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36 

 鐘が鳴る。
 その音色は世界中に響き渡る。
 すべての人がその音色を聞き、青く高い空を見る。
 鐘は精霊たちの封印を解放し、世界に光は満ちた。
 鐘が鳴る。
 その偉大な音色は途切れることを知らない。

 

「世界は、救われたのか?」
 無数の植物の茎に巻かれたまま、俺たち三人は小高い丘の上に下ろされた。地面に足がつくと茎はするりと体を放した。ようやく自由になれる。
「樹、精霊は? 力は戻った?」
「あ、ちょっと待ってくれ」
 外人に促され、ポケットの中を探る。その時に呪文を書いた紙をなくしてしまったことに気づいたが、それは気づかないふりをした。エナさんから貰った石を手の上に乗せる。
 石は不思議な輝きを放ちながら手の上で転がっていた。いつもと様子は変わらない。
「どうなの?」
 どうなのと聞かれても。俺に分かるはずないじゃないか。
 そう文句を言ってやろうとすると突然石の輝きが増した。その光は石の中だけにとどまらなくなり、辺りにあふれて真っ白になる。
「イツキ、とうとう世界を救ってくれましたね」
「お前偉いじゃねーか。これもこのオレのすばらしきアドバイスのおかげだな!」
 光の中から聞こえてきたのは二つの声。優しく静かなものはエナさんの、明るくうるさいものはエフの声。それは以前と同じように頭に直接響いてくるようなものではなく、声を発した場所が分かるくらいはっきりしたものになっていた。
 眩しかった光が消えてきた頃に、ようやく目の前にいる人の姿を見ることができた。
「この二人が、精霊のエナとエフ?」
 横から口を挟む外人の言うとおり、そこには二人の人がいる。しかしその外見は到底精霊には見えなかった。どこからどう見ても人間にしか見えない。
 二人のうち片方の女の人は、長い水色のふわりとした髪を持つ綺麗な人だった。きっとこの人がエナさんなんだろう。もう片方の多分エフである男の人は、長い白の髪を後ろで一つにくくっており、前髪が長くて目が見えなかった。まるでどこかの研究者のように白い服を着ており、外見だけは格好よさげだった。
「どうだ。オレはお前なんかより数倍格好いいだろ」
 そして自画自賛していた。お前なあ。それだから格好よくなくなるんだってのに、全然分かっていないんだな。
「なあおい! 精霊様!」
 今まで黙っていたヨスが口を開く。オレンジの長い髪が風になびいていた。
「これで本当に国は元に戻んのか? 人々は帰ってくるのか?」
 精霊の二人は顔を見合わせ、やがてエナさんはふっと微笑んだ。
「あなたにも聞こえたでしょう、世界に響く鐘の音が。ほら、見てください」
 すっと片手をあげて、エナさんは一つの方向を指し示した。そこは遥か彼方へ続いている何もない緑の丘。しかしその上には賑やかな人の群れがあった。
 まさかこの国から逃げていったという住民たちなのか? じゃあ帰ってきたのか。
「あ、あいつら」
 ヨスは風のように素早く駆け出す。オレンジの髪の兄ちゃんはすぐに人の群れに飲まれ、見えなくなってしまった。
「やっぱり王族だったんだな、あいつ」
 信じてなかったというわけではないが、ああやって人に囲まれている姿を見ると改めてそう思った。俺はそこから離れた場所でじっと立ちつくすことしかできない。
「イツキ、あなたはよくやってくれました。おかげで世界の扉は開き、私たちの力も元に戻ることができました」
 ざあっと風が吹く。これは何かの予兆なのか。
「そうさ樹。オレも元に戻れたんだ。これからは貝とか呼ぶんじゃねーぞ!」
 二人の精霊は思ったより人間のように見えて。想像以上にやわらかい声をしていて。
「あなたに感謝します。これからも私たちの力を使ってくれて構いませんよ」
「必要ならオレもな。惜しまずにアドバイスをしてやろーう。オレたちはいつでも石の中にいるからな!」
 その言葉が終わると二人は再び光に包まれた。そうかと思うと誰もいなくなっていて。
「樹。挨拶しに行こう?」
「そうだな」
 大勢の人から見捨てられたように感じながらも、残された俺とリヴァはとある人物の元へ向かった。

 

 赤き星は前に訪れた時と何ら変化がなかった。吹き抜ける風で埃が舞い、霞んだ空気は生暖かい。
「リヴァ、呪文使っても大丈夫だったのか?」
「そんなに心配しないでよ。君が思ってるほど弱くないんだから」
 俺の質問に外人はさらりと答える。
 ここ、赤き星へ来たのはある人物に会うためであり、それには素早く移動する必要があった。だから外人に移動呪文を頼んだのだ。
「ここに本当にいるの? あの二人が」
「最後に会ったのはここなんだ。きっといるはずさ」
 確証があったというわけではない。だけど他には考えられなかったのだ。俺たちは一つの壁添いに建てられた小屋の前に立っていた。
 そう。会いたい人というのは、冬島で会った黄色の髪の少女と緑色の髪の少年。ここで別れて以来一度も会っていないクミとルクのことである。さすがに何の挨拶もなしに世界を出ていくのは失礼だろ。ちゃんと顔を見せておくことが常識だ。
 よし、じゃあ中に入ってみますか。それでいなかったら今度は冬島まで戻ろうかな。
 そんなことを考えながら古びた木の扉を開ける。そして中を一目見て、驚愕した。
「何、これ」
 隣からも面食らったような声が聞こえた。それほどまでに中の様子が考えられないほど異常なものになっていたのだ。
 小屋の中の物は何も減ってはいなかった。ただそれ以外に、以前はなかった物が限りを知らないほど増えていたのだ。それが小屋の中にあふれ、窓から差す光が緑の色を鮮明に浮き出していた。そのここにあるべきではない物というのは、様々な種類の緑の植物だった。
 緑色のそれは隅々まで広がって、本来の色がまったく見えないほどだった。床にも天井にも草が走り、それはまるで森の中のように思わせる。
 風が吹くこともなくただ静寂が支配している空間。そこには当然のように人の姿はなかった。
「これって、もしかして精霊の住みか?」
 そんな呟きが聞こえたかと思うと、隣にいた外人は地面にしゃがみ込む。床に生えた草を手で触りながら何やら考えているようだった。
 するとどこからか光があふれ出す。それは俺のポケットの中からであり、言うまでもなくあの石からあふれたものだった。それを手の平に乗せてみる。
 ぱっと視界が真っ白になったかと思うと、目の前にはよく見知った三人組が立っていた。それは星と月と太陽の精霊。俺たちとは違う種族の人たち。
「ここには昔、大きな木が植わっていました」
 口を開いたのは星の精霊。ふわりとした口調でのんびりと話す。
「その木はこの国の象徴でした。その木はこの国の人々にとても大切にされていました」
 歌うようになめらかに、光を帯びた少女は言う。
「しかし国が滅びると木も崩れ去りました。国がないなら木が生きている理由はありません。だから木は死にました」
 星の輝きを持った瞳は真剣そのもので、何もかもを焼き付けてしまいそうなほど熱いものを感じさせて。
「国の象徴として生きる。国に恵みを与えるために生きる。それが木の存在する理由でした。けれども国がなくなってしまえばそうすることもできない。ならばただ滅びることしかできないのでしょうか?」
 あれ?
 なんだろう、心に引っかかるものがある。だけどすぐには思い出せなくて。
「木には望みがありました。木はいろんなことを知っていました。木は姿を変えて人を導きました」
 声が、聞こえた。
『わたしたちのこと――』
「そして彼らに導かれたのがあなただというわけです、樹さん。彼ら――クミとルクは元の姿に戻りました。きっとあなたの前に姿を現すことは、もう二度とないでしょう」
 覚えていた。思い出した。いつかの夢の中で聞いた声を、それが誰のものかということも。
「聞いたんだ」
 足元に生えた草を見ながら、その場にいる人すべてに話す。
「夢の中で言ってたんだ、俺に向かって、忘れないでって」
 冬島で出会い、少しの間共に行動しただけの仲間。もしかしたらその言動は、自分達が存在しているということを誰かに伝えたかったから来たものなのかもしれない。
 さらにあの時。タシュトによって地面が崩されて逃げ道を失った時。あの時に助けてくれた茎は、もしかして彼らの――。
 そして俺はその言葉を聞いた。
「そうですか。では樹さん。手を」
 星の精霊の言葉に一瞬戸惑う。顔をあげて相手を見てみると、普段と変わりない表情で薄く微笑んでいた。
 少し疑問を抱いたままだったが言われたとおり手を前へと差し出す。エミュは俺の手にそっと手を重ねた。そこから光が漏れる。
「彼らからあなたに贈り物だそうです。彼らは言っていました、どうか忘れないでいてと」
 それはあの二人として言ったことなのか、それとも国を守ることとして言ったことなのか。俺には分からなかったが約束することはできた。
「忘れない。きっと忘れないからな」
 静かな空間でも誰にも聞こえないように小声で言う。だけどあの二人がここにいたなら聞こえたはずだ。だから約束する。
 エミュは手を離した。俺の手の上には木でできた腕輪のようなものがあった。
「緑の髪の少年は茎と葉。それは国の願望のかたち。黄色の髪の少女は花。それは国の希望のかたち。――あなたに、祝福を」
 そして三人の精霊は光に包まれる。
「地味地味君に真っ黒少年。ちょっと気に入らないこともあるけどとりあえず言っとくわ。ありがとうね」
 赤い髪のコリア。太陽の精霊だけど絵が下手で、他人に呼び名を勝手に付けるのが好きな人。その笑顔は眩しかった。
「お前との契約は始まったばかりだ。呼んでくれたらいつでも力を貸すからな。世界を、そして俺たちを救ってくれて感謝する」
 青い髪のスルク。月の精霊でかなりのお人好し。さらに真面目なことこの上なくて、苦労が目に見えて分かりそうな人。その笑顔は優しかった。
「あなたに会えて本当によかったと思っています。私たちはあなたに呼ばれることを待っています。そして私たちはあなたを決して見捨てません。あなたの力になり続けましょう」
 金色の髪のエミュ。星の精霊で、輝きを持っている少女。一番頼りなさげだが、本当は優しさも厳しさも兼ね備えた人。その笑顔はあたたかくて。
「ありがとう」
 俺は言った。一言では到底言い表わせないけど、もっと伝えたいことがあったのだけど。
 光は三人の精霊を包み込み、すべてを飲み込んでいくとすぐに消えた。あとに残ったのは草が踏まれた跡だけ。それはそこに人がいたという確かな証拠。
 手の中に残されたものをぎゅっと握り締めると、木の温かさが伝わってきた。

 

 そこには人だかりができていた。口々に各々の言いたいことを言っているので何を言っているか分からず、ただの雑音のようにしか聞こえなかった。そしてそれらに囲まれて立っているのがあのお調子者のグレンであった。
「おーい」
 野次馬連中の後ろから呼びかけてみる。しかし俺の声が聞こえるわけもなく、グレンは人に囲まれたまま脱出不可能な状態になっていた。これでは落ち着いて話もできない。
 俺は今度はグレンと話をするために青き星へやってきた。しかし今の状況がこうであるとどうにもならないことが一目で分かる。これじゃあ何もできやしないじゃないかよ。
「まったく仕方ねーなぁ。こうなったら後からにしよう」
 いつまでも人が散るのを待ち続けるというわけにもいかない。それに俺には人の群れを掻き分けてグレンの元へ行く勇気もない。とにかく人々の目はすごかったのだ。燃えているというか輝いているというか。
 ひとまず今日はゆっくりして明日にでもこの世界を出よう。それがリヴァと決めたことだった。その外人は今は青き星の宿にいる。することもないし俺も宿に行こうかな。
「おーい! 樹ーっ!」
 ちょうど引き返そうと人だかりに背中を向けたとき、背後から聞こえたのはグレンの声だった。まさか向こうから話しかけてくるとは思わなかったので少し驚いた。
 人の群れを掻き分けながらグレンはやってくる。俺はその様をぽかんと見ていた。
「待ってくれ、話があるんだ。聞いてくれ」
「そりゃまあ待つけど。何だよ話って?」
 むしろ話をしたかったのはこっちの方なのに。とりあえず人の視線が気になったので場所を移動し、改めて聞いてみた。
「それで、何だって?」
「樹。俺はな、この世界に残ることにしたんだ」
 はい?
 一瞬、時が止まる。
「そうは言ってもお前、ガーダンは」
「そう、それだ。樹、俺がガーダンを止めたかった理由を知りたいか?」
 微笑を浮かべながら人差し指を立てるグレン。俺はそんな表情を前にすると反発する気もなくなってくる。
「なんだよ?」
「それはな、一人の男の人にこの剣を渡されて、同時にこの世界へ飛ばされたからだ」
 何だって? 飛ばされた?
 思いがけない言葉がお調子者の口から飛び出してくる。それだけでも充分驚いたが、さらに驚かされたことがあった。それはこの後に続いた台詞からのものである。
「その人は俺に、君の正義の心が必要だからぜひ力を貸してくれと言ったんだ。それで飛ばされちまったんだけど、俺ってなかなか強かったし? だからすぐにこの世界に馴染めたってわけだ。で、その男の人なんだけどよ、確か名前をスーリって言ってたんだよな。あの犯罪者と同じだったからよく覚えてんだよ」
 いつか聞いた名前。一番恐れられているという、一度会ったことがあるのだろう人の名前。
 その名前を聞いてどきりとした。
「それで樹。もしこの先スーリに会ったら伝えておいてくれないか、グレンは世界を救えたってな」
「…………」
 俺は答えられない。
 もし仮に再びあの人と会ったからといって、まともに話をできるかどうかも疑わしいのだ。そんな約束が俺にできるわけがない。
「やっぱ駄目、か?」
 ふっと聞こえてきたのは抑え気味の声。風のように流れて俺の頬を掠めていった。思わず顔をあげて相手の顔をまっすぐ見た。
「自分勝手な頼みだということは分かってる。だけど俺はこの世界にいるつもりで、どんな理由があろうと出ていくつもりはないんだ。でもあの人には伝えておきたいんだ、お前やいろんな人と協力して世界を救えたんだと」
 正直驚いた。驚いたけどだんだんと気持ちが落ち着いてくる。物事がよく考えられるようになってきた。
「なんで、ここに残るんだよ?」
 ようやく出てきた言葉は疑問のもので。グレンは少しだけ、本当に少しだけ笑みを強張らせた。
「あー、それはだなぁ」
「勇者様!」
 目を泳がせながら言うグレンの声に重なった、誰だか知らない人の声が背後から聞こえた。振り返って見てみると赤き星か青き星かは分からないけど国の住民の男の人が立っていた。その瞳は輝きに満ちている。
 なんだ? 勇者だって? それって誰のこと?
「勇者様、ぜひともこの世界でこの国のために残っていてください!」
 その輝きに満ちた瞳に映っているのはグレンであった。
 勇者。俺がなろうと懸命になっていたもの。グレンにそう呼ばれたり、いつの間にかその本質に気づかされたもの。
 今まさに他人の口から出た単語は、明らかに俺に向けられたものではない。向けられた先にいるのは鐘を鳴らした青年。
「勇者、だってさ。国の奴らさ、俺のことそう呼んでばかりなんだよ。本当はお前なのにな?」
 強張った笑顔のまま申し訳なさそうに言うグレン。しかしそんなことを言われても俺は困るんだ。
「勇者はグレンだよ。俺は勇者じゃないんだ」
 分かってた。最初から分かってたんだ。
「俺は勇者なんて呼ばれる柄じゃない。それにまだやることが残ってるんだ。だから俺は勇者じゃない」
 これが本当の気持ち。これが今までを通してたった今分かったこと。
 だけど少しだけ悔しかった。本当は心の底で勇者になりたかったのだ。だからこの気持ちを何かにぶつけたくてグレンに言ったのである。
「そうか」
 グレンはそう言い、俺の頭に手を置いてくる。大人が子供を慰めるように、子供が大人を頼るように。
「だけど俺はよ、お前は勇者になれると思うぜ?」
 なんでだよと聞く間もなく相手は続ける。
「もしお前がやるべきことを成し遂げたら、その時にお前は勇者になる。俺が保証してやるよ」
「そんな無責任な」
「無責任なんかじゃねーよ! この俺が保証してやるって言ってるだろ!」
「だからそれが無責任なんだって」
「なんだよ、俺が信用できないのかよ!」
「だってお前、お調子者じゃん」
「…………」
「…………」
 両者とも黙り込む。そんな後には決まったように笑いだす二人。
 端の方に追いやられた赤き星だか青き星だかの住民を完全に無視し、俺はグレンと話をした。これが最後になるかもしれない話は、笑顔のまま終わらせることができた。

 

「ねえ樹」
「ん? どうした」
「もう扉をくぐるの? 早くない?」
「いいんだよ。これ以上やることなんかないだろ」
「そりゃそうだけどさ。あの二つの国は心配じゃないの?」
「赤き星はヨスがなんとかするだろうし、青き星は……タシュトはどこかに追いやられたみたいだから、グレンがまとめてくれるだろ。心配するほどじゃないさ」
「ふうん。あ、そうそう樹。これあげるよ」
「へ? なんだこれ?」
「見てのとおり腕輪だよ。星の精霊様から、あの二人から貰ったでしょ。それをちょっと細工して、真ん中に精霊たちのいる石を入れたんだよ」
「お前そんなこといつの間に」
「いーから! ほら、行くなら行くよ!」
「あ、ちょっと……」

 オーアリアの閉ざされた扉が開く。
 世界からは絶えずに鐘の響く音が聞こえていた。

 

 

――第二幕へ続く

 

 

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