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32 

 この暗闇の先に目指していたものがある。
 それは目標。倒すべき敵であり、自分の実力を試すもの。
 この時のために今まで戦ってきた。この時のためだけに今まで進んできた。
 自分のためだけじゃなく世界の名前も知らない人々のために。
 先に何が待ち受けていようと俺はそいつを倒さなければならないのだ。

 

 下へ下りるにつれ暗闇は深くなり、最後には何も見えなくなってしまった。これでは先へ進めないのではないかと思ったが、俺の横にいる外人はそんなことにはお構いなしに進んでいた。だから俺もそれにつられて足を止めることなく進んでいく。
 ただやっぱり真っ暗だと小さな音にも反応してしまい、どうにも辺りを気にしすぎてしまう。自分で自分が情けないくらいこの暗闇の階段は恐かった。
 それでもなんとか階段を下りきることができた。自分でほっと胸を撫で下ろす。
 階段がなくなるとなんだか古そうな扉があった。なぜそれが見えたのかというと、その扉の隣に小さなランプがあったので真っ暗だというわけではなかったからだ。ぼんやりとだが光がある。俺はそれを見たら安心できた。
「ここにいるんだろうな、ボスが」
 扉の前には先にここに着いたグレンがいた。さすがに今回は先に入ってはいなかったようだ。それでやられたりしたら意味ないもんな。
「そういや樹、この剣借りっぱなしだったな。返すか?」
 唐突に言ってきたグレン。そして剣をさしだしてくる。
「いや、お前が持ってろよ。俺はいいから」
 ってか持ってるしな。だから俺は剣を受け取らなかった。
「そうか? ならいいけど」
 そして再び扉と向き直る。
 この先にあいつの言っていた奴がいる。ガーダンを作っているという奴が。
 倒すんじゃなくて止めるんだ。
「じゃあ行くぞ」
 グレンは扉に手を当てた。そしてゆっくりと開いていく。扉は何の障害もなくすぐに開いて最深部へ案内してくれた。

 

「そんな、まさか!」
 最深部は小さな部屋だった。今まで通ってきた部屋とは似ても似つかないほど違う雰囲気を持っている部屋。狭い空間の中にいくつもの本棚が並べられ、木でできた小さな机が置かれてある。その机の上には無造作に紙が散らばっており、床の上にもそれはばらまかれていた。そこは図書館か何かのように見える部屋だった。
 だがその部屋には誰もいなかった。探していた人物が見当たらない。まさかとは思うけど逃げられたんじゃないだろうな? 嫌な予感が胸をよぎる。
「誰もいないなんて! なんてこった! 一体どこへ……」
 グレンは紙と本に埋もれた部屋の中をうろうろしていた。それに比べ、俺は呆然としたように動けない。
「すごい、珍しい本ばかりだ」
 そして外人は本に夢中になってるし。そんなことしてる場合じゃないだろうが。
「これは歴史書かな? すごく古いものだ。偉大なる――の、末裔……」
 ぱらぱらと本をめくり一人で音読しているリヴァ。きっともう周りなんて見えていないに違いない。
 他にすることもなかったので俺はぼんやりと外人の独り言を聞いていた。
「光……精霊が仕事中? 何だろこれ。あ、こっちは闇の……裏の、世界に、封印され……」
 なんだかよく分からないことをぶつぶつと呟いていた。俺が聞いても意味がないことばっかでつまんねーな。
 しばらくすると本を本棚にしまい、別の本を読み出す外人。しかしその時に俺は、本棚から本を出すときに何かが落ちたことに気づいた。それは小さな手帳のようなもので、ちょうど俺の近くの床の上に落ちた。
 とりあえず拾い上げて中を覗いてみる。
「ここで作ることができなくなったので、スイベラルグのガルダーニアへ一度戻ることにしよう――?」
 手帳にはそう書いてあった。これってまさかここにいた奴の、ガーダンを作っていたという奴の残したもの?
「グレン、リヴァ! これ見てくれ!」
 やっぱり逃げられたみたいだ。また追いかけなきゃならないのかよ。
 二人は覗き込むように手帳を眺め、その文字を読んでいた。そして読み終わるとその場に座り込んだ。俺も真似して座ってみる。
 って座ってる場合じゃないんじゃないだろうか。
「スイベラルグかよ。こりゃあ困ったなぁ」
 最初に口を開いたのはグレンだった。腕を組んで目を閉じ、何か悩んでそうな表情をしている。
「なあ、何なんだそのスイなんとかって」
 もちろん俺に話についていけるわけがない。そんな変な横文字をいきなり言われても困るのだ。誰か説明してくれ。
「スイベラルグ、だよ。ガルダーニアは知らないけど、スイベラルグは異世界の名前なの」
「異世界の名前ぇ? ってことは、ここにいた奴は異世界へ行ったってことなのかよ?」
「そうなんじゃない?」
 さらりと外人は言ってくれる。なんてこった。この世界にはもういないってことかよ。よりによって異世界だなんて。
 いやでもそれっておかしいじゃないか。だってまだ世界は閉じたままのはずなのに、この世界から出ることなんて――。
『樹、おーい樹!』
 そんな時に聞こえてきた貝の声。何なんだよ今忙しいのに。
『エナが呼んでるぞお前のこと』
「エナさんが? でも声とか聞こえないし」
『いいからエナを召喚しやがれってんだ!』
 なんでわざわざそんなことしなければならないのか分からなかったが、とりあえず貝の言うとおりにしてやるか。
 しかし。それにはある問題があるのであって。
「なあ、召喚呪文、もう一回教えてくれないか」
 そう。長すぎて呪文なんてこれっぽっちも覚えていないのだ。でもあれを一回言っただけで覚えろというのは普通は無理だろう。そんなに記憶力がいいというわけでもないんだし。
『なんだよそれ! 仕方ない、一回しか言わねーからしっかり覚えとけよ!』
「あ、やっぱちょっと待ってくれ」
 いいことを思いついた。
 俺は床の上に散らばっていた紙を拾い上げてそれを適当な大きさにちぎる。
「リヴァ、何かペンか何か貸してくれ」
「ん? いいよ、はい」
 どこから出してきたのか。外人からペンを借りてポケットの中から貝を出した。そして貝と向かい合い、準備が完了する。
「いいぞ、貝」
『お前は覚える気がないのかよっ!』
「後でゆっくり覚えるさ。それより早くしてくれよ」
『ちぇっ、何だよ。分かったよ』
 貝はなんだか不満そうだったがぽつりぽつりと呪文を言い始めた。
『精霊よ――』

 

 よしできた。完璧。
 俺は貝から呪文を聞き、その呪文の言葉をさっきちぎった紙に書いていった。これなら間違わずに言うことができるし、もし忘れても何度も覚えなおすことができる。我ながらなかなかいいことを思いついたもんだ。うん。
 では書けたところでエナさんを召喚してみますか。
 立ち上がって紙に書かれた文字を見ながら呪文を唱える。
「精霊よ、三つの属性を司りし聖なる精霊よ。我は願う。魔の力なきこの空の器に、輝きの宿りし欠片より出で、その力を我が前に示さんことを――」
 呪文を唱え終えると、以前と同じように一瞬だけ俺の周りに光が現れた。その光が消えるとどこからか頭に響いてくる声が聞こえてくる。
『イツキ、呼び出してくれたことに感謝します。どうぞ気を悪くしないで聞いてください』
 言うまでもないことだろう。それはエナさんの声だった。
「エナさん、一体どういうことなんだ? この世界は閉ざされてるはずなんじゃあ」
 姿の見えない相手に尋ねる。まず知りたいことといえばそれだった。
『イツキ。あなたがこの世界へ来た時のことを、あなたがこの世界へ来た方法を覚えていますか?』
 俺がこの世界へ来た方法?
「それはリヴァが――」
 そう、なんだかよく分からなかったが、すべてはこの外人が俺を異世界へ連れていこうとしたことから始まったのだ。忘れもしない。あいつは確か呪文で楽をしようとしていたはずだ。そして失敗したと。
『あなた方の追っている人も、おそらくあなたの時と同じように偶然世界から出られたのでしょう』
 偶然だなんて。なんて運のいい奴なんだそいつは。俺は早く帰りたいってのに。
「そんなことがあり得るの? 聞いたことない!」
 いきなり口を挟んできた。誰かと思えばさっきまで本をあさっていた外人であった。どうしたんだ急に。
「ぼくの場合もそうだ。どうして偶然なんてことが起こるんだ、なんで呪文が正常に発動しないんだよ!」
「お、おいリヴァ」
 なんだってんだ。いきなり怒るように喋りだした外人。そこまで怒ることないだろお前。
「君は黙ってて! ねえエナ、あんた精霊なんだろ? あんたが呪文の管理をしてるんだろ? これが一体どういうことなのかちゃんと説明してくれない? でなきゃ困るのはこっちなんだ!」
 まるでスイッチが入ったみたいに喋り散らす。しかしエナさんのこと呼び捨てにするなんて、あいつ思い切ったことしてるな……じゃなくて!
 いくらなんでもそれは一方的すぎるだろ。精霊だってなんか大変そうなんだし。
『分かりました、知っていることを話しましょう』
 だけどエナさんは反発しなかった。
 この人には適わない。俺はその時、強くそう感じた。
『その前にエフ。あなたもイツキと契約してはどう?』
『は? オレ?』
 は? 貝と契約だって?
 いきなり何を言いだすんだエナさんは。貝と契約したら、そしたら……何かあるのか?
「なんだって! お前契約なんかするのか!」
 今まで関係なかったグレンが口を挟む。そういえばあいつには契約のこと話してなかったっけ。忘れていた。
「また契約するって!? 自分だけ楽しちゃってずるい!」
 そしてこいつは怒ってくるし。ああもう。うるさいうるさい。
「本当に俺と契約するのか? エフ」
『なんでよりによってお前なんだ』
「なんだよその言い方は! 俺じゃ駄目なのかよ!」
 こいつはやはり腹が立つところがある。なんだってそんな言い方してくるんだよ。
『でも、ま。仕方ないからオレのスペシャルな力を貸してやるとするかね。嬉しく思えよ! オレも三つ属性持ってるんだからな! すごいだろう!』
 あーはいはい。よかったね。
『ん、じゃあ契約しようかねぇ。樹、お前に質問だ』
 エナさんの時と同じようにエフも俺に何かを聞いてくるらしい。
「何だ?」
『お前は、お前自身の正義を貫き通せるか?』
 正義。
 それは何かを守るための土台。それは何かを強くするためのきっかけ。
 皆の視線が集まる中、俺は短く答えた。
「はい」
『よし、いい返事だ。あなたに契約を。水と地と雷の心を、私は契約者に託す』
 光があふれだす。その光は空中を支配し、やがて俺の上着のポケットの中へ流れ込んでいった。ポケットの中にあるのはあのエナさんから貰った石。きっとそこへ流れていったのだろう。
「今のが、契約?」
 驚いたような声が隣から聞こえてきた。それは誰のものかと思ったら、その声の主はいきなり立ち上がった。
「ふざけてる! そんな簡単な契約があってたまるか! どれだけ多くの人があんたたち精霊との契約を望んでいるか知ってるだろ! 望んでも契約できないことを知ってるだろ! あんたたちは、あんたたちはその人たちの願いを馬鹿にする気か! 本当ふざけてる!」
 そう言ったのはリヴァだった。かなり驚いた。こいつがこんなに怒るなんて。よく怒る奴だとは思ってたけど、ここまで真剣に怒っている姿は初めて見た。
「こんな簡単な契約、昔の契約者が聞いて呆れる! だから嫌いなんだ、新参者の精霊なんて! 自分勝手で不公平で、まるで大人のようなあんたたちのことなんか!」
「おい落ち着けよ!」
 見ていると心配になってきた。声をかけてやらないとずっと喋り続けそうで、俺はそんな外人を見ていられなかった。

 

『よいのですイツキ。彼が怒るのも当然のことなのですから』
 こんな時でもエナさんは引き下がっていた。だけど何かそれは違う気がする。
『リヴァセールといいましたね。あなたはいつ契約したのですか?』
「いつだって? あんたたちの前の精霊の時にさ! あの人たちはあんたたちほど酷くなく、逆に素晴らしい人たちだった!」
 苛ついたような口調でリヴァは言う。その機嫌はなかなかなおりそうになかった。
「どうしてあんたたちになんかなったんだ。前の精霊たちはどうなったんだよ! 全部説明しろ!」
 そして俺はまた話に置いていかれてしまった。もう何のことを言っているのかさっぱり分からない。
『そうですね。あなたには聞く権利があります。そしてイツキ、あなたもちゃんと聞いていてください』
「は、はい」
 今のってまさか注意? そんなに俺、無関心そうな顔してたのか? だったらちょっと反省。
『いいえ……すみませんがやはりここで話すのは不適切かと思われます』
 いきなりそんなことを言ってきたエナさん。一体どういう――、
 がくん。
 足場が崩れた。
「え?」
 何が起こったのか理解するよりも早く、俺の意識は途切れてしまった。記憶に残っているのは俺の名前を呼ぶ声と、下へ落下していく感覚だけで。

 

 目指していたものがそこにはなくて。
 精霊と人との喧嘩が始まって。
 そして妙な気持ちを抱えたままで。
 この先俺がどんな道を選ばなければならないのかなんて、きっと誰にも予想できないことなのだろう。

 

 

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