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30 

 それはいつだったか、後ろから声をかけられて振り返ったときのこと。その時に初めて姿を見た。一方的に話をされ、会話がおかしいと何度も感じたことがある。何回も俺の前に現れて強制移動をさせられた。それがあいつ。名前も知らない藍色の髪を持つ俺より年下の少年。
 そしてそいつは今、俺の目の前にいる。
「今度は何しに来たんだ」
 こいつに会うとろくなことがない。それはもう充分すぎるほど分かりきったことだった。
「何しに来ただって? それはおかしい表現だよ、川崎樹君。君たちが僕の元へ来たんじゃないか」
 そう言って少年は微笑む。その言葉で俺はエナさんの言っていたことの意味が分かった。
 きっとここにいるんだろう。ガーダンを作っているという人が。
 俺たちが目指していた場所。俺の目的の場所。それがここだというのだろう。
「まあでも君たちがここへ来るのは分かってたから。だって僕があの村の近くまで送ってあげたんだからね」
 少年はやはり聞いてもいないことをよく喋った。前に会った時と何も変わっていない。
「じゃあ、この前俺を助けてくれたのはやっぱりお前だったのか」
「そうだよ。それがどうかした?」
 本来ならばこんな場合にはあいつにお礼を言わなくてはならないのだろう。でもあいつが助けてくれた理由を知った今、俺にはお礼を言うことはできない。
 そりゃ助けてくれたことには感謝している。あのままだったら今ここにいることだってできなかったんだろうから。だけどお礼を言っちゃいけない気がする。それは俺の隣に二人がいるから。
 二人。グレンとリヴァ。この二人はあいつに助けられたわけではない。助けられたのは俺だけ。二人にとってはやはりあいつはただの敵なんだろう。
「もしもガーダンを止めたいならこの建物の一番奥へ行きなよ。そこであの人が待ってるから」
 少年は建物の扉へ向かって歩きだした。そして扉の前まで行くと一度そこで立ち止まり、またこちらを見て言ってきた。
「そこで僕も待ってるから」
 それだけを言うと少年はその場から消えた。
 残されたのはやりきれないような、そんな妙な気持ちだけ。
「ここがそうだったのか。よし行くぞ樹! 敵は近いぞ!」
 隣からそんな声が聞こえたかと思うとグレンは一人ではりきって扉の前へ進んだ。そういえばあいつはこのためにいろんな場所へ行って、やっとここまで来たんだっけ。
「ほら、ぼくらも行こう樹」
「ん? ああ」
 外人に促され、俺も扉の前に立った。
 あれ? でもそういえば。
「なあリヴァ」
「何?」
 少し思い当たることがあったので一応聞いてみることにした。
「お前って、このことには関係なかったはずだよな。その、いいのか? こんなことに巻き込んじまって」
「何を今更言ってるんだよ君は」
 う。そりゃそうだけど。
 外人は人を睨みつけるような視線で俺を見ながら、いつものような口調で言った。
「君は弱くて情けないくせに変なところで無茶するんだから。君に勝手に死なれても困るし? それとも何? 君はぼくより強いとでも言うの?」
 嫌味だった。もうそうとしか考えられない。
「分かったよ、分かったから。じゃあ分かったところでさっさと行こうや」
 もうどうとでもなれ。こうなったらさっさと行ってさっさとガーダンを止めてやる。それがいい。そのために来たんだし。
 よし、じゃあ乗り込んでいきますか。
 俺は扉をぐっと押し、重そうな入り口を開いた。
 そして閉めた。
「は? 何やってんだ樹。開けろよ」
「じゃお前開けろよ」
 一歩下がり場所を譲る。グレンは俺の譲った場所に立った。そして扉を押し、開ける。
 そして閉めた。
「な? 閉めるだろ?」
「ああ。閉めるな、こりゃあ」
 よかった、グレンには常識が通じた。よし、あとは。
「ちょっと。何やってんの二人して。まさかここまで来たくせに何もしないで諦める気?」
 はたしてこいつがどんな反応をするのか。
 グレンは俺と同じように一歩下がって場所を譲った。その場所に今度はリヴァが立つ。そしてやや荒っぽく扉を開けた。
 そして中が見えた瞬間、
「――炎よ、エン!」
 何にも動じた様子を見せずにいきなりこれである。よっぽど苛ついていたのか、それとも判断能力に優れているのか。きっと前者だろうな。
 俺が扉を開けて見たものは目の前まで迫ってきていたガーダンの集団だった。その集団は外人の放った呪文に焼かれて一気に灰になっていく。
「まさかこんなことで本当に諦める気だったの?」
 呪文を唱え終えたあいつは今にも怒り出しそうで見ていられなかった。
「諦めるわけねーよ! さぁ行くぞ樹! 剣一本貸してくれ!」
 前を見たまま手だけをこちらにさし出し、グレンは俺の前に立った。俺は片方の剣を鞘から抜き、それをグレンに渡した。
「よし、じゃあお前らは下がってろよ!」
 そう言ったかと思うとグレンは一人で中へ乗り込んでいった。そして残された俺たち二人もグレンに続いて中へ入っていった。

 

 中はガーダンだらけだった。さすがに今回は上にはいなかったがどこを見てもガーダンがいてなかなか奥へ進めない。
 ガーダンの相手はほとんどグレンがしていた。俺とリヴァはグレンの後ろで自己防衛し、身を守るように進んでいった。それでもガーダンに一気に襲われた時は俺はすぐさまリヴァの後ろに隠れ、リヴァは刃物で鎧集団を切りつけるのであった。
 本当なら呪文でガーダンを蹴散らしていく方が断然早い。けど、まだここは最深部じゃないのでそれはできない。呪文はボスと戦うまで一切使わずに行くのがいいのだ。リヴァもそれを分かっているから呪文を使わないようにしているのだろう。それに呪文を使い続けていれば疲れるらしいし。
「ったく! 疲れるなこれは!」
 そう言いながらグレンは剣を振り回していた。その剣に当たったガーダンは面白いようにばたばたと倒れていく。
「本当にこんな調子で奥まで行けるの?」
「いーから行くんだよ!」
 俺は片方だけ残された剣を右手に握り締め、それで自己防衛していた。もう昔みたいに最初から最後まで人に頼るのはやめて自分の身くらい自分で守るようにしたのだ。そうでなきゃこんなところは進んでいけない。
 そんな調子で十分くらいガーダンと格闘していた。しかしさすがに戦いっぱなしは疲れる。俺は自己防衛しかしてないけどグレンはほとんど俺たち二人の分まで戦ってくれているのだ。そろそろ休ませてやりたい。
『――』
 休ませてやりたいのはやまやまなのだがこんな場所で休めるはずがない。これは思った以上にきつかった。最初はよく喋っていたグレンも外人も、今はすっかり無言になっている。
 くそ、何かないのだろうか。何かこの鎧集団をどこかへ押し退ける何かが。あるならすぐに教えてほしい。
『――樹! おい! 聞こえてんのか!』
 はっとして聞こえてきた声に耳を傾けた。周りがうるさくて少し聞き取りにくいがこれは貝の、エフの声だ。
「なんだよこんな時に!」
 つまらんアドバイスなんか聞かないからな!
『こんな時だからだ! 樹、お前エナと契約したんだろ!』
「契約? 何の話――」
『いいから! エナから石貰ったんだろ! 違うか!?』
 石? ああ貰ったな。貰ったけど、あれが何なのかは教えてくれなかったし。
 油断しているとまたガーダンが襲いかかってきた。ガーダンの連中を適当に剣で退けながら聞き逃しそうな貝の声を注意深く聞く。
『だったらそれを手に持って! ほら持て!』
 命令かよ! と思うがそれは一瞬のこと。俺は言われたとおりポケットの中からエナさんに貰った石をさっと取り出した。
『よし、じゃあこう言え。精霊よ――』
 まるでオウム返しのように俺は貝の後に続いて口を動かす。
「精霊よ――」
『三つの属性を司(つかさど)りし聖なる精霊よ』
 ふっと目を閉じ、動作を停止して繰り返す。
「三つの属性を司りし聖なる精霊よ」
『我は願う。魔の力なきこの空(くう)の器に』
 まるで時間が止まったように周囲からの雑音が聞こえなくなった。
「我は願う。魔の力なきこの空の器に」
『輝きの宿りし欠片より出(い)で、その力を我が前に示さんことを』
 何も聞こえない沈黙の中、響いてきた声をそのまま唇にのせた。
「輝きの宿りし欠片より出でその力を我が前に示さんことを――」
『――燃え尽きろ、エルフォート!』
 かっと目を開き、真正面を凝視しながら叫んだ。
「燃え尽きろ、エルフォート!」
 その瞬間、ほんの一瞬だけ俺の周りに光が現れた。そしてその光が消えた時には周囲のガーダン集団は炎に包まれていた。
 ばちばちと音を立てながら目の前で燃え続ける鎧の集団。その傍らでは驚いたような表情でそれを見つめている二人の姿がある。まるで何が起こったのか分からないといったようにじっとその様子を観察していた。
 けど一番よく分からないのは俺だ。硬直したまま動けない。
『よし樹、よくやった! これでちょっとは休めるだろ! な!』
 ポケットから聞こえる陽気な声も今では謎を深めるもののようにしか聞こえない。
「何をしたんだ? 俺」
 一人、呟く。
『お前は魔力がないだろ。だから精霊を、エナを召喚したんだよ』
 召喚、だって?
「樹! ねえ樹! ちょっと!」
 隣にリヴァが駆け寄ってきた。やはりその表情はすべてを理解していないそれであって。
「今の何? 呪文? 見たことない。君がやったの?」
「俺、が?」
 俺が?
 自分に言い聞かせるように何度も繰り返した。
 俺が? 俺がやったのか? 何を? 呪文? 召喚? エナさんを?
 召喚、呪文。
 魔力がないから。
「樹! さっきのはお前がやったのか! お前すごいじゃないか! さすがは未来の勇者様だ!」
 そう言ってグレンは笑う。
 俺は、俺は。
 俺は何も返せない。
 何も知らなかったから。何も分からなかったから。
 混乱の中に埋もれてしまった俺の意思が回復するには少しの時間が必要だった。

 

「つまりエナさんと契約した俺は、召喚呪文を唱えることによってエナさんを召喚できるってことか」
『その通り。んで、そのエナなんだけどよ、エナの扱える呪文の属性は三種類あるんだ』
「三種類も? 確か精霊は属性を一人一つずつ持ってるって」
『それはだなぁ、エナは特別なんだ。火と氷と風を扱える。あ、ちなみにオレも特別なんだぞ。すごいだろう!』
「ふーん」
 すっかりガーダンのいなくなってしまった広間で俺たちは座り込んでのんきに話をしていた。話をしていると言うがそれは一種の休憩である。つまり最初の目的が達成されたのだ。
 エフの話によるとエナさんは精霊なのだとか。ついでにエフも精霊だと言っていた。しかしそんな精霊がなぜ石や貝になっているのかは教えてくれなかった。自分で考えろということか。
 そして俺はエナさんと契約した契約者として、エナさんを召喚できるようになったらしい。でもそれには毎度長い召喚呪文を唱えなければならないらしい。ただの呪文じゃないぶん長くなるのは仕方がないことだと貝は言っていたが、はたしてそれはあっているのかどうか。俺には分からない。
 でもそれでもそれは悪い気はしなかった。だって召喚呪文が使えるようになったということは少なからず強くなったということだし。
 まあ実際に俺が自分の手で呪文を放つのではないからあまり実感がないことはないのだが。そこが少し残念だったりする。
『で、樹。召喚呪文はもう覚えたよな?』
「長すぎて覚えられねーよ」
 前にも言った気がする台詞を言い、貝をぽかんと叩いた。すると貝はすごい勢いでジャンプして俺の目の前まで飛び上がってきた。
『なんだとこら! せっかくオレが教えてやったというのに――』
 ぽとり。貝は再び地面の上に戻った。
「んーねえ、樹」
 今度はこいつか。横を見てみると外人が俺の服を引っ張っていた。何なんだよもう。
「君さぁ、本当に精霊と契約したの?」
「この貝はそう言ってるんだけど。俺にはよく分かんね」
「それだけで召喚ができるなんてずるい」
 何を言い出すのかと思ったら。外人はそんなことを言ってきた。しかしそれを俺に言われても困る。
「ずるい。本当にずるい。すっごい腹が立つ」
「な、何だよ。お前だって契約したんだろ? だったらそれでいいじゃねーか」
 とりあえず俺にあたらないでくれ。俺は何も知らないんだから。
「ぼくの苦労も知らないでさ」
 そう呟くように言うと外人は手を離してそっぽを向いた。なんだか子供みたいだ。
「おい、そろそろ休憩は終わりにしないか? こうしているうちにもまたガーダンが現れかねないだろ?」
「え? あっ」
 グレンは俺たちの意見を聞かずにさっと立ち上がってしまった。それなら聞いてきた意味ないだろ。
「いいさ。なんかむかむかするし早くこんな場所からはおさらばしよう」
 そう言い外人も立ち上がる。心なしか声が怒っている。なんでそんなに怒るんだよ。俺が悪いみたいじゃんかよ、それじゃあ。
 仕方がない。もう休憩は終わりにして早いとこ最深部へ行こう。
 俺が立ち上がろうとしたその時。
『そうだ、言い忘れてた』
 また貝の声が聞こえてきた。見れば貝は地面の上に置かれっぱなしであった。もう少しでこのまま忘れるところであった、危ない。
『一つ言っとくけどよ、エナを召喚するのは一日三回までしかできないからな』
 はい?
『一つの属性につき一日一回きり。よかったじゃねーか三回も召喚できて。だから今日はあと氷と風の属性だけな』
 何? それって制限とかあるのかよ?
「おい樹! 早く来いよ!」
 はたと気づけばグレンとリヴァはすでに先へ進んでいた。俺だけが取り残されている。
 俺は慌ててポケットの中に貝を放り込み、二人を追った。

 

 それから何分くらいが過ぎただろう。分からなかったがあまり時間は経っていないような気がする。
 俺たち三人は一つの扉の前に立っていた。いかにも中に何かいそうな扉である。ここが最深部なのだろうか。
「よし、じゃあ乗り込むか」
 グレンはそう言って無防備に扉を押した。っておいおい!
「危ないんじゃないのか? そんな無防備に」
 しかし俺の呟きが聞こえるわけがなく。グレンは扉をすっかり開けてしまった。扉の奥には薄暗く広い空間が広がっている。
 そしてそこにはあいつがいた。
「ずいぶんと……遅かったね」
 名前も知らない、でもよく知っている人物。
 薄暗い部屋の中で藍色の髪の少年は少しだけ微笑んだ。

 

 

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