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103 

 今日は朝から騒がしかった。
「うっわあ」
「な、なんか……」
 場所はいつものごとくカイの家。外人の呪文によって家の外まで運んでもらい、そして家の中に入るとまずラザーが出迎えてくれた。出迎えてくれたのだが。
「別人みたい、だね」
 俺の隣でリヴァが物珍しそうに言う。俺はそれをただ納得して頷くことしかできない。
「そんなにじろじろ見るな」
 俺たちの視線を気にしてか、ラザーは怒ったように言ってきた。しかしこの状況では見ないわけにもいかない。
 不老不死の青年の髪はばっさりと切られていた。初めて出会った時と同じか、それよりも短いくらいにばっさりと。あまりにも以前の姿と違っていたのでまるで別人のようにしか見えなかった。
 そういえば昨日ここに来た時にハサミを持ってたっけ。あの後に切ったんだな。なんでハサミを持ってたのかという謎はこれで解明されたわけだ。よかったよかった。
「ラザーも思い切ったことするなぁ」
「ほっとけ」
 のんきそうな声と共にカイが奥から現れる。普段のようにラザーに声をかけ、その後に彼の頭を子供のようになでていた。そしてラザーは相手の手を払っていた。なんとも仲がよろしいことで。
「師匠さん。アレートとジェラーは?」
 まだ名前で呼ぶことに慣れていない外人はカイに問う。しかしそこに何の違和感も覚えないので、俺もまた名前で呼ぶことに慣れていないのだと改めて分かったのだった。
「アレートちゃんは外にいる。なんか風に当たってくるんだってさ。藍君は奥の部屋にいると思うけど」
「そっか」
 みんな揃いも揃ってばらばらの行動をしているらしい。それがあいつららしいと言えばそうなんだけど、こんな時くらい皆で集まって話をしたいと思うのは俺だけなんだろうか。
 だって。今日の昼にはもう、ここには誰もいないんだから。
「あ、そういえば」
 ふと思い出して声に出す。
「スーリはどうしてる?」
 昨日はここに残してさっさと帰っちまったもんな。一応俺の親族なんだし、俺がどうにかしなければならないので様子を聞いておくことにした。スーリの名前を出すことは少し躊躇(ためら)われたが、いつまでもそんなことを気にしている場合じゃないことは分かっていた。
「奥の部屋にいると思う」
 カイは少しも表情を変えずに答えてくれた。しかし、思うと言うところがなんだか怪しい。本当に部屋にいるのだろうか。
「まあまあ、あいつのことはいいじゃないか。もう終わったことなんだし。あいつも今ではすっかり反省してくれてるみたいだから、俺たちは目的のことだけを考えていればいいんだよ」
「うーん……」
 カイはそう言ってくれたけど気になるものは気になる。
「でもそもそも、なんでカイはスーリのこと嫌ってたんだ?」
 仕方がないので別の話題に変えることにした。以前から気になっていたけど聞けなかったことを聞いてみる。カイはちょっとだけ表情を変えた。笑みが薄くなった。
「それは――」
 なぜだか言いよどんでいるように思える。そんなに言いたくないことだったんだろうか。それだとしたら悪いことをした。だけど。
「こいつはあほだから」
 なんてことを考えていると隣から声が。少しびっくりしたがそんなに驚くべきことでもなかった。隣には髪を切ってさっぱりしたラザーがいた。つまらなさそうな顔をした不老不死の青年がいた。
 彼は腕を組んで壁にもたれかかり、静かに語った。
「姿が似てるだろ、スーリと。だから街とか村に行ったらまず間違われる。そのせいで人から離れなければならなくなった。だから嫌っていた」
 ああ、なるほど。考えてみたらすごく納得できる話だ。
「ラザー君、そんな勝手に喋ってくれなくても」
「別に隠す必要なんてなかっただろ」
「弟子が師匠の秘密をばらすなんて最悪だな」
「誰が弟子だ!」
 そしてなぜか口喧嘩が始まっていた。これはやっぱり、喧嘩するほど仲がいいというやつなのだろうか。俺やリヴァのことなど完璧に無視している。無駄に疎外感を感じて虚しい。
「ぼくアレート呼んでくるよ。樹はジェラーを呼んできて」
「あ、おい……」
 まるで逃げ出すかのごとく外人は家の扉を開けて出て行った。俺だって外に行きたい。家の中にいたら二人の喧嘩に巻き込まれそうで怖いのだ。今にも口喧嘩から暴力に発展しそうだし。
 しかし今更引き返せない。おそるおそる睨み合っている二人の傍を通り抜けて廊下の床の上に立つと、わけもなく大きなため息が出てきて少し驚いた。そうして素早く藍色の髪の少年のいる部屋へと向かっていった。

 

 今日は騒がしい日だ。非常に騒がしいんだ。
 何のためでもない。何のせいでもない。ただ、気分が騒がしくしていたいと叫んでいるからなのだろう。
「じゃあ、もう――」
 全員を広間に集めてすぐにアレートは一番に口を開いた。その後に続く言葉は容易に予想できるものだった。
「行こう。あの世界へ、もう一度」
 代わりに俺が言ってから皆の顔を見てみる。それぞれ違った表情をしていたけど、俺はそれでいいと思った。全てが同じでなければならない理由なんてなんにもない。違うからこそ新しいものが生まれる。
 そして今からその新しいものを守るために、あいつを止めに行く。
 理由はそれだけで充分。これ以上には何もない。ただ単純に、世界をここで終わらせたくはないと思うから俺は前に進むんだ。
「もしかしたらもう二度とここには戻ってこれないかもしれない。それでも行くのか? 行ってくれるのか?」
 最後にこれだけは聞いておこうと思っていた。それぞれ抱えている事情は違うし、その重さも違う。俺のように必ず行かなければならない者もいるし、ジェラーやリヴァのように手伝ってくれるだけの人もいる。俺が彼らを縛りつけてはいけないと思った。彼らには彼らの意志で決めてほしいと思った。
「何言ってんの。ここまで来たんだから最後までとことん付き合うよ。誰が君を異世界へ飛ばしたのかってことくらい分かってるつもりだし」
 そんなことを聞く奴があるもんか、と言わんばかりの口調でリヴァは言う。確かに最初から最後までこいつは俺の隣にいたっけ。初めて会った異世界の住民。そしてきっと、初めて俺が巻き込んだ人でもあるんだ。
「私だって誰かの力になりたい――と言うよりも、誰かを守りたい。だけど世界がなくなったら何もできなくなってしまうでしょ? それに、私もあの世界の関係者だから」
 次に口を開いたのはアレート。強い意志を宿しているように思えたり、なんだか場違いな台詞を吐き出していたりした不思議な少女。彼女にもたくさん助けられてきたんだっけ。女の子に助けられるなんて情けないけど、実際俺なんかより数倍も強いから何も言えないのが現状である。
「なんにも知らないまま世間に出てきて、なんにも知らないまま利用されていた。それを無理矢理ここまで引っ張ってきたのは君なんだから、君は僕をどこかに送り届ける義務があるんだよ。だから」
『もう少しだけ付き合ってあげる』
 嫌味のような感情のこもっていない台詞は言うまでもなくジェラーのものだった。最初は敵として俺たちの前に立ち塞がっていたけど、こいつは俺を追って別の世界へまで行った。俺に何ができるかなんて知らないけど見捨てることなんてできるわけがない。そして俺はこいつにいろんなことを教えられた。
「詳しい事情だとか理由なんて興味ない。けど、まあ――暇つぶしにはちょうどいい」
「ラザー君ってば素直じゃないんだから。ちゃんと力になりたいんだって言えばいいじゃないか」
「てめえは黙ってろ!」
 現代社会で普通に暮らしている異世界の住民というのも珍しいものだった。だけどこの二人には本当にいろんな面でお世話になったよな。この二人に出会っていなければきっと、俺の家は外国人だらけだと思われるようになっていたに違いない。本当に感謝している。
 本当に。
 俺はたくさんの人に支えられてここまで来た。
 だから俺はたくさんの人を守るためにあいつを止めなければならない。
 でも、……それは。
「よし、行こう。もう一度あの世界――アユラツへ」
「ちょっと待って」
 はい?
 せっかく格好よさげに決められたと思ったのに、小さな一言によってそれはすぐに台無しになってしまった。その声の主は藍色の髪の少年。お前はそんなに俺を情けなくしたいのかよ。
「別に君のことなんかどうでもいいんだけど、……君たち、あの世界へ行ってそれからどうするつもりなわけ?」
 どうするって、そりゃ。
「あいつを止めに行くんだよ」
「どこへ?」
「どこって――」
 あれ?
「どこだっけ、リヴァ」
「ぼくに聞かないでよ。樹が知ってたんじゃなかったの?」
 知ってるわけないじゃん。
 思わぬところで障害を発見してしまい、ここでまた立ち止まらざるを得なくなった。こんなことで悩んでいる場合じゃないっていうのに、なんでまたこんなことに。
「まったく仕方がない人たちだね」
 呆れたように少年は言う。しかし誰も何も言い返せない。
 困った。非常に困った。あいつがどこにいるのか分からなかったら止めるものも止められないじゃないか。まさかこんな間抜けな理由で世界が滅亡なんかしたら本当に洒落にもならない。それだけは絶対に避けたかった。何がどうあろうと避けたかった。
『でも分からないんでしょ?』
 それを言うなよ。泣くぞ。
「スーリなら何か知ってるかなぁ」
 ふとアレートの呟きが聞こえた。そうだあいつなら知ってるかも。でもこういう時に限っていなかったりするんだよな。
 なんてことを考えていると奥からスーリがやってきた。噂をすれば何とやら、というやつだ。
「ちょうどよかった。なあスーリ、あいつがどこにいるか知ってたりする?」
「あいつ?」
 青年はちらりと全員の顔を見た。俺もちょっと見てみた。するとリヴァもアレートもカイもラザーでさえも何も分かってなさそうな、何とも言えない間が抜けたような表情をしていたので急に不安を感じ始めてきた。唯一いつもと変わらない顔をしていたのはジェラーだけだった。無愛想なのは仕方がないとして。
「なんだ、知らなかったのか? それなのに止めようとしてたのか?」
 スーリはひどく不安になったように見えた。俺だって不安だ、けど、相手にとってはもっと落胆が大きかったんだろうな。悪かったな、知らないくせに止めるなんてことをほざいてて。
「大丈夫なのか?」
 最後にはそんなことまで聞かれてしまった。分かってますよ、言われなくたって。
「あいつは多分、シンと一緒に世界の狭間へ行ったんだと思う」
「世界の狭間?」
 オウム返しのように繰り返して首を傾げる。そんな単語は聞いたことがない。また新しい知識を必要とするのか。まったく異世界ってのは無駄に広いんだから。
「世界の狭間に行くには普通の呪文じゃ行けない。ただ――そうだ、ワノルロの湖を訪れてみればいい」
 そしてまた新しい単語が。そんなに一度に言われても何が何だかさっぱりなんですが。
 スーリは俺のこの思いに少しも気づいてくれなかった。まあそれは無理もないことなのかもしれない。相手だって俺だって、今はそんなことを気にする必要がないのだから。
「まずはアユラツへ行って、そこからワノルロの一族のいた場所へ行くんだ。そこには大きな湖がある。そこに住んでいるものに聞けばきっと道を開いてくれるはずだ」
「そうなのか」
 返事はしてみたものの、やはりいまいちよく分からなかった。とりあえずワノルロの湖へ行けばいいんだということだけは分かった。しかし湖だなんて言われても、あの白黒の世界にそんなものがあるのだろうか。
「それは分かったけど、樹のお兄さん」
 なんとも変な呼び方をしてスーリに話しかけたのはジェラーだった。お兄さんってお前。いやでも、俺も初めて会った時にはお兄さんって呼ばれたんだっけ。懐かしいなあ。
「アユラツへ行くためにはいろんな物が必要だったけど、またそれを探さなければならないの? そんなことしてる時間なんてないように思えるんだけど」
 藍色の髪の少年はもっともなことを言ってくれた。確かにそうだ、あの世界は無駄に厳重に閉ざされていたからいろいろと手間がかかったんだった。こんな時に本だの水晶だのを集めている場合ではない。できるならすぐに行ってしまいたいんだけど、それは無理なんだろうか。
「ああ、そうか、そういえばそうだったな」
 スーリは意外な言葉を吐き出していた。まるで今まで忘れていたような台詞だ。自分の故郷の世界なんだから覚えていてもいいだろうに。……と言ったら俺も同じだと言われるんだよな。だから何も言えない。
「うーん、じゃあちょっと待っててくれ」
 ちょっと顔を歪ませてからスーリは奥へと引っ込んでいった。廊下を歩く音が無駄に大きく聞こえた。彼はすぐに戻ってきて、俺の前に立って何かを見せてきた。
 手のひらの上に小さな何かが乗っている。何なのかは分からない。丸い玉のようにも見えるけど、銀色に鈍く光っていて、いかにも怪しげな物だった。上からそれをまじまじと眺めてみる。
「何なんだよこ――」
 がんっ。
 眺めていると急に変な音と共に顔面に痛みを感じた。何かがぶつかったのだと気づいたのは手を顔に当てた後からだった。痛さのあまり涙が出てきた。一体何だってんだよ、いきなり。
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫なわけないだろ」
 おろおろと不安そうにスーリは心配してくれた。でもそんな心配なんかいらなかった。他の皆はぽかんとしていて俺には声もかけてくれない。虚しい。
 しかしその虚しさはすぐに飛んで行ってしまった。なぜなら俺もまた彼らと同じようにぽかんとしてしまったからだ。
 俺の目の前には銀色に鈍く光る物体があった。すぐに分かった、俺はこれにぶつかったんだと。見たところ機械のようだ。こんな物を見たことがあるのはアユラツくらいしかなかったように思える。
「先に言うべきだったかな。これは小さくして持ち運びできるんだ。それで、元の大きさに戻るには、その――時間がばらばらで」
「つまり俺が覗き込んでる時にちょうど元の大きさに戻ったんだと。それで顔面に思いっきりぶち当たったんだと。だからあんたに責任はない、全面的に俺の責任なんだと言いたいんだろ? え?」
「ごめんよヴェイグ! まったくその通りだ!」
 酷い兄貴だな、おい。っていうかその名前は禁止だっつーの。
「まあそれはいいとして、だな」
 スーリは気持ちを切りかえるのが早かった。早すぎだろ。俺のことなんかどうでもいいってか。それともただ単に、こういうことに慣れすぎているだけなのか。そうだとしたらちょっと可哀想だ。
「この機械は空間転移装置と言って、空気中に無理矢理に時空の穴を作って別の世界と――」
 何を言っているんだろうこのお兄さんは。俺にはさっぱり理解できない。
「樹のお兄さん。樹がなんにも分かってないからもう少し簡単に説明してくれないかな」
「え?」
 全員の視線が俺に集まってくるのを静かに感じた。スーリの説明を止めたジェラーだけが俺に背を向けている。しかしそんなに注目してくれなくてもいいのに。
「私も機械はちょっと苦手」
 同じように分かっていない人は俺だけじゃなかったのでほっとする。黄色の髪の少女もまたさっぱり分からないらしかった。でも俺もアレートもアユラツで生活してたことがあるのに、なんでこんなに苦手になってしまったのだろうか。
「つまり、だな」
 一つ咳払いしてスーリは続ける。
「この機械によって別の世界へ移動できるんだ。この機械はアユラツのとある場所に繋がっている。それでこれを起動させれば、呪文も使わずに移動できるってわけなんだ」
「なるほど」
 聞いてみれば簡単な話だった。移動呪文と似たようなものなんだな。確かにこれなら厳重に閉ざされているアユラツにもすぐに行くことができるだろう。
 そしてもう一つ思い当たることがあった。かなり前のことで記憶が擦(かす)れてしまっていたけれど、かつて俺は閉ざされた世界であるオーアリアでシンに会った。あの世界は閉ざされていたのになぜ彼に会うことができたのかという答えはこれだったんだ。彼は機械の力で無理矢理入り込んできたんだ。理由はどうであれ、とても乱暴な方法で。
 とにかく何もかも順調に進んだ。用意もできた。これ以上に必要なものは何?
「じゃあ、そろそろ行こ――」
「ちょっと待った」
 また止められてしまった。いいかげん早く行かないと大変なことになりそうなんだが、こんなことしてていいんだろうか。
 今度はカイが止めてきた。すたすたとこちらに歩み寄ってくる。そうして目の前でぴたりと足を止め、スーリと同じように手を前に出してきた。
「川君。俺はこの家を守らなくちゃならない。どうしても向こうへは行けないんだ。代わりにラザーをこき使ってくれていいから」
「何を勝手なこと言ってんだよ」
「だからせめてこれだけでも」
 後ろからのラザーの台詞をことごとく無視し、カイはちょっとだけ微笑んだ。そして彼の手の中に光が集まって、それはある物の形を徐々に作っていった。光が消えるとよく見えるようになった。それは長い一本の剣だった。
「ほら、一本折れてたろ。今更だけど、代わりに使ってくれ」
 思いがけない時に渡されてちょっと戸惑ったけど、俺は相手にお礼を言いながらそれを受け取った。剣はまだ少し光を帯びて煌き、手の中にその温かさが伝わってきた。そしてそれはとても手に馴染みやすい物だった。
 俺がそれを受け取ったその瞬間に、咄嗟に覚(さと)った。この世界でやるべきことはこれでおしまいなんだと。もう何も残されていないんだと。あとは前に進むしか道はないんだと。あいつの元へ行かなければならないんだと。
 ようやく軌道に乗った彼らの計画。それももう終わりに近づいていた。
「スーリ、あんたはここに残ってろよ」
 機械の隣に立っている人にそれだけを言うと、俺は機械の傍に立った。そして機械にある大きなボタンを押した。それで何が起こるのかなんて知らなかったけど、この選択が正解なんだと分からせてやりたかったから、後戻りできなくなってそのまま押してしまったのだ。
 そうすると光があふれて眩しくなった。呪文の光みたいに煌いていた。だんだんと意識が薄れ、視界が薄れ、誰かが呼ぶ声も薄れ、強がりも薄れた。
 ちゃんと全てが良い意味で終わりますように。
 最後まで頭の中に残っていたのは、わずかそれだけの願望だった。

 

 

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