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 何が正義で何が悪なのかなんて知らない。
 別の命が考えていることが何なのかなんて知らない。
 だけど、確かに声は届いた。
 ここに。

 

第五章 見出せたもの

 

110

 ここは本当に不思議な場所で、会いたいと思った人にはすぐに会うことができた。きっと気持ちと繋がっているところがあるのだろう。これならすぐに彼の元へ行くことだってできそうだ。
 まるで手繰り寄せられるようにして皆は俺の元に集まってきた。最初に姿を確認できたのは、初めて俺が出会った異世界の住民だった。
 彼はすぐに俺の胸の傷を発見し、呪文でそれを治してくれた。理由は聞いてこなかった。昔ならきっと根掘り葉掘り聞いてきただろうに、ただ静かに傷が治ったのを見て満足そうに頷いていた。そうして冗談なんかを交わして、次にやって来た人を二人で出迎えた。
 来たのは藍色の髪の少年だった。いつもと変わらない無表情の顔の上に、ふと変化が見えたような気がした。しかしそれはすぐに気のせいだと分かった。また厳しい言葉で軽くあしらわれ、頭をなでようとすると手を払いのけられた。そうすると外人は面白そうに笑って、俺が記憶を失っていた時のことを語って聞かせてくれた。少年はその間ずっと背を向けていた。
 また一人やって来た。今度は銀髪の不老不死の青年だった。青年、と今まで言っていたけれど、本当は大人であって子供でもある人だった。その間を揺れ動いている人を青年と呼ぶのだろうけど、この人に限っては大人であったり子供であったりすることが極端すぎたんだ。だから青年と呼ぶにはふさわしくないと思った。彼は普段と変わらないようにあまり言葉をかけてこなかった。ただ無事だったのかと聞いてきただけだった。外人はふざけて冗談なんかを言ったりしていたが、そんなものをまともに受ける人ではなかった。俺は苦笑して二人の様子を見ていた。そうすると不老不死の青年はちょっと笑った。
 次に駆け足でやってきたのは黄色い髪の少女だった。黄色い髪が光に照らされて金色に見えた。それでちょっとあいつのことを思い出したけど、少女の始めた話によってすぐにどこかに飛ばされてしまった。少女は一人一人に向かって声をかけ、大丈夫かどうか聞いていた。これだけを見ればとても優しい人のように見えるけど、彼女の敵に対する目を思い出すと苦笑せざるを得なかった。
 ちょっと遅れて最後にやって来たのは、この中では最も大きな存在である竜の少女だった。落ちついた雰囲気ですぐに皆の中に溶け込み、冷淡な言葉で外人の冗談を軽くあしらっていた。外人はこちらに助けを求めてきて困った。しかし、彼女は人を困らせて楽しんでいるわけじゃないことも分かっていた。だから俺はまた冗談を言うことができた。
 一緒に歩いてきた人々。いろいろ巻き込んだり巻き込まれたりもしたけど、それでも支えて支えられて生きてきた。今度は自分一人のためじゃない、ましてや自分たちだけのためでもない目的のために前へ進む。それはきっと、全てのためであることだから。
 全てのためである。もちろんその『全て』の中には、あいつの存在も含まれている。
 そうして俺は顔を上げ、歩き出した。

 

 +++++

 

 目の前に扉が現れた。とても大きな扉だったが、少しだけ装飾が施されてある質素なものだった。
「この先にいるの、かな」
 言われなくても分かっていた。けど言わないといられなかったのだろう。そう呟くように言ったのはアレートだった。
 扉に鍵穴なんてない。少し押したらすぐにでも開いてくれそうだった。でもなかなかそうすることができない。誰かが押してくれればいいのに、なんてことを今更考えてしまう。
「ここまで来て言うのもどうかと思うけど、一応言っておくことがあるの」
 切り出したのは竜の少女だった。一気に皆の視線が彼女に集中する。それでも少しも表情を変えずに、ロスリュは淡々とした口調で話した。
「この先には四人で行きなさい」
「……へ?」
 意味が理解できずに思わず間の抜けた声を出してしまう。しかし分からないものを分からないように反応することのどこがいけないって言うんだ。確かに情けなく見えなくもないけれど。
「だからつまり、僕と彼女はここに残るっていうことだよ」
 隣から助言したのはジェラーだった。彼を見て思い出す。ここへ来るまでの道でジェラーは魔力を全て使い切ってしまった。だからここに残ると言っているのだろう。そしてロスリュは彼を守るために残る、ということなのだろうか。
「まあそんなところだと思う」
 子供のような仕草なんて微塵もない。けど、今はなんだか子供のように見えた。
「二人だけで大丈夫?」
「気にしなくて結構よ」
 心配していたのはリヴァセールだった。こいつが他人のことを心配するのは珍しい。と言うことも今ではできなくなってきたような気がする。こいつだってもう昔の彼じゃないんだから。
「大丈夫って言ってるんなら大丈夫なんだろ。のろのろしてないで、さっさと行ったらどうなんだ」
「き、厳しいなぁ」
 今まで黙っていたラザーが口を開く。そんなに苛々しなくてもいいだろうに、と思ったが、彼は別に苛々しているわけじゃないような気がした。これはただの偏見なんじゃないかって思った。じっと相手の顔を見ていると、訝しげな視線が返ってきて少し焦った。
 しかし、これは。
「なんかちょっと思うんだけどさ」
 口を開くと当たり前のように視線が集中する。昔は誰もが自分勝手に行動したりしていたけど、今では人の話を静かに聞いてくれるようになった。今更だけど、そうなっていたことに気づいて少し嬉しくなったりした。
「この先に行ったらもう戻って来れないかもしれないって時に、なんでこんな会話しかしてないんだろうな、俺たち」
 それだけを言うと皆が首を傾げた。それを見ると逆にこっちが首を傾げたくなった。なんだ、俺はまたおかしなことでも言ったのだろうか?
「じゃあ樹は、もう家に帰れないって思ってるの?」
 アレートの言葉にどきっとする。不思議そうに見てくる瞳に、嘘なんか少しも見えない。
 そっか。こいつら、帰れなくなるってことを想定してないんだ。自分たちが帰れるってことを信じてるんだ。自分たちのことを、腹の底から信じてるんだ。
 何の疑いもなく。少しの嘘も混じらずに。
 俺だけが心配していたみたいで、なんだか恥ずかしくなった。ここまで一緒に来たんだから信じてやらなきゃならないのに、俺は信じることができなかったのだから。ああ、でも、言ってよかった。気づくことができてよかった。気づかないままだったら、この扉は一生開けないような気がした。
「そうだな。あいつも連れて、また家に帰ろう」
 初めてかもしれない。皆は揃って頷いてくれた。最後かもしれない。こんなに揃っていることなんて。
 弱く考えてちゃいけない。強く信じていなければ何も始まらない。これは始まりであって終わりじゃない。分かってる。俺たちが終わりを止めに行くんだから。
 ジェラーとロスリュを後ろに残し、俺は静かに扉の前に立つ。大きな扉は何かを必死に誇っているように見えた。誇りは嘘じゃない。けど、この大きさは嘘だ。
 手で触れ、存在を確かめる。夢の中の存在みたいに感じられる。もしかしたらこの先にいるのは、全然別の人物なのかもしれない。そう思うと、なぜか手に力が入らなくなった。
「樹」
 名前を呼ぶ声。それと共に、背中を押してくれた。
 それが誰のものだったのかは分からない。
 手に力が入り、扉はゆっくりと開いていった。こんなに大きいのに少しも重くなかったのは、この大きさは嘘だと分かっていたから。

 

 

 

 世界だった。
 それは、世界だった。
 暗くて何なのか分からないものの中に、一つ二つと見えている小さな光。
 風もなく音もない空間の中、自分の鼓動がただ大きく響く場所。
 それは、紛れもなく世界。
 紛れもなく――彼の望む世界。

 

 彼は背を向けて、崖のようになっている地面に座っていた。足を崖の下に投げ出して、子供がよくしているように前を見て。
「この場所はとても素晴らしい。自分の記憶の中から、最も深く刻まれているものを呼び起こしてくれるのだから」
 声が届く場所まで近寄ると彼は言った。
「さすがあの人だ。だから僕はあの人のことを嫌いになれないんだ」
 本当に静かに。何の邪魔もなく。
「それと同じように、僕はあなた達のことを嫌いになることができない」
 分かり切ったことを言う姿は、今にも儚く消えてしまいそうで。
「ねえ――」
 見なくたって分かった。
「もう少し早く気づいていれば、変わっていたかもしれないのにね」
 彼はきっと、笑っていた。
 何かが可笑しいんじゃなく、嬉しいわけでもなく、楽しんでいるわけでもない。
 ただ、前を見て笑っていたんだ。
 笑って。
 立ち上がって。表情を変えて。
 そうして振り返る。
 彼の嘘の金色の髪は、後ろの世界によく映えて立派に見えた。

 

 

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