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29 

 エナさんは言った。俺にしかできないことが、魔力のない俺にしかできないことがあると。それが俺にとっていいことなのかどうかは分からないが、同時に気にかかることが出てきた。
 今まであまり考えずにいたけれどエナさんって何者なんだろう。今は石になってるって言うけどそれ以前のことは聞いたこともない。普通の人にしては何もかもを知りすぎているし、何より石になんてならないだろう。でもそうやって言うとあの貝のエフだって同じなんだよな。
「なあエナさん、あんたは――」
 そう言いかけてやめる。聞くか聞くまいか悩んだけど別に今じゃなくてもいいよな。
『イツキ。私の正体が知りたいならば、まずはあなたのやるべきことをやってください。もし世界を開きたいと願うなら、今から私の言うとおりにしてください』
「分かった」
 そう。今はエナさんの正体なんか関係ない。今すべきことは前に進むこと。
『私を床の上に置き、その前に立ってください』
 俺は立ち上がり言われたとおりにする。何もない床の上にエナさんを置き、その正面に立つ。
『目を閉じて』
 ゆっくり、視界が消えてゆく。すぐに真っ暗になる。
『右手を前へ』
 まるで何かに吸い寄せられるように自然と手が上がった。腕をのばし、顔の高さまでくると止める。
『あなたに訊ねます』
 そのままの姿勢で俺は次の言葉を待つ。何も動かなかったし何も考えなかった。
『あなたに覚悟はありますか?』
 たとえそれを望まない人がいても、自分の意志を貫き通すことができるのか。
 その意味を追い求めすぎて、自分を見失うようなことが起こらないのか。
 どうしてだか分からない。けど、俺にはエナさんがそう言っているように聞こえた。
「はい」
 だから答える。
『分かりました』
 その言葉が聞こえたかと思うと手の中に何かが現れた――気がした。目を閉じているのでそれが何なのかはまったく分からない。ただ言えることはそれはとても小さな、まるで石か何かのような物だということだけだ。
『あなたに契約を。火と氷と風の心を、私は契約者に託す』
 その時、手の中から石のような物が消えた。やはり目を閉じているので何が何だか分からないことには変わりないのだが。
 しかししばらくするとまた手の中に何かが現れた。多分さっきの石と同じだと思う。同じ触り心地だった。
『さあイツキ。目を開けてください』
 やっと暗闇から解放された。真っ暗じゃ何が起こってるのか見ることもできないもんな。
 目を開き、右手を見てみる。そこには見たこともない色をした宝石のように輝く石が握られていた。
「これは?」
『それを常に持っていてください。その石があなたの呪文の元となりますから』
「元?」
 俺には何のことだか分からなかったがどうやら大事な物らしい。なくさないようにしてればいいんだな。よし。
『イツキ、まずは青き星へ向かうことです。そこから世界の扉へ繋がっているのです。それから、この村の東へ向かってみなさい。そこにあなたの探しているものの答えがあります』
「え? どういう」
 ことだ? と聞こうとしたその時、後ろから誰かの咳が聞こえてきた。驚いて振り返ってみるとそこにはリヴァがいるだけで他には誰もいない。ってことは咳をしたのはあいつか。
『私の話は終わりです。彼の元にいてあげてください』
 とりあえずエナさんをポケットの中に戻し、それと一緒にさっきの石も入れた。ここなら多分なくさないと思う。
「起きたのか?」
 なんだか気になったので小声で聞いてみた。その言葉が聞こえたのか、外人は目を開けた。そしてこっちを見てくる。
「どこ? ここ」
 呟きのように小さい声が聞いてきた。なんだかそのまま消えていきそうな気がした。
「名前は知らないけど、村だ」
「そう」
 それだけを言って黙り込む。視線を天上に向け、外人はぼんやりしていた。これではまるで病人か何かみたいだ、こいつ。そんなに疲れたのか?
「君、意外と力強かったんだね」
「は? 何をいきなり」
「そんな風に見えないのに」
 よく分からないがとりあえず誉められてるんだろうか。なんか微妙だ。
 ってなんでそんなことが言えるんだ?
「重くなかった?」
 ベッドに寝たままリヴァはこちらを見てきた。その瞳は普段より大きく開かれている。
「何が重いって? お前がか?」
 それならあんまり重くはなかったよな。俺より軽いんじゃないかと思ったくらいだし。
「違うよ、あの時だよ。ほら、タシュトとかいう人に呪文を放たれた時」
 なんとまた違っていたか。なんか最近勘違いが多くなってきたような気がする。
「そうだなぁ、あん時は最初は重くて全然足とか上がらなかったんだよなー。けどなんか知らないけど途中から重りがなくなったみたいになってさぁ」
 自分で言っててなんだか不思議に思えてきた。そういえば忘れてたけどなんで急に軽くなったんだろ。
「何それ? 自分の力で歩いたんじゃなかったの?」
 見てみると外人は不満でもあるかのように顔をむっと歪ませていた。きっと不満なんだろうな。そうに違いない。
「君は知らないと思うけど」
 再び顔を天井に向け、リヴァは小さな声で語りだした。
「あの時、ぼくと君は呪文を受けた。属性を言うなら闇で、それこそすごく危険な呪文を」
「危険って」
「普通に受けてたなら今頃ここにはいない。すでに死んでる」
 一気に背筋が寒くなった。そんなことを真顔で言われると余計に怖い。
「けど」
 言葉を紡ぐように外人は続けた。
「どうやら第三者の介入があったみたいだね」
「第三者?」
 いきなりそう言われてもピンとこない。どういうことなのか俺にはさっぱりだ。もう少し詳しく説明してほしい。
 その時また咳をする声が聞こえた。それは間違いなく目の前で横たわっている人のもので、俺は素直に驚くことしかできない。
 こいつ風邪でもひいてるのか?
「ごめん。風にあたりすぎたみたいで」
「寒かったなら言ってくれりゃあ上着貸してやったのに」
 やはり風邪か。意外と繊細なんだなこの外人は。
「さっきの話だけど――いい?」
「ああ。続けろよ」
 外人はふうっと息を何もない空間に向けて吐き、天井を見つめたまま話しだした。その瞳はぼんやりとしているようにも見えなくはない。
「あの呪文は相手の自由を奪い、一撃で命を刈り取るものなんだ。もちろんその呪文を受けて普通に身動きがとれる人なんてそういない。でも身動きがとれなくなるのは足だけで実際手は動かせる。だから呪文だって使えるんだ」
「ふんふん。それで?」
「それで、やばいと感じたぼくは移動呪文を試みた。でもそれは一人用のもので、君と一緒に移動するならとにかく近寄らなければならなかったんだ」
 ああなるほど。それであの時俺を呼んでいたんだな。それには納得する。
 けど。まだ分からないことがいくつか残ってる。
「君は足が軽くなったって言ったよね?」
 そう、それが分からないこと。こいつは分かっているのだろうか。
「それ、多分、呪文の効果を弱めるものだと思う」
「効果を弱める?」
 外人はまた咳をした。静かな空間に痛々しい声がよく響く。これでは本当に病人だ。
「大丈夫かよお前」
「平気、慣れてるから。それより知りたいんでしょ? 続けるよ、話」
 表情だけを見ると本当にいつもと変わらない。けど声に張りがないような気がするのは俺の気のせいではないのだろうと思う。
 服の袖で口元を隠すように拭き、リヴァはまた話し始めた。
「基本的に無属性のもので、呪文の効果を一時的に弱めるものなんだ。それを君は誰かから受けた。もちろんその誰かってのはぼくじゃない。ぼくはもう移動呪文を唱え始めてたからね。だからその呪文を君に放ったのは」
「藍色の髪の……」
「だろうね」
 そう言ってまた黙った。
 なぜだか分からない。けど俺にはそうとしか考えられなかったのだ。あいつが、あの藍色の髪の少年が助けてくれたとしか。
 敵なのに。
 俺たちの敵で、嫌われているのに。
 でもあいつは言っていた。今回は特別だと。それがこのことだったのだろうか。
 よく分からなかった。
「ねえ君? もしも悩んでも進むべき道を間違えないでね?」
 そんな時に聞こえてきた言葉。それがどんな意味なのか俺にはなんとなく分かるような気がした。

 

 時は過ぎ、俺は次の日の朝を迎えた。
 結局昨日はあのまま宿でのんびりと過ごしてしまった。宿に着いたのは昼過ぎくらいだったのだがいろいろ考えてると時間は早く経過するように思えるものだ。ほとんど何もしないうちに空は暗くなってしまっていた。
 村の中を走り回るような勢いで情報収集をしていたグレンも夕方には帰ってき、外人はずっとベッドで寝たままだったが充分な休憩をした。そして朝になると二人は元に戻ったようにぴんぴんしていた。この二人は俺が心配するほど病弱ではないらしい。まったく。
 忘れていたが、聞いた話によればグレンがなぜここにいたのかというとそれは偶然からだと言っていた。何がそうなのかと聞くと、どうやらあのお調子者は俺と別れてしばらくすると急に気を失ったらしい。そして気がつけばこの村の近くにいたそうだ。
「なあ樹。次はどこへ向かえばいいんだ?」
 そのグレンの宿を出てからの第一声がそれだった。しかしこいつは確か情報収集をしていたのではなかったのだろうか。
「お前、情報は何かなかったのかよ?」
「えっ」
 えっじゃない。
「えぇーっとぉ、それはだなぁ」
 どうやらろくな情報しか得られなかったらしい。何のために走り回ってたんだ。
 はあ。
 自然とため息が出てくる。呆れながらも俺は昨日のことを思い出しつつ二人に言った。
「ここから東へ向かおう。そこに俺たちの探しているものがあるってエナさんが昨日言ってた」
「そうか。じゃあそうしようか。な?」
 なんで俺に聞いてくるんだよ。
「探しているものって何なの?」
「さあな。行ってみれば分かるだろ」
 すっかり元気になった外人に俺は正直に答える。
 それ以上のことは分からないのだ。俺にはそうとしか言いようがないのである。
 でも行ってみれば分かるということは行ってみなければ分からないということであって。
「そうと決まれば行ってみようではないか諸君!」
「そーだな。ほら、リヴァも行くぞ!」
「あ、ちょっと」
 そうして三人はすぐに村を出て東へ向かって歩きだした。もちろんその先に何があるかなんて誰も何も知らずに。

 

 +++++

 

「――待って!」
 白い景色の中で、ぼくは必死になって足を動かしている。
 向かう先にはとても大好きな人たち。
「待ってよ!」
 だけど追いつかない。そればかりかどんどん距離がはなれていってしまう。
「待ってよぉ」
 ぼくの声は聞こえない。
 疲れて、その場で座り込んで泣いた。
 どうしてこんなにぼくは……。
「――大丈夫か?」
 そして聞こえてきた優しい言葉。
 ぼくは戸惑う。なんで? だってこの人は、ぼくの前で離れていっていたのに。どうしてここにいるの?
「疲れたのか? 終わりにしようか?」
「うん」
 こくりと頷く。
 その人はぼくの涙を拭き、頭をぽんぽんと叩いた。
 ぼくは立ち上がり、道を歩いていく。
 真っ白で、でもよく知っている毎日通る道を。
 この先に何があるのか知ってる。この先にあるものはとても大好きなもの。とても心地よいもの。
 だってこの先にあるのは――。

 

 +++++

 

「樹! いつまで寝てるの!」
 目が覚めたかと思うと俺は思いっきり外人に頬を叩かれた。乾いた音が周囲に響く。
 少ししてからじんじんと頬が痛み出してきた。はっきり言って痛い。
「な、何するんだよ」
「何するかだって!? よく言うよ! 蹴っても殴っても起きない君が悪い!」
 一方的に俺のせいですか。そんなに怒るなよ。
 俺たちはあの小さな村を出て東へ進んでいた。なかなか目的地らしき場所に着かずに、気がつけば夜になっていたのでそのまま野宿をしたのだ。俺にとってはそれも初体験のことでなんとなくどきどきしたのだが眠たかったのですぐに寝てしまい、あまり記憶に残っていない。
 そして目が覚めるとすでに朝がきていた、というわけである。なんだかそれも虚しいような気がするのだが。
「なんか……夢、見たな」
 誰にも聞こえないような小さな声で俺は一人呟く。
 でもその肝心の夢の内容はあまり覚えていないというのが現状であって。
「ほら、もう! 早く準備してよね!」
 こいつはこいつで勝手に怒ってるし。
「助けてくれよグレン」
「いやぁそれはお前が悪いだろ。俺に言うなよ」
 ああ。お前まで言うかそんなこと。だからなんで俺が悪いことになってるんだよ。俺ってそんなに起きるの遅いか?
 とにかくこれ以上のんびりしていたらさらに外人が怒りそうなので、俺はいつも以上に準備をてきぱきとしなければならなかった。

 そして再び歩き出す。しかし今日はあまり歩かずにすんだ。なぜなら目的地らしき場所にすぐに着いたからだ。
「ここがそうなのか? 樹」
 それを見上げながらグレンは隣から口を開く。
「俺に聞かないでくれ」
「でもいかにも、って感じがするんだけど」
 怒りのおさまった外人が口を挟んできた。
 俺たち三人の目の前に現れたのは一つの建物だった。一見質素そうで、その反面怪しそうな雰囲気を持つ建物。それほど大きいというわけでもなく、でも田舎のように小さいというわけでもない。新しそうで古そうな、周囲に木が何本も生えているどう言っていいか分からない変な家だった。
「で、ここに何があるってんだ?」
 もっともな質問をしてくるグレン。
「俺に聞かないでくれ」
 そしてそれが俺にできる精一杯の答えだった。
 さっきも同じこと言ってたな自分。
「どうするの? 行くの? 行かないの?」
 まるで怒っているように言ってくる外人。まだ怒りがおさまってないのだろうか。
 でももう引き返す理由なんてない。
「決まってんじゃねーか。行くさ。何のためにここまで来たんだよ」
「そうだよ。せっかく僕が君たちを助けてあげたのに」
 いきなり現れた第三者の声に俺たちは振り返る。
「こんにちは」
 そこには俺を悩ませる要因の一人である藍色の髪を持つ少年が立っていた。

 

 

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