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25 

 光のあまり入らない薄暗いトンネルの中、俺は両手に長い剣を持って魔物と睨み合っている。ポケットの中には口うるさい貝と物知りで頼りになりそうな石のエナさんがいる。そしてちょうど俺の後ろには何とも不安そうで見ていられない外人がいた。その外人の後ろにはもう一体魔物がいる。
 俺はもう腹を決めた。もう人に頼ったりしない。いや、頼れる人がいないというわけでもあるがたとえ誰かそんな人がいたとしても頼りはしないだろう。もちろんそれは今の気持ちが続いていくならの話だが。
 そりゃあ怖くないわけではない。できれば避けて通りたい。でもそうできないから目の前の壁を倒していかなければならないんだ。そうでなかったら誰がこんなことするか。俺はごく平凡な生活を送る一般の高校生なんだからな。本来なら今も勉強して高校行ってごみ捨てしてと、現代社会で生きているはずなんだ。
 でもこうなってしまったことは仕方ない。もう責任をなすりつけるのはやめることにする。そうしたってなんにも変わんないもんな。うん。あまり考えすぎると虚しくなるし。
 さて、覚悟も決まったところでこの状況をどう切り抜けるか。
「エフ、まず何をすればいい?」
『まずはそのへなちょこで全然なってない構えをどうにかするべし。はい、足もっと開いて!』
「えっ、えっ? こう?」
 貝に言われたとおりに足を開いてみた。しかしへなちょことか言われちまったよ。
『まあそんな感じかね。いーんじゃない?』
 本当かよ? なんか怪しい。でも口出しはしないでおく。
「それで?」
『よし、次はだな』
「ちょっと!」
 エフの次の言葉を待っているとそんな言葉が背後から聞こえた。それは言うまでもなくあの魔物が怖い腰抜けの外人の声であった。
「なんだよ。今忙しいんだよ。後にしろよ」
 お前は黙っておとなしくしてろ。そうも言ってやりたかった。
 しかし外人は反発でもするかのように声を張り上げて言ってきた。
「そんなのんきに作戦会議なんかしないでよ! 早くなんとかしろよ! お願いだから」
「わ、分かったから落ちつけよ」
 思ったより大きな声を出してきたので少し焦ってしまった。相当怖いんだなこいつ。俺は結構平気なんだけどなぁ。なんでだろ。
『まあそこの呪文使いの兄ちゃんの言うことも一理あるな。さっさとのしちまおうぜ樹!』
「簡単に言ってくれるけどなあ」
 そう何事も簡単に終わってしまえばゲームだろうと何だろうと楽しくなくなっちまう。俺の苦労も知らないでさ。
 そんなことを考えながらも手に握っている剣の重みは伝わってくる。これが現実。うまくいくかどうか分からないから俺は生きている。
「やったろーじゃん。よし、来るなら来いや!」
 腹の底から声を絞りだして気合いを入れる。何をするにもまずは気合いが必要なのだ。
『その意気だ樹ぃ! よっしゃ、突進していけ!』
「よしきた! ……って、ええ!?」
 何ですとぉ!?
『なんだまだ気合いが足りないのか?』
 いやでも、大丈夫なのか? 本当に。
 ええい、悩んでても仕方ない!
 覚悟を決めろ川崎樹!
 軽く声にならない叫びをあげて思い切って体を前に倒した。そしてその勢いのまま地面を蹴って走りだす。
『的に近づいたら適当に剣振っとけ!』
 傍らから聞こえる貝の声に口ではなく首を振って返事をする。前方にはすでに魔物の図体が近づいている。
 魔物にぶつかりそうなところまで走り、そこで急ブレーキをかける。その反動でよろめきそうになるのをおさえ、右腕を思いっきり横にまっすぐ後ろに振り、次の攻撃に衝撃を与えようとする。その時に足を開くことを忘れてはならない。
 そして力を込めて右の剣を魔物に振った。

 

 はたして俺の振るった刃は魔物のツタだか茎だか分からない体に当たった――ように思えた。
 なぜ『思えた』なのか。それは簡単である。実際は当たらなかったからだ。
 ここまできて空振りかよと思ったがそれは違っていた。俺が攻撃を外したのではない。相手、つまり魔物が後ろへ引いたからだ。
 もちろんなぜ魔物がそうしたのかははっきりとは分からない。でもきっと俺の攻撃を避けるためだろう。魔物だって馬鹿じゃないってことか。上等だ。
『おいこら!』
 次の一歩を踏み出そうと構えていたとき近くから聞こえてきた声がこれである。そのせいでびびり、おかげでこけそうになってしまった。
「何ですかい」
『剣の使い方がなってなぁい! それじゃあ二本使う意味ないだろ! ばーか!』
 ばーかは余計だ!
「そんなこと言ってる暇ないだろ!」
 いくら覚悟を決めて人に頼ることをやめたとは言え、ここでまともに戦えるのは俺一人なのだ。そうのんきに貝の相手ばかりはしていられない。
 貝は無視してもう一度魔物に攻撃するため体勢を立て直す。自然とこの魔物は怖くなかった。魔物といってもツタだか茎だか分からない物の塊なのだ。いくらか恐ろしさに欠けている。そりゃ最初は怖かった。でも今はもう慣れた。慣れって怖い。
「さあ、もう一回!」
 いくらかわされようが何度でも立ち向かっていけばいいだけ。そういう点では妙にRPGっぽいな。
 そんなことを考えつつも俺の足はまっすぐ魔物へ向かう。両の手の刃物を握りしめる姿はどこかの敵役のようにも見えなくはない。そして俺ははたとあることに気づいた。
 俺が近寄ると当然のように魔物は攻撃をしかけてくると思っていたがなぜかそうしてこない。そればかりかよく見れば逃げ腰に見えたり見えなかったりと。
 明らかに様子がおかしい。なんだこれ。誰か何かしたのか?
 とりあえずその場で足を止めてみる。そうすると魔物の後退もぴたりと止まり、だるまさんが転んだでもしている気分になる。しかしなんだか俺が魔物を追い詰めているようで悪い気はしない。
 確かめるように一歩前へ踏み出してみる。
 それに合わせて後退する魔物。
「……貝、解説頼む」
『ふむ。スペシャルだな』
「は?」
 一体どんな理由かと思いきやどんな解説だよ。それじゃあ分かるものも分からない。
『だから。オレのスペシャルな魔法で作ってやったではないか』
「何を?」
『忘れたのかよ! 聖水だ聖水!』
「せい、すい?」
 って、あのトンネルに入る前に渡してきた聖水!?
 あれ魔法だったのかよ! そっちの方がびっくり仰天だっての。
「え、じゃあその聖水の効果で魔物が近寄れないってことか?」
『そのとーり。大正解!』
 はららら。なんか拍子抜けだこれ。
 せっかく覚悟も決めて今から倒すぞと意気込んでたのに。
 人に頼らないって決めたのに。
 魔物が怖くないって思ったりしたのに。
 ああなんと虚しいことか。俺、川崎樹はなんと悲しい人間なんだろう。もう泣くぞ。
 ショックのあまり両手から剣がぽろりと落ちた。床に当たり、乾いた音を立てる。
 それはつまり俺が戦う意味はないわけで。
「リヴァ、こっち来い」
 気力のなくなった声で外人を呼び、傍まで来たところをつかまえるように腕を掴んだ。剣を拾い上げて鞘に収め、そしてそのまま何も言わずに前進していく。
「あの、樹……魔物が」
「いーんだよそれは!」
 おろおろした外人はリヴァであってリヴァじゃないように見える。気持ち悪いからさっさと元のこいつに戻ってほしいところだ。
 魔物は俺たちが近づくと面白いように後退し、そのまま突き進んでいくことができた。
 せっかくの覚悟も台無しになりろくなことがなかったトンネルだったがやっと抜けられそうだ。まあ最後に楽ができたからよかったとしようか。
 やがて魔物の後ろから光が見え始め、トンネルの終点が近づいたときのことだった。
 それは突然起こった。

 

 一度だけまばたきをしたのだと思う。目を閉じ、そして一秒もしないうちに開くとあまりにも眩しい光に思わず顔を背けてしまった。
 しかし何てことはない、それはただのトンネルの外からあふれ出る光なのであった。何もおかしいことはない。
 いいや、そう簡単に片づけることはできそうにない。
 トンネルの出口の光が入ってくる場所に誰かが立っていた。ここからは十歩程度か、かなり近くにいた。
 そしてもう一つ気づいたことがあった。今まで前で後退しまくっていた魔物の姿がない。どこへ行ったのか探してみるとそれはすごく近くにいた。しかし今まで見てきた形とは似ても似つかない形であった。
 魔物は原形が分からないほどばらばらになって床に散らばっていた。
 そして目の前には人が。
 多分相手からは俺たちの顔が見えているだろう。だが俺は光が眩しくてまともに見ることができない。ただ分かることはその人が深く布を被っていて顔を隠しており、全身にマントのようなものを羽織っていて服も隠しているように見えることだけだった。年齢も性別も、何とも言えない。
「はじめまして」
 はっと気づけば相手に話しかけられていた。なぜだか分からないがもう少しで聞き逃すところだった。
「はじめまして」
 返事をしてみた。光のせいで顔が見えないのでどんな表情なのかは分からない。
 その人は声からしてどうやら男らしい。まだ若そうな、でも落ちつきのある、そんな感じの声だった。
「君はどこへ向かう?」
 姿勢を変えないまま相手は問う。風のない空間にその声がよく響いた。
「俺はこの先にあるっていう、青き星に行きたい、です」
 時間がゆっくりと進むように言葉もゆっくりとしていた。
「何のために向かう?」
 心の中から何かが沸き上がってくる。恐ろしさでも怒りでも憧れでもない、何か。
 その正体は分からない。
「世界を開く、ため」
 むかむかする。胸が締めつけられる感じがして息が途切れそうだ。頭がぐらぐらしてまともにものが考えられない。胸が締めつけられる。
 痛くはなく苦しい感じだ。なんでだか分からない。何が起こった? 何が起こった? 何が。
「なら、なぜ世界を開く?」
 言葉が頭に響いてくる。豪快で繊細な、強大で弱小な、重々しいメロディ。
 ……何を考えてるんだ俺は?
「お前に世界を開く理由があるのか?」
 どうかしてる。なんなんだこれ。恐怖じゃない。恐ろしいことなんかないじゃないか。憤りでもない。憤慨することなんてないじゃないか!
「違う、俺は、理由……」
「違わない。お前に理由などない。そうだろう?」
「ちが――」
 息が詰まる。こらえきれなくなって地面に膝をつく。
「樹?」
 遠くから妙に懐かしい声がする。なんでもない、これはあいつの声。心配してくれてるのか。
「否定するのかお前は」
 何をだよ。
「決められた道の上しか歩けないか」
 うるせえ、分からねえ。
「ならばいいさ、すでに時は来た」
 気分が悪い。気持ち悪い。
 頭を抱えるように押さえ込む。ずきずきして、ぐらぐらして。息ができなくて、よく分からない感情が沸き上がってきて。
「分から、ねえ」
 分からねえ。
 分からねえ分からねえ分からねえ。

 

 ――壊れる。

 

 崩れる。破滅する。消え去る。消滅する。
 何が。何が。何が――、
「この出来損ない野郎が……」
 その時風が吹いた。
 風は相手の最後の言葉を消し去り、そして相手の布を翻した。
 そこから覗いたものは短い金色の髪。ただそれだけがはっきりと見えた。
「……!」
 その光景から何かを感じ取る――が、やはりそれが何なのかは分からない。妙な気持ちが広がっていく。
 一度まばたきをしたのだろう、目を閉じてすぐに開くと前には誰もいなかった。
 ただあるのは粉砕された魔物だけ。
 そして風に乗って鳥の羽のようなものが舞っていた。
 言葉も出ない。
 何が起こったんだろう。なぜあんな気持ちになったんだろう。
 あの人は誰だったんだろう。
「樹、どうかしたの?」
 後ろから聞こえてきた言葉と同時に肩に重みを感じた。そこにはリヴァの手が乗せられている。
「分かんねえよ」
 どうかしてる。どうかしてるけど本当に何も分からない。何も分からないからどうしようもない。
 体のだるさや胸が締めつけられる感じの重圧などは、おさまりかけたとは言えまだ残っている。ただあの感情はすでに消え去った。それだけが救いだった。
「……う」
 気持ちの悪さが涙となって出てきた。目を押さえつけて視界が真っ暗になる。それでも構わない。
 あの重圧な音。幾つもの音が交じりあった雑なメロディ。
 あの人の言葉が頭から離れない。
 おさまりかけた感情も再び波のように舞い戻ってきた。
 尋常じゃない威圧感。そんなものをまっすぐに感じ取ってしまったのだろうか俺は。
 地面に手をつき、頭を垂れる。まだ息が荒れたまま整えられない。
「大丈夫なの? 君」
「ん、へーき」
 今独りじゃなくてよかった。こいつがいてくれてよかった。だから嘘もつくことができる。
 俺は俯いてリヴァの顔を見ることはできなかったが傍で心配してくれる外人に小さく感謝した。
 そしてそれからは、覚えていない。
 ただ頭に響く音楽が光と化し、心の中に溶け込んでゆくだけ。

 

 

 目を覚ませばそこは安全な場所だった。
 まだ頭がずきずきして胸がむかむかして気分が悪かったが、あの時ほどではなかった。でも気持ちが落ちつかなかったのですぐに起き上がることはできなかった。
 俺は誰かの家の中にいるんだろう。目を開くと上に天井が見える。そして身体が妙に温かくてきっと布団の中にでもいるんだろうな。
「まったく、なんだってこいつの家なんかに」
 ぼけっとしていると遠くの方から声が聞こえてきた。
 誰だったか、聞き覚えのある声のような気がした。誰だっけ。確か、えーと。
「なーによその文句は。ぜーんぜん筋が通ってなぁいじゃない!」
 続いて聞こえてきたのは女の人の声。この声は知らない。初めて聞く。
 しかし何だ、その貝を女の人にしたような喋り方は。
「でも、あたいのこと覚えててくれたんだなー。このチビが」
「お前の方がチビだ! コリア!」
 な、なんだなんだ? なんか喧嘩でも始めそうな勢いだなこれは。俺はこんなにも疲れてるって言うのに。
「あはは、冗談だよじょおだん! おんもしろいなあ、『するくさまさまお茶漬けしゃけ入りなんて美味いんだろーヨダレ』は!」
 え。なんですと? お茶漬け?
 しかもしゃけってあんた。鮭って言わないのか。
「その呼び方はよせ!」
「やぁよーっ。もう決めちゃったもんねー」
 よ、呼び方!? それって呼び方なの!? まじで!?
 はああ、異世界にはそんな呼び方があるんだな。
 じゃあ『するく』っていうのが名前なのか?
「ったく。で? あれから何か変わったことは?」
「気になるぅ?」
「な、何だよその目は」
 なんだろうその目は。見えねえ。
「かっこつけ」
「な!? 俺はかっこつけてなんか――ん?」
 あ。思い出した。この声。
 この声はあの人だ。
「お前、気がついたのか」
 足音と共に声が近づいてくる。
 そしてそこから見えた顔はやはりどこかで見た顔で。
「どうやら無茶しちまったらしいな」
 そう言ってきた相手に対して俺は笑って答えた。
「はは、お久しぶりっす、お人好しさん」

 

 

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