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 すべてがうまくいくと思っていた。
 何の問題もなく何もかもがまとまるものだとばかり確信していた。
 だけど現実はやはりそう甘くはなくて。
 目に見えるものがすべてだと思っていたのに裏切られ、
 自分の行為はただ陰の中に忘れられ、
 挙げ句の果てにはここは終わりじゃなかった。
 これが現実。
 ここはすべての終わりであり、始まりだった。
 そしてそこから始まった物語こそが、
 真実を繋ぐ光の輝きなのである。

 

第五章 鐘が鳴り響くとき

 

33 

「――お兄ちゃん」
 誰かの声が聞こえる。誰だったか、聞き覚えのある声が。懐かしいような、そうでないような。
 俺はどうなってるんだろう。目を閉じたまま横たわっているのは分かる。だけどそれ以外は分からない。目を開けようとしても無駄だった。
「樹さん、起きてください」
 今度は女の子の幼い、だけど丁寧な言葉が聞こえた。それも懐かしい気がする声だ、でも思い出せない。
「あなたに話しておきたいことがあるんです。どうかわたしたちの声を聞いて」
 聞こえてるさ、だけど体がいうことを聞かない。目も開けられない。どうすることもできなかった。
「お兄ちゃん、ぼくらはもうすぐ消えるから、あなたには知っててもらいたいから」
 何だって? もうすぐ消える? 何の話をしてるんだ?
 俺に何を望んでるんだ?
「樹さん、わたしたちのことを忘れないでくださいね――」
 忘れないさ、忘れないけど、あんたたちは誰なんだ?
 忘れること以前に誰だか思い出せない。けど覚えている声には間違いない。だったらなんで思い出せないんだ俺は。
 なんで、どうして。
 どうして――。

 

「はっ!」
 目が覚めた。辺りには光があふれている。
 俺、どうなったんだっけ。妙に頭が痛くてずきずきした。また地面に寝転がっていたらしく体をゆっくりと起こす。
 見たこともない風景だった。赤き星でも以前訪れた村でもない。壁のように高い建物がいくつも見え、目の前には城のようなひときわ大きな建物があった。
 知らない場所だ。そう思う他はない。
 ここには俺の他には誰もいなかった。街の中のような場所なのに誰一人としていない。そればかりか何の音もない、まるで脱け殻のような場所だった。
 なんだここ。俺は確かガーダンを作ってるって奴の家へ行って、そしたらそこには誰もいなくて。それで、それで……そうだ急に足場が崩れて下へ落下していったはずだ。
 でもその先は? ここは一体どこなんだ? 俺はまた強制移動でもされたのだろうか。
 いや、その前にあいつらを探そう。あの二人――グレンとリヴァを。多分そんなに離れてないはずだろうしこの近くにいるかもしれない。
 そう思って歩きだそうとしたとき。
「はっ、お前は!」
 なんだか聞き覚えのあるような男の人の声が耳に入ってきた。この声は、確かあいつだ。
「エナとエフを持ってる奴!」
 俺の前に建物の陰から姿を現した相手が出てきた。その長いオレンジ色の髪が風になびいている。
 そう、そいつは俺たちの前に現れては去っていくヨスという名の変な若い兄ちゃんだった。以前はエフのことを言っていたような気がしたが何が目的なのかはまだ分かっていない。
 どうするか。逃げようか、それとも。
「おいっ! エナとエフは無事なんだろうな!」
 はい? なんですと?
「どーなんだよ、青き星の奴らに取られてねーのか?」
 まるで味方に話しかけるような態度の相手。警戒心なんて微塵も感じられない。なんか軽い奴だなぁ。
「あの、その。何の話ですか?」
「だからぁ! あの紫の髪のタなんとかって奴にエナとエフを取られてないかって聞いてんだよ!」
 なんだヨスってタシュトとは敵同士の関係なのか? てっきり仲間か何かなのかと思ってた。
「エナさんとエフなら俺が持ってるけど」
「そうかよし! じゃあ俺さまに渡せぃ!」
 そう言って手を差し出してくる相手。いや、さすがにそれは駄目だろ。まだヨスが味方だという保証なんてないんだし。
 その時ふとエナさんの台詞が頭によぎった。
 いつだったか、ヨスにエナさんを取られそうになった時のこと。エナさんは言っていた。彼らの話も聞いてあげてくださいと。
 あれがどんな意味だったのかはともかく、俺も個人的になぜヨスは執拗にエナさんや貝のエフを狙うのかが知りたかった。いい機会だしちょっと聞いてみようかな。
「なあヨス。あんたはなんでエナさんやエフを狙ってるんだ?」
 かなりストレートに聞いてしまった。だけど他に良い言い方はないだろ。
 ヨスは答えてくれるだろうか。無視したり流されたりしないだろうか。
「なんでぇ、聞きたいのか?」
「え? あ、ああ」
 どうやら聞いてはくれたらしい。教えてくれるのだろうか?
「そうか。よし。まあお前は関係なさそうだから特別に教えてやろーう。いいか? これは特別なんだぞ! それをちゃんと心得ておくように!」
「はあ」
 今思ったがヨスって貝に似てるな。性格とかそっくりだ。喋り方も微妙に似てるし。
「聞いて驚け! 俺さまはなぁ、実は」
「あ! 樹!」
 まさにぴったりのタイミングで誰かが呼ぶ声が聞こえてきた。
「こんなところにいたんだ。捜したんだよ? どこ見てもいないしさ。……で、あの人誰?」
 いつもの口調でいつものような調子で喋る相手。俺はそのタイミングの良さに拍手でも送れというのか。ふざけんな。
「いいタイミングで来やがったなあリヴァセールさんよぉ?」
「な、なんでそんな機嫌悪いの君」
 この上なく冷たい視線を向けてやる。このすべての原因である外人を一発くらい殴ってやりたかった。しかし今はやめとこう。
「おい! 俺さまを無視すんじゃねー! 聞け! 話を!」
 子供のようにわめき散らしているオレンジのお兄さん。あんたは子供か。
「ね、ねぇ誰なのあいつ」
「お前にゃ関係ねーよ、黙って聞いてろ!」
 これ以上待たせるな。なかなか話が進まないじゃないか。頼むから黙っててくれよ。
「ヨス、話してくれ」
「よし分かった! 俺さまはな、実は、赤き星の」
「あーっ! 樹! 見つけた!」
 今度は誰だよ! またタイミングよく登場しやがって! いいかげんにしろよもう!
 現れたのはグレンだった。別名お調子者。職業はフリーターのただの若者。さらに田舎者で貧乏だし。
「いやぁ無事でよかったなあ。……って、あいつはヨスとかいう奴じゃねーか!」
 騒ぎ立てるなうるさい。
「そうだな。そして俺はヨスから話を聞いていたのにそこの実にタイミングのよろしい二人の考えなしの青年に邪魔されまくったんですよ。ヨス、この馬鹿二人組は無視していいから続けて、続けて」
「そ、そうか。よっしゃ、ではギャラリーも増えたところで! 聞いて驚くがよい! 俺さまはなんと赤き星の王族なのだ!」
「嘘だろ」
「なんだとこら!」
 間髪入れず思ったことを口にしてしまった。だって到底信じられない話だしこの場合は信じろってことの方が難しいだろ。
 しかしヨスは折れずに反発してくる。
「俺さまが嘘などつくわけないだろ! 俺さまは赤き星の王族だっての!」
「じゃあなんで王族がエナさんやエフを狙ったりするんだよ。そもそも赤き星は今は廃墟だろ。なんでお前だけがここにいるんだ」
「そ、それは」
 さっきまでの勢いはどこへやら。ヨスは言い淀んで視線を泳がせ始めた。明らかに怪しい行動である。
「それは、あ、赤き星はだなぁ」
「どうした言えないのか?」
「そのことについてはあたいらが教えてあげるよ」
 突然聞こえてきた声に振り向く。そこには。
「お久しぶり、地味地味君に真っ黒少年!」
「また会ったな樹」
「ご無沙汰してました樹さん!」
 見知った三人のちょっと懐かしい顔が揃っていた。
 その三人、コリアとスルクとエミュは俺の顔を見るとにこりと嬉しそうに微笑んだ。それは久しぶりに見る輝かしい笑顔だった。

 

 少し落ち着いてから地面に座り込み、互いに顔を見合わせるように丸く円を作った。そこに揃ったメンバーは俺と外人、お調子者のグレン、突然現れ突然去っていったエミュとコリアとスルク。おまけに全身オレンジのヨスまでもが馴染んだように加わっていた。
 誰かが誰かに文句を言うこともなくここに自称王族の青年がいて当然と決めつけたような感覚が漂う中、何とはなしにコリアがその場を仕切って話を進めた。
「地味地味君、あんたはなぜ赤き星が壊滅したか知っている?」
「いいや、知らない」
 呼び方はともかく俺は素直に答える。コリアは頬に手を当て、少しだけ真面目そうな顔を見せた。
「そりゃそうか。聞けばスルクもエミュも知らないって口を揃えるし。ヨスはさすがに知ってるでしょ?」
「俺さまを呼び付けにすなっ!」
 細かいところを気にする奴だ。ヨスのすぐさま口を挟む姿はある意味見上げたものだった。
 しかしコリアは至極当然のようにその文句を無視し、一人で納得して話を進めた。
「でもそれ以前にまず精霊のことについて話しておくべきだと思うんだけどね。いい?」
「精霊だって? それが国の壊滅と何の関係が――」
「いいから黙ってろよ」
 余計な言いがかりをつけそうな勢いの外人を抑えつける。精霊が話題になるとすぐにこれだ。もう喧嘩なんかよしてくれよな。
 コリアはちらりと空を見上げ、ため息のような息を一つ吐いた。そして続ける。
「精霊とこの国、『星』との関係。それは、故郷と守護するもの。いわば国は精霊たちのふるさとであり、精霊は国を守るためにいるもの。赤き星には聖なる精霊が、青き星には博学なる精霊がいた」
 故郷、ふるさと。なぜかこの言葉が胸に響く。
「分かってると思うから言うけど聖なる精霊とはエナ、博学なる精霊とはエフのこと。エナは赤き星を、エフは青き星を守っていた。ここまでは分かった?」
「故郷ってどういう意味? 精霊に故郷なんてあるものなの?」
 いくらか落ち着きを取り戻した外人は尋ねる。それにはコリアは答えず、代わりにその横で聞いていたお人好しなスルクが答えた。
「精霊といえども生れ故郷はある。国の中でも街の中でも、人里離れた場所でなければならない理由なんてないだろ。そして勘違いしないでほしいことは精霊も元を辿れば人間だったということだ」
「え? 何だって、精霊が――」
 外人はそれ以上を言わない。続けられなかったのだろう。俺だって驚いた。けどそれが示す本当の意味がどうにも見えてこない。人間が精霊になって属性を司り、そして呪文を使う人に手助けをすることなどを可能なことだと言って片づけてしまってもいいのだろうか。
 今度はスルクもコリアも黙り込み、エミュが説明する番になった。
「エナもエフも何年か前は普通の人間でした。それが彼らの以前の精霊が何らかの事情で消え去ったとき、二人は精霊となることに選ばれたそうです」
「理由は? 何の理由もなく選ばれるわけないでしょ?」
「詳しくは知りません。ですが彼らには元から内に秘めた魔力が多くあったようですので、そのためかと」
「…………」
 珍しく俯き黙り込む外人。それを気にする人もなく話は休憩もなしに続いていく。
 コリアは言う。
「前の精霊がどうだとかそういうことはさっぱり分かんないけど、エナとエフのおかげで二つの国は安定し始めていた。赤き星は緑を讃え、青き星は向上を目指す文明の塊。そんな二つの星に争いが生まれることはなく、そればかりか端から見ても仲の良い国だったと言えた」
 それに続いてスルクが言う。
「しかしそれはある時を境に一瞬にして消え去った。いつだったか、ちょうど赤き星と青き星の王が同じ年に亡くなられたことがあった。その年の終わりごろ、あいつが現れた」
 ぞくりと寒気を感じさせる台詞。今は『あいつ』という言葉だけでも重々しさを感じ取ってしまう。
「あいつ、って?」
「以前見ただろ。タシュトだ」
 紫色の髪の青年。危うくその青年に殺されそうになったのでよく覚えている。その人が事の発端というわけか。
「タシュトは青き星の王族だった。きっと次の国王は彼だったに違いない。しかし何を間違ったのか彼は青き星だけでなく赤き星まで支配しようと目論(もくろ)んだ。そのために起こした騒動が今の状況に結びつけられるんだ」
「そのために起こした騒動?」
 スルクは淡々と語る。
「詳しく話す必要もない。彼は特殊な方法で精霊の二人を封印――つまり二人の姿を石と貝に変え、国の守護の力を弱めようとした。青き星を守る立場であるエフにも封印をした訳はおそらくその力を一人で独占したかったからだろうが、その結果招いたものは国の不安定だけだった。そしてタシュトは赤き星へ不安定なまま攻め込み、それから先のことは想像がつくだろう」
 それで赤き星はタシュトに敗れて廃墟になったと、そういうことか。しかしやはりなぜエフは貝なんだ。他にもいくらでも代わりの物はあるはずなのに。わざわざそんな間抜けな物にならなくてもよかっただろうになあ。少しだけエフに同情してしまう。
 そんな同情もよそにコリアは口を開いた。
「赤き星は壊滅した。でも壊滅したのは赤き星だけじゃなかった。確かに精霊が守っていたのは国だったけど、それ以外にも大きな役割を担(にな)っていた。それは国と同時に世界を――オーアリアを維持するということ。そのため精霊の力が弱まった世界の扉は閉じられ、それ以来開かれることはなくなった。これが今の状況よ」
 意外なところに繋がりはあった。つまり精霊の力が弱まったから世界は閉じられたと。そして精霊が元に戻れば世界は開かれるということなのだろうか。
「もう分かったでしょ? 精霊が元に戻れば世界は開かれる。タシュトのやり方を見てどこかへ逃げ出した青き星の住民達もそれを願っている。忘れてたけど誤解しないでね。この国の住人も赤き星の住人もいなくなったわけじゃない。今はどこか世界の端にでもいるんじゃないかしら?」
「そんな曖昧な」
 コリアはふっと笑みを見せる。
「大丈夫よ。人はそんなに弱くないもの。でもだからこそ忘れないで。頼れるのは自分たちだけでも、この世界の人々の願いの頂点にあんた達は立っているんだから」
 人々の願い、か。以前エナさんにも似たようなことを言われた。俺に世界を開くように頼んできた時に、忘れないでください、と。
 俺はその言葉を思い出す。

『忘れないでください。この願いは私だけのものではない、このオーアリアに住む人全員の願いなのです。扉が閉ざされ、様々な思いが世界中で交差しています。あなたはその中心地に立ったのです』

「それからヨスのことなんだけど。あいつが赤き星の王族だってことは紛れもない事実よ。嘘っぽいけど」
「嘘っぽいとはなんだ!」
 大声をあげヨスはコリアに怒りを向ける。その言動にはやはり王族のようなものは含まれていないのでコリアに言われなかったら今も絶対に信じられなかっただろう。
 一応王族だ、と。そういうことにしておこう。
「俺さまは間違ったことなどしていない。間違ってるのはあの青き星の奴だ!」
 そう言って顔をしかめる。一つ間違えれば自信過剰のようにも見えなくはない。しかしそれにエミュが口を挟んだ。
「そうですね。確かにあなたは間違ったことはしていないのかもしれません。樹さん、彼はこの世界を元に戻そうとしているのだと思います。そのためにエナやエフを狙ったり、私たちを狙っていたりしていたのだと思います」
「……『私たち』? ってどういう」
 エミュの言葉に納得できないものがあった。エナさんやエフをヨスが狙う理由は分かった。だけどなんでエミュを狙う理由があるんだ? 俺にはよく分からなかった。
 その時、少しだけ空気が変わった。さっとコリアやスルクの表情に雲が掛かり、エミュはふわりと微笑んだ。
 微笑んだままエミュは静かに続ける。
「今まで黙っててごめんなさい。私は――星の精霊なんです」
 輝きを持った少女はすっと立ちあがり、深々と一つだけ礼をした。

 

 

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