前へ  目次  次へ

 

20

「赤き星は自然に囲まれた星で、青き星は文明が発達している星なんです」
「へぇ」
 俺とエミュの二人はのんきに赤き星へ向かって歩いていた。その道は荒れ果てて草の一本もない淋しい道だったが、ガーダンのような危なっかしい連中が出てくる洞窟よりはかなり楽な道だった。
 エミュは歩き出してからずっと喋り続けていたが、それは赤き星や青き星についての説明ばかりで、あの時の会話について説明してくれることは一度もなかった。俺に知られるのはやばいと暗に示しているようなものだ。
「それでですね、赤き星はとても空気が澄んでいて、風が髪をなびかせ、太陽の光が湖を輝かせ、それはそれは美しく、優雅に、自然の中の美を見ることができるんですよ」
「ふうん」
 そんな話をしながらエミュは楽しそうに笑っていた。えらく嬉しそうで歩きながら俺のまわりをくるくると周りながら話している。そんなに楽しいのかね、俺に国の説明をすることが。
「赤き星の人たちはとっても穏やかな人ばかりで、よそ者の私にもよくしてくれるんですよ。皆いつでもにこにこしてて、見てるこっちも嬉しくなるようなあったかい国なんです。とってもいい国です。最高の国です!」
「ははは」
 もう笑うしかなかった。彼女は片手を天に向けて持ち上げ、その先にあるものを讃えるかのような仕草をしていた。まったく見てるこっちが恥ずかしい。この道には人通りがないことがせめてもの救いだった。
 そうしてなんでもないことを話しながら歩いているうちに、前方に何やら怪しげなものが見え始めてきた。
 まだ一度もこの世界の国というものを見たことはないが、もし国に城壁というものがあるとすれば、今遥か彼方に見えるものがそれなのだろう。何もない荒涼とした道の先に薄茶色の壁みたいなものがそびえ立っている。それはとても高く、上方には雲が掛かっている程だった。
 近寄っていくにつれ、その大きさは更に拡大していった。とにかく大きい。横がどこまで続いているのかも分からなかった。
 このどでかい壁についてエミュは上機嫌のまま説明してくれた。
「この先にあるのが赤き星です。これは星の城壁なんですよ。立派でしょう! ね!」
「そ、そうっすね」
 まだ熱の冷め切らないエミュに俺は適当に相槌を打っておいた。
 しかしまあ、改めて壁を見上げてみてもやはり思うことは同じだった。でかい。こんなにでかいものは見たことがない。
 やはり異世界は普通じゃない。尋常じゃない。
 俺の常識を返せ。しまいにゃ泣くぞ。
 あーあ、早く帰って家でゲームでもしたいなぁ。RPG以外の。
「さ、さ、さ。早く中に入りましょう! 中ならいっぱい休憩できますよ!」
「わ、ちょっと」
 やたらと上機嫌で付き合っていると疲れそうなエミュに背中を押され、城壁沿いに歩かされた。立ち止まったのは十歩くらい歩いてからで、右手に扉のような門のような入り口がこれまた大きく口を開いている。
 そこから中の様子がちらりと見えた。
 なるほどエミュが言うだけあって、自然が多い爽やかそうな雰囲気の場所だった。落ち着いていて音がなく、しんと静まっている。
 でも静かすぎやしないか? 国ならもっと活気があってもいいだろうに。
「あれ、今日はなんだか静かですね。どうかしたんでしょうか」
 隣からはそんな呟きが聞こえ、俺はなんだか嫌な予感がした。
 これはやばいかもしれない。
 何がってそれは、もう言わずとも分かるだろう。
 また何かごたごたに巻き込まれるんじゃないだろうな。それだけは勘弁してくれ、頼むから。
「中に入りましょうか」
 ああ入りたくない入りたくない。
 しかし容赦なくエミュは背中を押してくる。引きずられ、無理矢理門をくぐらされた。
 そして全部分かった。
 やはりと言うべきか何と言うべきか。言うべき言葉が見つからないが、この状況が何なのかということだけはよく分かった。
 その国は廃墟だった。

 

 確かに地面には草が生えており、空気は澄み、機械があった面影はない。ここはエミュが言った通りの自然に囲まれた星だったのだろう。ただ違うことがあるとすれば、その地面がひび割れ、草木が枯れ、空気が霞んで埃が舞っていること――そして別の場所から持ち出されたのだと一目で分かるような、壊れて無造作に捨てられた機械の山が違和感を作り出していることだった。
 茶色くひび割れた地面の上に、埃にまみれ崩れた家々の部品が散乱している。遠くから見えるほど高い建物はおろか、膝以上の高さの物さえ見当たらない始末である。霞んだ空気から吹く風には埃が混じっていて目が痛かった。
 人の姿はない。家の下敷きになっているのか、それともどこかへ逃げたのか。こんな状況では判断できない。
「休憩はできそうにない、よな」
 砂埃が宙に舞い、こんな場所ではのんびりしていられないことが分かる。正直言って早く別の場所へ行きたかった。
「なん、で」
 だけど、俺の隣には放っておきたくても放っておけないエミュがいる。まるで恐ろしいものでも見るような目でこの景色を呆然と見つめていた。
 なんだか彼女が不憫に思えた。あんなに楽しそうに話していた国がこんな姿になっているなんて。俺だってエミュと同じ立場だったら悲しいし、それ以上に困惑するだろう。
 そう。なぜこの星はこんな廃墟になっているのだろう。
 辺りに散乱している機械類からして人為的なものに見えて仕方がない。誰かが国を滅ぼすなんてことがあるんだろうか。ゲームじゃあるまいし、そんなこと俺には考えられない。
「ここは、もう国じゃないの?」
 エミュはふらふらとした足取りで前へ進み、二、三歩進むとぺたんと座り込んだ。地面は乾いており、その姿は痛々しかった。
 なんだか心配になってきた。彼女は大丈夫だろうか。
 ここに人がいなくてよかったかもしれない。
「好い国だったのに。樹さんにも、見せたかったなぁ」
 エミュは泣いていた。
 かける言葉も取るべき行動も思いつかず、俺はどうしたものかとその場で立ち尽くしてしまった。
 だってどうしようもないじゃないか。今さっき会ったばかりで、事情も何も知らないような奴に慰めてもらっても何の利益もない。隣にいるのが俺だけという事実が彼女を酷く苛んでいることがはっきりと伝わってきた。
「俺、ちょっと国を見てくるよ」
 本当ならうるさいほどエミュが騒ぎ、観光だとか見学だとか言って一日中振り回されると思っていた。だけど現実は驚くくらいあっけなくて、それがなんだか妙に残念に思えた。
 エミュは座り込んだまま俯いて何も答えなかったが、俺はそれ以上何も言わずにその場を後にした。エミュを一人にするのも俺が一人になるのも心配だったが、今はそうするべきなんじゃないかと思ったのだ。それが間違いだったのかどうかは後で決めればいい。適当でいいんだ、そんなもの。
 どちらにせよ今は何かを探して気を紛らわせたかった。だから俺はふらふらと出歩き、とにかくその場から離れる努力をすることにした。

 

 なんと。驚いた。
 人がいた。
 幽霊でも幻でもない本物の人らしい。もちろん死体でもなく、ちゃんと動いて息をしていることが遠目からでも分かる。
 この荒涼とした景色の中にその人は何気なく溶け込んでいた。
 まだ距離があり埃が空中を舞っていてよく見えなかったが、その人は男の人らしく、見るからに質素そうな服装をしていた。そして手には金色に光る剣のようなものを握っている。
 危ないかな。近付くのはやめておこうかな。剣なんか持ってるしな。うん、やめようやめよう。やめておこう。
 そう決断をしてとっとと逃げ出すように来た道の方へ振り返った。
「誰だ!」
 一歩を踏み出そうとした刹那、鋭い声が飛んでくる。いとも簡単に見つかっちゃったよ。どうしようか。
「お、俺は決して怪しい者じゃないですよ」
 仕方なしに振り返り、両手を軽く上げた。こっちからすればそっちの方が怪しいんだけど、なんてことは口が裂けても言えない。
「何だお前?」
 相手は何やらおかしなことを言ってきた。何だと聞かれても、どう答えて欲しいのやら。
 そう考えていると相手は歩いてまっすぐこちらに向かい、どんどんと二人の距離が縮まっていった。相手は見た目に似合わず背が低いことが判明したりもした。薄い青色の髪は肩まで垂れており、右目が前髪に隠れていて見えなくなっている。長ズボンと袖のない服を着ていてちょっと寒そうに見えた。
「何者だお前は? ここで何をしていた? 言え!」
「え、ちょっと」
 いきなり怒られてしまった。そんな怒ることないだろ。怖いし。
 その直後。
「うわっ!」
 相手の男は手に握っていた剣を向けてきた。刃が目の前でぎらりと光り、その威圧に俺は一歩後ろに下がってしまう。
「ここで何をしていたのかと聞いている! お前は何の用事でここへ来た! ――いや、お前は青き星の者か?」
 何をそんなに必死になっているのか、相手の中に余裕の表情は見られなかった。切羽詰まった様子で俺に向かってよく分からないことを言ってくる。
 無論、俺がそれに答えられるわけもなく。
「……」
 黙っていた。こういう場合はそうするのが一番だ。余計なことを言って話をややこしくするのは避けたいし。
 しかしそんなことにはお構いなしに相手は俺に向かって話し続けていた。
「青き星の者か? 青き星の者がなぜこの国へ来た? ここで何をした? お前たちの目的は何だ! これはお前たちの、青き星の仕業なのか!」
「ちょ、ちょっと。落ち着けって」
 どうにも話を聞いていると、この男は俺が青き星という国の住人か何かだと思っているらしい。人違いだなんてそんなのごめんだ。これ以上誤解されたくなかったので相手の勘違いを止めてやることにした。
 それでもまっすぐ俺に向けられた剣が目につき、こっちの方が落ち着かない。相手に落ち着けと言っておきながらよく言うよ、と大衆なら言うだろうな、なんてことを考えつつ俺は口を開いた。
「あのさ。何を勘違いしてんのか知らないけど、俺は青き星の住人なんかじゃない……んですけど」
「ふざけるな! 赤き星にも住まず、青き星にも住まないと言うのか!」
 だからなんでそんなに怒ったように言うんだよ。ぎょっとするし怖いし、なんだか悲しいじゃんか。
 心の中でいくら文句を言おうと相手には決して聞こえない。それは分かってるし当たり前なんだけど、言えないもどかしさのようなものが同時に現れてきた。
「俺は、ついさっきこの国に辿り着いたんだよ。青き星の住人でもないしさ」
 俺がそう言うと相手はそれは本当かと聞いてきた。返事の代わりに首を縦に振るとやっと相手は警戒を解いたのか、すっと剣を下に下ろした。やれやれである。
「では、この国がこうなってしまった原因は知らないんだな?」
「俺が知ってたらそれこそ超能力者だろ」
「そうか」
 相手はそう言い、がっくりとうなだれた。
 それから相手はぼろぼろに崩れて原形が分からない瓦礫の山に向かって歩き出した。何をするのか分からなかったが、なんとなく俺は後ろからついて行ってみた。
 瓦礫の山にも埃が被さり、風が吹くとまともに目を開けていられない。そんながらくたの目の前に相手は座り込み、瓦礫の中から何かの欠片を取り出した。それを手に持ってじっと見つめる。
 何やら物思いにでもふけっているようだった。先ほどまで手に持っていた剣はひび割れた地面の上に無造作に置かれ、風に吹かれてかたかたと小さな音を立てている。俺はその後ろでぼんやりとそれらを眺めていた。
 はっきり言って空気が重かった。こういうのは大の苦手だ。俺はこんな場合どうすればいいというのか。なんだかさっきからそんなことばっかりだった。どうせならもっと笑える世界に来たかったよな。うん。
 他にすることもなかったので、俺はそこに寝転んで遥か彼方の空を見上げることにした。

 

 しばらくして気が付くと、どうやら俺はあのまま寝てしまったらしい。なんとも間抜けな話だが眠たかったのだから仕方がない。こんなことなら最初からあの背の低い兄ちゃんと話でもしてればよかった。
 あの人はまだここにいるんだろうか。
 眠っていたとは言えさほど時間は経っていないらしく、太陽は頭上でさんさんと光り輝いていた。今になって思ったけど、この常識の通じない異世界にも太陽はあるんだな。なんだかそれは変な感じがする。太陽があるのなら星や月なんかもあるのだろうか。それもまた変な感じだ。
 起き上がると背中が埃まみれになっていた。当たり前と言えば当たり前なのだが、やられたという感じである。久しぶりに大きなため息が出てきてしまった。
「よく寝られるな、こんな場所で」
 後ろから声をかけられた。振り返るとそこにはさっきの男の人がいた。
「はあ。そりゃどうも。で、なんすかそれ?」
 相手の手の中には一本の白い花が握られていた。彼の手に握られるものは、剣の次は瓦礫で瓦礫の次は花である。わけが分からない行動だ。そもそもこの国に花なんてあったんだな。逆にそっちの方がすごいと思う。
「ああ。さっきの瓦礫の下に花壇があったんだ。よく無事で咲いていられたなって思って」
 それで抜いちゃうのはどうかと思うが。
「これからちょっと知り合いの所へ行こうと思ってるんだ。ずいぶん会ってなかったからお詫びも兼ねて、な」
「ふうん」
 いきなり剣を向けられたりしたけど、この人って案外まともなんだな。それにお詫びだなんて、ちょっと格好いいかもしれない。
 でもなんでそんなことを俺に話してくれるんだろうか。
「じゃあ俺はそろそろ行くからな。何しに来たのか知らないが、今の青き星には近付かない方がいいぞ。それから最近は物騒になってるから、ガーダンにも魔物にも気を付けろよ」
 地面に置いてあった剣を拾いながら相手はゆっくりと語りかけてきた。なんだかえらく俺のこと心配してくれてるみたいだ。俺はそんなに頼りなさそうに見えるんだろうか。いや、実際そうなんだけど。悲しいことに。
 しかし、妙だな。なんだかちょっと今、おかしな言葉が混じってなかったか?
 ガーダンの次に――魔物? 何だよそれ。
 しかし湧き上がった疑問は口が裂けても言えなかった。そんなことで俺の世間知らずっぷりをアピールしたくはない。だから当然知っているかのように振舞わねばならないんだ。
「あ、そうだ」
 そのまま去って行くかのように見えた相手だったが、そう言って剣をまた地面の上に置いた。その横にそっと花も置き、風で飛ばされないように剣で重しをする。
 次に相手が手に持っていたのは一枚の紙切れだった。そこには下手な絵が描かれてある。それを俺に見せながら相手はもそもそとした口調で言ってきた。
「この紙に描かれてる奴らを見たことないか? ちなみにこの絵は俺が描いたんじゃないからな。間違ってもそう信じるなよ」
 なんだ、この人が描いたんじゃなかったのか。
 しかし言っちゃ悪いがその絵はかなり下手だった。これなら俺の方が上手く描けるような気がするほど、とんでもなく下手くそだった。さらに色までついているので見にくいし分かりにくいったらありゃしない。
 よし。ここは正直に言うべきだ。
「絵が汚すぎて分かりませんよお兄さん。もうちょい上手く描くことをおすすめするぜ」
 あ、いつもの調子でふざけて言ってしまった。この人に冗談とか通じるんだろうか。
「やっぱりそうか」
 はい? やっぱり、って?
「そうだとは思っていた。これだからやなんだよ、あいつの絵は」
 やなんだよってあんた。これにはどう反応するべきか。
「嫌なら描き直してもらえばいいじゃん。それか自分で描くか」
 とりあえず可哀想だったので俺はアドバイスをしてあげた。その価値があったかどうかはもう知らないふりをしておく。
「まあそうするのが妥当だよな。でもこの絵を描いた奴、あまりにも必死だったって言うか、なんて言うか」
 ああ、なんだ。そういうことだったのか。
 俺はやっとこの人の本当の姿が見えた気がした。
「お兄さんさあ、人からお人好しって言われたことあるだろ」
 そう。この人は俺と同じようにお人好しな性格だったのだ。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system