24
「…………」
無言。
「…………」
俺も無言。
何かが出てきたからとか気まずいからとか、そういう理由ではない。
ではなぜか。それはたった一つの単純な理由からである。
ずばり。奴が――俺の隣で座り込んでいる奴が何も話そうとしないからである。
思いもしなかった外人との再会からすでに十分ほど過ぎていた。
外人は妙に無口だった。いつもなら何かと俺に文句を言ってきそうなのに今は奇妙で気味が悪いほどに口数が少ない。おかげで再会できたのはいいものの、何を聞いても答えてくれなかったので何も分からないままであった。これじゃあ何の意味もない。
しかしそうは言えどもこいつがこのトンネル内にいてくれたのは非常に助かった。これで魔物やらガーダンやらが出てきても大丈夫ってわけだ。その点では再会できてよかった。
とは言えこう無言状態を維持されてはなんか調子が狂う。
よし。何か話をしてみよう。
「なあ、なんでこんな場所にいたんだ? あ、もしかして俺を待ってたとか?」
こいつに限ってそんなことはないと思っていたが口が勝手に動いた。
相手の反応は、
「…………」
無言。である。
…………。
はっ、いかんいかん。会話が止まるところだった。続けねば。
「な、なあ。俺さ、聖水って物初めて見たんだよなぁ。お前見たことあんのか?」
いや、こいつら異世界の住民にとっては聖水なんて物は当たり前の至極当然な日常の必需品なのかもしれない。しかし適当な話題が思いつかないんだよ。
それに対する外人の答えは、
「…………」
やはり無言であった。
もう! なんなんだよこいつ! これじゃ一人で喋って馬鹿みたいじゃねーかよ!
「おい、何でもいいから何か言ってくれよ」
これじゃあ駄目だもう。間がもたない。俺はこんなに話しにくいのは苦手だ。どーにかしてくれ。
これに対する答えも無言かと思った。
いや実際にそうだったのだけど、今までと変わったところが一つだけあった。
相手はばしりと俺の頬をひっぱたいてきた。音のないトンネル内に鈍い音が響き渡る。
「なっ、何すんだ」
いきなりの行動だったので怒りよりも驚きの方が強かった。ばっと立ち上がりはたかれた頬を手で押さえる。あまり痛みは感じない。
外人は座ったまま黒い布で隠れた目でこちらを見上げながら一言だけ言った。
「うるさい黙ってろ」
それもかなり嫌そうに。
かくして俺の無駄な努力はただの一言になすすべもなく敗れ、相手は相手で腕の中に頭を沈ませてしまったのであった。
なんでこんなに不機嫌なんだこいつは。
仕方がないのでまた座り込んだ。何だか知らないが外人は横でうずくまっている。不機嫌なのはただ単に疲れてるからなのだろーか。
しかし俺はこんな場所でのんきに休憩している場合ではないのだ。早く行かねば。勇者っぽく。
よし。行くべよ。腹に力入れろ。
「やいリヴァ! 何をしたいんだか知らねーけどこんな場所で何十分もいるわけにはいかねーだろ! 行くぞ行くぞ! 来いや!」
二回目だがばっと立ち上がる。そしてそのまま外人の腕を掴み、ぐいと引っ張ってやった。こうでもしないと立たないようだから仕方ないだろ。
意外と外人はあっさり立ち上がった。布を被っていて表情は分からないが、なんだかぽかんとしているように見えなくもない。
「何だよ。何か言えよ」
やはり間がもたない。このまま進んでもよかったがとりあえずもう一度聞いてみた。
「――かいつき」
「は? 何言って」
「馬鹿樹!」
なんですと。
やっとまともに喋ってくれたと思ったらこれである。いくらなんでもそれはないだろお前。
「なんで急に――って誰が馬鹿だ、誰が!」
「お前だお前! 川崎樹十五歳の馬鹿高校生だよ! 必死に勉強しなきゃ普通の成績とれないわ運動音痴で物覚えも悪いわで情けないそこのお前だよ! なんで黙ってたかも知らないで、よくもまあそんな口がきけるね、まったく! なぜだか分かる? いいやどうせ分かってないだろうね。仕方がないから説明してやるよ。ここに限らずこういう暗い人気のない場所っていうのは危ないんだよ。ガーダンならまだいい。けどあの無駄に図体がでかくて邪魔でくだらない魔物なんかに出てこられてみろ! 考えただけで苛々する! だからできるだけ静かにしてたのに……あーもう! 君のせいで台無しだ! 何だって? ここを抜ける? だったら行こうじゃないかほら、こんな一本道さっさと抜けてやらぁ! とっととついてこい! ぐずぐずするな!!」
いきなりの長演説。その後にはさっきとは逆にこっちの腕を掴まれた。そのまま引きずられるように引っ張られる。
「いててて、ちょっと待てって!」
「うっさい黙れ!」
どうやら相当頭にきているらしくもう何を言っても無駄そうだった。引っ張られる勢いは増すばかりである。
でもやっと間の悪さもなくなったので心底ほっとしていた。ポケットの中のエナさんと貝が落ちないように気を配りながら外人に引っ張られて奥へと進んでいった。
トンネルは意外に長くなかなか出口が見えてこなかった。しかしずっと一本道だったため、道に迷うようなことは一切なかった。
そんな道を外人の後ろからついていっている時のこと。
それは突然起こった。
気がつけば目の前には巨大な何かがいた。
何なのかはっきりとは分からないが、俺が今まで見たことのあるものじゃないのは言うまでもなかった。天井まで届きそうな高さに、幅いっぱいに広がっている大きさ。そんなでかでかとしたツタのような茎のような化け物が目の前にいたのである。
これが魔物ってやつか。なるほど確かにでかいな。これじゃあ避けて通るのは無理だな。
俺はさして驚かなかった。前々から魔物の存在を知らされていたわけだしもう非常識なことにも慣れてしまったせいでもあるだろうが、一番の理由はやはりリヴァがいるからなのだろう。この外人は口うるさいし文句ばっかり言ってくる奴だがそれでもよく分からんが強そうなのだ。きっと魔物なんて一撃必殺だよな。
「よし」
すうっと息を吸い込み、声を出す準備をする。別にそこまでしなくてもいいのだが。
一歩、二歩と後ろに下がり、俺は前にいる魔物から目を離さずに言った。
「いけ、リヴァ」
すっと人差し指を魔物に向けながら。
しかし応答はなかった。
「は?」
何だって? また無言さんになっちまったのか? なんでまたこんな時に。
不思議に思い振り返ってみると、そこにはなんと逃走している外人の姿が見えた。
ってあの野郎何考えてんだ?
慌ててリヴァの後を追い、気合いでなんとか追いついた。そして外人を両手を広げて止め、奴の体を百八十度回転させた。
「何やってんだよ! 引き返したら意味ないじゃんかよ!」
「な……っ、き、君ぼくの話聞いてた?」
外人は柄にもなく不安そうな声を出した。やはり布を被っているので表情は分からないが。
「あんなの相手してらんないじゃないの!」
「は、はあ?」
普段よりやや小さめの声で囁(ささや)くというよりは呟くように言ってきた。なんだこいつ。やけに自信なさげだな。いつもは無駄に自信過剰なのに。
あ、もしかして。
「もしかして魔物が怖いとか?」
「そっ、そんなこと!」
そう言われてもそう考えてしまうほど普段と様子が違っていた。どこか落ちつかない様子で常に周りを気にしてきょろきょろとしている。明らかに変だ。
「まあ、頑張れよ」
そう言い、ぽんと肩に手を置く。頑張って魔物を倒してくれ。お前だけが頼りなんだからな。
俺はさっと外人の後ろに隠れて背中を押してやった。外人は一瞬よろめき転びそうになるがそれをおさえていた。
「――てよ」
「え? 何――」
あまりにも小さい声なので何を言ったのか聞き取れなかった。じっと耳を澄ましているともう一度だけ声が聞こえてきた。
「やめてよ……」
小さいがはっきりと。
「お前やっぱ、怖いんじゃ」
これはだんだん怪しくなってきたぞ。
「わ、悪いかよ! あんなの、あんなの怖くない方がおかしいだろ!」
「いや開き直るなよ。そんなこと言う暇があるならいっちょ倒してくれや、あいつ」
「無理」
ああやっぱりね。そうくると思ったよ。
しかしそんなことを言われたら非常に困る。頼りにしてたのにそれじゃあ全然駄目じゃんか。
「そう言うけどお前さ。この道は一本道だからあれを倒さないと向こうに進めねーんだよ。分かる?」
「馬鹿にしてんの? 分かってるさそれくらい」
「だったらどうにか」
「無理」
「すぐに諦めたりしないでさ」
「絶対無理」
「おい」
「逃げよう」
「そんなこと――っておい!」
俺が止める隙もなく。外人は俺の隣をすり抜け、一目散に逃げ出した。俺は慌てて後を追おうとする。
が、気づかなかったが背後にはさっきの魔物が近寄ってきており走りだそうとした瞬間に攻撃を開始したらしい。俺に向かってツタだか茎だかを放ち、それで叩かれそうになる。
こんなところで負けるもんかよ!
と意気込むのは個人の勝手で。実際は俺は何もできないわけで。
やっぱ逃走だ逃走! 俺もリヴァに賛成!
そして駆け出したはいいがすぐに止まることになってしまった。
なぜか。それは前方からなぜか外人が戻ってきたからである。
「って、なんで戻ってきたんだお前」
少々驚きを隠せなかったが戻ってきてくれたのはありがたい。さては腹くくったか?
外人は俺の前まで来ると躓いて転びそうになった。そこを魔物のツタが狙い、当たりそうになる。
「げっ! おっ、おいっ!」
そのままだと本当に当たりそうだったので頭を思いっきり押して反対側へ倒してやった。しかしその反動で俺も後ろ向きに倒れた。
今ので魔物の攻撃はなんとか免れた。まったくひやひやする。
「何ぼけっとしてんだリヴァ! 危ねえだろうが!」
地面に手をつき、さっと体を起こす。こんな時だけは素早く動けるものだ。自分でもちょっとだけ驚く。
しかし今はそんなことを考えている場合ではないのだ。見ると外人はまだ転んだまま起き上がっていなかった。何やってんだよ。
「ほら、さっさと起きて」
外人の腕を掴みそのまま上に引き上げて立たせてやる。本当ならしっかりしなきゃならないのはこいつだというのに立場が逆転している気がする。しっかりしてくれよな。
俺は外人の腕を掴んだまま魔物がいる反対側、つまり元来た道へ向かって走りだした。前へ進まなきゃならないのは分かってる。けど仕方ないだろ。俺にはどうにもできないのだから。おまけにリヴァは腰抜けだし。
「ちょ、待ってよ樹」
「ああん!? なんだよ!」
走りだしてすぐに外人は話しかけてきた。別に怒っているわけではなかったが苛ついているように答えてしまった。
外人はそれに対しては何も触れず、自分の言いたいことだけを言ってきた。
「あの、さ。そっちにも魔物いるんだけど」
ぴたりと急ブレーキ。
「何ですと?」
「だから、……あ」
その言葉と同時に背後と前方から嫌な気配がした。
前を見据えるとそこにはさっき見たのと同じ魔物の姿。
後ろにも前にも魔物がいる。そう、挟まれてしまったのだ。
これじゃあ逃げられないじゃないか。なら戦うしかないけど今の俺が勝てるはずない。
「どうしよう、樹」
隣から消えそうなほど小さくなった声が聞こえる。もう俺にはこいつを責めることはできなかった。そんな怒りの感情よりも沸き上がってくるのは多くの恐怖。
そんなに走ってもいないのに息が荒れ、体中から汗があふれだす。これが冷や汗というものなのだろうか。心臓の鼓動が耳を塞いでも聞こえそうなほど鳴り響いている。そして足が震え、手が震えた。
魔物はゆっくりだが確実にこちらに近づいてくる。その距離はまだ開いているとはいえすぐに追いつかれるほどしかない。
もう声も出なかった。どうしていいか分からなくて頭が痛くなってきた。どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。このままじゃあ駄目だ。このままじゃ、このままじゃ確実に。
『おいっ! てめえら何やってんだよ! 黙って見てりゃあ馬鹿みたいに恐がりやがって! そんなんで世界開く気かよ!』
恐怖と混乱とで支配されていた頭の中に無駄にうるさい声が響いてきた。
この声――あの貝、エフ?
確かアドバイスがどうだとか特別な魔法がこうだとか言っていた。
『お前らあんな雑魚にてこずってるようじゃあ一生世界なんか開けねーぞ。そんなんじゃあやるだけ無駄だ無駄。他の奴に任せてお前らはどっかでそいつの無事を祈るでも何でもしてりゃあいいさ!』
『そんなにイツキを責めないで。仕方ないじゃない、エフ。彼らは彼らなんだから』
『エナは甘やかしすぎ! あいつらなめてんだよ。世界を開くということを。そんなんじゃ駄目だってお前だって分かってるだろ!』
エナさんの声も聞こえた。
エナさん。俺が誓ったひと。俺が世界を開くと誓ったひと。
この人のためにじゃない。この人のためだけに世界を開くんじゃないのだ。
貝の、エフの言うとおり俺はなめてかかっていたのかもしれない。そんなに大したことと見ないでただ早く帰りたいから頑張るというように。
駄目だろ。
駄目だろ自分。
俺は、俺は。
俺は『勇者』になるんじゃなかったのか!
「エフ!」
気がつけば俺は叫んでいた。ただ前を見て、魔物のおぞましい姿を見つめながら。
しかしその瞳にもはや恐怖はない。
「お前のアドバイスとやら、聞こうじゃないか!」
リヴァを後ろにかばうように押しやり、ざっと一歩踏み出す。そしてゆっくりとまだ触り心地に慣れない剣を抜く。
『イツキ、あなたは』
『黙ってろエナ! よーし、やっとやる気になったんだな! いいともさ、オレがスペシャルなアドバイスをしてやろーうではないかぁ! よぉく聞いとれよ!』
いつもならうるさくてしかたがない貝も外人も、今はいてくれるだけで心強い。たとえそれが本当にただその場にいるだけにしろ。
俺は人に頼りすぎてたんだろうか。
いつかの藍色の髪の少年の言葉を思い出した。人に頼りすぎだと。
あいつはこのことを言っていたんだろうか。
俺には分からないことだらけだったけど、今やるべきことくらいは分かっているつもりだ。
「いつでも来いや!」
覚悟はできていた。不安が全て吹き飛んでいったと言えば嘘になるが、今は嘘をついてでも自分を前へ押しやらなければならない。だから俺は目の前の怪物に向かってそう声をかけたのだ。