出てから適当に歩いていたらたまたまこの森が目に入って、とりあえず何かあるかもしれないと思って来てみただけだった。探し人の二人を捜すあてがあるというわけではなく、本当にただ来てみだけだ。
 しかしこの森はすごい。なんというか、神秘的というか神々しいというか。とにかくすごい。
 不気味なほど音がないのも気になるけど、それよりも気になることがある。それは地面にくっきりとついている足跡のようなもの。それは人間の足跡にしては大きすぎるし、かなり均整を保って何の乱れもなくまっすぐに続いている。
 そしてそれから醸し出されているいかにも怪しげな雰囲気。
 ……もう帰ろうかな。すごく何か得体の知れないものが出てきそうだし。
 そうだよな。一人でこんなところに来て、俺ってば危ないったらありゃしない。もしここで何かRPGでいう魔物とかに襲われでもしたらたまんねえもんな。
 しかし、ちょっと待てよ。俺って今はそのシナリオではどこにいるんだ?
 例のシナリオでは気が付いたら異世界にいて、何かに襲われて、格好いい頼りになる人に助けられて――。
 じゃあ何だ、俺って次は襲われるのか? 前のあれでは駄目なのかよ? 楽できると思ったのに。
 つまんねえなぁ、まったく。
「そもそも一体なんで俺がこんなわけ分かんねえところに連れてこられなければならないんだよ。あの外人め、勝手に人違いなのに納得して俺にまとわりついてきやがって。挙げ句の果てにはこれかよ。ふざけやがって……」
 一人愚痴を並べながら引き返すように後ろを振り返った。
「それにグレンもグレンだ。あいつが例の役だと思ったのに、今思い出しても腹が立つ! あの野郎、見つけたらもう絶対蹴っ飛ばしてやらあ!」
 ぐっと握りこぶしを作り、一人で意気込んだ。辺りは相変わらず静かでなんだかものすごく虚しい。つーか、恥ずかしい。
 それにしても静かだよなここは。鳥とか動物とかいないのか? 何の音もないから俺の独り言が響いて恥ずかしいんだよ。だったら言わなければいいんだけど、無意識に言っちまうんだ、ほっとけ。
 ――ざっ。
 歩き出そうとすると、自分以外の何かが発した音が聞こえた気がした。
 俺は後ろを振り向いてみた。視界に映ったのは緑が広がる神々しい森だけで、音を発生させそうなものは何もない。
 気のせいか?
 ――ざっ、ざっ。
 今度ははっきりと聞こえた。何かが近付いてくるみたいだ。背中に冷や汗が流れるのを感じる。
 やばいんじゃねえか、これって。いかにも何か出ますって感じじゃねえか。
 よし、こういう場合は逃げるに限る。
 俺がそう考えてまた進行方向に向き直った時、世界が止まるかと思った。
 なんとその音は俺の見ていた方角のちょうど反対側から聞こえていたのだ。俺はそんなものは全く分からなかった。なんとなく後ろから聞こえた気がしたから振り返ってみただけだ。それの何が悪い。……いや、そんなこと言ってる場合じゃないんだということは分かってるんだけどさ。
 前方には何かの集団が見えた。とりあえずの距離は保たれているし、俺はちょうど木の影になって相手からは見えないらしかった。相手と言ってもそれは集団で数が多かった。どこかの国の兵士のように息ぴったりで行進し、こっちにのろのろと近付いてきている。
 とりあえずここは隠れるに限る。見つかったら何言われるか分かったもんじゃねえしな。
 俺はさっと身を翻し、より見つかりにくいところに隠れた。俺ってばこういうことに関しては行動が速い。それも何か情けないような気がしたが、もうどうでもいいやそんなこと。
 ちょっと顔を出して集団を見てみた。まだ相当離れているのでまず見つかる心配はないだろう。注意深く相手側の集団を観察してみる。
 皆さんご丁寧に鎧や兜を着用し、全てが全て同じにしか見えない。そのせいか背も仕草も体重――は見えないが何もかもが同じように見えた。まるで、そいつら全部が何かのコピーのように。
「怖ぇな、ありゃあ」
 俺が二人いただけでも怖いのに、あんなにいっぱいいたらもう恐怖の二文字以外に何もない。だってお前、同じ奴ばっかなんだぜ? 怖いっつーか気味が悪いだろ。
「そうそう、その通りだよなー。あんなもんがうろうろしてたら怖いっつーの。樹よく分かってるーっ」
 だよな。怖いよなぁ普通に。――って、へ?
 ふと隣に目を向けてみる。そこには森の景色に溶け込むような色合いの男が俺のすぐ隣でしゃがんでいた。
「よっ、樹」
「お、お、おま、おまおまおま……っ」
 口が必要以上にぱくぱくして上手く喋れない。震える手で相手を指差しながら相手をじっと見る。俺の隣にいるこいつが、こいつが――。
 俺はそのまますごい速さで立ち上がり、相手を思いっ切り蹴り飛ばした。顔面を一発。辺りに気持ちいいほど音が響き渡る。相手は森の中をふっ飛び、一本の木に背中をぶつけて止まった。
「だあぁ! 何すんだよてめえ!」
 顔を上げて手で顔面を押さえながら、相手――グレンは叫ぶ。俺の蹴りはなかなか効いたらしい。これも毎日家事ばかりして力がついたおかげだな。思い知ったかグレンめ。
「せーっかく俺様がお前を助けてやろうとしたのによおっ。酷ぇなぁそんな仕打ちするなんてよぉ。んなことするならもう助けてやんねーぞ?」
 グレンはさっきまで怒っていたのになぜかいじけていた。不満そうな顔でわざとらしく話してくる。
「助けるって言ったってお前、じゃああの時のあれは何なんだよ? 俺を突き落としやがって、殺す気かよっ!」
「何言ってんだよ樹君。生きてたからいいじゃねーか。過去のことは忘れましょうっ。さあ、君の前には明るい未来が開けているぞ!」
 今度は顔が輝いている。何が明るい未来だ、何が。ふざけやがってこの野郎。また蹴り飛ばされたいか。
 お調子者のようなグレンはもう無視。あんなのに関わったら最後だ、俺は確実に巻き込まれて崩壊する。そう考えながらまた視線を前に移した。
 そう、前に広がるは透き通ったような緑の森。光が差し込んでて、何の音もなくて、グレンじゃないけど未来が開けていて。
 そんな景色を期待していたのに、俺の視界を占領したのは不自然な青だった。
 ……青?
 ちょ、ちょっと待てよ緑は? あの透き通ったような緑は? どこ? どこいったの!
 俺はすっと顔を上げてみた。目の前にはさっき遠くに見えたあの集団がずらりと同間隔で並んでいる。そう、それはまるで一つが増殖したように。俺が見た青はそいつらの鎧の色だった。
「お前の未来は増殖か、樹」
 まるで哀れむようにグレンは俺の肩に手をぽんと置く。しかし俺はもうそんなことはどうでもよかった。
「み、みみみみみ、みつみつみつ……」
 またしても上手く喋れない。グレンは不思議そうに見てくる。
「見つかったぁあ!」
 思いっきり腹の底から叫び、そのまま全速力で後ろにダッシュ。もうこうなったら逃げるが勝ち! あんな怪しい奴らに関わってたまるか!
「おーい待ってくれよ樹ーっ」
 グレンの声が聞こえた。ちょっと振り返って見てみると、あの野郎大きく手を振りながらこっちに近付いてきやがる。何を考えてるんだあいつは! あっち行け!
「お前ついて来んなよ! そして手ぇ振るな! 目立って余計に見つかりやすくなるだろうが!」
 前を見ながら後ろのお調子者に言う。後ろを見たらあの集団が追ってきていそうで怖くて見えない。
「そんなこと言って、大声出したら見つかっちゃうぞ? そもそもあいつらに見つかったのはお前が立ち上がったせいだし?」
「う、ほっとけよ! あれは仕方なかったんだ! 気が付いたら身体が勝手に動いててだなあ。ていうかお前だって大声出してたじゃねえかよ!」
「んな! 俺様のせいにすな! あれは明らかにお前のせいだろ!」
「なんだと、この!」
「おう、やるか!」
 グレンがちょうどそう言った時、俺たちはその場に立ち止まってお互い睨み合った。そう、周りで起こっていることなどまるで無視して。
「げ!」
 唐突に相手の顔が大きく歪んだ。まるで何かとんでもないものを見つけたと言わんばかりに、眼の中の瞳をしきりに動かしている。俺はなんだか嫌な予感がしつつも心を落ち着かせて周りを見てみた。
 はたしてそこには、気持ち悪いほど同間隔で例の集団が並んでいた。そして俺たち二人はちょうどその円のど真ん中で立っている。これってもしかしなくとも――あれだよな? いわゆる『バトル』という画面なんじゃなかろうか。
「ほーらびっくり」
 グレンはとことんおどけていた。このお調子者野郎、俺にどうしろって言うんだよ!
「はいはーい、樹君? まずはこいつらの説明からな。こいつらはなぁ――っと?」
 グレンが話している途中に周りの奴らが一歩前へ進んできた。その動作も全て同じでめちゃくちゃ怖い。つーかなんでこいつらは俺たちを襲おうとしてるんだ。そんなに金持ちっぽく見えるのかよ?
「はん、やる気みたいだな。おい樹! お前は何ができる?」
 近くから張りのいい声が飛んでくる。しかし、いきなりそんなこと言われたってなぁ。
「家事ができる?」
 我ながらめちゃくちゃな答えをしてしまったもんだ。しかも疑問文かよ。いや、そんなこと言ってどうするんだ俺! 馬鹿か!
「はあ? いや、俺はよぉ、別にそういうことが聞きたいんじゃねえんだよ。つまり戦えるか戦えないか、ってことだ」
 ああ、なるほどねぇ。というか。
 やっぱこれって『バトル』なの?
「俺戦ったことなんてねーよ」
 そりゃあ姉貴や友達とは喧嘩ならするけど。こんな明らかに怪しく危なっかしそうな連中との喧嘩など経験がない。その前に逃げるし。
 グレンはそれを聞き一気に顔の緊張を緩めた。
「あーそんな気ぃしたわ。お前弱そうだもんなぁ」
 うっわめちゃくちゃ腹立つ言い方! つーか俺の住んでた場所ではそれが普通なの! ここが変なだけだろ!
「樹、自己防衛って知ってるよな。これ持ってな」
 そう言いながらグレンは何かを投げてきた。それを俺が両手で受け取ると彼は俺の隣まで来た。
「とりあえずそれで自分の身を守っとけ。お前はそれだけを考えておくんだ。余計な雑念は捨てて、あとは俺に任せておきな」
 グレンは俺の背中に自分の背中をぴたりとくっつける。俺は自分の手の中を見た。グレンが俺に投げてきたのは小さな短剣だった。
 なんだかリヴァを思い出す。俺はそれを両手で握り締め、目の前を睨み付けるようにして見た。
 それで俺は何をすればいいって? 自己防衛? ああそうか、自己防衛な。
 相手側の連中は俺とグレンの行動を見て一斉に同じ動きをした。腰につけていた長い剣を抜き、同じポーズで構えている。
 自己防衛な。自己防衛。
 ……できるかっつーの。
「さあ、来るなら来い!」
 勢いのいいグレンの鋭い叫び。背中合わせなのでどんな表情をしているのかは分からなかった。でも伝わってきた何かがある。それは恐ろしいほどの覚悟。
 いやちょっと待ってください! こんな短剣で自己防衛なんて――。
 そうこうしているうちに相手の連中が一気に襲いかかってきた。剣を片手に同じ仕草で飛びかかってくる。
「ちょっ! まっ、ちょっ、ちょっと、まっまっまっ、待って待って!」
 俺は限りなく情けないようにおたおたとした。自己防衛? 無理無理、絶対無理!
 しかし相手が止まってくれるわけがない。俺に向かって一斉に剣を振り下ろしてくる。
「わっ、待てって言ってるだろっ!」
 ええいもう、やけくそだこん畜生!
 俺は手に持っていた短剣を顔の前に持っていった。とりあえずそれで顔をガードできそうな気がしたのだ。そして恐ろしさのあまりぐっと目を閉じる。
 がっ。
 かなり近くで――正確に言えば目の前で音が響く。手に重みが加わった気がした。しかしそれだけで、痛みは何も感じられなかい。心臓の高鳴る音を耳にしながらゆっくりと目を開けてみる。
 短剣の上に相手の剣が乗っていた。というより俺の短剣に引っかかっているように見えた。
 よ、よかった生きてる。ていうか怖い。怖すぎるってこれは。
 つーか重い! 重いっていうか押されてる感じ。力を抜いたらすぐにでも潰されそうだ。
「おっ? なんだ樹、君ちゃんと自己防衛できてるじゃん。いいねー」
 隣からグレンの声が聞こえた。お前なあ、そんなのんきなこと言ってる暇があったらこの状況をどうにかしろよ!
 ――あれ?
 いつの間にか手に加わっていた重みが消えていた。なんだ? 一体何が起こった?
 確認するように前方を見ると、目の前にさっきまでいた鎧の奴がいない。いや、いないんじゃない――倒れている?
「じゃあお前もう何もしなくていいぜ。あとは俺に任せておきな」
 俺の前にグレンがいた。背中を向けてそのまま話してくる。緑色のマントがふわりと翻り、その奥に見えるのは白銀に光る長い剣。
 俺が何かをする暇も与えず、グレンは大きく剣を振る。その動作は速すぎて、俺の目は追いつかない。
 ――何だよお前。
 鎧の奴らはばたばたと倒されていく。そのたびに大きな物が壊れる音が響き渡り、沈黙していた森はざわついていく。
 ――何なんだよお前は。
 もう全体の半分以上が地面に転がっている。そいつらは既に動かない。
 ――これじゃあ俺。
「これで最後!」
 ばきん、という音が響き、気が付くと青い鎧は全て動かなくなっていた。その鎧の横ではグレンが剣を握って立っている。
 誰もが黙り込んでいた。息をしているのは、剣を握っている彼一人だけ。
 ――すっげえ情けねえじゃんかよ!
 俺は何もせずに見ていることしかできなかった。
「おう、どうした樹? はぁん? さては俺の強さにびびったな?」
「別に」
 そう言ってグレンに渡された短剣を突き出す。グレンはそれを見て変な顔をした。
「何だよ、せっかくあげたのにいらないのか?」
「は? いらねーよ。俺が持ってても仕方ないだろ。そもそも俺はこんなもん使えねえしさ」
 結局グレンに助けてもらったし。それにこれからああいうのに見つかったら全速力で逃げるんだ。だから俺には必要ないものなんだ。
 グレンはそれでも受け取らなかった。じっとこちらを見つめ、何か言いたげな顔をしている。いや、本当にいらないんだって。
 相手は少し俯いて腰に手をあて、ため息でも吐くように言った。
「樹はよぉ、向いてねえんだろうな。そういうのに」
 は? そういうのってどういうの?
 俺がそう聞く暇もなくグレンは背中を向け歩き出した。
「ついてきな、樹。この辺のこと教えてやるよ」
 …………。
 まあ、ちょっとくらいならついていっても大丈夫だろう。
 俺はきゅっと手を握り締め、グレンの背を追った。森を駆ける風が俺の背をぐっと押す。そのせいか足取りは重さを感じられず、俺はまっすぐ目的を見失わず前へ進むことができた。

 

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