俺は自分のせいで世界が危機に遭うかもしれなくなったので、しばらくはこの異世界とやらで滞在しなくてはならなくなった。
責任を他人になすりつけるほど俺は卑怯な奴じゃない。
自分の行動の一つ一つに責任を持たなくてはならないことは分かっていた。
だから、俺はまだ帰ることができないのだ。
第二章 世界は巡る
11
今更だけど、なんだか俺ってば大変なことになっちまったよな。
というかあの時はよくあんなに頭が回ったなあ自分。いや、自分でも正直すごいと思う。あんな状況でちゃんと考えられるなんて、俺って実は頭脳派?
「おい樹、何ぼーっとしてんだよ。さっさと歩けって」
横からグレンの声がした。こいつめ、傷はすっかり治ってもうすでに以前のお調子者に戻っている。どうやって治したのかは知らないが、俺としては前の方が例の『格好いい頼りになる人』役っぽくて好きだったんだけどな。まあ別にこっちでもいいけどさ。
俺たちは以前訪れたあの広場を彷徨っていた。まずは何よりも情報収集である。ガーダンの奴らを追いかけるにしても、きちんと情報を得なければ何も始まらないのだ。
俺としてはもう一つ目的があった。それはアレートのこと。以前会ったきりまだ一度も姿を見ていない。彼女は俺を追いかけると言っていたが、あの森の中で姿を見ることはなかった。もしかしたら既に知り合いに会えたのかもしれないけど、誰かよからぬ奴に捕まったのかもしれないってことも考えられる。とにかく一度会って話をした仲だ。放っておくわけにはいかない。
「樹、そう言えばお前まだあの短剣持ってたよな?」
二人でのんきに道を歩いていると唐突にグレンが聞いてきた。短剣って、あのナイフみたいに小さいやつのことか。
「それがどうかしたのか?」
「いやいや、君にもこれから戦ってもらわなくちゃならないからね。そのための形式を見ようかと思って渡したんだったりして。それ」
は? 何言ってんだこいつ?
「まあまあそんな間抜けな顔してないでほら、正義のための第一歩を踏み出せ!」
そんなことを言いながらグレンは俺の背中を思いっきり押した。
危うくこけるところだったが踏みとどまる。まったくいきなり何するんだよこのお調子者は!
「さあ、君はこれから勇者だぞ」
後ろから陽気な声が聞こえる。こいつ絶対からかって楽しんでるだろ! 何が勇者だ、何が!
などと心の中で悪態をついていると、目の前の景色がすっかり変わっていることに気付いた。
俺はどうやらどこかの店の中にいるようだった。あまり広くない店内に数人の店員、そして無造作に立て掛けられたり並べられたりしている武器の数々。初めて見たものばかりだったが、なんとなくここの正体は予想はついた。
「もしかして武器屋?」
「ぴんぽーん。正解だよ樹君。君頭いいねえっと!」
やっぱりそうなのか。いやしかし、これじゃあ本当にRPGじゃねえか。じゃあなんだ、俺って今は世界を旅する段階にあるのか? ということはやっぱり『格好いい頼りになる人』役ってのはグレン? 他にいないしな。まあ別にいいけど。格好いいかどうかはともかく頼りになることはなるしな。
「で、ここで何するんだよ? 言っとくけど俺は金なんか持ってねえからな」
金以前に持ち物ゼロでやって来たわけだし。払えと言われても払えないのだから仕方がない。
「いやいや、金はいいんだよ樹君。君の分は全てこの俺様が払ってやるのよ! なんてったってこれから君は今世紀最大で最強の勇者様になるんだからな!」
だから何なんだよその勇者って。しかもスケールでかすぎ。俺はそんなに強くないって分かってるのかよ。勝手に期待されても困るっつーの。
とは言うものの実はちょっとだけ嬉しかったりする。褒められてんのかどうかは知らないけど、褒められて嬉しくない奴なんていないだろ。俺だって褒められたら嬉しいし。
前にも似たようなこと言ってたな、俺。なんて単純なんだ川崎樹十五歳。しかしこれが平凡高校生の本来あるべき姿なのさ。
「よし樹。お前、武器の種類は何がいい?」
まるで子供のような顔で聞いてくるグレン。お前はそんなに俺の世話をしたいのかよ。そんなことして楽しいかあ? とか何とか考えながら俺は答える。
「何って言われたって。楽なのがいい」
できるだけ戦いは避けて、楽して鎧野郎を倒したい。だから武器も楽に扱えるものがいい。つーかなんで俺が戦わなけりゃならないんだよ。グレンが全部やりゃあいいじゃねえかよ。
なんか最近愚痴ばっかだな俺って。ちょっと反省してみたりする。
「楽なのね。んなもんあるかこの馬鹿野郎」
にっこり笑顔のグレン君。台詞はかなり酷いぞお前。
「あのなぁ、分かってねえだろお前は。戦いで楽しようとするもんじゃねえんだよ。ろくなことないぞ?」
そう言われてもそのろくなこととやらの見当が全くつかない。説明もなしに言われたって説得力ねえぞ。そう思ったがそれを口にする隙も与えてくれずにグレンはまた続けた。
「俺が見たところよぉ、お前さ、剣は向いてないな」
はっきりと言われた。そうなのか。俺って剣は向いてないのか。主人公ポジションの定番武器が剣であるだけに、それも妙に淋しかったりする。
「じゃあ何が向いてるんだよ?」
グレンは待ってましたと言わんばかりの顔をし、人差し指を一本立てて俺の顔の前に突き出してきた。
「二つだ」
俺にはその意味がまだ分からなかった。
「おう樹、これなんかどうだ?」
刃の長さは俺の足よりちょっと短いくらいで、色は柄が茶色、刃が白銀。特に飾りもついていないごくシンプルなデザインで、持ち味も悪くなく、重さも問題ない。そんな剣をグレンに手渡され、俺はその握り心地を確かめていた。
「よし、じゃあこれを二本な。樹、お前一本持ってくれ」
グレンはそう言い俺に剣の鞘を渡してくる。俺は手に持っていた剣を慣れない手つきで鞘に収め、前を歩くグレンについていった。
相手の話によると、どうにも俺は剣を二本使うことになったらしい。そりゃ確かにガーダンのボスと向き合った時はナイフと折れた剣の二つを握っていたが、はっきり言ってこんな立派な剣を扱える自信なんかない。
「親父。こいつをくれ」
俺の心配事にまるで気付かないグレンはさっさと会計に向かっていた。懐から財布を取り出し、中を覗いている。ひょいとその中を拝見してみると、やはり俺の知っている通貨が入っているわけではなかった。どこかの外国で使われているようなコインが数個と、薄っぺらい紙幣が数枚挟み込まれている。フリーターのわりには金持ちのようにも見えた。
「後ろの方も連れで?」
「ああ。いくらだ?」
「三万で」
「ちょっと待て!」
その場から飛び退くような勢いでグレンは大口を開けた。それから店長らしき人に詰め寄り、人差し指を立てながら喋り始める。
「おっさんよお、三万てのはないだろぉ。いくらなんでも高すぎだ!」
「へえ。でもそれが売値なんで」
「じゃあ負けろ。一万五千でどうだ?」
「お兄さん、それじゃあ半額ですぜ。無理ですわ」
「じゃ一万二千五百」
「いやいや、減ってるじゃねえですか。二万までですぜ、若いお方」
「一万五千! 頼むよ親父さん!」
「二万だよ」
「一万五千。世紀の勇者様の為に寄付すると思ってさ!」
おいおい値切ってやがるよこのお調子者は。もしかして金が足りなかったのか?
店屋の親父は一瞬顔をしかめた。何やら疑い深そうにグレンの顔をまじまじと見始める。
「お兄ちゃん、あんたさっき何を言った?」
グレンはそれを聞き、自慢げに腰に手をあててかなり偉そうに言い放った。
「世紀の勇者様。この地味地味野郎がそうさ!」
地味地味って、それって俺のことかよ。いやまあ、地味といえば地味だけどさ。そう言われたらなんだか腹が立つな。グレンはそんなことを気にする様子もなくそのまま続ける。
「まあ今に見ていろ親父さんよお。きっとこいつが世界を救ってくれるぜ!」
このお調子者はどこまでも無責任なことを言ってくれる。そんな大袈裟なことはしないってのに、いつの間に世界を救うことになったんだよ。ただあの鎧集団を倒すだけだろ?
「な! だから親父よお、ここは一つ一万五千に――」
「はいはい。それとこれとは話が別な。三万だよ、若いお方」
「酷えや親父さんよお!」
なんだグレンの奴、全然駄目じゃん。親父は親父で騙されないし。なかなかすごい奴だな。
しかし親父はそのすぐ後に耳を疑うようなことを言ってきた。
「でもお兄ちゃん強そうだから、ちょっとくらいなら値切ってやっていいですぜ」
「本当か? やりい!」
かなり嬉しそうな顔でグレンはこちらを見てきた。そんなに嬉しいのかよお前は。こいつって実は貧乏人なのか?
「で、いくら? いくら?」
視線を親父に戻してうきうきとした口調でグレンが言う。親父はさっきと変わらない表情ですぱっと言い切った。
「二万五千」
「にまんごせん……」
まるでオウム返し。そう言ったグレンの声は消えてしまいそうだった。
「畜生、結局大して変わらなかったじゃねーかよあの親父め!」
店を出てのグレンの第一声がそれだった。金にはがめついらしく、その辺りは俺と似ているなぁなんて思ったりする。俺は昔から貧乏な暮らしをしていたので金にはうるさい方だと思っている。こんなところで共通点があるなんて、なんかやだな。貧乏人くさくて。
とはいえ、まあそれはいいのかどうかは分からないけどいいとして。問題は別にあるんだ。
「グレンは何も買わなくてよかったのかよ?」
あの店で買ったのはきっと俺が使うだろう剣二本のみ。そしてグレンの剣はまだ腰に吊り下げられていたが、鞘の中の刃は折れているままだ。ちなみに俺の剣は今グレンと俺とで一つずつ持っている。
「なんだあ樹君、君ってば俺のこと心配してくれてるの? いやあ嬉しいねえ。仲間思いのいい奴だな!」
「いやそんなことどうでもいいんだけど。買わなくてよかったのか?」
「ど、どうでもいい? 俺ってどうでもいいのかよ? 淋しー……」
グレンはいじけた。まったくこいつはすぐに態度をころころ変えやがって。そんなことより実際にはどうなんだろう。折れた剣のままじゃ使い物にならないと思うんだけどなあ。
「はあ。俺の剣はなあ、直してもらうんだよ。はあ」
何やら相手はぐっとうなだれ、ため息がいちいちうるさい台詞を吐き出してきた。そんなにショックだったのかよお前は。
「直してもらうって、誰に? この周辺にいるのか?」
またため息が聞こえた。別にそそこまですねなくったっていいじゃねえかよ。なんかこっちが困るんだからさ。
「お前この剣の破片持ってるだろ? それ貸してみろよ。はあ」
「破片?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。そんなもん持ってたか?
「なんだよ。早く渡せよ。それともなんだ、お前は俺を困らせたいのか? 俺を困らせていい気になりたいんだな! 酷いや!」
いや、なんだよって、こっちがなんだよって言いてえよ! そんなわけ分かんねえこと言われたって困るのは俺だって! そもそもお前を困らせてどうすんだよ!
「ほら。早く」
グレンは幾らか落ち着いて俺の前に手を出してきた。いやいや。困らせてるのは完全にあんたですぜグレンさんよお。
「俺そんなもん知らねえよ」
知らない物を渡せと言われても無理がある。
「は?」
正直に言った俺の言葉を聞き、グレンは今まで見てきた中で最も間が抜けている顔をした。
「今、お前なんて言った?」
「俺そんなもん知らねえよ」
「持ってない、ですと?」
「そういうこと」
「……」
グレンは動作を止めた。そのまま十秒が経過する。
「あのー……グレン?」
「何をのんきなこと言ってんだこんにゃろぉお!」
目の前でグレンがいきなり叫んだ。俺は思わず十歩ほど引き下がってしまう。
「な、ななななな、何だよ」
まだ熱の冷め切っていないような顔をしているグレンに俺は十歩先から話しかけた。なんだか今にも暴れ出しそうで、恐くてこれ以上近付けない。
「お前はぁ、なんってことをしてくれたんだぁあ!」
グレンの声は裏返っていた。見ているこっちが恥ずかしいようなことを平気で街中でやっている。他人のふりをしたいという気持ちが俺の心の中で急激に芽生え始めてきた。頼むから叫ぶな、うるさいんだから。しかし言い返せない。それがとてつもなく悲しい。
「じゃあお前よぉ、あの破片は今どこにあるのかな?」
まるでクイズのような聞き方をしてきた。そんなこと言われたって俺が知るはずもない。
「爆発で粉々になったんじゃねえの?」
それが一番有り得ることだった。見事に何もなくなってたんだし、それで破片だけが無事ってのもおかしい話だ。そうだったらそれこそまさに最強の剣ってやつじゃなかろうか。まさかそんな物が序盤で出てくるわけねえもんな。しかも俺のじゃないし。
しかし俺のその言葉がグレンにとどめを刺したようだった。それを聞いたきり目が点になって微動だにしなくなる。おまけに口は半開きで、今俺の前にあるのはかなり間抜けな顔だった。
「おーい」
ちょっと呼んでみたがやはりと言うべきか返事はなし。ああ困ったな、どうしたらいいんだこれ。
そもそも奇跡的に破片を見つけられたとしても、こいつは一体どうやって直すつもりだったんだろう。まさか自分で直すってことはないだろうけど、やっぱり知り合いの武器屋とかに持っていったりするんだろうか。でも確か特別だとかなんとか言ってたような。
まあ別にいいか。
「あ、そういや。アレート探してこよっかな」
わざとグレンに聞こえるように言ってみたりする。しかしお調子者は石化したままぴくりとも動かない。
こいつは放っておいても大丈夫だろうか。
頭の中にそんな一文が浮かび上がってきた。酷いように聞こえるかもしれないが、俺だっていつまでもこいつに付き合ってるわけにはいかない。俺がここに戻ってきたのはアレートを探す為だったのだから。
「本当に行っちゃうぞ?」
今度は耳元で囁くように言ってみた。しかし返事はない。
まったく。
俺はため息を一つ吐いてから、のんびりとした歩調でグレンから離れていった。
あれから一時間くらいが経過しただろうか。俺はふらふらと右へ左へと至る所へ行ってきた。時には怪しげな店に間違えて入ったり、胡散臭そうな商人に変なものを買わされそうになったりもしたが、俺はなんとか今を生きている。そして肝心のアレートはと言うと、結局見つからなかった。初めて彼女に会った場所にも行ってみたが、もはやそこには彼女がいたという事実すら消え去ってしまっていた。
一体どこに行ったんだろうか。もしかしたら俺を追ってあの森にいたりして。だとしたらすれ違ったことになるけど、なぜだかその可能性はないように思えた。どうしてなのかは分からないけど、これが直感というやつなのだろうか。
やっぱりもう知ってる奴にでも会って、そのまま故郷にでも帰っちまったんじゃないだろうか。そう考えたら淋しいなぁ、くそ。せっかく同士と会えたと思ったのに。
いやまあ、でも帰ってくれてよかったかもしれない。もし今の俺に会ったら彼女も巻き込んでしまうかもしれないし。それこそ失礼だよな。うん。
「あの、お兄さん。ちょっといい?」
「はへっ?」
後ろから声がした。振り返ってみるとそこには一人の子供がいた。藍色の髪をしている少年が大きな瞳でこっちを見上げている。
なんだなんだ、迷子か? ここって結構人多いしなあ。
「言っておくけど迷子じゃないからね」
「う、そ、そうですかい」
驚いた。本気で驚いた。ずばっと俺の考えを言い当てるようなこと言ってくれちゃって、無表情だし可愛げがない子供だな。
「じゃあ可愛げがないついでに、面白いものを見せてあげるよ」
え?
思わずぽかんとしてしまった。
子供は片手を俺の顔の前に突き出してきた。その顔に怪しい光が宿った笑みが浮かぶ。
「大丈夫。仲間も一緒に飛ばしてあげるからさ。それに君は今世紀最大最強の勇者様なんだから。これくらいのことでやられないでね、川崎樹君?」
なんでこいつは俺の名前を知ってるんだよ。いやそれより、お前まで言うかよ勇者って。そりゃ響きはいいけど、そんな大層なことするわけじゃないっての!
気付けば子供の手のひらに光が集まっているのが目についた。何をやらかす気だよこいつは。
……あれ、俺、もしかしてやばい?
「ちょ、ちょっと待てって! 話せば分かる、許してくれ!」
そんな言葉が自然と口から出てきた。ああ俺ってなんでこう、いざという時に変なことを言ってしまうのだろうか。不思議でならないよ本当に。何を許してもらうんだよって話だ。しかし悲しいことに頭では分かっているのに、それを行動に移せないのが現状であった。
「いちいちうるさい人だね。君みたいな人は嫌いだな」
さっそく嫌われてしまいました。いや、そんなこと考えてる場合じゃないだろ俺!
しかし俺が反論する暇もなく、目の前を真っ白の光が支配した。眩しくなって目を閉じると気を失ったのか、そこから先は何も覚えていなかった。