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22

 誰が原因だとか誰の責任だとか、そういうことは考えないようにした。
 それが分かっていても分かっていないにしても、きっと何も変わらないだろうから。
 俺が無駄に苦労するということはどうやら避けては通れない道らしい。

 

 夜の帳が下り、空が暗闇に染められた頃、今までのんきに寝ていたのであろうグレンが起きてきた。
 俺はその時小屋の個室でぼんやりと窓の外を眺め、地球と変わらない星空を眺めていた。おまけに雲のない空には月も出ており、その光景がまったく地球と変わらなかったので逆に拍子抜けしてしまっていた。俺の目に映るものは異世界のように思えない。地球のどこか遠い場所に旅行にでも来たような気分だった。
 そんなことを考えていた時である、グレンがいきなり部屋の中へ堂々と入ってきたのは。
 勢い良くドアが開かれ、俺はこの上なくびびってしまった。心臓が止まるかと思った。だってあいつめ、何の音もなしに入ってきたんだもんよ。びびるなという方が無理な話だ。
「な、なんだよ」
 グレンはずかずかと目の前まで歩いて詰め寄り、ちょうど俺の真正面に立つと止まった。そしてうやうやしく口を開く。
「ここはどこだ」
「は?」
 いきなり問われ、その内容を理解するのに俺は少しの時間を必要とすることになった。

 

 どうやらあのお調子者はただ単に眠くて眠っていたのではないらしい。彼の話によるとここへ来る道中に魔物に襲われて、そいつらを追い払ったせいで蓄積した疲労により倒れたらしいのだ。それを見かねたクミとルクがこの小屋へグレンを連れてきて、そのまま今まで目覚めずにいたという話だった。
 しかし彼の事情など俺にとってはどうでもよかった。それより大切なのは、彼らの言う魔物という存在のことだ。
「何なんだ? その魔物っていうのは」
 なんだか馬鹿にされそうな気がしたが、ここで聞いておかなければ近い未来に後悔しそうだったのでとりあえずグレンに訊ねてみた。だけど知ってんのかなこのお調子者は。何しろガーダンの件では微妙に話が違ってたし、俺は思いっ切り聞く相手を間違えているのかもしれない。
「さあ? 何だろうな、あの変な奴らは」
 知らなくても不思議じゃないかなと思っていた矢先、グレンは予想通りの答えを言ってくれた。
「やっぱり知らないのか」
「やっぱり?」
「いやいやこっちの話」
「なんだそりゃ」
 駄目じゃん。これじゃあ何の進歩もない。このお調子者、実はとんでもない田舎者なんじゃねえのか?
 諦めかけたその頃、ある閃きが頭の中に生じた。
 そうだエナさんに聞いてみよう。あの人は何でも知っていそうだし、グレンや藍色の髪の子供と違ってちゃんと教えてくれそうだ。俺に意地悪をしてくるなんてことはないだろう。
 エナさんは石なので俺の上着のポケットに入っている。ごそごそとそこから取り出し、ぼろい机の上に置くとエナさんはすっかり背景に溶け込んでしまいそうだった。言っちゃ悪いが本当にそう見えたんだ。
 その時にはこのぼろの小屋もなかなかいい物のように思えてきた。

 

 さて。まずは何から聞こうか。エナさんを前にしてから考えるべきことではないような気がしたが、何しろ俺には聞くべきことがたくさんあるのだ。そしてそれを処理する必要性もあるが、最も重大なのはどう聞けば混乱せずに済むかということなのである。
 しかしそんなことばかり考えてても仕方ないので、隣で首を傾げているグレンを無視して聞いてみることにした。
「なあエナさん。魔物って何なんだ?」
 正直それが一番気になっていた。それというのも俺の生死に関わってくる問題だからである。だって魔物だぜ魔物。そんなあからさまなRPG上の奴らがいたら全然嬉しくねぇじゃんかよ。
 だってRPGで言う魔物なんかが現実に居てみろよ。それこそ非常識だし非平凡だ。楽しいのかもしれない旅も楽しくなくなるし、いつ襲われるか分からないから常にびくびくしたりして、いいことなんて一つも思い付かない。
 だから俺は、この世界の人が言う魔物と俺の考えている魔物がまったくの別のものであることを切に願う。それこそ冗談抜きで。
 しかしそれに対するエナさんの答えはあまりにも残酷であり。
『残念ですがイツキ、この世界にいる魔物とはあなたの考えている魔物と同じなのです』
 かくして俺の希望は一瞬にして消え去ったのであった。
「はは……やっぱそうだったんですかい」
 もう笑うしかない。
『この世界に魔物が現れた理由、それはまだ分かっていません。ある説では世界が閉ざされたせいだと言われていますが、真相は定かではありません。ただ一つ言えることは、魔物は何らかの流れがおかしくなって生まれたものであり、もともとはどの世界にも存在しなかったものだということです』
 存在しなかっただなんて、どうせなら俺が来た時にも存在しなかったらよかったのになぁ。こんなことだけは妙にタイミングのいいことだ。
「へぇ。そんな奴らがいるんだな」
 横から口を挟んできたのはグレンで、その手には何やら怪しげな紙切れを持っている。
「何だそれ」
 とりあえず俺は素直になってみた。グレンは俺の言いたいことが分かったのか、手に持っている紙を渡してくれた。
 見てみるとその紙には絵が描かれていた。それもかなり下手な。
 なんだか前にもこんな絵を見たような。
「なんかよぉ、エミュって人が捜してんだとよ。その紙に描かれてる人をな」
「おいおい」
 冗談じゃないのか? この汚い絵といい人を捜していることといい、あのお人好しさんとまったく同じじゃないか。
 よくは覚えてなかったけど、あのお人好しが見せてきた絵と今グレンに手渡された絵はよく似ていた――気がする。両方とも何を描いてるか分からないほどの下手さで、色までついていて見るのも苦しい。よくもまあこんな絵で人捜しをしようとしたもんだ。
 あまり下手さをアピールするのもどうかと思うので、絵の批判はこれくらいにしておこう。さすがにこれ以上言うと描いた人に何を言われるか分からないしな。
「で、何の話してたっけ」
 余計なことを考えていたら忘れてしまったらしい。これはあくまでも度忘れの類なのだが、時にそれが大きな傷跡を作ろうとするから恐ろしい。
「魔物だろ」
「そうだった。じゃあ、次の質問だけど」
 くるりと振り返り机の上を見る。そこにはすっかり背景に溶け込んだ石のエナさんが――
「いない?」
 いなかった。
 は? おい、なんでだよ。まさか風で飛ばされたなんてことはあるまい。
 確かめるように窓を見てみたが、なんと窓が開いているではないか。しかし俺は開けた覚えがないぞ。そりゃ空を見たりはしてたけど、あれだって窓越しの天体観測だったじゃないか。
「まさか、グレンが開けたとか?」
「は? 何を?」
「いや」
 質問してから気付いたが、グレンが窓を開けられるはずがなかった。なぜなら彼はずっと俺の目の前にいたんだ。だけどそうだとしたら一体誰が。
「ハハハハハ!」
 突然、まるで嵐のような声が狭苦しい部屋の中に響き渡った。
 無駄に聞き覚えのあるうるさい声は、忘れたくても忘れられないものであり。
「その声は、ヨスだな!」
 俺より先にグレンが声を上げていた。両目をすっと鋭くし、だけど幾らか余裕のある表情で空中を睨み付ける。
「おいこらてめえ、俺さまを呼び付けにすなっ!」
 そんな微妙な台詞と共に現れたのは案の定と言うべきか、全身オレンジ色に包まれたヨスという名の青年だった。やはり前に見た時と同じ格好をしており、コートとマントを一緒に着ているいかにも暑そうな姿をしている。その色といい季節感のなさといい、彼は変だとは思わないのだろうか。
 今度は一体何をしに来たんだろう。正直言って相手にしたくなかったが、さすがにそういうわけにもいかないので無視はしないことにした。
「で? 何の用だよ。今お前に構ってる暇はないんだけど」
「おっ樹、お前もついに戦う気になったか?」
「馬鹿言え。戦うのはお前だよグレン」
「なんだよそれ!」
「こら! 俺さまを無視すんじゃねーっつの!」
 ヨスは一人で騒いでいた。本当に相手にしたくないんだけどなあ。それより俺は消え去ったエナさんを探さなきゃならないんだ。
「俺さまが何の用事もなしに、こんな廃れた国に来るはずがないだろ!」
 廃れた国――ああ、この赤き星のことか。もしかしてヨスは青き星って所の人間なのかな?
「じゃあなんで来たんだよ。来たくなかったんだろ?」
「よぉくぞ聞いてくれました! 実は!」
 そこでぴたりと止まり、なかなか先に進もうとしなかった。もったいぶるな。頼むから早くしてくれよ。
「これを見よ!」
 やっとのことで口を開いたヨスは手をばっと上に持ち上げた。その手の中には何か小さな瓶が握られているようだ。薬でも入ってるんだろうか。
「市販の傷薬だな」
 俺の隣でグレンがぼそりと呟く。しかしそれが一体どうしたというのだろう。
「あ、間違えた」
 ヨスは手を下ろして薬瓶をポケットに突っ込み、そのまま中をごそごそとあさり出した。あんなこと言っておきながら間違えただなんて、なんかすっごい間抜けだな。
「これだこれだ、これを見よ!」
 また勢いよく手を上げ、うるさい声を出すオレンジのヨス。その手にはどこか見覚えのある物が握られていて――
「エナさん!」
 ヨスの手の中に見える物、それは他でもないエナさんだった。ということはエナさんがいなくなったのは、風に飛ばされたとかそんなおかしな理由じゃなかったんだな。なんとなく俺はほっとしてしまう。
「ハハハハハ! エナはいただいたぜぃ!」
 得意そうに笑うヨスは明らかに悪役というものだったが、緊張感がないせいか悪い奴のようには見えなかった。
「返せよ!」
「返すわけねえだろ!」
 飛んでくる言葉は分かり切っていたが、とりあえず何かを言っておかなければならない気がしたんだ。
「グレン、エナさんを取り返してくれないか?」
「よく分かんねえけどさ、あの石が前にお前が話してたエナって人で、あのヨスとかいう奴に奪われたら駄目なんだな?」
 頼んでみると予想外の反応を与えられてしまった。なんでこいつは今の状況を説明してるんだ。グレンは一人で喋って一人で納得し、手に持っていた下手な絵の描かれた紙を机の上に置いた。そうして腰に吊っていた剣の鞘を握り締める。
 いや、なぜ鞘。
「グレン、剣なら俺のを貸してやるけど」
「いいからいいから。お前はそこで見てなよ」
「はあ」
 口出しする資格は俺にはなくて、だから俺は大人しく引き下がることにした。でも鞘で何をしようというんだ。なんだか知らないが自信過剰なんだなこいつは。
「だぁい! こらぁ! 俺さまを無視すんなと言っただろうが!」
 自信過剰といえば、俺たちの前にいるあいつも同類だった。自分に様なんてつけてらっしゃるし。ついでにあの外人もえらく自信過剰だったな。どうしてこう俺の周りにはそういう奴ばかりが集まるのだろう。そんなんじゃあ俺、自信なくしちゃうだろ。
「お前さ、この前俺にぼろくそにやられたことをもう忘れたのか?」
 鞘を両手で握り締め、グレンはオレンジのヨスにゆっくりと語りかけた。もし手に握っているものが鞘じゃなくて剣だったらかなり様になってたのになあ。
 俺はグレンに見てろと言われたので、その通りにする為に彼の後ろに引っ込んでおいた。人にやらせておいてこう言うのもどうかと思うけど、とばっちりを食らうのだけはごめんである。
「ふふふ、俺さまを以前の俺さまとは思わぬ方がいいぞよ。言ったろ、修行してやるとな」
 ヨスはどこかで聞いたことのあるような台詞を言っていた。それに加えて喋り方がさらにおかしくなっている。やっぱり変だと思わねえのかよ。
「ほう、修行ねぇ。一体どんなことをしたのやら」
 相手を舐め切っているのか、グレンはヨスを挑発していた。
 しかし唐突にグレンは鞘を大きく振った。ヨス目がけて振られたそれはコート越しにヨスの手を叩く。相手は油断していたのか、そこからぽろりと石ころであるエナさんが床に落ちた。それを見逃さずグレンはエナさんを拾い上げ、こっちに向かって投げてくる。
「わ、っと」
 まっすぐ投げられたエナさんをなんとかキャッチしたが、その反動で前のめりに倒れてしまった。しかし奴から取り返したことには変わりない。
 戦闘画面終了。相変わらず早い展開だった。やはりあのヨスって奴は弱いんじゃないだろうか。もしかしたら俺でも勝てるかもしれない――というのは言いすぎだろうか。
「ふん、何が修行だよ。前と変わってねえじゃねえか!」
 何を考えているのか、グレンはまだ相手を挑発していた。そんな意味のないことをして、何かが起こっても俺はもう知らないぞ。
「うう、畜生! 俺さまが誰なのかも知らないくせに!」
 対するヨスは涙目になっている。誰かって言われても、ヨスはヨスだろ。それ以外に何がある。
 ちょうどそんな時、俺の後ろにある扉が音を立てながら開かれた。はっとした皆の視線が一斉にそこへ集中する。そんな緊張の中から現れたのは、ぽかんとした顔のエミュだった。
「あらら? 皆さんこんな時間に何をやっているんですか?」
 この場に不似合いなのほほんとした台詞が部屋の中を支配する。エミュこそこんな時間に何をしに来たのだろうか。
「おうあんた、エミュとかいったな。俺はグレン。それはいいんだが、聞いてくれ。あのヨスとかいう奴がこの家の中に侵入してきたんだ。不法侵入だぞ不法侵入。さっそく警察に連絡せねば!」
 いきなり何を言い出すのかと思えば、グレンはなんだかえらく平凡なことを言っていた。異世界にも不法侵入だとか警察なんてものはあるんだな。これじゃ本当に俺の世界とそっくりだ。
「ヨスとかいう奴?」
「ほら、あのオレンジの」
 エミュに分かるように俺は指で示してやる。ヨスは何がそんなにショックだったのか、床に座り込んで静まり返っていた。
 その姿を見たエミュはさらに呆然としていた。そんな様子を眺めつつ、俺はふとエナさんのことを思い出す。
「エナさん、無事か?」
『私は大丈夫です。でも、彼らの話も聞いてあげてください』
「彼らって――あの、ヨスのことか?」
『はい』
 そう言われてもなあ。あいつはあからさまにエナさんのことを狙ってたし、以前はあの貝のエフを取られたら困るとか言ってたし。そりゃ何か理由があるのかもしれないけど、俺たちにとっては敵のようにしか見えないんだよな。
「ヨスって、もしかしてあのヨスさん?」
「へ?」
 横から聞こえてきたエミュの声に思わず反応してしまう。
「知ってんのか? エミュ」
「え? 多分――ですけど」
 多分だなんて。なんて曖昧なと思ったが、それよりも知っているということに対する驚きの方が強かった。
「なぬ? 俺さまを知っているのかっ!」
 急に元気になったヨスは飛び起きていた。いきなり大声を出すのやめてくれないかな、繊細な俺の心はそういうことに対する免疫が少ないんだよ。しかし立ち直り早いなあいつ。
「ん?」
 そうかと思えば疑問の声を上げたオレンジのヨス。立ったままエミュの姿をまじまじと見つめている。やはり彼はエミュのことを知っているんだろうか。
 ヨスはすたすたとエミュに歩み寄り、目の前で止まった。こうして見てみるとやはりエミュは背が低い。ヨスは少しだけしゃがみ、エミュと目線を合わせるとおもむろに口を開いた。
「お前、名前は?」
「え、エミュです」
 おろおろと答えたエミュの声を聞き、ヨスはぴんと背中を伸ばして立った。そうして何をするのかと思えば、いきなりエミュの片腕をがっちりと掴む。
 彼は声を張り上げ悪役の面に戻って叫んだ。
「ハハハハハ! エミュはいただいたぜぃ!」
 ヨスの行動にはもう意味不明な点ばかりしか見られなかった。

 

 

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