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17

「くっ!」
 ヨスの奇襲攻撃はさらりとグレンにかわされていた。
「くそう」
「今度はこっちからいくぜ!」
 声を出したグレンは剣を構え直し、ヨスに向かって地を蹴った。二人の距離が縮まると剣を振り、金属同士がぶつかり合う音が洞窟内に響く。ヨスがグレンの剣に集中しているその隙に、グレンは片手を剣から離し、無防備になっているヨスの手をはたいた。あまりにも間抜けな攻撃だったが、それをまともに受けたヨスは鍵を落としていた。グレンは走りながら鍵を取ってこちらに戻ってくる。
「しまった!」
 全身オレンジの兄ちゃんは慌てたような声を出した。すぐにこちらへ振り返るが、既にグレンは俺たちの前に立ち鍵を握り締めていた。
 戦闘画面はこれにて終了。結局俺とクミは後ろから見ていただけだった。
「くっそお、そこの二人組! 勝負だ!」
 ヨスは意地でも負けたくないらしく、今度は標的をこっちに変えてきた。強い奴に勝てなかったからって弱そうな奴を相手にするなんて、悪役の典型的行動パターンじゃないか。
「はーい、私がお相手しまーす!」
 なぜか元気で楽しそうなクミの声が響いた。一体どうしたというんだ。
「ふふふ、子供になど負けるわけがない」
「――星の源にて生まれしものよ、その力を我に示さん!」
 小さな口から紡がれた言葉の羅列が光に変わり、それは真っ赤に燃え始めた。真正面からその「呪文」を受けたヨスはオレンジから黒焦げになる。
「子供に負けた……この俺さまが」
 相手はぱたんとその場に倒れた。しかしそれはほんの一瞬のことに過ぎず、何の前触れもなくすごい勢いで起き上がって勝手に叫び出す。
「くそう! もっと修業してきてやる! 見てろよ!」
 それだけを言うと、俺たちの間を風のように駆け抜けてどこかへ行ってしまった。
「何だったんだ? あいつ」
「さあ?」
 グレンは剣を返してきた。俺はそれを受け取って鞘に収める。やっぱりそれは以前より重くなっているような気がした。
「じゃあこの鍵で扉を開けますね」
 クミは扉の正面に立ち、天井にまで到達しそうな扉を見上げた。
「ああ」
 ゆっくりと扉に手を伸ばし、金色に光る鍵を鍵穴に差し込む。鍵を取り戻した扉はまばゆい光を放ち、俺たちはその光に吸い込まれていった。

 

 +++++

 

「ん、ここは」
 気が付くとまたしても場所が移動していた。最近こんなことばかりだ。しかし今度は海の上など非常識な場所ではなく、普通の洞窟内の景色が見えている。そこは一つの狭い部屋で、誰かが住んでいるような生活感溢れる場所だった。
「あ、樹さん」
「お、クミ」
 隣にはクミがいた。相手も今起き上がったばかりであるらしく、まだ目がぼんやりしているようだ。そしてクミの横には、ものすごい勢いでのんきに寝ているグレンがいた。
「グレンさん、まだ寝てる」
 とりあえず起こしてやろう。俺はグレンの頬を引っ張った。
「起きろー」
「はっ、何だここは」
 お調子者は起き上がり、周りをきょろきょろと見回し始めた。何だか知らないが警戒でもしているらしい。
「何だあれは!」
 そうかと思うとグレンはある方向に指を差して大声を出した。その先にはひっそりと置かれている棚と、この場に不似合いな水槽がある。
 あまりにも怪しげな水槽に近付いていくと中に何かが見えた。魚でもいるのかと思ったがそうではなく、中に入っているのは貝だった。一つだけぽつんと入っていてなんとも殺風景に見える。貝は白っぽい色をしており、手のひらより少し小さめくらいの大きさだった。それ以外に水槽に入っているものは水だけであり、海藻も土もない不自然さが醸し出されている。
「なんだこりゃ。食っていいのか?」
 いきなりグレンは貧乏人みたいなことを言っていた。よくそんな勇気が出てくるもんだ。
「まあいいんじゃねえの?」
 相手を茶化すように無責任なことを言ってみる。しかしグレンは俺の言葉を信じたのか、躊躇いもなく貝に手を伸ばした。
『待てーっ! オレを食うなっつーの!』
 まさにグレンの手が貝に触れそうになった刹那、部屋の中にふざけた男の声が響き渡った。
「え、もしかして――」
 今回ばかりは俺だけでなくクミも驚いたらしく、おろおろした様子で貝を眺めている。そしてすぐさまどこからかエナさんの声が聞こえてきた。
『その貝はエフです』
 かなり冷静にエナさんはきついことを言う。その瞬間から俺の中の常識という二文字は跡形もなく消え去ってしまった。
『そうだっ! オレはエフだっ――ん? クミか? ということはてめえ、ルクもいるんだろっ!』
「ルクはいないよ」
 貝――じゃなくてエフはなんだかうるさい奴だった。本当にこいつに会いに来て正解だったんだろうか。今はもう不安しか感じられない。
「それよりエフ、どうして水属性の呪文が使えないの?」
 クミはストレートな質問をエフにぶつけていた。はたしてこの貝は何かを知っているのだろうか。
『ああこれか。暇だったから遊んでたんだ。元に戻すか?』
「うん」
 貝からもたらされた返事は何とも言いようのない言葉だった。
 おいおい一体どういう理由だよそれは。遊んでただなんて、それで俺にとっては特に被害はなかったけど、俺の隣で炎に包まれている奴がはたして許すかどうか。
「なんだとてめえ、よくも俺様の呪文を! 何が遊びだ! てめえのせいで俺はこんな姿のままだ! さっさと元に戻さんかあ!」
 案の定と言うべきか、やはりグレンは怒ってしまった。燃えているから余計に迫力が感じられる。
『まあまあ落ち着けって。で? なんであんたは燃えてるんだ? 呪文か?』
 こんなに燃えている人間なんて滅多に見られないのに、貝は至って落ち着いた様子だった。貝のくせにすごい奴だな。グレンが知り合いだったからよかったものの、もし見ず知らずの奴が燃えていたら、俺はきっと彼に話しかけることはおろか目線を合わせることもできなかっただろう。
「クミにやられたんだよ」
『ほほう。クミにねぇ』
「な、なんだよ」
 二人は地味な喧嘩をしていた。一方は貝、一方は炎人間というなんとも不可思議な組み合わせだったが、もうこの際それは無視しておいた方が良さそうだ。とりあえず俺は巻き込まれたくなかったので黙っておくことにする。
『まあいいか。それで、あんたはクミの知り合いか? 名前は?』
「グレン・ヴェルザーディア」
 貝に向かってグレンは惜しげもなくフルネームを答えていた。俺は今まで彼の本名を知らなかったことに気が付く。
『ふうん、この世界の出身じゃないんだな。それよりもオレの名を知っているか? オレは天才科学者と呼ばれたこともあるエフ様だ、どうだ驚いたか!』
「お前さっき名乗ってたじゃねえか」
『てめえ、一生水属性の呪文が使えなくなってもいいようだな』
「うっ」
 貝はどうやら怒りっぽいらしく、俺はどこぞの外人を思い出してしまった。そういえばあいつは今頃どこで何をしているんだろう。あいつのことだから心配する必要はないだろうけど、消息が全く分からないとなるとやっぱりちょっと心配だった。
「あの、エフ」
『ん? どうしたクミよ』
 子供みたいな喧嘩の中にクミが入り込んでいった。それにしてもこいつらはまるでこの場に俺がいないかのように振る舞っているな。
「私も水属性の呪文が使えなくて困ってるの。だから元に戻して?」
『んー、クミの頼みじゃあ断れないよな。よーし。じゃあ元に戻してやろう』
 貝は思わず突っ込みたくなるほどの変わりようを見せた。なんて態度の違いだ。そんなことをしたら更に炎人間が怒るぞ。
「偉そうな奴だな」
 そうかと思ったが実際グレンはあまり変わらなかった。怒っているというよりも呆れているのかもしれない。
『よし。じゃあいくべ! 元に戻れーいっ!』
「単純だな」
 エフが叫ぶと同時に頭上で光が放たれた。ただ光はすぐに消えた。後には何も残っていないし、何も起こらない。
 何だったんだ今の無意味な演出は。
「お……このパワーは!」
 わなわなと全身を震わせ、俺の隣にいる炎人間の火がいっそう大きく燃え始める。
 グレンは燃えた両手を前に突き出し、小さな声で何やら呟いていた。その内容までは聞き取れなかったが、彼の声は次第に大きくなり、前方に出していた両手もゆっくりと頭上へ持ち上げられていく。
「――大地の奥底に眠りし生命よ、その精を冷たき姿に変えんことを!」
 叫び声と共にグレンの上から大量の水が休むことなく溢れ出た。しかしそれはグレンの上だけでなくこっちにまで届き、おかげで周囲は大洪水且つ大混乱に見舞われる。貝はどこかに流され、クミは慌てて貝を探し、さっき見たヨスとやらの影がちらほら見えたりもした。俺は背中を壁にぶつけ、貝が入っていた水槽で頭を打った。まったくグレンにはとんでもない目に遭わされたもんだ。
「うっしゃあっ! これで文句ねえぜ!」
 一人だけ嬉しそうな顔をしてガッツポーズをしている奴がいる。こっちの苦労もお願いだから気付いてくれ。

 

 やがて水は止まり、グレンにしつこく纏わり付いていた火はきれいさっぱりと消え去った。これで消えなかったらよっぽどの非常識になっていたところだ。
 それを一番喜んでいたのは他でもないグレンであり、彼は水溜りの中で子供のようにはしゃいでいた。
「火が消えた! でもなんか、火が消えたら急に寒くなってきた……」
 忘れていたがここは冬島なのである。寒いのは当たり前で、慣れてきたとはいえ俺だって寒かった。グレンの場合は今までが異常だったんだろう。
「ま、とりあえずよかったじゃねえか。さあ、ルクとリヴァを捜しに行こうぜ」
「ん、むう。そうだな」
 グレンは火が消えて地味になっていた。おまけに寒そうに縮こまっており、災難ばかりで可哀想に思えたりしてくる。
『おいおいおい! オレのこと放置する気かよっ!』
 後ろから頭に響くような声が聞こえてきた。それはあの貝で、いつの間にかまた水槽の中に戻っている。まさかとは思うが自力で戻ったのだろうか。それにしても放置する気かと聞かれても、なんでこいつと一緒に行動しなきゃならないのだろうか。
「うん」
『え』
 俺に続いてグレンも言う。
「そうだが?」
『ちょ』
「食えねえしな」
『……』
 更にはクミまでもが言っていた。
「だってエフって、今の姿じゃ水槽の中でしか」
『だ、大丈夫さこのくらい!』
 貝はやたらと焦ってそんなことを口走っていた。しかしそう言われても信憑性は皆無だった。誰がこんな貝のことを信じられるかよ。
「じゃあ水槽から出てみろよ」
 俺が試しに言ってみた声に反応し、貝は水の中からジャンプして台の上に落ちた。その後はひたすらぱくぱくとしている。なんとも情けない光景だった。
「本当に大丈夫なのか?」
 隣で様子を見ていたクミは貝を水槽の中にぽちゃりと入れた。やっぱりこの貝、駄目そうだ。
「もう火も消えたしこの貝君に用はねえ。樹、クミ。帰るぞ!」
「はーい」
 この場を仕切ったのは普通に戻ったグレンであり、彼はさっさとどこかへ向かって歩き始めていた。俺は慌ててグレンの背を追う。
『オレも行くってさっきから言ってるだろっ!』
 一人うるさいのが残っていた。
「はいはい。勝手にすれば?」
 結局、貝のエフは水槽に入ったままクミが持っていくことになった。なんとも間抜けな話だ。
 三人と二つはとりあえず元の場所に帰ろうとした。しかしエフの部屋にあった扉から外に出られたのは良かったものの、帰り道が分からない。無理もない、何回も強制的に移動させられたんだから分かる方がおかしかったのだ。
『なんだお前ら、道が分からないのか? 間抜けな奴らだな。どこに帰るんだ?』
 エフは貝のくせにとことん偉そうだった。それに腹を立てることもなくクミが答える。
「帰るんじゃなくて、ルクを捜しに行くんだよ」
『よりによってあいつかよ……』
「ついでにリヴァも捜さねえと」
 横から口を挟んでおいた。エフはリヴァのことなんか知らないだろうけど、せめて俺だけでもあいつのことを覚えててやらなきゃならないと思ったんだ。
『よし、任せておきたまえ。これでどうだっ!』
 エフが天に向かって叫ぶといきなり光が輝き出した。それが眩しくて目を閉じると、全身がふっと宙に浮いたような感覚を得る。そしてそれが今度は逆に、下に落ちていった。
「あたたたた!」
 そうかと思うと俺の真下からやたらと甲高い声が聞こえてきた。目を開けて下を見てみると、グレンとクミと俺の下敷きになっている外人の姿が見えた。
「あ……リヴァ」
「あ、じゃない! 早くどけよあんたら!」
 真っ先に動いたのはグレンで、ぴょいと身軽そうに一番上から下りた。
「いやあ、燃えてないって素敵だなあ!」
 グレンに続き、クミと俺も下りる。下敷きにされていたリヴァはすぐに立ち上がり、ひきつった笑顔のままで俺の頬を力を込めて引っ張ってきた。
「樹君? どうして君らがぼくの上から降ってこなければならないんだい?」
「いでで……それならあの貝に聞けよぉ」
 ここまでついてきたエフはやはり水槽に入っていた。その水槽はクミが抱えるようにして持っている。
「は? 貝? 何を寝呆けたこと言ってんだよ樹。なんで貝なんかに聞かなきゃならないのさ。君、頭大丈夫?」
 外人は笑顔を崩し、頬を引っ張る力を強くしてきた。相変わらず不機嫌なのか、いつにもまして彼の言葉は尖っていた。そんなこと言われても俺が聞きたい。なんでよりによって貝なんだ、他に何かなかったのかよ。
「あのさぁリヴァ、怒らないで聞いてくれる?」
 せっかく再会できたのだから、ここで外人に話しておくべきだと思った。それは他でもないエナさんとのこと――つまり、世界を開くことを頼まれた経緯を。
「何? 君がそう言うならきっと怒ると思うけど」
 相手はそれだけを言うと手を放した。だから嫌なんだよこの外人に話すのは。こいつは以前、自分に関係ないことには関わりたくないとか何とかって言ってたし、よく考えなくてもきっと怒るだろう。話す前から気が滅入ってくる。
『おっ、何だ? 地味な兄ちゃんが持ってるのはエナじゃないか! いないと思ったらそんなところにいたんだなぁ』
「あれ……貝」
 妙なタイミングでエフが介入してきた。しかし地味な兄ちゃんって俺のことか? そういえばこの貝にはまだ自己紹介してなかったな。
「その聞くだけで腹が立つ声――お前はっ!」
『何っ! 会うたびに文句ばかり言ってきそうなその声はっ!』
 俺が何か言う前に背後から大きな声が聞こえてきた。その緊張感の漂う幼い声に、貝は頭に響くようなうるさい声で返答する。
「エフ!」
『ルク!』
 次に言ったのはお互いの名前で、やっと貝が誰と話をしているのかが分かった。しかしそれは再会の喜びだとか楽しさだとかいうものではなく、険悪な雰囲気を作り出すものでしかない。クミとエフは仲がよさげなのに、ルクとエフだと波長が異なるのだろうか。確かにクミよりルクの方が生意気だけどさ。
「あ、やっちゃった」
 二人の間でクミがぽつりと呟く。この子も苦労してるんだな。
『ふっ。ま、今日はおあずけだ。ここで喧嘩をしてもクミが困るだけだからな』
 エフはやたらと格好つけて言っていたが、それは全然格好よくなかった。見た目のせいで人生の半分以上を損しているような奴だな。
「クミ! なんでエフを連れてきたんだよ!」
 今まで大人しくしていたルクは人が変わったようにクミに言い寄る。そこまで嫌わなくてもいいだろうに。
「それは」
 クミは言いにくそうにこちらを見てきた。どうしてそんな目を向けられるのか分からなかったが、エフがエナさんと知り合いであることを考えると、なんとなく察するものがあった。
 気が付けばリヴァも無言のままこちらをじっと見ている。俺が抱えているものはまだ誰も知らず、だからこそ関わってくれた皆にきちんと説明しなければならないと感じた。正直言ってどんな反応が示されるか分からないから不安だけど、これを黙っているほど俺は堕落した人間になりたくなかった。引き受けたのは他でもない俺自身だし、何より皆の為になることなんだ、きっとリヴァも許してくれるだろう。
「皆に話しておきたいことがあるんだ。いいかな――」

 

 なんだか最近、俺は臆病になっている気がする。
「――とまあ、こんなところかな。分かったか?」
「分かったけど」
 いつも好き勝手な行動をして協調性の欠片もない連中でも、ちゃんと仕切ると説明を聞いてくれる良心は持ち合わせているらしい。その中でも俺の拙い説明を特に黙って聞いていた外人は顎に手を当て、何かを考える仕草を見せた。そしていつもの調子でずばっと言ってくる。
「君はやっぱりお人好しすぎる」
 俺は説明をしている最中でとある不安に苛まれていた。それこそがまさに、話し終わった後の相手の反応についてである。
 今回はもう予想できていたから怒らない。ああ分かっていたともさ、リヴァならきっとこう言うだろうと。だから俺は怒らない。怒らないはずだ。心の底では蹴り飛ばしてやりたいと喚いているけど。
「それはそうとリヴァさ、ちょっと聞きたいことがあるだけど、いいか?」
「何?」
 明らかに外人は機嫌を損ねていた。目がそう言っている。しかしその程度で引っ込んでいては駄目だった。
「この世界は閉ざされてるってことさっき話したよな。この世界に入ることもここから出ることもできないって。じゃあお前は、一体どうやって俺をこの世界に連れてきた――というより、どうやってこの世界に入ったんだ? この世界は実は日本がある世界だとか言ったら怒るからな」
 まさかこの世界に地球があるわけがない。宇宙くらいならあるかもしれないけど、こんな非常識な世界が俺の故郷だなん絶対に嫌だった。そもそも俺の世界では魔法だの呪文だのといったおかしなものは存在しないし、そんなものがあったら世の中の超能力者が泣くぞ。
「ああそっか、まだ話してなかったっけ。じゃあとりあえず話しておこうかな」
 派手に怒られるかと覚悟していたが、リヴァは気楽そうな言葉を吐き出しただけだった。怒っていない時とのギャップが激しい奴だな。
「あの日、本当なら雇い主のところに朝に行こうと思ってたんだけど、ぼくは夜の方が動きやすいと思って遅い時間に行くことにしたんだよ。それで夜中に君を起こしに行ったんだけど、君ってば殴っても蹴っても起きなくて。だから眠ったままひきずって行こうと思ったんだ。それで、異世界に行く時は扉を開けたりするものなんだけど、急いでたしそんな面倒なことはやりたくなくて、呪文でさっと移動しようとしたんだ。でもその時に何かが起きたらしくて、気付けばこの通りってわけ。本来ならこの世界に来るつもりじゃなかった。別の世界へ行くつもりだったんだけどね」
「どっちにしろ今のままじゃ帰れないってことか」
 外人は普段と変わらない様子でぺらぺらとよく喋った。だけどいつもより若干元気がないように見えるのは気のせいだろうか。
 やはりここは異世界であって俺の住んでいた世界ではなかった。あの頃はいろいろ唐突に事が運びすぎてないがしろにしてたけど、これって結構すごいことなんじゃないだろうか。それが善いことなのか悪いことなのかは無視して、今の俺の状況は世の中のゲーム好きやらが一度は夢見るような展開でしかなかった。
 ある日平凡な生活をしていた人が何らかの事情で巻き込まれて異世界へ。そこはゲームのような剣と魔法のファンタジーの世界だった、と。
 なぜ俺なんかがここにいるんだろう。俺には際立った才能もないし、おまけに運動音痴で頭もあまり良くない。俺が巻き込まれる理由など本当は一つとしてなかったのではないだろうか。確かにそういう異世界に夢見た頃もあった。だけどそれはもうずいぶん昔の話で、俺だってもう馬鹿じゃないから現実と夢の区別くらいはできるようになっている。
 じゃあ今のこの状況は何なのかと聞かれたら、それははっきりとは答えられない。
 それに実際来てみれば、苦労する以外には何もないし。
 挙げ句の果てには帰れなくなるし。
 それでも俺が今ここにいるということは決して変えられない現実であり、やっぱりこれは夢ではないと信じざるを得なくなるのであった。

 

「何してるの」
 皆に事の全てを説明した後、俺たちはこれからどうするべきかを座り込んで話し合っていた。そんな時に訪れた客人はあまりにも不可解な人間だった。
「お、お前」
 俺の背後に立っていたのはあの藍色の髪の少年だった。いつものように顔に表情はなく、こちらを見下ろすように立っている。
「何の用だよ!」
「少しは分かった?」
 立ち上がって声をかけてみるが、全く会話が噛み合っていない。それに相手が言っていることの意味がまるで分からなかった。
 そうこうしているうちにグレンは静かに立ち上がり、俺の腰に挟んであった剣を勝手に片方だけ抜いた。そしてそれを子供に向けて声をかける。
「お前――そうだ、お前だ。どこかで見た顔だと思っていたんだ。俺はお前のことを知っていたんだ」
 グレンははっきりと言った。相手の子供に向かってよく聞き取れる声で、信じられないことを言っていた。知っていたってどういうことだよ。グレンはこいつの何を知っているんだ?
 相手は相手で何も言わず、グレンの言葉に動じた様子もなかった。いつもと同じ、先程と変わらない無表情を維持している。彼の顔からは何も読み取ることができない。そこに感情がないから、まるで作られた仮面を見せられている気分になるんだ。
「そう……じゃあ言ってみなよ」
 動じないばかりか、少年は自らの身を滅ぼしかねないことを言っていた。本当にここで正体をばらしてしまってもいいのだろうか。敵を心配するなんておかしな話だったけど、俺の思考は勝手にそちらへ進んでしまっていたのだ。だけどその一方で俺は相手の正体を知りたかったから、ただ二人のやりとりを傍観するという選択へ進んでいく。
「お前――」
「なんてね」
 グレンが何かを吐き出そうとし、それを遮るかのように藍色の髪の少年が口を開いた瞬間、暗い洞窟内が光で満たされた。光のせいで視界は真っ白になり何も見えなくなった。そうして気が付いた時には、この場に立っているのは俺と少年の二人だけだった。
 一体何なんだ、この変な展開は。
「ねえ、川崎樹君。君は僕の正体を知って何をするつもりだったか、正直に答えられる?」
「は? どういう意味だよそれ」
 おどけたように答えたが、内心はかなりびくびくしていた。なんでこいつは俺の考えていたことを知っているんだろうか。口に出した覚えはないのに、それを傍で聞いていたかのような態度をしている。なんとなくこいつはとんでもない奴のような気がしてきた。
 相手はずっと無表情だった。初めて会った時から少しも変わっていない。何を考えているのかさっぱり分からない顔で、俺と視線を合わせることもなく話しかけてくる。
「馬鹿な川崎樹君。世界を救う勇者様? なんて浅はかな。なんて軽率な」
「お、おい」
 よく分からないがものすごく馬鹿にされたのは分かった。浅はかだとか軽率だとかって、そんなこと言われたって困る。
「言い訳する気? 世界を救うんじゃなかったの?」
 そんなんじゃない。それに俺は、世界を救うわけじゃなくて世界を開くんだよ。
「何を馬鹿なこと考えてるの。君なんかがこの世界の扉を開けるわけがない。何も知らないなら何も意見しない方がいい。君のそういうところが浅はかで軽率だと言っているんだ」
 まるで吐き捨てるように子供は言う。何だろう、その行動に違和感を覚えた。
「お前、さっき一体何をした?」
「何をって?」
「なんで誰もいなくなったか聞いてんだよ」
 おそらくそれはこの子供の仕業なのだろう。この場に俺と彼しかいない以上、もうそうとしか考えられなかった。
「そう。知りたい?」
「知りたかったらいけないのかよ」
「別に? 教えてもいいよ」
 子供はかなりもったいぶった様子だった。俺としてはそんなことをせずにさっさと言って欲しかったが、それをこいつに言うとまた何かと文句を言われそうなので、あえて何も言わないでおいた。そうだろ?
「そう――そう。よく分かってるじゃない」
 子供は頷きながら言う。こいつが俺の考えていたことを分かっているような口調をするのにはもう驚かなかった。
「君の他の仲間は僕が飛ばした、いろんな場所へ。そして君もいずれ」
 俺も飛ばすということか。
「それはどこなんだよ?」
「教えろって? まさか! そんなことするわけないじゃない」
 子供は笑った。それは彼と会ってから初めて見る表情だった。でもなんでだろう、それがどこかぎこちなく見える。
「そうだね、きっと『星』に行けば分かるんじゃない?」
 俺には理解できそうにない単語を少年は教えてくれた。いいや、それは聞き覚えのあるものだったはずだ。ルクやリヴァがその連なりを唇に乗せていた記憶がある。
「じゃあそれはどこなんだよ」
 これ以上は教えてくれないような気がしたが、それでも俺は聞かずにはいられなかった。俺は本当に何も知らないから、知る為には誰かに聞く他に方法はなかったんだ。それ以外にどうやって知れと?
「さあね? 自分で調べれば?」
 また少年は笑った。やっぱり教えてはくれないらしい。もしくは相手も知らないのか。
「そういえば樹、君の剣のこと――気付いているよね」
「剣のこと?」
 それは重くなっているということだろうか。
「そうそれ」
「お前がやったのか」
「そう」
「……」
 なんだかよく答えてくれる奴だった。彼は敵なんじゃなかったのか?
「なんでそんなことしたんだよ」
 おかげで外人との勝負に負けた。あの野郎、散々俺をこけにしやがって。
「それは単に君が弱かっただけだよ」
 ……。そうですかい。やはりこいつはよく答えてくれた。聞いてないことまで言う必要はないだろうに。
 少年は無表情の顔でじっと俺の顔を見てきた。それが何か言いたげな様子に見えるのは気のせいだろうか。
「一つ教えておいてあげる。君は本当に弱い」
「いやそんな、真正面から言ってくれなくても」
 俺だって馬鹿じゃないんだ、それくらい言われなくても分かっている。何が言いたいんだこいつは。
「そういう意味じゃない。いいよもう、場所を移すから」
「へ? 何――」
 しかし俺の言葉が終わらないうちに身体は光に飲まれ、視界が真っ白になった。

 

 

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