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101 

 つまり俺は、ヴェイグという兵器は世界を破滅から救うために創られた。
 だけど。
「なあ」
 そのまま決められた道を歩んでいったら。
 そのまま自らの役目を否定しなかったら。
「スーリ」
 相手は俺の顔を見た、俺の目を見た、俺の全てを見た。そして俺も相手を見た。相手の全てを底から汲み取ってやりたかった。だけど怖くてこれ以上踏み出せなかった。
 命が止まるって本当?
 言いたかったことは喉まで上ってきたけれど、それが口の外に出ることは決してなかった。

 

 相手は俺のことをお人好しだと言うけど、本当は俺なんかより相手の方がよっぽどお人好しだ。
 だって普通の人は自分を犠牲にしてまで世界を守りたいとは考えない。自分と世界とを選べと言われたらどうしても自分を選んでしまうところがある。それは仕方がないことだし、俺だってそうしてしまうだろうから何も非難することはできない。だってやっぱり自分は可愛いから。
「なんか、さ」
 口を開くとかなり場違いな台詞が出てきた。しかしそれを引っ込めようとは思わなかった。
「俺って単純だよな」
「……単純?」
「ああ」
 相手の顔を見るとなんだか間が抜けているような顔をしていた。急に何を言い出すんだこいつ、とか考えてそうだ。俺だって自分で何を言いたいのかいまいちよく分からない。でも、なんとなく言いたかったことは胸の中にずっとあった。
「単純。すごく単純。世界のために創られて、世界のために闘って、世界のために散っていく。しかもその道は最初から別の人が用意してくれてて、俺はただそれに従っていればいいだけ。何も悩む必要なんかない。何も怖れることなんかない。だから、すごく単純」
 かつてあの人も言ってたじゃないか。決められた道しか歩めないんだって。
「いろんな人が協力して。いろんな人が苦労して。そしてたくさんの人が事実を知らなくて、巻き込まれて。巻き込んだのは本当は俺じゃなくて、俺の歩むべき道を作った人。でもその俺の歩むべき道を作った人は別の人から与えられた役目をこなしているだけで、その別の人もまた別の何かから役目を与えられていた。そしてずっとずっと同じようなことばかり繰り返していくんだ」
 綺麗事とか、世界の理とか。そんなもの、どうだってよかった。
「それがどうしてこんなに難しいことになってしまったのか、スーリは分かる?」
「え?」
 俺には分からない。だから聞いている。
 それは嘘。
「俺は多分、悩んでるし怖れてる。道に抗おうとしてる。あんた達がせっかく作ってくれた道を、無駄なものにしてしまおうとしてる。でも、それはもう、やめた。やめたんだ」
 俺には分かったから。だからやめた。
 それも、嘘。
「気づいたんだ」
 あふれてくるこの思いは。抑え切れないこの感情は。
「難しいことを考えるのは疲れた。だから一度頭の中を真っ白にしてみた。そしたら気づいた。俺には決められた道とそうでない道としかないってことに」
 身体が震える。
「そして、終わったんだ」
 そう。終わった。望みは終わった。
「俺にはもう選択肢はないんだ」
 強制ではない。これは、むしろ。
「俺は」
 むしろ――。
「俺は決められた道を歩きたいんだ」

 

 頬を伝うのは涙。
 そして、気がつけば抱きしめられていた。
「ごめん!」
 びっくりした。驚いた。でも上の方から、近くから声が聞こえるのは本当だった。
 体が強張って動かなくなる。
「ごめん、ごめんな、君ばかりにこんな辛いことを押しつけてしまって」
「で、でも」
「お願いだ――」
 相手の口からそんな言葉が出てきた。そんな言葉を聞くことになるとは思っていなかったので、俺は何も言えずに相手の声が降ってくるのを黙って待った。
「あいつを――シンを、そしてラスを、助けてあげてほしい」
 それはこの人の中から出てくる、最初の本当の気持ち。
 もう二度と聞けないだろう台詞を俺は黙って聞いていた。聞いて、受け入れようとした。納得しようとした。そして相手の望みを叶えてやろうと強く願った。
 相手の身体は冷たかった。機械のように冷たかったし、石のように硬かった。だけどそれは違うと思った。根拠なんかなかったけどただ違うと否定した。そうすると、どういうわけか、急に世界が違って見えた。
 突然、機械のような相手が人間のように思えた。兵器じゃなくて一人の人間のように見えた。そして冷たかった手が温かく感じられた。目の奥から熱いものが止まらなくなってしまった。
 なんだ。この人もやっぱり。
「……さ――」
 心を失ってなんかなかったんだ。
「兄、さ……」
 口から出てきたのは何だ? 俺が伝えたいことは何だ?
 せめて祈ろう。何もできない俺だから。せめて呼ぼう。何も救えない俺だから。
 どうか、皆が幸せになれるように。

 

 +++++

 

「すみませんでした」
 目の前では世にも奇妙な光景が繰り広げられていた。
 場所は変わらず師匠の家の中。しかし今はスーリと二人きりではなく、俺は全員が集まっている広間に出ていた。そしてなぜかスーリもついて来た。
「今まで迷惑をかけてすみませんでした」
 そう言って頭を下げるのはスーリ。
 彼はさっきまでとは打って変わって厳しい表情に戻っていたが、謝罪の言葉を向けられている師匠はスーリよりも厳しい顔をしていた。なんだかよからぬことが起こりそうでひやひやする。また騒ぎを起こすのだけは勘弁してくれよ? 疲れるのはこっちなんだから。
「いきなり謝られても、なあ」
「なんで俺を見るんだ」
 師匠の隣にはラザーがいた。この二人ってやっぱり仲がいいんじゃないのだろうか、なんて余計なことを考えてしまう。
「いくら謝られたってそれで何かが変わるわけじゃない。あんたがしてきたことは許そうと思えば許せるけど、それは俺個人の話だろ。他に謝るべき相手がいるんじゃないのか?」
 落ちついて答えたのは師匠だった。こういうところを見ると大人だと感じるのだが普段の調子とあまりにもかけ離れているので、なかなか信じられない光景でもあったということは否定できない。
 他の皆が黙って傍観している中、スーリは再び口を開いた。
「だけど謝らせてください。俺は何の関係もないあなたに迷惑をかけてしまったんだから。あなたに対する仕打ちは最も酷かったものだと思っているんです。だから謝らせてください。俺にできるのは、もうこれくらいしかないんです」
 彼の姿を見るのは非常に痛々しかった。他人に負けないほど強い意志を持っていて、力もあって、頭もよくて。それでも自分にできることはもうこれだけだと言い切ってしまった青年。彼の心の内では一体何が彼をそうさせているのだろう。いや、彼をそうさせているのは彼の思考ではなくて、ただ単純に、彼を取り巻く状況がそうさせているだけなんだ。そしてその状況を作ったのが俺たちなんだ。俺たちなんだ。
 そうだ。
 何が悪かったのか? 何が今を形作っているのか? 何が失敗したのか? 何が世界を滅亡へと近づけさせているのか? それは一人のせいじゃない。それは一つの責任じゃない。それは全て、この世界で生きている全ての者がそうさせているんだ。
 人を憎んだラスがいたからダザイアは兵器を創った。ダザイアが兵器を創ったからいくつかの欠陥品を生んだ。いくつかの欠陥品が生まれたからたくさんの人が巻き込まれた。たくさんの人が巻き込まれて、俺は嫌だと思った。しかし俺が嫌だと思っても、ラスは意見を変えなかった。ラスが意見を変えなかったから世界は滅亡へと近づいている。そして世界が滅亡へと近づいているから、俺たちはそれを止めようとしている。だったらこの中で悪いのは何だ? 万人が納得できるような『悪かったこと』がはたしてこの中に存在するというのか?
「許してやって、スーリのこと」
 俺が口を開くと場は静かに動き始めたように見えた。
「頼むから。こいつ、本当は悪い奴じゃないんだ。だから」
 スーリは振り返ってこちらを見てきた。何か言いたそうな表情をしていたが何も言ってこなかった。俺はどんな顔を相手に向けたのだろう。どんな声で話をしているのだろう。
「言われなくても分かってるつもり、なんだけどな」
 師匠は困ったような顔をしていた。どうしてそんなに困る必要があるのか俺には分からなかった。彼の隣にいるラザーの顔を見たら一瞬目が合った。が、すぐにそらされてしまったので逆にこっちが困った。仕方がないから別の方向へ顔を向ける。
 すると今度はのんきそうにお茶を飲んで場を見守っている三人の姿が目についた。俺の視線に気がついたのか、すぐにアレートとリヴァがほぼ同時に立ち上がった。ジェラーは座ったままだった。
 二人はちょっと状況を観察してからこちらに寄ってきた。一体何をするつもりなんだろうか。無言でこっちに近寄って来られるのはなかなか怖いものである。それになんで二人同時にこっちに来るんだよ。
 などという不安感もあったがそんなものはどうでもいいことだった。俺の考えがどうであれ今は関係ない。二人は俺の隣に来て、さらに一歩前へ出た。ちょうどスーリの隣に辿り着くとそこでぴたりと足を止めた。
「私からもお願い。彼を許してやって」
「なんとなくだけど、この人は悪い人じゃない気がするんだ。この人だけじゃなくって、ラスも、シンも」
 二人はスーリを庇っているんだ。こう言ってしまえば失礼かもしれないけど、俺は心底この行動に驚いた。アレートはひたすら前だけを見て周りが見えていないことがよくあったから、今回もまたそうだと思っていた。そしてリヴァも妙なところで頑固だから、誰かを庇うようなことをするわけがないと決めつけていた。しかしそれは、とんでもなく浅はかな偏見だったんだな。ただの思い込みだったんだな。
「ねえ。たとえどんなに酷いことをされても、きっといつかはそれを許せるようになれると思うの」
「それに今はこんなことをしている場合じゃないでしょ。もっと他にしなくちゃならないことがあるでしょ?」
 二人は交互に相手に訴える。相手――師匠は黙ってそれを聞いていた。どこか驚いているようにも見えた。だけどそれよりも困ったような表情の方が強かった。
 スーリはその間ずっと黙っていた。何も言えないようだった。顔は見えなかったけど、空気で分かった。彼はとても困惑しているんだ、きっと。
 やがて師匠は表情を変えた。まっすぐこちらを見てくる。
「子どもに正されるなんて、俺は師匠失格だな」
 作りものの笑顔で。
「やっぱ俺ってまだ餓鬼なのかな」
 本心を押し殺した声で。
 こういうところは本当にスーリと似ている。そしてこの人がスーリを嫌う理由も、なんとなくだけど分かったような気がした。
「じゃあ、師匠――」
「カイ」
「え?」
 まっすぐ見てくる瞳は輝いていたとは言えない。
「カイ……っていうんだろ? 俺の名前」
 どこかばつが悪そうな笑顔で俺に聞いてきた声は、本当に幼い子どものような声だった。
「オセはそう言ってたけど、どうなのかな」
 俺は相手のことをあまり知らないから何とも言えない。オセは師匠のことを知っていたらしいけど、今はむやみに召喚できないしなあ。でも師匠だって自分のことを知りたいだろうし。
 どうしたものだろうか、と悩んでいるとジェラーを除く全員の視線が俺に集中していることに気づいた。まずぎょっとしたが、まあ仕方がないだろうと諦めることにした。ジェラーはそんなことは無視してのんきにお茶を飲んでいる。きっと俺の考えだけはちゃっかり聞いてるんだろうけど。
「俺は自分のことなんて覚えてないけど、その精霊が言うんなら本当なんだと思うんだ。だからもうカイでいい」
 オセのことを本当に信用したのか、師匠はそう言ってにこにこ笑っていた。まあ本人がいいって言うんだから反発はできない。これからは師匠って呼んだら駄目なんだろうか。そりゃ俺は弟子なんかじゃないけど。
「あんた名前分かったのか」
 さも意外そうにラザーは師匠――カイに聞く。しかしよく観察してみると意外さよりも別の感情の方が顔に現れているように思えた。
「川君のおかげでね」
「ふーん」
 ラザーの返事はそっけないものだった。はっきり言ってどうでもいいらしい。
「へえ。よかったじゃん。じゃあ今度からはカイさんって呼ぶべきなのかな」
「さんなんて付けなくてもいいんだけどな、俺は」
「だって一応年上だし」
 横から口を挟んでいるのは外人。しかしこいつはラザーのことを忘れてるんじゃないんだろうか。ラザーだって一応年上なんだぞ。お前ラザーのことは呼びつけにしてるじゃないか。
 なんてどうでもいいことを考えながらその場の状況をぼんやりと眺めていた。別に嬉しかったわけじゃない。かと言ってつまらないわけでもない。だけどどうしても、腹の底から安心することはできなかった。心の底から笑うことができなかったんだ。
 だってもしかしたら――。
「樹」
 隣から声が聞こえた。聞きなれたアレートの声。
「きっとラスも、分かってくれるよ」
 笑っていた。初めて会った時のようににっこりとではなく、大人のように誰かを安心させるような笑顔で。
「きっと、か」
「きっと、よ」
 それだけを交わすと背中の壁にもたれかかる。
 もしかしたら、もう戻ってこれないかもしれないのに。
 不安は最後まで消えることはなかったが、それでも安心できるようにはなっていた。たくさんの人に支えられることが、たくさんの人のために何かをすることが、こんなにも安らぎを与えてくれるものだなんて知らなかった。そしてそれは決して壊していいものじゃないと思った。
「なあ、スーリ」
 俺と同じように場を傍観している相手に話しかける。相手は振り返ってこちらを見た。
「こういうのは嫌い?」
 何も答えてこなかった。
「昔はあの世界でもこんな光景があったんだろ? 俺は嫌いじゃないよ」
 相手は黙っている。
「なあ。きっとまた――」
 言葉は続かなかった。続けられなかった。
 未来なんて誰にも分からない。もしかしたら奇跡が起こるなんてこともあり得るかもしれないじゃないか。
 そうだと自分に言い聞かせてみても、やっぱり声が出てこなかった。どうしても出てこなかった。意志と反発するかのように出てこなかった。
 無理なんだろうか。
 本当に彼らは止まってしまうのだろうか。
 俺は動けなかった。
 彼らの言う通りに世界を変革すれば、彼らの命はそこで止まってしまう。
 しかし決められた道からそれてしまえば、世界はあいつの手によって滅ぼされてしまう。
 この双方の理由に板挟みにされて俺は動けなかった。
 だけど俺はもう迷っている時間なんてないのだということを知っていた。
 だからこそ、今でも不安を拭い去ることができないでいるのだ。

 

 

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