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31 

 ずっとずっと分からなかった。
 あいつは、あの藍色の髪の少年はいつも俺のことばかりを馬鹿にしたり見下したりしていた。
 だけどそれは言い換えると俺のことばかりを見ていたということになる。他にも人はたくさんいるし、俺の周りにはあいつが嫌いそうな奴だっている。それなのに自分で嫌いだと言っていた俺にばかりつきまとってきた。
 そのことが分からなかった。どうして俺なのか。どうして他の人じゃいけなかったのか。
 その理由がもしかしたら今日、分かるかもしれなかった。

 

「そんなにあの人を止めたいんだね」
 微笑んだままの表情で少年は静かに言った。もっともこの広々とした空間には何の音もなかったため、その声はよく響き渡っていたのだが。
「当たり前だ。何のためにここまで来たんだと思ってる」
 剣を構え直し、グレンは一歩前へ踏み出した。少年はそれを見ても少しも動じない。
「じゃあ僕は君たちにとってただの邪魔者ってところなんだね」
 邪魔者。それは何気なくひどい言葉だった。それを自分で言うなんて俺には真似できないことだ。
 そしてそれには誰も言い返せない。当然だ。だって俺はともかく、二人にとってはその通りなのだから。
「余計な挨拶なんて必要なかったね。見せてもらうよ。君たちの――君の勇気と正義を」
 ふっと何か嫌な予感がした。そしてそれは見事に的中することとなる。
 気がつけば俺の周囲が真っ暗になっていた。それはまるでタシュトに呪文を放たれた時のように。でもあの時と違うのは足に重みを感じなかったことだ。今は周りが暗くなっただけで、その他には特に何もない。
 そしてもう一つ違うことはその暗闇は一瞬だけのものであり、驚いているとすぐに消え去ったことだ。
 暗闇が消え去ると周囲の色がなくなっていた。白と黒だけの世界に変わっている。そしてその場には俺と藍色の髪の少年しかいなかった。
「で? 今度は何をしたんだ?」
 もうすっかりこんな展開には慣れてしまった。心のどこかでこうなるような気がしていたのかもしれない。だから二人がいなくてもそんなに驚くことはなかった。
 少年は黙ってこちらを見ていた。その表情はなくなり、無表情で愛想のない顔になっている。
 じっと見られること三十秒弱。さすがに耐えられなくなってきた。
「なんだよ、何か言ったらどうなんだよ」
 声をかけてみるもやはり返事はなくて。
『心が変わった』
 代わりに聞こえてきたのはそんな言葉だった。しかしそれはいつものものとは違う。直接耳から入ってくる音じゃなくいきなり頭の中に響いてくるような、そんなものだった。
 まるであいつが心の中から話しかけてきたような。そんな印象を受けた。
「おい! 何考えてんのか知らないけど心が変わるのは当たり前だろ! 俺だっていろいろ考えてるんだからな!」
 そう、いろいろ考えてんだ。こんな世界じゃ何も考えずに生活することなんてできないだろうから。
「君、今のが聞こえたの?」
 なんだか驚いたような声で聞いてきた少年。しかしその表情は無表情のままだった。
「何言ってんだよ。お前が話しかけてきたんだろ? 心の中だけで」
 俺だってそのことに気づかないほど馬鹿じゃない。それにあいつは直接言ってはくれなかったが、俺の考えていることが分かるらしいのだ。だからそれくらいできてもおかしいことはないだろう。
「そう」
 しかし少年はそう言っただけだった。
 なんだ俺の推測、間違ってたのか? そうだと思ったのに。
「君は間違ってないよ。間違ってたのは、どうやら僕だったみたい」
 は? こいつ、何を言って――。
「君はどうでもいい人なんかじゃなかった。放っておいても害のない人なんかじゃなかった。君は充分危険人物だ」
 何を言い出してるんだこいつ。俺のどこが危険なんだよ。
「さぁ剣を構えて、樹」
 何も教えてくれない。
「言っただろ? 君の勇気と正義を見るって」
 少年は何もない空間から何かを出し、それを両手に握った。
 その何かというのは二本の剣。俺の使うものと同じもの。
 そして相手は不敵に微笑んだ。
 どうやら俺も覚悟を決めなければならないらしい。腰に挟まれていた剣を抜き、それを目の前までもっていく。しかし一本しかない。当然だ、残りの一本はグレンに貸したままなのだから。
「そっか。一本しか持ってなかったね、君」
「だったらどうしたってんだよ」
 このまま引き下がってくれたら文句はないんだけどなぁ。
「そんなことするわけないじゃない。いいよ、一本だけ貸してあげるから」
 そう言って少年は俺に近づき、持っていた剣を一本渡してきた。戸惑いつつもそれを受け取ってみる。
 受け取った剣は俺が持っているものと同じ物のように見えた。大きさも重さも、見た目も同じ。それは同じ物だとしか言いようがなかった。似ているとかそういうレベルではないのだ。
 少年は元の位置まで戻るとまた何もない空間から同じ剣を出した。そしてそれを握り締める。
 それは恐怖じゃなかった。それは一つの試みだった。
「待てよ! その前に教えてくれないか。お前はさっき何をしたんだ?」
 覚悟を決めるのはいい。だけどそれだけではどうにもならないことだってある。そのためにまずは状況を知っておくべきだ。そうだろ?
「うん、そうだね。間違ってはいないよ。僕は少し時間を操作しただけさ。今、二人の時間が止まっている。そして少しだけ場所を移動した。それだけだよ」
 そうか。だったらそんなに心配することもないな。小さく安堵(あんど)の息を吐く。
 だったらもう何も気にすることはない。
 自分の目的を果たすために。自分のやるべきことを成し遂げるために。
「覚悟は決まった?」
 そして自分の力を試すために。
「いつでもどーぞ」
 対立した壁を乗り越えるために、俺はこの道を選んだ。この道――戦うということを。

 

 異変に気づき始めたのは戦いを開始してから何分かが経過してからだった。
 俺は慣れない剣での攻撃を相手に浴びせかけていた。もちろんその攻撃がまともに相手に届くはずがなく、いつも途中で止められてばかりだったのだが。
 しかしその中でよく見てみればおかしいことがあった。それは何なのかというと――。
「はぁっ!」
 右手からのストレートな攻撃を仕掛ける。それは相手に届きそうなところで俺と同じような動きで止められた。
 そう。相手は俺と同じ動きをしてきていたのだ。それはまるで鏡か何かのように。
 それはつまり俺は攻撃を受けないということ。そして同時に相手も攻撃を受けないということ。これでは埒(らち)があかない。
 一度相手と距離を取り、そこで俺は攻撃をやめた。このままやりあっても体力を消費するだけだ。それよりも他の方法を考えなければ。
「へぇ、気づいたんだ? そしてどうする気?」
 うるさい黙ってろ。いちいちお前に説明なんかしてられるか。
 俺はこいつに勝たなければいけない。こいつに勝って、ガーダンを作ってるって奴にも勝たなければならないんだ。こんなところで止まってなんかいられないのに。どうしてそう邪魔ばかりするんだ。
「樹。君、僕のことどう思ってるの?」
 両手に剣を持ったまま少年は訊ねてきた。それこそ俺をなめたような質問を。
「お得意の心を読む力で調べちまえばいいじゃねーか。それとも何だ? 嘘でも言ってほしいのか?」
「ちが、う。君は勘違いしてる。僕が読めるのはその時に思っていることだけ」
 少年は俯いた。なんだろう。さっき一瞬だけ言いよどんでいるような気がした。
「教えて」
 顔をあげた。まっすぐ俺の瞳を見てくる。
 なんだよそれ。
 それじゃあ俺は嘘をつけないじゃないか。嘘をついたらすべてばれるから、本当のことしか言えないじゃないか。
 だけどそれでも嫌な気がしないのはなぜだろう。
「分かんねえよ」
 俺は正直に話す。
「分からない?」
「ああ、分かんねえ。最初は愛想のない腹の立つ奴だと思ってた。でもお前は敵のくせに助けてくれたりしたじゃんか。今だって本当なら俺なんかすぐに倒せるのに、こうやって勝敗のつかないやり方で戦ってる。だから俺はお前が嫌いでもあるし、気に入ってもいるんだと思う」
 だからどちらと決めることはできない。そういうことだ。
 少年は無言のまま聞いていた。嫌な顔もせず、ましてや嬉しそうでもなく、本当に感情のない無表情の顔で聞いていた。それでも視線はこちらに向けられていたので聞いてくれてはいたのだろう。
「そう、思ってるんだ」
 しばらくしてそんな言葉が聞こえた。そこにもやはり感情は含まれていない。
「意外だったか? お前のこと嫌ってないってこと」
 緊張した顔がほころんだ。それほど場の空気が変わっていたのだ。
「ううん」
 首を横に振る少年。髪が少し乱れていた。
「どうして分からないって答えるの? 君の中ではちゃんと答えが出てるのに」
 少年は言った。俺はそれにも正直に答える他はない。
「お前が何を言ってんのか分かんねえ」
 分からなかった。あいつの言っていることの意味が。だから少しおどけて言ってやった。でも少年は怒らなかった。認めてくれたんだろうか。
「俺は何も分かってねえんだ。世界のことだってそうだけど、お前のことだって分かってない。お前はなんでガーダンを作ってる奴に味方するのかとか、どこから来たのかとか、どんな名前なのかすら知らないんだ。これ以上分かんねえことを増やさないでくれよな」
 そしてできればそれらを教えてほしい。せめて名前だけでも教えてくれないか。ずっと『お前』と呼ぶのは失礼だろ?
「…………」
 また空気が変わった気がした。俺の言葉で少しは分かってくれただろうか。
「僕が何者かとか今は教えることはできないけど」
 消えた。
 目の前から少年がいなくなった。どこに行ったんだあいつは。
「いずれまた会った時に、教えてあげる」
 そうかと思えば背後からの声。全然気づかなかった。
「だからその時まで」
 振り返ってみる。かなり近い、手をのばせば届くような場所に少年はいて、そして。

「――さよなら」

 体に痛みが走った。
 ゆっくりと視線を少年から自分の体へと移す。
 そこに見えたものは俺の体に刺さった少年の剣で。
「な、にを」
 頭で状況を理解するより早く口が動いていた。
 再び視線を少年に向ける。少年は無表情のまま微笑み、おかしいように聞こえるかもしれないが無表情のまま笑っていた。
 そしてその笑顔を見たかと思うと体の痛みがすっと消えていくのを感じた。驚いてまた自分の体を見てみると、少年の持っていた俺の体に刺さっている剣が光っている。光りながらそれは壊れていっていた。空中へ蒸発するように少しずつ、だが確実にスピードを上げながら消えていく。
 その剣がすべて消えてしまうと俺の体には痛みは残っていなかった。それに傷口すらない。
 しかしそれだけじゃなかった。剣が消えてしまうとあいつもいなくなっていた。あの藍色の瞳を持つ少年が剣と同時にいなくなっていた。
「…………」
 俺は、負けたのだろうか。
 でもあいつは俺にある物を残してくれた。
 持っていないからとあいつから渡され、さっきまで使い続けていたこの剣。
 最初から勝ち負けなんて関係なかったのかもしれない。
「――悪かったな」
 俺は小さく謝り、部屋を出ていった。

 

 部屋を出ると奴らはすぐそこにいた。
「樹! 何やってたんだお前! 捜したんだぞ!」
「あの子供はどうしたの!? やられたなんて言わないでよね!」
 あー。うるさい。
「あいつならもういねーよ。それよりさっさと行こうぜ?」
 一部始終を説明するのは面倒だったし、何より話したくなかったので二人には適当に答えてやった。それに話しだしたら長くなるもんな。こんなところで時間を使いたくないし。
 あれ、時間といえば。
「なあ、捜してたって言うけど何分くらい探してたんだ?」
 あいつの言っていたことが本当ならこの二人の時間は止まっていたらしいんだけど。気になったので聞いてみた。
「何分って」
「一分くらいでしょ。すぐ見つかってよかったじゃない」
 そう言って顔を見合わせる二人。いつのまにか仲よしさんになったらしい。よかったよかった。
「そっか。じゃあ行こうか」
 あいつがいたってことは最深部は近いってことなのだろう。こうなったら一気に乗り込んでいってやる。
「そだね。早く行って早く終わらせたいし」
「おっ、たまにはいいこと言うじゃねーか。そうだよな、早く終わらせねえとな!」
「勘違いしないでよ。ぼくは世界の人のために先へ進むんじゃない。自分のためだけに進むんだから」
 なんだか二人は仲がいいのか悪いのかよく分からなかった。
「はいはい分かったから。だったら早く行こうな」
 とりあえずこの二人をまとめる役は俺らしい。自分ではこういう役には向いてないと思うんだけどなぁ。
「で、どこへ行けばいいんだ?」
 早速だが道が分からなかった。俺のまとめ役はこれにて終了。
「あの扉が怪しい」
 まとめ役は今度はグレンになった。きっとこの三人の中では一番向いていると思う。
 そういうわけで俺たちは怪しいと思われる扉の中へ進むことにした。

 

「げっ。なんだこりゃ」
「わぁ。真っ暗だね」
 扉を開くと真っ暗な空間が見えた。しかしよく見てみるとそれは階段になっており、暗くて何も分からない下へ続いていた。
 ってか暗くて足場も見えにくいし。こんなところを進めというのか。
「よーし、じゃあ行くかぁ。樹、ちゃんとついてこいよー」
「あ、ちょっと」
 いつものごとくグレンは誰よりも先に進んでいってしまった。その姿はすぐに闇に溶け込み、やがて見えなくなる。
「ぼくらも行こう樹」
「ちょっと待ってくれよ!」
 思わず大きな声を出してしまい、はっとして口を隠した。外人はそんな俺を怪訝そうに見てくる。
「どしたの? 行かなきゃならないんでしょ?」
 平然と聞いてくるリヴァ。けど俺はそんなに平然としていられなかった。
「そんなこと言ったってお前、こんな暗いところ進めるわけないだろ。足元だってろくに見えねーのに、こんな真っ暗闇――」
「恐いの?」
 真顔で聞いてくる。俺は情けないが言い返せない。
「……悪いかよ」
 お前は恐くないのかよ。グレンだってそうだ。なんでそんなに平気なんだこいつらは。俺は平凡高校生なんだからな!
「じゃあ、はい」
 そう言ってリヴァは手を握ってきた。って、何してんだよお前!
「は、離せよ恥ずかしい!」
 なんで俺が仲良く手をつないで階段を下りなきゃならんのだ。恥ずかしいわ!
「なんだ、必要ないならそれでいいけど」
 意外とすぐに手を離した。しかしそうされては何か、困る。
 目前には先の見えない闇。真っ暗で足元なんて注意して見なければ、まったく見えないようなものである。
「……やっぱ手、貸してくれ」
 仕方がないことだった。だっていくら強がってもやっぱり恐いもんは恐いんだ。いいだろ別に。
「いーけど嫌なんじゃなかったの?」
「もういいんだよ! それは!」
 半ば苛立ったようにそう言い、俺は外人の腕の服を掴んだ。これならまだ許せるだろ。手をつなぐなんてことはさすがにできないけど。
「ん。じゃ、行こう」
「あ! その、ゆっくり、な?」
「分かってるって」
 相手は笑っていた。俺が恐がるのがそんなにおかしいのかよ。はあ。元気なくすなぁ。
 そんな何とものろのろした調子だったがようやく俺は最深部へ近づき始めた気がした。最深部で一体何が待ってるのかは分からないけど、もはや迷いなんてなかった。行って止めるだけ、それだけだ。
 暗い道は表情を隠してくれたので俺はリヴァの隣で静かに剣を見つめていた。その時の俺の表情は誰にも分からないが、自分にも分からなかったということは言わずとも分かることだろう。

 

 

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