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 俺の進むべき道ってなんだろう。
 そもそもそんなものがあるんだろうか。
 でも少なくとも目指すものはある。
 それは勇気と正義。
 誰も理由を聞かないでくれたら。

 

第四章 英雄物語

 

26 

 どこからか綺麗な音楽が聞こえてくる。今までに一度も聞いたことのないメロディだが妙に懐かしさを覚える旋律。
 俺は今まで中に入っていたベッドの上に座り込み、その音楽をぼんやりと聞いていた。音楽はその場で演奏されているわけじゃなく機械から出てくるものだった。でもまあ俺にとってはそんなことで驚くことでもなかったが。異世界も日本と似てるんだな。
「もう起きても平気なのか?」
 扉が開いたかと思うとあのお人好しさんが入ってきた。片手には紅茶でも入っているだろうカップをトレイに乗せて持っている。
「あんたが俺をここに連れてきたのか?」
 お人好しさんはベッドの傍の椅子に座り、手に持っていたカップを俺に渡してきた。渡されたので中を飲んでみる。なかなか美味しい。
「まあ連れてきたことは連れてきたんだが、ほとんどあの暗殺者があんたを運んでたよ。気を失ったから休ませてほしいって言ってな」
「暗殺、者?」
 って誰?
 聞いたことのない単語に戸惑いつつ思わず首をひねる。
「知り合いじゃなかったのか? 黒い服着て顔を隠してた奴なんだが」
「あ、いや」
 すっごい思い当たる人物が約一名。きっとあの腰抜けで役に立たない奴のことだ。
 それにしたって聞いてないぞ暗殺者だなんて。そりゃあなんか怪しかったけどよりによって人殺しだなんて。
 ちょっとショックだった。はっきり言われると言い返せないのが辛い。
「自分でそう名乗ってた。自分はただの暗殺者だって」
「ふうん」
 ただの、ねえ。
「じゃ、そいつは今は?」
「呼んでこようか? 隣の部屋でいるはずだから」
 お人好しさんはそう言うと立ち上がり、トレイを持って部屋を出ていった。俺の返事も待たずに。いや別にそれはどうでもいいんだけど。
 部屋に一人取り残されてすることがなくなった。音楽はまだ鳴り続けており、飽きないことは飽きない。
 しかしまあこの部屋は無駄に広いな。扉がはるか遠くに見えるほどかなり広々としていた。俺やベッドが小さく見えてしかたがない。
 そんな広々とした部屋のど真ん中で紅茶を一口飲んだ。それはすぐに空になる。でも体は温まった。ほかほかする。
「ふう。なんか疲れたな」
 誰もいない空間で誰にも聞こえないだろう独り言を呟く。紅茶のカップを傍らの台の上に置き、その傍の花瓶に目がとまった。
 そこには見覚えのある花が一輪。
「あの赤き星の――」
 廃墟の中でお人好しさんが見つけたという花だった。ここに持ってきたかったんだろうか。
 花をそっと手で触れてみると一枚の花びらがはらりと散った。やばいと慌ててももう遅い。白い花びらは台の上にふわりと落ちた。
 花が散る。風に舞って花びらが飛んでゆくように、あの時は白銀の羽が舞っていた。そう、あの男の人と入れ違いに。
 あの人なんだったんだろう。なんで急にあんな気持ちになったんだろう。
 あの時のことを思い出す。あの時感じた気持ちを、空気を、苦しさを一つ一つ思い出してゆく。
 そうすればこらえきれなくなった。また涙が出そうになるのは嫌だったので無理矢理考えを中断した。気分を変えるためちょうど右の壁にあった窓を見た。そこから空を眺めようとする。
 が、その前にあるものが俺の注意を引いた。本当ならそこにあるはずのないものがあった。
 それに手を伸ばし、触れてみる。
「これ……羽」
 手元に引き寄せてまじまじと眺めてみる。それはあの男の人が去った後に舞っていた白銀に光る羽だった。
 なんでこれがこんなところに。
「樹! 気がついたんだ!」
 そんな聞き覚えのある声と共に現れたのは他でもない外人だった。扉を開けたことも気づかなかったがすぐ傍まで来ていたことにも気がつかなかった。
「まったく急に倒れないでよね。こっちは君を運んでこんなところまで来るのに大変だったんだから……聞いてる?」
 あれ。この偉そうな喋り方は。
「聞いてる? って聞いてんだけど」
「あ、いやまあ」
 こいつはこいつですっかり元に戻っているようだった。俺としてはこっちの方がいいかな。こっちの方がこいつっぽい。
「あ、その羽。何なの?」
「へ? これ?」
 外人に指をさされ、手の中でくるくる回していた羽を見る。何なのかと聞かれても困るんだけど。
「君、気を失ってからずっとその羽を手で握り締めてたんだよ。どうかしたの?」
 さらりと外人は言ってくる。
「握ってた? 俺がこの羽を?」
「うん、まあ」
 言うべき言葉も見つからず、視線をまた羽に戻した。銀色に輝く羽。今までに見たことも聞いたこともない。綺麗な色をしているがどこか怪しげな雰囲気を持っている。
 外人は俺の隣に座り込み、軽くベッドが揺れた。そして静かな声で話しかけてくる。
「あの男の人だけど」
「お前知ってるのか!?」
「静かに! 騒がないで聞いて」
 いつになく真面目な顔をしているリヴァ。俺だってあの男の人が普通じゃないのは分かる。だから外人の言うとおり口を閉じ、静かにした。
「あの人、多分スーリって人だと思う」
「――誰って?」
「スーリ。今一番恐れられてる犯罪者。まだ一度も見つかったことがないし分かっていることは名前だけっていう人」
 聞いたことのない名前。犯罪者で、一番恐れられてる人。
 なんて人に会っちまったんだ俺は。最悪だ。
「ぼくも名前は知ってたけど一度も会ったことはなかった。姿は分からなかったけどあれだけの威圧感を持ってるんだ、きっとスーリに間違いないよ。また会ったら今度は必ず――」
「必ず?」
 俺がそう聞くと外人ははっとした仕草を見せ、それから笑顔を見せた。
「なんでもない。気にしないで」
 しかしそう言われるとかえって気になってしまうのである。こいつはそうは思わないのだろうか。
「あー、じゃあその、そうだ、お前って暗殺者とやらなのか?」
 とりあえず話題をずらしてみた。
「きーたの?」
「なんで言わなかったんだよ今まで」
 別にそれだけで怒ったり嫌いになったりするわけじゃないんだから。言ってくれたってよかったのに。
 外人は前を向き、気まずそうに頬を掻いていた。しばらくそうしていたかと思うとぼすりとベッドの上に倒れこんだ。
「ちょっとだけ違うからかな。ぼくはただの人殺しじゃない」
「違うって?」
 外人は片手を上にあげ、その手を見つめながら呟くように言った。
「やってることは同じかもしれない――けど、根本的な理由が違う」
「ふーん」
 手に持っている羽を回しながら適当に相槌を打つ。でも本当は分かりそうで分からなかった。
 リヴァが言おうとしていること、あの男の人のこと、そしてこの羽のこと。俺の知らない何かが俺の周りで起こっているような気がしてならなかった。

 

 さて。
 俺はある疑問にぶつかった。
 ここは一体どこなんだろう?
 手に持っていた銀の羽をポケットの中へ入れ、ベッドの上から立ち上がった。とにかくもう一度あのお人好しさんに会わなければ話にならない。
「あれ、どこ行くの樹?」
 外人はベッドからおり、ぱたぱたと俺の隣まで来た。妙に可愛らしい仕草をする奴だ。
「お前あのお人好しさんがどこにいるか知ってるか? 知ってるなら教えてほしいんだけど」
「お人好し? ってああ、あのスルクって人ね。オーケイ、お安い御用さ!」
 なんだ知ってるのか。捜さなくてすむならそれでいいや。ちょっとだけこの無駄に広い家を探険したかったんだがな。
 そんなどうでもいいことを考えながら俺は広々とした部屋をあとにした。
 廊下に出て扉を閉め、真正面の高い壁を見上げる。壁には綺麗な装飾が施され、おまけに両手を広げても届かないほど大きな絵が飾られてあった。やはりこの家は金持ちの家に見える。あのお人好しさんは貧乏そうに見えたのになんとも不思議な話だった。
「君、これからどこへ何しに行くの?」
 今更そんなことを聞く奴があるかと思ったが、こいつには何も話していないことを思い出した。廊下を歩きながら適当に答える。
「青き星に行って世界が閉じちまった原因を調べるんだよ」
「ふうん」
 やはり話を聞いての反応が気にくわない。そんな反応するなら聞いてくるなよな、まったく。
 廊下は無駄に長くてこの家は無駄だらけだった。部屋を出て廊下を歩いてもなかなか次の扉へ辿り着かない。いい加減苛々してきたときやっと第一の扉を発見した。
「ここだな。きっとここだろ。なあ?」
「多分」
「なんだその自信なき返事は」
 怪しい答えだったが信じることにする。もう歩きたくなかったし何よりまだ疲れが取れきってないのだ。これ以上疲れるよりは小さな可能性を信じてみたい気分なのである。
 正面の扉に手を触れ、ぐっと押してみる。扉は案外重くなく、すぐにぎいっと嫌な音をたてながら開いた。
 はたして部屋の中には誰もいなかった。空き部屋である。
「いないね」
「本当にここなのか?」
「きっと。おそらく。多分。おおよそ」
 最後のは微妙に使い方間違ってるだろ。大丈夫かこいつ。
「だからさっきから多分って言ってるでしょーが。そんなに詳しく覚えてないもの。興味なかったし」
「あっそ」
 覚えてない理由が興味なかったからってのもどうかと思うが、知らないならそれはそれで仕方ない。諦めよう。
 じゃあどうしようか。この広い家の中を探険したいと思う気持ちも無駄なほどの広さの前では廃れてしまった。今一番したいことは、とにかく休みたい。さっき起きたばかりなのだけどやはり体の重みは残っているのだ。このまま無理して倒れたりするのも洒落(しゃれ)にならないし、気分的にゆっくりしたい。
「一旦戻るか、リヴァ」
「ん、分かった」
 大きなため息を吐きながら閉めた扉は開いたときよりも重く感じたことは言うまでもない。

 

「あ! 地味地味君と真っ黒少年!」
 元の部屋へ帰るやいなやそんな言葉が耳に入ってきた。驚きつつも部屋の中を見ると、そこにはまるで当然のようにお人好しさんともう一人の女の人の姿が見えた。
 さっきの声を発したのは女の人の方らしい。鮮やかな赤い髪を一つに束ね、何やら高価そうな服を着込んでいる背の低い女の人だった。その背のせいで子供っぽく見えなくもない。
 あの廊下を歩いて隣の部屋へ行った意味って。いやよそう。もう考えるな川崎樹よ。
「まったくもー! 探したんだよ!? 布団の中とか水槽の中とか机の下とかカレンダーと壁の隙間とか」
「な、なんでしょうか」
 押しつぶされそうな勢いで喋り続ける女の人。この人には用はないんだけど無視したら怒られそうなので話をあわせることにした。
「こいつがあんた達のこと捜してたのよ」
 そう言って後ろを指差す。差された方向を見ると女の人に隠れるような位置にお人好しさんがなんだか困ったような表情で立っていた。
 いや、俺も探してたんだけどなー。
「えっと」
 お人好しさんは女の人の隣へ行き、ちょうど俺の前に立った。
「お前、何しに来たんだ? 青き星には近づくなと言ったのに」
「そういうあんただって今ここに――って、じゃあ」
 ここは青き星の一部ってことなのか? 俺、すでに到着してしまってたのか。家が広いせいでなんにも分からなかった。いやそれは関係ないか。
「じゃあ何だって?」
「いやそれはこっちの話。で、ここって、その……どこ?」
「青き星の前」
「そうか。青き星の」
 前?
 何? まだ青き星に入ってないのか?
 いやそりゃあ、話がうますぎる気もしたんですがね。でもよりによって前だなんて。そんなことならいっそ中に入ってて欲しかったよ。
「あー、なんだじゃあ、行こうやリヴァ」
 淋しいけどここでお人好しさんとはお別れだ。これ以上この家で居座ってても意味がないし、何より目的地は目の前にあるときたもんだ。まあそれ以前にこの広すぎる家から無事に抜け切れるかどうかが問題になるんだけど。
 今まで何も発言していなかった外人の服を掴み、部屋に背を向けた。やたらと大きな扉を片手で押し、廊下の装飾が目に入ってくる。
「待てよ。どこに行くつもりだ」
 廊下へ足を踏み入れたときお人好しさんの声がした。心配してくれているのは分かるけど、俺にだって行かなきゃいけない理由があるのに。
「仲間を捜しに行くんだよ。グレンとエミュを」
 言ってもきっと分からないだろうけど道で別れた二人の名前を口に出した。そのために青き星へ入っていくのだが、はっきりとそう言ったりはしなかった。
「何だって?」
 直接言わなかったにしろやっぱり分かったんだろうな。お人好しさんはやはり見逃してはくれなかった。
「だって」
 振り返り、もう一度部屋の中を見る。
「仕方ないんだよ! 俺にはやらなきゃならないことがあるから」
 なんだか苦しい。声も裏返ってしまいそうだった。
「あ、いや。違う、俺が言いたいのはそういうことじゃなくって」
 何、違う?
 お人好しさんの意外な言葉に思わず目を丸くした。と同時に勘違いしていた自分が恥ずかしくなってきた。
「お前エミュを知ってるのか?」
「エミュ?」
 なぜにここでエミュの名前が出てくるんだ。
「あんた『エミュお茶お嬢』のこと知ってんの?」
 横からは女の人が口を挟んできた。いや、そりゃまあお茶出されたけど。苦かったし。
「頼む、あいつに会わせてくれ。もう何ヶ月も捜してるのに全然見つからないんだよ」
 そう言いぎゅっと手を握ってきたお人好しさん。よくよく見ると涙目になっている気がする。
「そりゃあ、俺は構わないけど」
「そうか! 助かった!」
 一気に笑顔に変わった。そんなに嬉しいのか。俺には到底理解できない。
「エミュお茶お嬢は青き星にいるってわけね。ここはこのあたいに任せておきなさい!」
 女の人はなんか一人ではりきってるし。
「何を任せるんだ……ってそうじゃなくて、名前聞くの忘れてたな。なんて呼べばいい?」
 そうそう。お人好しさんの言うとおりすっかり名前の存在を忘れていた。ずっとお人好しさんと呼ぶのはさすがに駄目だろうしな。
「俺は樹。で、こいつがリヴァセール。そっちは?」
 いつも思うがなぜ俺がリヴァの分まで自己紹介しなければならないんだろう。しかし言ってしまった後なのでどうにもならないことには変わりない。
「俺か? 俺は」
「『するくさまさまお茶漬けしゃけ入りなんて美味いんだろーヨダレ』よ。それであたいはコリア。分かった?」
「違う! 俺はスルクだ!」
 お人好しさんと女の人――スルクとコリアは妙に息があっていた。いやあってないのか? 微妙すぎて分からない。
「なんでお茶漬けなんだ?」
「スルクの家にはお茶漬けしかないのよ。この貧乏人はねぇ、いっつもあたいかエミュの家で居候(いそうろう)してんのよ」
「ば、馬鹿! そんなこと言うなよコリア!」
「だって本当のことだし? ホホ!」
 なんだか二人で楽しい人達だった。俺はその空気の中で疎外感を感じる。うーん。
「じゃあ早速、青き星に向かいましょうか! 準備はいい? 地味地味君に真っ黒少年!」
「誰って?」
 以前も似たような台詞を言った気がする。さっきからコリアは変な名前を連発しているがはたしてその対象は誰なのか。
 なんとなく分かる気もするけど。いやきっとそうだろう。
「あんた達のことに決まってんじゃない」
 すぱっと言ってきたコリア。いえね、分かっていたさ。分かっていたけどそう言われると何か淋しい。
「とにかく! 青き星へ向かうなら近道を通って行った方が断然近い! ってわけでついて来なさい!」
「あ」
 俺たちが何か言うよりも早くコリアはさっさと部屋を出て行ってしまった。その場に取り残され動けないで硬直している俺たち三人。
「大丈夫なのか? あのコリアって人に任せても」
「まあ本人がそう言ってるんだ。大丈夫なんだろ。近道なんて聞いたことないけど」
 スルクはそれだけ言うと額を片手で押さえながら部屋から出て行った。きっとあのお人好しさんは苦労しているに違いないと感じる。大変そうだなあ。なんだか同情してしまった。
「樹」
「ん? どーした」
 隣を見てみるとまるで放心しているような外人の姿があった。……で、なんで放心してんだ?
「ぼく、あんな風に呼ばれたの初めてだ」
 ああなるほど。そういうわけか。
「嫌なのか?」
 俺が聞くと外人は横に首を振った。
「そういうわけじゃない。でも、どう接していいか分からない」
「はあ」
 変なことで悩むんだなあ。どう接するかなんて、そうだなあ。
「普通でいいだろ?」
 少なくとも俺に対してはそうしてるんだろうし。少しは気遣ってほしいと思う時まであるんだから。
「そう?」
「そんな何回も聞くなよ」
 同じことを二回も三回も言うのはさすがにちょっと恥ずかしかった。一回きりなら何ら問題ないんだけど。
「じゃあ、そうすることにする」
「そ、そうか」
 そんな風に言われたらまるで俺がそうさせたみたいな気がする。ちょっと気が引けた。
「じゃあもう行くか。早くしないと怒られそうだしさ」
 開け放されたままだった扉を指差して外人に声をかける。リヴァは一つ頷いて、俺たちは部屋を出て行った。

 

 

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