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102 

「じゃあ、明日。明日になったらもう一度あの世界へ行こう」
 それだけを皆で決めて俺はカイの家を出た。リヴァも一緒について来た。今ではもう呪文を使ってもいい身体になったので、俺の家へはこいつの呪文で送ってもらった。
「やっぱり呪文を何不自由なく使えるのはいいもんだよな。便利そうだし」
「君だって精霊を召喚できるじゃない。お互い様だよ」
 時刻は夕方になっていた。ゆったりとした時間が流れているようだ。それにしてもやはり納得いかないのはアメリカとここの時差である。なんだかあそこはアメリカじゃないような気がしてきた。確かあそこでも夕方だったよな? なんで日本と同じ時間帯なんだよ。
 家に帰ると相変わらずな姉貴に迎えられた。そして晩御飯の用意を頼まれた。なんで帰宅してすぐにそんなことを頼まれねばならないんだ。俺は使用人じゃないっつーの。
 文句は途切れることなく出てきそうだったがわざと抑えておいた。ここで何を言っても姉貴は意見を変えない強情さを持っていたし、何よりこの人のために何かをすることができるのはこれで最後かもしれないので、ただ黙って一つ頷いて相手の顔を見るだけにした。
 姉貴はいつもの表情と態度で、俺とリヴァを見守ってくれていた。

 

 我が家の食卓も賑やかになったもんだ。
 昔は俺と姉貴の二人だけだったのに、一人増えるだけでこんなにも違ってくるのかと思うとなんだか変な感じがした。
「樹。あんたまた自分のだけにキノコ入れてないでしょ」
「なっ!? そ、そんなこたぁないさ!」
「……君、嘘つくの下手だね」
 姉貴の目は鋭い。俺がわざと自分の皿にだけキノコを入れていないのはすぐにばれてしまった。
「だってあんな変なもん、どこが美味しいのかぜんっぜん分かんねえんだもん」
「なんでよ。あんなに美味しいのに」
「だからそれが分からないんだっての!」
「まあまあ。喧嘩はやめなよ二人とも」
 なぜか外人になだめられる自分と姉がここにいた。これもまた変な話である。しかしこいつはどう思っているのだろう。
「そ、それより、だな」
 一つ咳払いして姉貴の顔をまっすぐ見る。相手はちょっと驚いているようだった。
「言っておきたいことがあるんだ」
 俺の言葉を聞いてリヴァははっとした表情を作った。そうして不安そうな目でじっと俺を睨みつけてきた。それは少しも怖くなんかなかった。だけど俺は自分が怖かった。
「何――?」
 やっとのことで姉貴は声を出したように見えた。尋常じゃないことが起こりそうなことは、相手にも伝わっているようだった。
 けど。
「まず一つは」
 俺は。
「絶対にごみ捨てを忘れないでほしいことだ」
「……はい?」
 俺はこの平凡を壊したくはない。
「もう一つは、毎日同じものばかり食べるんじゃなくて、ちゃんと栄養を考えたものを作って食べること。このままだと絶対に身体悪くなるぞ」
「は、はあ」
 この安心できる場をなくしたくはない。
「それから家のために無理しないこと。いくら姉貴が頑張って稼いでも、姉貴自身の身が駄目になったら意味ないからな」
「ちょっと、樹」
「それに――」
「樹ってば!」
 相手の大きな声で俺の台詞は遮断される。不可解だったんだろう、いきなりこんなことを言われて。
 それでも俺は、この人にだけは迷惑をかけたくなかったから。
 この人が俺と出会ったのも、この人の両親が死んだのも、今のこの生活も、彼らの計画の内に含まれていたのかもしれない。裏で誰かが操っていたのかもしれない。それでもよかった。そんなことどうでもよかった。ただ俺にとって大切なことは、この人が俺を心配してくれて、俺がこの人を大事に思っているということだけだった。
 些細なことで喧嘩して。つまんないことで笑い合って。ふとした瞬間に幸福を感じて。これ以上に一体何を望めばいいのだろう?
 だから俺は壊したくはなかった。この平凡を、安心を、大切な家を。
 相手は何も知らない。知らせるつもりもない。もしも全てが終わって帰ってきても、きっといつになっても知らせることはないだろう。知られたくないからではない、知ることが重要ではないからだ。
 俺が何であろうと相手には関係ない。たとえ兵器でも出来損ないでも、相手が知っている俺の姿は、勉強もスポーツもろくにできない駄目な奴である川崎樹なのだから。
「もう大人なんだからさ、それくらいちゃんとしてくれよな?」
「あんた――」
 がつん。
「あたしをなめてんの?」
 言葉の前に拳が飛んできた。
「暴力反対!」
「あんたが変なこと言うからでしょ!」
 怖い。非常に怖い。
「何やってんのさ、君ら……」
 外人の呆れた声も聞こえたがそんなことはもう問題ではなかった。俺にとって最も重要なことは、姉貴の拳を避けることだけであったのだ。

 

 +++++

 

 すっかり暗くなると俺は自分の部屋の中に閉じこもった。
 自分の部屋というのはやはり落ちつけるものである。自分だけのスペースというのはこんなにも居心地がいいものなのか。そりゃずっと一人ぼっちというのは淋しいけど、やっぱりたまには一人でいることも必要だもんな。
 ベッドの上に座り込んで一つ息を吐く。
 何と言うか、家があるってのは幸せなことなんだな。そんなことを考えることになるなんて誰が予想しただろう。昔の何も知らない自分だったら、ずっと家があることを当たり前のように感じていたことだろう。でも、今はもう違う。違う見方しかできなくなってしまった。
 なんてことを考えていると腕輪がきらりと煌いた。またか、と思ったそのすぐ後に部屋中に光があふれる。
 出てきたのはエミュとオセだった。
「いいかげん勝手に出てくるのはやめてほしいんですが」
「樹さん、聞いてください!」
 また俺の言い分は無視されてしまった。俺ってこいつらの主(あるじ)なんじゃなかったのか? 随分軽い扱い受けてるよなぁ。
「オセが精霊の力を元に戻す方法を知っているそうなんです!」
 目の前に寄って来た星の精霊はうっすらと光を纏っている。そしてその顔には満面の笑みが包み隠さず現れていた。
「そうなの? オセ」
 ちょっと苦手な光の精霊に話しかけてみる。相手は何も言わずに一つ頷いただけだった。相変わらず厳しい表情をしているのでなんだか怖い。
 音も立てずにすっと近寄ってきたオセは俺の目の前で止まった。エミュはオセに遠慮したのか、すぐに相手のために場所を譲っていた。そんな遠慮なんかしてくれなくてもいいのに。
「わたくしをカイの元へ連れて行け」
 そして命令された。
 ねえ。俺って君らの主じゃなかったの?
「でもほら、もう夜だし」
「それならばお主は戦いの場で召喚できなくとも勝利を手にする自信があるというのか?」
「う……」
 相手は痛いところを突いてくるのが非常に上手いらしい。
「分かったよ、行けばいいんだろ、行けば!」
 半ばやけくそになって相手の申し出を承諾してしまった。ああもう泣きたい。なんで俺ってこんなに皆にこき使われなければならないんだよ。
 なんてことを考えられるのも、世界がまだここに存在しているから。
「じゃあちょっと待ってて」
 二人の精霊を部屋に残して外人の部屋へ行く。俺は移動呪文なんて使えない。だからどうしても誰かの力を借りなければならなくなるのである。まあこれももう慣れてしまったことなんだけど。
 リヴァはすぐに承諾した。こいつが断るなんてことは考えられなかった。なんだか知らないけど無駄に精霊が好きなんだもんな。
 そして再び場所は移動する。

 

 しかしよく考えてみるとどうしてオセがカイのことを知っていたのかということを俺は何も知らなかった。オセの昔話はソイから聞いたことがあったけど、ソイの話の中にカイの面影など少しもなかった。まさかソイが嘘を言っていたなんてことは考えられない。と言うよりも、そう考えたくはなかった。俺に力を貸してくれている人を疑うなんて失礼だもんな。
「なあオセ」
 呪文ではカイの家の外に連れてこられた。いきなり家の中に移動するのはどう考えても失礼なので、そうしそうな外人に注意してから呪文を唱えてもらったのだ。言っちゃ悪いがこいつって何も考えてなさそうだもんな。
「オセってなんでカイのこと知ってたんだ?」
 聞くと見下ろされた。びくっとした。やっぱり怖いです。
「あの者とは、幼馴染みなのだ」
「おさな……?」
 予想もしなかったことを聞いてちょっと戸惑った。
 でも、だったら、ソイの言っていたこととはちょっと違うことになってしまう。ソイはカイのことなんて何も言っていなかった。こんなことってあるだろうか?
「お主はわたくしの何を知っている?」
 急に質問を投げられてどきりとした。内容が内容だけに、それは静かに俺の胸に突き刺さってきた。
「ソイに聞いたことはある。オセの昔のこと」
「そうか」
 そうして相手はちょっと表情を和らげた。
「ならば不思議に思うのも仕方があるまい。……わたくしとカイは時を狂わされたのだ」
 それだけを言って相手は黙ってしまった。これ以上は何を聞いても何も言ってくれなくなったので、俺は結局何も分からないままここにいなければならなくなった。
 家の中に入るとラザーがいた。夜中なのに起きているなんてなんだか怪しい。彼は椅子に座っており、その手にはなぜかハサミを握っていた。
 警戒でもしていそうな瞳がこちらを見てくる。しかしそれに負けてはならない。
「ラザー。カイは?」
「寝てる」
 手に持ったハサミをもてあそびながらラザーは答えた。一体ハサミで何をしようとしていたんだろうか。
「何の用だ」
 厳しい口調で聞いてくる。明らかに機嫌が悪いようだ。仕方がないので俺は相手にカイに会いに来た理由を話してやった。
「だったらさっさと行け」
 今日はいつにも増して機嫌が悪いらしい。星の精霊も光の精霊も黙って何も言わなかった。その後ろにいる外人も何も言えないらしい。そんなにラザーが怖いのかよ。そりゃ俺だってちょっと怖いけど。でもこいつは根から悪い奴じゃないんだから。
 などということを考えつつも、ラザーを残してカイの部屋へと歩いていく。というか、こんないきなり訪問して怒られないだろうか。何の知らせもなしに本当に突然だもんな。敵と間違えられて殺されそうになったりしたらそれも嫌だし。なんか不安だ。
 とりあえず部屋の前に着くとノックした。返事はない。寝てるんだろうか。
「何をしている。早く入らぬか」
「そうですよ樹さん。早く済ませてあなたも休んだ方がいいですよ?」
「ほら、精霊様も言ってることだし早く入りなよ」
 後ろからは文句のオンパレード。まったく気楽な人たちだなぁ。
「お邪魔しまーす……」
 声をかけてから扉を開く。
 中を覗くと師匠はいた。窓際に椅子を置いてそこに座っている。相手はちょっと驚いた顔で俺たちを出迎えた。
「どうした?」
 短く要件を聞いてくる。俺はちらりと後ろにいるオセの顔を見た。オセは俺の前に出た。
「カイ。お主の力を借りに来た」
 真正面から言葉をぶつけられてカイは首を傾げた。
「あの、私たち精霊は今とても危うい状況になっています。力が弱まっていて石の外に出られなくなっているんです。それで、オセが言うにはあなたの力があればなんとかなるかもしれないらしいんですが……」
 うやうやしく星の精霊はカイに事を説明する。それを聞いても相手は少しも表情を変えなかった。ただまっすぐオセの顔を見ているだけだった。
「ふうん」
 やがて吐き出したのは気の抜けるような返事。
「それで、どうすればいいんだ?」
 どうやら引き受けてくれるらしい。それはとても嬉しかったのだが、どうにも普段と様子が違うのがなんだか気になって仕方がなかった。ちょっと後ろを振り返ってみるとリヴァと目が合った。彼もまた何かを気にしているようだった。
「精霊の力の源は魔力のことだ、だからお主の魔力を少し分けて欲しい」
「少しってどれくらい?」
「ほんの少しで構わぬ」
「分かった」
 静かにカイは立ち上がる。俺は場所を空けるために壁に背中をつけなければならなくなった。
「樹さん、腕輪をこちらに」
「あ、うん」
 随分長い間つけたままだった腕輪を星の精霊に手渡す。そしてまた隅へ引っ込んだ。
 カイは手を伸ばしてそっと腕輪に触れた。腕輪の中央についている石に触れた。少しだけ光が外に漏れたが、それはすぐに消えてなくなってしまった。光が消えるとカイは手を下に下ろした。
「これだけ?」
 いささか不愉快そうな声でカイはオセに尋ねる。オセはそれを無視して腕輪をじっと見ていた。
「これで大丈夫なはずです。樹さん、誰かを呼んでみてください」
 星の精霊から渡された腕輪を腕にはめ、誰を呼ぼうかとちょっと考えた。しかしこういう時に呼ぶ精霊といえば、あいつしかいない。
「精霊よ、
世界の影を見守りし月の精霊よ。我は願う。魔の力なきこの空の器に、輝きの宿りし欠片より出で、その力を我が前に示さんことを」
 ぱっと光があふれてその中から一人の人物が出てきた。現れたのは俺が呼んだ月の精霊であるスルク。
「だから、いつも言うようだけどなんで俺を呼ぶんだよ」
「お、本当に出てきた」
「だから大丈夫だって言ったじゃありませんか。カイさん、ありがとうございました」
「カイもたまには役に立つのだな」
 スルクの文句はさらりと流したのはいいものの、俺の言葉に続いて二人の精霊たちは言いたい放題だった。ちょっとスルクが可哀想になってくる。
「樹、月の精霊様がいじけちゃったよ」
 怒っているようなそうでないような声でリヴァが知らせてくれる。いや知らせてくれなくても分かるって。スルクは床に座り込んで地面に『の』の字を書いていた。そんなにいじけなくてもいいだろうに。
「とにかく、外に出られるようになってよかったじゃん。これなら召喚呪文も使えるんだよな?」
 慰めるつもりで月の精霊に話しかけてみる。しかし返事はなんとも気のない声で「そうだな」と言っただけだった。
 やっぱりいろいろ苦労してるんだなあ、この人。いや人じゃなくて精霊か。別にどっちでもいいんだけど。
「それじゃあ私たちはこれで」
「あ、うん……」
 エミュの言葉と共に三人の精霊はすぐに石の中に戻ってしまった。星の精霊はとても嬉しそうな顔をしていたが、他の二人は幸せとは程遠い顔をしていたので素直に喜ぶことはできなかった。
 一気に部屋の中が広くなると、俺はもうこの場にいる理由がなくなった。
「じゃあカイ、俺たちもう帰るな。力貸してくれてありがとう。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
 最後はいつものような顔に戻っていたので安心した。

 

 

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