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112

 全ては偶然からだと思っていたのに、本当は何もかもが必然的なものだった。
 それでもこの結末は誰も予想できなかっただろう。計画を練ったダザイアも、それを受け継いだスーリも、邪魔をしようとしたシンも、そして当事者であるラスだって。
 たとえ必然的なものであったとしても、今まで学んだり感じたりしたことは決して否定できない。同時に、辛かったことや悲しかったことも同じように、自分たちの中にちゃんと残っている。
 それが今、消されようとしているんだ。
 これが必然だって? 冗談じゃない。だったらこんな物語なんて、壊れてしまえばいい。

 

 +++++

 

 俺はラスに向かって手を差し出した。しかし相手の手は俺に触れることなく、下に落ちてしまった。
 一体どうしたのかと相手の顔をうかがってみても、彼の顔は金色の髪に隠れて見えなくなっていた。しかし突然さっと顔を上げると、俺と目を合わそうとせず、鋭い瞳で俺たちの後ろの方を見上げる。不思議に思って振り返ってみるとそこには仲間たちの顔があった。だけどラスは彼らを見ているわけではないのだと、なんとなく分かった。そうしてさらに後ろの方を、見上げるように視線を動かしていく。
「どういうつもりですか? 主(あるじ)である樹さんの命を狙うなんて」
「――さすがは自分をお褒めになる御方。よく分かりましたね」
 俺の後ろ。リヴァやアレート、ラザーの後ろ。そこにあるのは、突如として現れた、この場にとてつもなく似合っている暗闇。
「少し強い信念をぶつけられたからといって自分の意見を変えるなんて、あなたらしくないではありませんか、ラス」
「僕の名を気安く呼ばないでください」
 少しの光もない暗黒。純粋な黒。かつて俺の中に入ってきた、冷たく鋭い刃。
 それが、闇の精霊のソイだった。
 また呼んでもないのに勝手に出てきたとか、そういう生易しいものじゃなかった。確かにそうであることはあるが、今まで戦っていた相手であるラスが言う通り、ソイはどうやら俺の命を狙っていたらしい。それを裏づけるようにソイは呪文の光を手の中に握っていた。あれをまっすぐぶつけられたら、間違いなく俺は死んでいただろう。
「樹さん」
 ソイは俺の名を呼ぶ。
「俺、あんたを呼んだ覚えはないんだけど」
「当然です。私は勝手に出てきたのですから」
 聞くだけ無駄な質問でも投げかけずにはいられなかった。相手はそれに丁寧に答えてくれる。
「あなたもアユラツの人々も、そしてそこにいるラスも気づいていなかったようですが、この騒乱――世界の狭間をも創ってしまったこの騒乱。この物語の主催者は、紛れもなく私なのです」
「物語――?」
 声を出して眉をひそめるのは一族の少年。彼には『物語』と一言で片づけられることが気に食わなかったのだろう。だけどそれなら俺だって同じだ。いいや俺だけじゃない、ソイの言う『物語』に関わっている人なら皆、気に食わないだろう。
「そう、物語。始まりがあって終わりがあるもの。しかしあなたなら分かっているんじゃないですか? そう――そこの――銀髪のあなたなら」
 ゆっくりとソイはラザーラスを指差す。銀髪の青年は少しも表情を変えずに腕を組んで相手を見ていた。何も言う気はないらしい。
「始まりがあれば終わりがある。それは当然だと思われがちだけど、あなたのように終わりがどこにあるのか分からない者もいる。終わりを見失ってさ迷う生命。終わりを求めて探し続ける哀れな生命……」
「それが何だって言うんだよ? 言いたいことははっきり言え」
 いくらか苛ついた様子でラザーは言う。遠回しに彼のことを非難していることは俺にもよく分かった。しかし場合によってはそれは、俺にも当てはまっていたことかもしれない。
「いいのですか? このままラスの気持ちが変わってしまえば、世界は滅ばずに済むのですよ。そうすればあなたはまた永遠の命を持て余すことになる。殺されても死ぬことができないあなたには、この方法でしか死ぬことができないのだから」
「なるほど。つまりお前は俺に死ねと言いたいんだな」
「率直に言えばそうなりますが、しかしあなたは死にたくはないのですか? この機会を逃せばずっと生き続けなければならない。年も取らず、流れていく時に取り残されて、たった独りだけの時を生きなければならない。他人と交流することも苦痛になってくるし、親しくなった者が年を取り醜くなっていく姿も見なければならない。あなたはまだ知らないから死にたくないと言えるのです。しかしもしここで私の意見を否定したら、あなたはきっと後になってからひどく後悔することでしょう」
 さらさらとソイは言葉を並べていく。そんなに簡単に言えるようなものではないのに、まるでその言葉の重みを忘れたように喋っていた。相手の言いたいことはそれなりに理解できるものだった。永遠の命を持った人というのは、俺たち一般人とは常識や価値観が違うということはよく分かった。
 しかし、だからといって相手に「死ね」と言うことは間違ってると思う。確かに彼らにとっては生きることは辛いことかもしれない、だけど、この世界には生きたくても生きることができない人だっているんだ。その人たちの存在を忘れたようなそんな言葉、もう二度と聞きたくないと深く感じる。
 質問をぶつけられたラザーラスは少し黙った。腕を組んで相手を見つめたまま、何かをじっと考えているように見える。そして一つ息を吐いたかと思うと腕を下に下ろし、片手を腰に当てて口に小さな笑みを浮かべた。
「お前の言うことは正論かもしれないな。けど、俺はまだ死ぬ気はない。それに独りでもない。約束した奴がいるから」
 ソイは黙って聞いていた。ラザーのよく透き通った声を聞いていた。誰も口出しせずに、静かな空間の中で彼の声はよく透(とお)っていた。
「あなたは私の意見を否定すると?」
「別に否定なんかしてないだろ」
「同じことです」
 急に寒気を覚える。相手の持つ空気が変わったのだろう。闇の精霊らしく冷たい空気が世界を支配する。
「愚かな……」
 そして相手の姿が消えた。
 驚いて周辺へ視線を動かしてみても、どこにも闇の精霊の姿はない。そのまま後ろも確認してみる。後ろにはラスがいて、そして――。
「誰もが皆、腰抜けばかりだ」
 金色の髪の少年の背後には闇が。
「世界が壊れでもしない限り、私たちは自由になることができない!」
 闇は無防備になったラスの中に入り込み、そのまま跡形もなく消え去った。
「あなたが壊してくれないなら、いいでしょう、私が代わりに壊してさしあげます。あいにく私の力では足りませんから、あなたの身体をお借りしますがね」
 ラスの声でソイの言葉が聞こえる。
 操っている。
 操ってるんだ。ソイはラスの中に入り込んで、ラスの身体を操ってるんだ。自分の思い通りに動いてくれなかったから、今度は自分が直接動かしてやろうとしているんだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 突然目が覚めたように言葉を発したのはリヴァセールだった。一歩前へ踏み出して距離を詰める。
「あなたは闇の精霊様であることを忘れてませんか? 精霊はそんな、自分勝手な行動をしちゃいけないはずだったのに、どうしてそんなこと――」
「無理よ」
 混乱した外人の言葉を止めたのは、今まで黙ったままだったアレートだった。こんな時に口出ししてくることは少なかったので少し驚く。
「あの人、きっと、精霊になったことも利用してたのよ」
「それって……精霊になることも、あの人の言う『物語』ってのに含まれてたってこと?」
「ええ、きっと。そうして樹のことも利用したんだ」
 思わぬところで俺の名前が出てきてちょっと不思議に思った。アレートはこちらを向き、厳しい顔を俺に見せてくる。しかしすぐにまた前を向いてしまった。
「やはり人というものは、移ろいやすくていけない」
 ラスの中に入ったソイは呟くように言う。
「いつかはあなたも意見を変えてしまうかもしれませんよ? 私たちの、神さま――」
 ……神?
 神だなんて、ソイは一体、何を言っている?
「ねえ樹、腕輪が」
「えっ?」
 アレートの声によって我に返る。そして言われた通り腕輪に目を落とすと、そこから強い光が放たれていることに気づいた。
 これほどまでに強い光。これはきっとあいつのものだ。
「出てきていいよ、オセ」
 呼びかけと同時に光の精霊が姿を現す。オセは目の前にいるラスには目を向けずにこちらを見下ろしてきた。見たくないのか、それとも見るだけ無駄だと思っているのか。
「主よ。闇を浄化するか?」
「浄化って、消すってことか?」
「そうだ」
 短い返事を聞いて皆の顔を見てみた。口を閉ざしたままだったが言葉を聞いた気がした。そしてもうあまり時間が残されていないことを思い出し、一つ頷いて見せた。
 突拍子もなく相手側から呪文が放たれる。素早くオセが光の壁を作り、放たれた闇はそれによって弾かれた。放たれたものが闇属性のものでよかった。闇でなければ光の壁は意味を成さないから。
「悠長に構えている暇はないぞ。主、そしてそこのお主。手を借りるぞ」
「私?」
 オセが指名したのは意外にもアレートだった。だけどアレートって身体に入れられた鍵のせいで呪文が使えないって言ってなかったっけ。それに俺だって呪文なんか使えないんだから。
「ぐずぐずするな、主!」
「は、はい!」
 怒鳴られてちょっと慌てる。オセとアレートはリヴァやラザーの後ろに隠れるような位置に移動していた。俺も慌てて二人のいる場所へと足を運ぶ。ってちょっと待て。なんで主である俺が精霊の言うことに従わなきゃならないんだ? まあ別にいいんだけど。
「ちょ、ちょっと樹。ぼくらはどうすればいいのさ?」
 まるで俺たち三人を守る盾と化した外人は混乱した様子で聞いてくる。しかしそんなことを普通俺に聞くか? 俺だってオセに言われて行動してるだけなんだから。
「馬鹿かお前。あいつの攻撃からこいつらを守るんだろうが」
 リヴァの問いに丁寧に答えていたのはラザーだった。それを聞いて外人は小さく「あ、そっか」と口の中で言う。そして改めて闇の精霊に操られているラスと向き直った。
 俺はオセに言われて行動している。
 だけど彼らは誰に言われるでもなく、自分のやるべきことを見つけた。
 俺が本当にすべきことは?
 俺が本当に欲しいものは?
 答えはすでに出ているはずだ。
「オセ、教えてくれ」
 光を帯びた精霊と向き直る。
「闇を浄化する方法ってのを」
 光の精霊は片手を少し上げ、どこからか分厚い本を取り出した。それは見覚えがある本だった。オセは本を開き、ぱらぱらとページをめくる。
「お主たちはこの言葉を唱えれば良い」
 本を俺たちに見せ、あるページに書かれてある一文を指で示してくる。俺が言うべき言葉もアレートが言うべき言葉も教えてくれた。
「主はともかく、お主はきっと知っているはず。たとえ覚えがなくとも、お主の中に言葉は残っている――」
 何か意味深なことをアレートに向かって言い、オセは顔を上げた。前を見据え、かつて幼馴染みだった精霊の姿を見つめる。
「全ては必然だった、か」
 小さな呟き。
 変わってしまったソイを見て、オセは何を思ったのだろう。
 操られているラスを見て、俺は何を思えばいいのだろう。
「これが必然だって?」
 これは必然的な物語?
 これは私情を挟んだ計画?
 そしてこれは、何のための戦い?
「冗談じゃない」
 何のために悩んだのか。
 何のために泣いたのか。
 何のために笑ったのか。
 何のために生きたのか。
 今まで俺が出会ってきた人々。今まで俺が話してきた人々。そして今まで俺が戦ってきた人々。
 彼らとの交わりが、対立が、和解が、必然的であったというのか。彼らとの温もりが、感覚が、時間が、世界を滅ぼすための過程だったというのか。
 物語。
 そんな一言で終わらせようとするのか。
 そんな一言で表そうとするのか。
 悩んで、苦しんで、泣いて、傷つけ合って。分かり合えて、笑って、手を繋いで、冗談を言って。小さな優しさ、厳しい言葉、鋭い視線、壊れた仮面。
 これが、ああ、必然だって?
「だったらこんな物語なんて、壊れてしまえばいい。物語は必然的に作られるものじゃない、全ては偶然から作られていくんだ!」
 全てが自分の思い通りにはならないということを俺はすでに知っている。
 俺はオセとアレートの顔を見て一つ頷いた。二人ともすでに心を決めていた様子に見えた。
『――精霊よ』
 中性的なオセの声が周囲に響く。それは普段聞こえるものとは全く違って聞こえた。まるで機械から出てくる声のようで、だけど神々しく神秘的なものでもあって。
『光の精霊ラッシェルよ。我に力を貸したまえ。真の汚れなき光をここに』
 ふと横から何かが勢いよく飛んでくるのを見たような気がした。ちらりとそちらに目をやると、闇の塊がこちらに放たれているのが見えた、だけどそれは俺にぶつかることなく何かによってかき消される。
「ふう。危ない危ない」
「危ないで済むか! ちゃんと守れよお前!」
 続いて聞こえたのはなんとも愉快な声。
 視線をオセの持っている本の上に戻し、俺は自分が唱えるべき呪文の文句を唇に乗せた。
『光は世界。世界は創造物。天地創造神マルドゥクの名の下(もと)に、今ここに光を創造する』
 唱え終えると手が勝手に動いた。意識しなくてもふっと上に上がり、胸の高さまで上がってそこで止まった。同じようにオセも手を上げ、俺の手の上に重ね合わせる。そうすると手の中から光が溢れだし、それは一つの物を形作っていく。
 長く、太さがある、大きな剣。光からできあがったそれをアレートに手渡した。
 黄色い髪の少女は受け取った剣を胸の高さまで上げ、その切っ先をまっすぐ闇の精霊に向けた。
『我が名はマート。破壊を司る女神。
 ――闇よ、弱きものよ、光の中に消え去れ』
 剣の光は強く輝きを増していく。
『ジャッジメント』
 三人の声が一つに重なった。
 そして光は降り注ぐ。

 

 

「なぜ刃を振るうのです? なぜ人を傷つけるのです? なぜ、私を助けてくれなかったのです? 私にとっては、世界がなくなることこそが、唯一の救いであったはずなのに――」
 光の中で声を聞いた気がした。
 悲しいけど、悔しいけど、一人の力では全ての人を幸福に導くことはできない。だってやっぱり、どう考えてみても、幸福というものは必ず誰かを犠牲にしているから。
 一つの目的があれば、それに対立する者も現れる。その目的が正しいか正しくないかなんてことは関係なく、大切なもののために対立する。そしてそれはこれからも消えることはないだろう。そうやって対立しながら生きていくしか、俺たちにできることはないのだろう。
 世界を滅ぼすことがソイやラス、そしてシンの望みだったかもしれない。だけどその先に得られるものはそれぞれ違っていたはずだ。それぞれ違う個体である限り、違う考えを持っている限り、全てが同じになることなどあり得ない。
 だから、悲しいけど、この世の中は、全てが自分の思い通りになるとは限らないんだ。
 絶対に。
 常識が覆(くつがえ)ったとしても。
 必然なんて、人が作れるものではないから。

 

 

 

「――これでおしまい、ですかね」
 小さな声が語る。
 地面の上に倒れ、少年は天を見上げる。俺は彼の顔を覗きこんだ。皆も同じように、それぞれ違った面持ちで覗きこむ。
「あっけなかった、ですね。自分が全てを始めたのだと思っていたのに、本当は僕らは、あの人の手の平の上で踊(おど)らされていただけだったなんて、ね」
「ラス」
 名前を呼んでも聞こえていないようだった。
「どうやら僕はここまでのようです。僕は不老不死なんかじゃありませんから、傷ついたり病気になったら死んでしまうんですよ。ただ常人より寿命が長くて、必要以上の魔力を持っていただけなんだから。――まあ、少々誤魔化していた部分もありますけどね」
 少年はいつものように明るく笑う。楽しそうだけど、ちょっと人を馬鹿にしているような笑い。
「美しすぎる理想ばかり追い求めて、本当に必要なものを見失って、痛々しい現実から逃げ惑って。僕は今までそんな日々を過ごしてきたような気がします。だけどね――それもまた、いいものだったかもしれない」
 空色の瞳は誰の姿も見ず、澄んだ声は誰に向けたものでもない。
「理想は、どこまで行っても理想ですからね。夢は、誰がどんなものを見ても許されますからね。
 一族のために生きること。それが僕の現実だとしたら、僕の夢は、何だったと思いますか?」
 笑ったまま静かに目を閉じる。
 彼の顔に光が差した――気がした。
「伝えておいてください。シンさんと、シフォンと、そしてスーリさんに。今まで仲良くしてくれてありがとう、それと、迷惑かけてごめんなさい、と」
 花のように儚くて。
「僕に本当に必要だったもの。それが何なのか、今になってようやく分かったような気がします」
 花のように美しくて。
「ねえ、やっぱり――もっと早く気づいていれば、変わっていたかもしれないのにね」
 少年は一度だけ瞳をひらいた。彼の空色の瞳は、本当の空のように青く澄んでいた。とても綺麗だった。吸い込まれてしまうほど、ただ単純に、美しかった。
「だけど、こんな結末も、たまにはいいではないですか?」
 再び目を閉じる。
「ねえ――」
 静寂の中、言葉は最後まで続かず、彼の命はこと切れた。

 

 

 

 

 世界は救われた。

 確かに、世界は救われた。

 俺の役目もまた、終わってしまった。

 

 

 

 一つの命と、引き替えに。

 

 

 

 

 

 

 

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