前へ  目次  次へ

 

38 

「それでは僕はこれにて失礼させていただきますね。またどこかでお会いしましょう!」
 にこやかな笑顔でそう言うとラスは一人で街の中へ入っていった。
 洞窟を抜けるとすぐに街が見えてきた。その街は今まで訪れた中でも一番賑やかで大きく、一つ間違えたら迷路と化してしまいそうな街だった。その入り口で俺とリヴァは立っている。
「行っちまったけど大丈夫なのか? あいつ」
 なんだか先に一人で街の中に入っていったラスのことが心配になってきた。あいつはあんな洞窟の中を一人でうろつくには弱すぎた。少しは腕が立つのかと思いきや、魔物が出たら真っ先に逃走する体勢になっていたのだ。さらに魔物が相手では外人は腰抜けになるし俺は弱くて戦っても勝てないだろうしで結局洞窟では逃げてばっかりだったのだ。疲れたことは言うまでもないだろう。
「なあリヴァ、もう休もうぜ」
 とにかく休みたかった。寝転んでリラックスしたかった。もうこれ以上歩けない。
「じゃあ宿に行く?」
「ああ、行く行くっ!」
 そうと決まれば力もわいてくる。俺は外人より先に街の中へ入っていった。
 街は一言で言うとヨーロッパだった。外国のような家が隙間なくずらりと並び、その狭い道の上を何十人もの人がせかせかと足早に歩いている。この波に飲まれたらどこへ流されるか分かったものではないので注意が必要なのだが。
 言っているそばから人の群れに飲み込まれてしまった。左右から歩く人々に押されたり足を踏まれたりと、もみくちゃにされて無理矢理流されていく。無論そんな状況で外人の姿を探すこともできずにようやく波から逃れられても気がつけば俺は迷子になっていた。
「うっわぁやべえ」
 完全にはぐれてしまった。しかしむやみやたらに捜すわけにもいかないので近くにあった石の上に座った。
 どうしよう。あいつ俺のこと見つけられんのかな。
 やっぱ自分で動いた方がいいか? いや、でもそれだったらさらに迷う可能性があるし。それならうろつかない方がいいような。
「あーもう! 誰かどうにかしてくれよ!」
 疲れていたせいで苛ついていた。ろくに考えないまま口が動いている。
「動くべきか、動かないべきか。誰か教えてくれ」
「あなたは動くべきよ」
 ――誰だ?
 びっくりして立ち上がり振り返る。突然聞こえた声は確かに俺に向けられていた。だがその声は聞いたことがない。誰のものか分からない。
 後ろには水色の長い髪を持つ少女がいた。しかしその大きな瞳は細くなっており、睨まれているような気がした。
「えっと、誰?」
 話しかけてみた。しかし返事がない。
 少女は手の中で何かを転がし始めた。いや、転がすと言うよりもてあそぶと言うべきか。しかし驚いたことに、そのもてあそんでいるものに見覚えがあった。慌てて右腕の袖をめくる。
「……腕輪がない」
 そこにはあるはずの腕輪がなかった。精霊たちが入っている石の埋め込まれた腕輪がない。少女がもてあそんでいるものとは、まさしくそれであったのだ。
「返してほしいならご自由に」
「え? あっ」
 何か言う暇もなく。少女はくるりと背中を向けるといきなり走りだした。長い髪が大きく揺れる。
「えーと」
 どうすればいいかは分かる。だけど少しだけ悩んでしまった。
 ええい、もう気にするな。とにかくあの子を追う!
 心にそう決めると気合いを入れ直し、少女の後を追って走りだした。

 

 駄目だ、疲れが襲ってきてまともに走れない。
 もう十分くらい走り続けただろうか。少女は予想以上に足が速くて何度か見失いかけたがそれよりも俺の体力が限りなくゼロに近づきつつあるのが問題だった。このままいけば取り返せなくなる。それだけは駄目だ。
 くそ、なんてザマだ川崎樹十五歳。こんな調子だとガーダンなんか止められないぞ! みっともない!
 しかしそれでも体は言うことを聞かずにその場で止まる。酸素を使いすぎて息が荒くなっていた。
 何かないのか何か。
 息を整えながら前を見てみる。そこには見覚えのある一人の少年が……って、
「あ、あいつ!」
 信じられない気がした。だが確かに前方には奴がいた。おぼつかない足取りでその少年の元へ歩くように走っていく。
「お前、あの時の」
「久しぶり、樹」
 まったく変わらない無表情の顔。ふわりとした髪と瞳は深い藍色。そして人を見下したような喋り方。
 そう。今俺の前にいる人物とはあの藍色の髪の少年だったのだ。

 

 なんでこいつがこんな所にいるんだ? だってこいつはあの時。
「そんなに睨まないでよね。僕のこと嫌いじゃないんでしょ?」
「別に睨んでなんか」
 言いかけたが途中でやめる。だってそれは本当だったから。
 こいつには何度か助けられたこともあったけどもともとは敵だった。強制移動をさせられたり馬鹿にされたりとひどい目にあわされてきたんだ。そう簡単に警戒を解くことなんかできないのだ。
「まあその気持ちは分からなくもないけど」
 勝手に人の心の中を読んでくるし。
 気づけば周囲には誰もいなくなっていた。沈黙が緊張感をより一層高めてくる。
「何しに来たんだ」
 聞くことは山ほどあった。まず知りたいのはなぜここに少年がいるのかということ。
 しかしその答えは思いがけないものだった。
「それは君を追いかけてきたんだよ、樹」
「え?」
 思わず目が丸くなる。
 藍色の髪の少年は相変わらずの無表情のままで淡々と続けた。
「僕には何もないから。あの人にも捨てられたから何も残ってないんだよ。だから知っている君の所へ来た。それだけ」
 そう言って黙る。
 俺にはどういう意味だか理解できない。
「記憶がないんだよ」
 再び口を開く少年。その瞳に映っているのは彼を見下ろしている俺の姿。少年は視線を外そうとしなかった。
「物心がついたころには牢屋の中にいた。それ以前の記憶はまったくないし知り合いだって人も一人もいなかった。何年かそこで暮らしてたけど、いつだったかあの人が僕を外へ出した。それからはずっとあの人と暮らしてた。だけどあの人は僕を捨てた。だから僕には何の目的もないし行く場所もない。そういうことだよ」
 無表情のまま、笑いも泣きもしない顔でまっすぐ見てくる。言葉にさえ感情が含まれていない。それは不気味さを出すには充分なものだった。
 物心がついた頃には牢屋の中に。それがどんな意味を持っているのかなんて俺には想像できない。
「じゃあ、これからどうするんだお前?」
「君についていっていい?」
 返ってきたのはそんな言葉で。
「……な」
「言ったでしょ? 僕にはもうすることはないんだし。このまま死んじゃってもいいくらいなんだから」
 なんだって?
 少年の発する言葉に頭がくらくらしてくる。なんでこいつはそういうことを平気で言えるんだ。
「でも君はそんなの許してくれないだろうし」
 呆れたような口調になる少年。それは図星であった。だから否定できない。
「本当にお人好しだよね君って。そればかりには頭が下がる思いだよ」
 なんだよそれ。なんで俺がお前にそんなことを言われなきゃならないんだ。
 一つ長々とため息を吐く。もうすでに悩む必要はなくなっていた。
「別に俺はいいんだけど、あいつがなんて言うか――」
「そう」
 少年は背中を向ける。
「なんで向こう向くんだよ」
 その行動に不満を覚えた。せめてお礼を言うとか喜ぶとかしてくれよ。なんか気まずくなるじゃんか。
 ゆっくりと少年は顔だけ振り返ってくる。やはりその顔には感情がない。
「分からない? 僕には感情がないんだよ。嬉しいとか悲しいとか全然感じないんだ。前まで見せてたのは作り物。他人の真似事をしてただけ」
 それだけ言うとまた向こうを向く。
 何も言えない。
 俺は何も言えない。
 感情がない、と。少年はそう言った。
 それは即ち本気で怒ったり泣いたり笑ったりできないということであって。
 こんな人を見るのは初めてだった。だってそうだろ。誰だって普通に笑ったり怒ったりして毎日を過ごしてる。そんな普通のことができない人なんて見たことも聞いたこともない。
 どう声をかけたらいいんだろう。いや、声をかけるにしても相手には俺の考えてることが分かるんだ。今の考えだって彼には筒抜けであって。
「馬鹿なこと考えてないで今どうするかでも考えたら?」
 はい?
 やっぱり読まれていたらしい。しかし今どうするかってそれは――。
「あ! 忘れてた、泥棒されたんだった!」
 やっと思い出した。少年の唐突な登場ですっかり忘れていたが、そうだ腕輪を盗まれて犯人を追いかけてたんだった。危うくこのまま街を出るところだった。
「そういうわけだ、お前も犯人捜し手伝ってくれよな!」
 話をして休憩もできたことだし再び犯人を捜すべく走りだそうとする。しかし走りだすことはできなかった。なぜなら少年が俺の服を掴んで放さなかったからだ。
「な、なんだよ」
「その人なら君の向かおうとしていた方向とまったくの反対方向にいるんだけど」
 …………。
 本当か? 嘘じゃないだろうな?
「疑うなら確かめてみれば? 百聞は一見にしかず」
「はあ」
 なんと日本での諺を言われてしまった。何でもありなんだな異世界って。本当に非常識な。
 とにかく少年は自信がありげだったので素直にそれに従うことにしてみた。

 

「やっと見つけた! まったくどこをうろついてたんだよ樹!」
「うわっ!?」
 いきなりの背後からの大きな声。もう少しで転ぶところだった、危ない。
「なんだお前か」
 そこにいたのは外人だった。相変わらずむっとした表情をしている。何が気に入らないんだよ、まったく。
「なんだだって!? ぼくが一体どれほど君のことを捜したと思ってるんだよ! 急にいなくなったりなんかして――」
「わ、悪かったよ」
 正直あまり悪気はなかったのだがとりあえず謝っておいた。このまま反発でもしたら呪文でも放たれかねないからな。
「本当に分かってるの?」
 ぐっと顔を近づけられる。そんなことをされたら余計に恐くなってくる。
「いや、その」
「まあいいや。無事に見つかったことだし」
 そう言うと顔を離した。やれやれである。ほっと一息。
「あ、そういえばリヴァ」
 ちょうどよかった。忘れないうちに少年のことを話しておこう。
 俺の後ろで隠れるような位置にいる少年を前へ押し出し、彼の肩に手を置きながら言った。
「こいつのこと覚えてるよな? こいつもついてきたいって言ってんだけど、いいよな?」
 頼むから反対なんかしないでくれよ。これ以上話をややこしくされて困るのは俺なんだから。
 外人は少年の姿を一目見ると固まったようにぽかんとしていた。しかしやがてゆっくりと口を開く。
「何、馬鹿なこと言ってるの?」
「へ?」
 その表情は歪んでいて。
「そいつは敵じゃない。敵を仲間にするだって? そんな非常識なことがあってたまるか。ぼくは絶対にそんなこと許さないから」
 その言葉は俺や少年にとっては痛いもので。
 俺が何か言う暇も与えず、外人は付け加えるように続けた。
「君のお人好しもほどほどにしてよ。敵にまで同情しないでくれる? 相手は敵なんだ、腹の底では何を企んでることか分かったものじゃない」
「それは」
 いくらなんでも言いすぎだ。何も本人がいる前で言わなくたっていいだろ。
 だんだんと頭がかっとなってくる。
「そんなこと俺は知らねえよ。俺はこいつじゃないんだから。でもこいつはそんなこと考えてないはずだ」
「考えてないはずだ? よくそんなことが言えるね! 何を証拠に? 何が根拠で? 言えるものなら言ってみな!」
「お前っ!」
 気づけば俺は相手の服を掴んでいて。空いている方の手では握り拳ができていた。
「殴るの? 君が?」
 見下したような口調。それはどこか少年にも似ていた。
 俺は、俺は。
「うるせえよっ!」
 やっぱり相手を殴れなくって。
「放して」
 次に降ってきたのは最も冷たい言葉だった。素直にそれに従う。俺は手を放した。
「よく考えてみればぼくが君についていく理由ってないんだよね」
「……え」
 服についたしわを直しながら、俯いたように視線を落としながら外人は言った。冷たい表情が見えなくても分かる。
 そして次に続く言葉は容易に予想することができた。
「さよなら、樹」
 踵を返し、歩いてゆく。
 俺は後ろ姿を見るだけで何も言うことができなかった。

 

 なんでだ。どうしてなんだよ。
 なぜ俺はこんなことで喧嘩なんかしなくちゃならないんだ。なんで相手はこんなことなんかで機嫌が悪くなるんだよ。
「くそっ!」
 道を歩きながら一人で妙な気持ちを抱え込んでいた。そんな俺の後ろでは藍色の髪の少年がついてきている。
 別に敵だったからってあんなに嫌がることないだろ。一体何考えてるんだあいつは。
 考えれば考えるほど苛々してくる。相手の考え方が分からなくて本当に腹が立ってきた。
「あーもう! なんでこうなるんだよ!」
「彼が何を考えてたか知りたい?」
 そんな時に聞こえてきたのは少年の声。立ち止まって振り返ってみれば相変わらずの無表情の顔がある。
 こいつは。また勝手に人の心を読んだのか。
「君が思ってるほど単純な理由じゃないよ。もっと深刻で、もっと残酷な。詳しくは分からないけどね」
「なんだよそれ」
 しゃがみ込み、少年と視線をあわせる。何を考えているのか分からない顔が間近に現れた。
「どうやら過去のことを引きずってるみたいってこと」
「過去? 何なんだそれは?」
「何でも聞かないでくれる? 自分で考えなよ」
 そして背中を向ける少年。まったくさっぱり可愛げがない奴だ。
 教えてくれないなら仕方ない。俺はまたのんきに歩き始めた。
 その時。
「こんな所にいたのね」
 すましたような冷たい口調の言葉が聞こえた。その先には例のあの泥棒の少女が立っていた。
 なんだってこんな時に来るんだよ。今はそれどころじゃないのに。
「返せよ腕輪」
「ええ、返すわ」
 へ? 何だって?
 あまり期待せずに言ってみたのに返ってきた返事はあまりにもあっさりしたものだった。少女は逃げることもせずにすたすたとこちらへ歩いてくる。
 そして何の躊躇もすることなく腕輪を差し出してきた。簡単に返してくれたのは嬉しいがなんだか拍子抜けしてしまった。俺は腕輪を受け取り、石がなくなってないことを確認してから右腕にはめた。
「私はそれが欲しかったんじゃなかったから。私が望んでいたのはもっと別のものよ」
 少女は俺から二、三歩後退する。よく見てみれば少女の長いストレートの髪も長いスカートも地面についていて引きずっていた。汚れるのに気にならないんだろうか。
「お願いがあるんだけど」
 まっすぐと視線を外すことなく、少女は俺を見上げながら言ってきた。
「お願いって、何だ?」
 特に断る理由もないので聞くだけ聞いてみることにした。少女は表情を変えないままゆっくりとした口調で言う。
「私もあなたたちについて行くわ」
 はい? 何ですと?
 とんでもなく突拍子のない言葉にしばらくまともにものを考えられなくなってしまった。
 少女はそれを言うと初めて小さな笑みを俺に見せた。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system