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28 

「――ん」
 目が覚めるとそこには見たことのない風景が広がっていた。
 俺は地面に寝そべっていたらしい。体を起こし、立ち上がってみる。その瞬間に冷たい風が横切り俺の頭は冴えてきた。
 そこは赤き星のような廃れた場所じゃなく、どちらかというと俺の住んでいた地球に似ているような風景だった。でも日本では見られないような、まるで外国にでもいるような気分になった。足元には草の生えた草原、上方には高く澄んだ青空。建物の姿はない。なんとものどかそうな景色だな。
 そういえばリヴァの奴はどこに行ったんだろう。
 そんなことをぼんやり考えているとだんだんと過去のことを思い出してきた。
 なんだったっけ、そう、確かタシュトとかいう人がいきなり現れてきて、それで今度はあの藍色の髪の少年が出てきて、それから……そうだ、よく分からなかったけど急に真っ暗になって。それでリヴァに呼ばれてあいつの隣に行って、それから。
 そこから俺の記憶は途切れている。あの後どうなったかなんて何も分からない。あの二人はどうなったんだろう。無限ループを抜けることができただろうか。
 って他人の心配してる場合じゃなかったな。そんなことするから俺は外人にお人好しだって言われるんだ。なんかそれは自分で納得する。
 よし。とにかく奴を探そう。
「おーいリヴァ! どこだー!」
 とりあえず呼んでみた。探すあてがないならまずこうするべきだ。
 そしてその返事は意外なところから返ってきた。
「ここだよー……」
「はへっ?」
 かなり近くから聞こえた声。周りをよく見てみるとちょうど俺の後ろの方向にあいつはいた。でも何を考えているのか地面に寝そべったままの格好である。
「何やってんだよ。起きろよ」
 傍まで寄って見てみると外人はうっすらと目を開けてこっちを見てきた。それからふう、と一つ息を吐く。
「もう疲れた。一日くらい眠らないと駄目な気がする」
 そう言って目を閉じる外人。よく見ると顔色がよくない。
「って、なんだよそれ! 俺だって疲れたっての! お前だけ休むなんてずるいぞ!」
「そんなこと言わないでよー。誰があんなに呪文唱え続けたか分かってる?」
「呪文?」
 もしかしてこいつそのせいで疲れたって言ってんのか?
「そんなに疲れるもんなのか? 呪文って」
 それならちょっと使いたいという意欲も薄れてきそうだ。便利かと思ったけど、なんか使い方が難しそうだな。
「本当ならこれくらいたいしたことないけど、まだこの世界の空気に慣れてないからね」
「そんなもんなのか」
「そんなものだよ」
 そう言うと外人は黙った。
 しかしじゃあ俺はこれからどうすりゃいいんだ?
 とりあえず座り込んで考えてみる。その間にも風は吹き続け、なんとも冷えてきた。よく考えてみるとここは赤き星よりはるかに寒い。なんだか冬島のことを思い出してしまった。
『よう樹。お困りのようだな。オレがすばらしきアドバイスをしてやろうか?』
 そんな時に聞こえてきたのはなんだか久しぶりに聞く貝の声だった。そういえばこいつのこと忘れてた。
「お前に何のアドバイスができるんだよ?」
『ひでえなおい。この前聖水渡してやったではないか!』
 聖水か。なんだか懐かしい響きだ。
「じゃあまた何かくれるのか?」
 こいつは確か一日に一回程度なら魔法が使えるとか言っていた。もう聖水を渡されてから一日以上経っているはずだ。何かくれるならそれを有効に使ってみせるまでだ。
 貝はしばらく黙り、少しのあいだ俺は貝の答えを待つことになった。そして唐突に話し出す。
『とにかくそこの呪文使いの兄ちゃんを休ませてやらなきゃ話にならないだろうな。その兄ちゃんが元気になったらまた青き星に向かえばいいだろーう。な?』
 へえ。こいつってばリヴァのこと心配してくれてるんだな。すごい意外だ。
「でもさ、休ませるにしてもここでか?」
 近くに建物か何かがあったらよかったのにこの場所には見える限りでは何もない。これではまるで俺が初めて異世界に来た時のようだ。
『まさか! こんな場所でお昼寝なんかしてたら風邪ひいてゲームオーバーだろ。もっと頭使えっつーの!』
「なんだよそれー!」
 俺だってそれくらい分かっとるわ。ちょっと言ってみただけだっての。この貝は相変わらずうるさい奴だ。
『エフ、そんなことを言わずにイツキに道を示してやって?』
 今度聞こえてきたのはエナさんの声。こっちもまた懐かしい気がする。やっぱ貝のエフより気品があって優しい声だ。まったく貝も少しはエナさんを見習えってんだ。
『だからエナは甘やかしすぎ! そんなんだから最近の若人(わこうど)はだなぁ――』
『イツキ、この近くには小さな村があるはずです。彼を背負ってそこまで行けばきっと休ませてもらえるはずですよ』
 エナさんは貝を無視した。見事な無視っぷり。この人でもそんなことすることあるんだなー。これもまた意外だ。
「分かった。じゃあその村に世話になることにするかな」
『おい! オレを無視すんじゃねーよ!』
 貝は無視し、俺は外人を背中に背負った。こいつって重そうに見えていたがあまり重くない。俺より軽い気がする。やっぱり華奢だから?
 で、どこへ向かって歩けばいいんだろう。村なんか見えないし。
『ふふふ。こんな時こそこれが役に立つのさ』
 そんな声がポケットの中から聞こえたかと思うと貝はまた勝手に出てきた。聖水の時と同じようにまた殻に何かを挟んでいる。それを取って見てみるとどうやら地図らしい。しかしかなり古そうに見えるのは気のせいだろうか。
「それはいいけど、ここはどこなんだよ?」
『足元見てみな』
 足元?
 言われたとおり下を見てみる。下には草が生えている。しかしそれ以外には何もなさそうなんだが。
『エナ、力を貸してやんな!』
『はい』
 え、何ですか? 何をする気なんだ?
 その時風が吹いた。風はさっきまで吹いていたのと同じように共に寒気も運んでくる。少し寒気がして身体を震わせると目の前の景色が変わっていた。
 なんと草がなくなっていた。いや、なくなったと言うより下に埋もれていた道が浮き上がってきたと言うべきだろう。俺の足元にはその道がくっきりと形作っていた。
『どおだ、すごいだろう!』
「お前がやったんじゃないだろ?」
『エフ、嘘はいけませんよ?』
 なんだかエフはぼろくそだった。しかしそれは自業自得というやつなので気にとめる必要はない。
『なんだよそれー!』
 しかも真似された。こいつはそんなに真似が好きなのか。
 そんなこんなで俺はリヴァを背負って村へ向かって歩くことにした。

 

 しばらく歩いているとすぐに村が見えてきた。あまり歩かずにすんだのでやれやれである。
 見たところそんなに大きな村ではないようだった。地球で言うなら田舎ってところか。こんな風景なら日本でも見られそうだった。いかにも古そうな建物が並んでいるというわけではなかったが、都会ではないのは確かだった。
「どこで休ませてもらおうか?」
 まさか他人の家に泊めてもらうわけにはいかない。それではあまりにもずうずうしい。
『宿だろ』
『宿ですね』
 ポケットの中からは揃って同じことを言ってくるし。
 やっぱりそうなのか。俺は一つため息を吐く。RPGの定番といえば宿なのだ。でも宿って金取るだろ。
「金はどうするんだよ? 俺は持ってないぞ」
『何!? そうなのか!? お前貧乏人か!』
 う、うるさいな! 悪かったな貧乏で!
 そうやって端から見れば一人で騒いでいる時だった。
「よお、お前、樹じゃねーか」
 なんとも懐かしい声が聞こえた。もちろんそれは俺が背負っている外人のものではない。
「久しぶりだな!」
 振り返ると、そこにはにっと笑っているグレンの顔があった。
「グレ――」
『あーっ! お前はあの時の炎人間!!』
 俺の喜びは貝の声によって一瞬にしてかき消された。それと同時に憤りが溢れてくる。
「げっ、この声はあの貝君!? 樹、なんでお前そんな奴連れてんだよ! 捨てるか食えよ!」
『誰を食うって!? オレを食うなっつーの! 二回目だぞ!』
「はん、貝は貝じゃねーか。どうせただの非常食だろ!」
『なんだと!? 誰が非常食だ! 全身燃えてた奴に言われたかないわっ!』
「なにおう!?」
『やるか!? この!』
『お二人ともやめなさい!』
 その言葉によって二人の喧嘩はぴしゃりと止まる。そう言ったのは他でもない、あの優しい口調のエナさんだ。
 貝もグレンも黙った。明らかに空気が変わったのがよく分かる。
『今はそんなことをしている場合ではないはずです。この方を休ませてあげることを第一に考えなさい』
 初めて聞いたエナさんの命令。それはいつもとは打って変わった厳しい口調のものだった。そしてそれには誰も反発できない。
『……悪かったよ』
 そして貝の謝罪の言葉。これもまだ一度も聞いたことがない。
「なんだ、そいつどうかしたのか?」
 少し気まずそうにグレンは聞いてきた。そいつというのは俺が今背負っているリヴァのことである。
「なんか疲れたんだってさ。呪文を使いすぎて」
「そ、そうか。じゃあ宿にでも行こうか?」
 やっぱそうなるのか。でもこれじゃあ本当にゲームでもしている気分になってくる。
「それはいいけど俺、金持ってなくて」
「じゃあ俺が特別に払ってやるよ! さあ来い樹! こっちだこっち!」
 そしてさっさと歩き出していくグレン。もう少しさっきの喧嘩の反省でもしたらいいのにそんな素振りはまったくない。でもそれがお調子者らしいとも言えるんだが。
 まあいいか。
 ずっと考えてても仕方ないので俺はリヴァを背負ったままグレンについていった。

 

 宿に着くとすぐに部屋を貸してくれた。そんなに大きな部屋ではなかったけど、三人が入るにはちょうどいいくらいの広さだった。ただちょっと古めかしい感じがするのが気になるが。
「樹! 俺はちょっと情報収集へ行くからな! お前はここでいろよ! じゃ!」
 グレンはそう言ったかと思うとすぐに宿を出ていってしまった。おかげであいつがなんでここにいたのか聞くのを忘れてしまった。まあ、後で聞いても問題ないと思うけど。
「やれやれ。やっと休める」
 リヴァをベッドに寝かせた後、俺もベッドの上に寝転んだ。そうすると疲れが消えていくような気がしてなんともいい気持ちだ。このまま寝てしまいそうだ。
『こら! 寝るな樹!』
「はい!?」
 そうかと思ったらこれだ。貝のうるさい声によって俺の眠気はどこかへ吹き飛んでいってしまった。別に寝たっていいだろ! 邪魔すんなよ!
 俺は起き上がってベッドの上に座り、ポケットから貝を出す。それを手のひらに乗せてきっと睨みつけてやった。
「まだ何か用か」
『まあそう怒るなって樹君。ちょっと話しておきたいことがあってだなあ』
「話しておきたいこと?」
 なんだろう。ただの文句か何かかと思ってたけどどうやら真面目な話らしい。
『そう。呪文に関わることなんだけどよぉ、お前、精霊って知ってるか?』
 精霊? そういえばリヴァが呪文を唱える時に言ってたような気が。
『まあ知らなくったっていいさ。精霊ってのはなぁ、呪文を使う時に力を分けてやる奴らのことさ』
「はあ?」
 なんだか意味が分からない。何が言いたいんだ?
『あーつまり――ええい、もういい! エナ、かわってくれ!』
『エフ、自分から言っておいてそれですか? 自分の行動には最後まで責任を持つべきですよ』
『オレは説明が苦手なの!』
『仕方ありませんね』
 そうしていつのまにか説明をしてくれる人がエナさんに変わった。貝を再びポケットの中へ入れ、その代わりにエナさん、つまり石を手のひらの上に置く。
『イツキ、彼が呪文を唱えているところをあなたは見ましたね?』
「彼ってリヴァのことか? だったら見たけど」
 一回だけじゃなく何回もな。おかげでありがたみが少し薄れてしまった。しかしそれは言わないでおく。
『では、彼が使っていた呪文の属性は何だか分かりますか?』
「火、じゃねーの?」
 呪文を唱えてる時、思いっきり「炎よ」って言ってたもんな。そうとしか考えられない。
『そうです。呪文には様々な属性があり、その属性を持っているのが精霊という者たちなのです』
 ってことは貝の話とあわせるとつまり。
「その精霊ってのが呪文を使ってる人に力を貸している――ってことなのか?」
『そうです。そして属性は一人の精霊に一つだけ。つまり、呪文を使う人は多くの精霊から力を借りているということです』
 へえ、そうなのか。そんなこと全然知らなかった。そういうことならリヴァもその精霊から力を借りているってことになるのか。
 でもなんでいきなりそんなことを俺に話してくるんだろう。
『しかしその中にも例外があります』
「例外? それは?」
『気づきませんでしたか? 彼が使っていた呪文と他の方が使っている呪文の違いを』
 そこで少しエナさんは黙る。しかしそう言われても。俺なんて呪文なんか全然知らないのに、違いとか言われたってなあ。
『言葉の長さなど、気にしたことは?』
「言葉の――ってもしかしてあの変な、やけに長い横文字?」
 そうだった。確かクミやグレンやルクが使っていた呪文は長ったらしい前置きとか変な横文字をつまることなく早口に言っていた。そう言われてみればそうだ、他の人が使っていた呪文とリヴァが使っていたのでは明らかに違う。全然違うじゃないか。なんで気づかなかったんだろ、俺。いや、それ以前に気にとめることさえしてなかった。
『彼は少し特別なのです。彼は――契約者なのです』
 契約者。その言葉だけで重みを持っている気がする。
『イツキ、このことは決して口外しないでください。分かりましたね?』
「誰にも?」
『はい。決して』
「分かった。そうする」
 俺にはなぜそんなことをするのか分からなかったが、エナさんがそう言うのなら従うまでだ。何か重大なことなんだろう。俺は何も知らなさすぎる。だから人の意見を聞かなきゃならない。そういうことだ。
『契約者とは実際に精霊と会い、精霊と契約を交わした者のことです。精霊は人の前に姿を現すことはありません。もし人が精霊に会いたいのならば、それには多くの知識と力が必要となってきます』
 多くの知識と力。それを持っているってことなのか、あいつが。
『普通の呪文ならば魔力を持っている人なら誰でも使えます。呪文の言葉を覚え、そして精神を集中させればすぐにでも使えます。しかしそれには長い言葉を言わなければなりません。その一方で契約者は少ない言葉で呪文を発動させることができるのです。そしてその威力は比べ物にならないほど上がります』
「つまり契約した人の方が断然お得ってことか」
『そうですね。しかしほとんどの人が精霊と契約することができません。なぜだか分かりますか?』
「力が足りないから、とか?」
『はい。もしも精霊に会えたとしてもその人に必要最低限の力がなければ精霊は契約してくれません。だから他人に精霊を探すよう命令し、自分だけが契約しようとしても無駄だということです』
 なるほど。つまりズルは駄目ってことだな。
 じゃあやっぱりあいつにはそれだけの力があるってことなのか。そんな風には見えないんだけどなー。
『そこで少し関わってくるのは魔力のことですが……。イツキ、あなたは自分の魔力がどのくらいあるか知っていますか?』
「え、俺? 魔力?」
 いきなりの質問に戸惑いを覚える。しかし魔力か。考えても分かるはずないけど、そうだなー。異世界に来れたあたりからして少しくらいはあってもいいよなぁ。
『普通、人は誰でも少なからず魔力を持っているものです。その人が気づいているにしろ気づかずにいるにしろ。イツキ、あなたの場合も同じです』
「ってそれは常人と同じくらいってこと?」
 なんだかそれはそれで虚しい。
『いいえ、イツキ。そこまでは世間一般の人と同じなのですがあなたは少し変わったものを持っているようなのです』
 変わったもの。変わったもの? 何だろう。
 なんだかこれもRPGではよくあるパターンだな。主人公には実は特別な力があって、とか。
『あなたは魔力を持っている。しかしあなたの身体がそれを受け付けていないようなのです。そのせいで魔力は表へ出ることもできませんし、呪文を使うこともできないということです』
 ……ちょ、なんだって?
「それってつまり」
『今のあなたに魔力はありません。ゼロです』
「ゼロ――」
 なんてこった。これじゃあさらに虚しい。
 なんだってそんなことになってるんだ俺。全然RPGっぽくないじゃないか。勇者なら呪文も使えるもんだろ? 普通はさ。
 それがよりにもよってゼロです、と。はあ。
『落ち込まないでください。そんなあなただからこそこの話をしているのです』
 俺にいくら話したって意味がないから話してるってか。だったら俺だって聞く意味ないじゃねーか。
『イツキ、契約してみたいと思いませんか?』
「そんなこと言うけど無理なんだろ」
 つまらない慰めはよしてくれ。もういいんだ俺は。
『いいえ。従来の形とは異なりますが、魔力のないあなたにしかできないこともあるのです』
 だから、俺には魔力がないから無理――って、え?
「なん、だって?」
『あなたにしかできないこと。やってくれませんか?』
 そう言ったエナさんが――石が、一度だけきらりと光った気がした。

 

 

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