前へ  目次  次へ

 

 時には自分と向き合うことも大切で。
 自分の裏側を見ることも大切で。

 

第四章 鏡

 

109

 ふらふらと辿り着いた場所は闇の中だった。いいや、こう言ってしまったら語弊がある。確かに俺は闇に飲まれてしまったが、自分の力でここに辿り着いたわけじゃない。
 周囲には誰の姿もなかった。足が地面に着いたような感触を感じると、同時に身体に重力を感じる。どうやらまだ死んだわけではないらしい。あれだけ派手な呪文をぶつけられてまだ生きているなんて、俺って結構体が丈夫なのかな。
 顔を上げるとぱっと周囲が明るくなった。ここもまた変な場所だ。真っ暗だと思ったらいきなり明るくなったり、何か強い力で引っ張られるように導かれていたり。
 確かに覚えている。俺はあの時、誰かに呼ばれていた。とても聞き覚えのあるような声で、懐かしくもある、だけど体が拒んでいるような声。そんな声に導かれてここへ来た。そうだとしか言い様がなかった。
 また俺だけおかしなことをしているんじゃないのだろうか、と考えると急に他の皆のことが心配になってきた。あのまま闇に飲み込まれてしまって、はたして全員無事でいるのだろうか。早く合流しなければいけないと思えば思うほど気持ちは焦ったが、それでもなぜか体が思うように動いてくれなかった。
 そうして顔を真正面に向け、目に飛び込んできたのは自分の欠片。
 明るくなったのでよく分かる。まっすぐ歩けば俺はそれの前に立てるだろう。少し離れた床の上に置かれてあるのは、紛れもなく力石(りょくせき)と黒いガラスと呼ばれている物だった。それも少量だけじゃない。まるでゴミか何かのように積み上げられ、白と黒が混ざり合って妙な色合いを作っていた。
 これだけならまだよかったかもしれない。でも、なんとなく分かった。力石と黒いガラスが一緒に置かれてあるこの光景。
 力石が俺なら?
「よぉ。久しぶり」
 黒いガラスはこいつだ。
 力石と黒いガラスの山の裏からにこやかに出迎えてくれたのは、俺の片割れでもあるヴェインだった。俺と同じ顔で同じ声。片割れなんだから仕方ないんだろうけど、最初見たときは本当に驚いた。驚いて、びっくりして、どうしていいか分からなくなった。しかし今になってよく見てみると、少しではあるが俺と相手は異なっていることが分かる。
 小さな仕草だとか声の抑揚だとか。そういう個人を特定するようなものはどうやら違っているらしい。それ以前に俺と相手は別々の考えを持っている。光と闇だという時点で異なっているとも言えるだろう。とにかく相手と自分は違うのだと主張することは、考えていた以上に簡単なことだったのだと改めて分かった。
「そっか。あんたが俺をここに呼んだのか」
「ご名答」
 同じ声で答えてくれる。なんとも不思議な感覚がしたが、それはとりあえず気にしないでおくことにする。
「それで、用件は?」
 用がないなら俺は皆の元に行かなければならない。皆と合流して、あいつの所へ行って。そして本来の目的を果たさなければここに来た意味がない。
「お前、結局兵器になったんだな」
 口を開くと相手は友人に話しかけるような口調で言う。
「そうしないと世界が滅ぶだろ」
「前はあんなに否定してたのにな」
 そう言われると何も言えなくなる。それが事実だから尚更。しかし相手はそんなことを言って、一体何が言いたいのだろう。
「なんてな。分かってる分かってる。お前の考えはよーく分かってるよ」
 ヴェインは機嫌がよさそうに俺の肩をぽんと叩いてきた。まるで今までの態度と異なっている。ますますわけが分からなくなってきた。そんなに俺が兵器になったことが嬉しいのだろうか。
 俺にはなぜ相手が喜ぶのか分からない。
 相手の考えなんて分からなかった。それなのに相手は俺の考えは分かっていると言う。
「俺ってそんなに単純?」
 分からなくなって聞いてみると相手は変な顔をした。
「単純なわけないだろ。それだけいろんなことを頭で考えてるんだから。それに普通、そういうことを他人に聞くか?」
「わ、悪かったな」
 なんだかこいつと話していると、幼馴染みの薫のことを思い出す。今の相手は彼によく似ていた。妙に人にくっついてきたがったり、言いたいことをはっきりと言ってきたり。さらに人の失敗なんかを嫌味っぽく言ってくるところなんか特に似ている。似ているけど。
「……今、他人って言わなかった?」
 ふと心に引っかかった。自分と相手は元は同じ一人の人だったのに、他人という表現はおかしい気がしたから。
 聞いてもすぐには答えてくれなかった。それになんだか妙な空気に変わったような気がして、俺はまともに相手の顔を見ることができなくなった。なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。もちろん俺にはなぜ聞いてはいけないのかなんて分からないけど、相手と俺とでは考え方が違うんだ、俺が許せるようなことでも相手にとっては許せなかったんだろう。
 しかし、そう考えているとさらに分からなくなってくる。相手と俺は別人だ。それは紛れもなく真実だろう。だけど昔は同じ人だった。だから俺は他人じゃないと思った。他人じゃなく、片割れなんだと思っていた。片割れは決して他人じゃない。他人じゃないけど、俺と相手が別人である時点ですでに他人なんじゃないのか?
 はっとして相手の顔を見た。しかし、気づくのが遅かったのだろう。
 兵器は動いてくれなかった。胸に深々と剣を突き刺されているというのに。
「出ていけよ」
 遅かったのは欠陥品だから?
「その身体から出ていけ」
 動かなかったのは出来損ないだから?
「いや、お前が消えてしまえばいい。お前さえいなければ、俺は自由に行動できるのだから」
 対峙するのは自分。自分だけど自分じゃなくて。自分じゃないけど紛れもなく自分であって。
 きっとこう表現する方がいいんだ。相手は俺の中にあった心の闇。それぞれ相対するもの。決して同じではないけど、実は全く同じであるもの。
「何のために俺がいたと思う? 俺はお前のように誰かに頼りにされてもいないし、兵器として生きろと強制されるようなこともなかった。なぜならこの身体に実体なんかなくて、魔法で無理矢理見えるようにしているだけの魂の塊なんだからな!」
 痛みなんか感じなかった。感じる暇すらなかった。それよりももっと別のものが痛かった。
「お前は自分を恨んだことがあったか? 俺は幾度だってあった。なんで自分なんか創られたんだろうとか、そういうつまらないことではなくて、ただ単純に自分の存在を恨んでいた。お前だってそういうことは一度くらいはあっただろう、何といってもお前はお人好しだからな。しかし、その時にお前は俺のことを覚えていたか? たった一度でも俺のことに考えを巡らせたことがあったか? なかっただろ、自分のことに精一杯で、他人のことなんかどうでもいいような顔で人の心配をしていたお前なんかには。だけど俺はずっとお前のことばかりを考えていた。
 光と闇に分かれて以来、俺はずっと無視され続けていた。アユラツの連中は俺の中には記憶が残っているから使えないと思ったのだろう。それは賢明な判断さ、俺はお前が思っている以上にわがままで自分勝手だからな。しかし、そんなことはどうだってよかった。むしろ無視されて助かった気がした。だが、俺が世の明るみに出ようとした途端に奴らはいきなり近寄ってきた。俺が世の明るみに出たらお前が行動し難くなるから、とか言って。それで俺は結局何もできなくなって、ただ罪を犯して生きることしかできなくなった。そんな状況に立たされてみろ、誰かを恨むこと以外に何ができる?
 だから俺はお前を恨んだ。常にお前を恨んでいた。あの時二つに分かれてしまったことを悔やんでいるんじゃない、お前の存在自体を恨んでいた。分かったか、俺はお前のせいで何もかもを奪われたんだ。出来損ないの兵器が、欠陥品の子どもが、俺からありとあらゆる自由を奪い去ったのさ、俺を闇に仕立て上げたのは他でもないお前なんだ!」
 話を聞いてよく分かった。やっぱりこの人は、元は俺と同じだったんだと。
 ちょうど鏡を見ている気分だ。
 俺は胸に突き刺さっている剣を握り締めた。それをゆっくりと抜いていく。幸いそこまで深く刺さっていなかったので、まだ死ぬようなことはないだろう。もちろんそれが正解なのかどうかなんて知らないけど。
 相手の顔を見た。まっすぐ目を見た。少し茶色を帯びた目が俺を見ている。よく見ると相手の方が俺よりも少し髪が長かった。
 自由か。
「やっぱり俺にはあんたの気持ちなんて分からない」
 確かに自由じゃなかったかもな。こんな人生。
「俺とあんたは同じような気がした。けど、現実はこんなにも違っていたんだな。気づくのが遅くなってごめん」
 そう言って軽く頭を下げる。顔を上げると相手はまた変な顔をしていた。どうやら驚いているらしい。
「こんなに違ってるんだから、スーリもあんたのことを自由にしてやったらよかったのになぁ。別に似てるのなんて外見だけだし、考え方とか信念とか、そういうものなんて全然違ってそうだし」
「おい」
「それにほら、世の中には他人の空似ってのもあるし。そう言ったら結構誰でも信じると思うけどな。まず普通に二人に分裂したとか言う方が信じてくれないと思うし」
「おいっ!」
「何?」
 相手は俺が答えるとますます変な顔をした。そんなに変な目でこっちを見てくれなくてもいいだろうに。困るのは誰かってことも分かってるはずなのにさ。
「だから、何?」
 いつまでたっても何も言わないので聞いてみた。不思議と今は相手に好感が持てる。自分のことを話して聞かせてくれたからだろうか。自分のことを話すのって、よほど心を許した人にしかできないことだもんな。俺はそれで自惚(うぬぼ)れているのかもしれない。
「……お前は」
 ようやく口を開いてくれたかと思ってもすぐに止まってしまった。訝しげな顔で相手を見ると目が合った。すると相手はさっと視線を別の方向に向けてしまった。ちょっとショックだった。
「お前はお人好しというより能天気だ」
 今度は俺が驚く番だった。
 お人好しだとは昔から言われまくってきた。しかし能天気だなんて聞いたこともない。そんなことを言われたのは本当に初めてだ。だけど、ああ、そうかもしれないって思った。
「呆れた」
 次に出てきたのは短い言葉で。
「そんなこと言われても困るんですが」
「確かに俺とお前は違うように見えるかもしれないな」
 風が吹くように空気が変わる。それは先ほどまでのぴりぴりしたものじゃなくて、とてもやわらかいものだった。
「でもやっぱり、本来の事情は変えられないんだよな」
「……何言ってんだ?」
「本当は頼りないし情けないし弱々しいしで嫌なんだけど、仕方がないものは仕方がないよな」
 なんだか今、ものすごく馬鹿にされたような気がする。妙なところで腹が立ってきたがあえて黙っておいた。
「まあ、俺も同じなんだけどさ」
 見せられたのは悲しい表情。こういうことをされるからびっくりする。
「お前の能天気さにはお手上げだ。俺の負けでいい。俺には大切なものなんかないから、すぐにでも消えてしまうだろう」
 最初は何を言っているのか分からなかった。けど、相手の顔を見ていたら分かるような気がした。
「ああ、でも最後に――」
 どこか遠くを見るように相手は少し上を見上げる。そこに見えるのは照らされた同じ空間だけだったけど、相手には別のものに見えているのかもしれなかった。
「最後に、兄貴たちに会いたかった、かな」
 彼が言った言葉は忘れられないものになった。
 相手の姿が光に包まれる。まっすぐこちらに手をのばし、俺も真似をして手をのばした。相手の手が俺の手に触れると光は消えた。相手は――ヴェインは、もう二度と会えない人になってしまった。
 しかしなぜだろう、俺にはまだ彼がすぐ傍にいるように感じられた。いいや傍にいるんじゃない、これは。
「本来あるべきものは……」
 口から出てきた言葉。これはきっと俺の言葉じゃなかった。だからといってヴェインの言葉でもなかった。それはまるで、二人が発した言葉のようで。
 明るく照らされた空間の中、一人だけ残された俺は孤独を感じることなく歩き始める。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system