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39 

 一体どういう理由でこんなことになっているのだろう。いくら考えてもさっぱり分からない。
 俺は街の中を歩いていた。それはもちろん仲間割れをしたあいつを捜すためである。いくらなんでもまだ街を出るなんてことはしないだろう。
 別にそれだけでは問題ない。それだけなら問題ないのだが、今一緒に行動しているこの面子が問題なのだ。
 それは今から何分か前のこと。腕輪を盗んだ少女はあっさりとそれを返してくれたがもう一つ要望を突き付けてきた。自分も一緒に行くなどと言うのだ。それでほぼ無理矢理ついてきてしまったのだが。
「あのさぁ。とりあえずなんで俺たちについてくるのか理由だけでも聞かせてくれないか?」
「あら、知りたいの?」
 立ち止まって聞いてみればこれである。なんともすました顔で聞かれたので続きの言葉が言いにくかった。
「だって理由も知らないで行動するなんて、あれじゃねーか」
「分かってるわよそんなこと」
 少女はとことん冷めた物言いをしていた。本当に俺の周りに寄ってくる子供ときたら変な奴らばっかりだ。少しはこっちの身も案じてくれ。
「あなた、名前は?」
 次に言った言葉はそんなもので。普通名前を聞くときって自分から名乗るもんだろ。さらにこんな状況なら尚更。
「樹だよ、樹」
 半ばやけくそのように荒い口調になってしまった。そこまで気に入らないわけじゃないんだけどなぁ。
「私はロスリュよ。ロスリュ・ワイノルカロ」
「わい……?」
 またそんな長い名前を。少女は早口に言ったのでよく聞き取れなかった。
「ワイノルカロ、よ」
「そ、そうか」
 今度はゆっくり言ってくれたのでちゃんと聞き取ることができた。本当長い名前って不便だよな。俺なんか七文字だぞ、名字も入れて。名前だけなんかたったの三文字だ。それもよくある名前で覚えやすいし。
 っとそんな意味もないことを考えている場合ではなかった。理由を聞いてるんだったよな、うん。
「あなたたち仲間割れしたのね。それもたった一人の人間を仲間に入れるかどうかだけで」
 今までの出来事をぴしゃりと言い当てられる。この少女には何も話してないはずなのになんで知ってるんだ?
「見くびらないでくれる? あなたたちのことはずっと見てたんだから」
「はあ」
 ずっと見られてたってか。じゃあこの少女は俺とあいつが喧嘩するところも見てたってことなのか。
 あ、じゃあもしかしたら。
「なあ、ロスリュだっけ。あいつがどこに行ったか分かるか? 俺と喧嘩してた奴だけど」
 自慢げにすべて見ていたと言うのならそれくらい知っていてもおかしくないだろう。俺の問いに少女、ロスリュはあっさりと答える。
「知ってるわよ。あっちへ行ったわ」
「そうか、ありがとう。よし行くぞ! ……えっと」
 俺はロスリュの指差した方向へ走ろうとしたが途中で分からないことがあって止まってしまった。その分からないことというのは、俺の後ろに隠れるような位置で立っている藍色の髪の少年のことである。
 この少年は自分のことを話してくれた。だが大事なことを一つだけまだ聞いていない。それは何なのかというと。
「なあお前、名前は?」
 そう。今まであまり気にしなかったが名前を聞くのを忘れていたのである。これだけは少年は教えてくれなかった。だから俺が聞くことになったのだが。
「……後で」
 少年の口からもれたのはそんな小さな声で。
 いきなり少年は俺の服を掴み、そのまま俺が向かおうとしていた方向へと走りだした。そのスピードは子供とは思えないほど速く、俺は地面に引きずられたり空中で浮遊したりしながらされるままになっていた。
「おい! 何やってんだよ! ってか、どこに行く気なんだ?」
 痛いほどの風に当たりながらそれに負けないように大声を出した。するとぴたりと止まる少年。その時に服を掴んでいた手を放され、俺はそのまま何メートルか飛ばされてしまった。思いっきり誰かの家の壁に背中を打つ。痛いことこの上ない。
 何しやがるんだよ、まったく。俺って不運。
 もう疲れたくなかったのでその場で座り込んだ。少年は俺の座っている場所までとことこと歩いてくる。
「あそこに人がいる」
 少年はそんなことを言っていた。最初に言う言葉がそれか。少しは俺のことを心配でもしてくれや。本当可愛げがない奴だな。
「そりゃあお前、ここは街なんだから人がいて当たり前だろ」
「そういう意味じゃない。見たことがある人がいる」
 すかさず反発してくる。でもそこにも感情は見えなかった。
「あの人たち、赤き星か青き星で見たことある」
「は? それって」
 なんとなく嫌な予感が胸をよぎる。それが何なのかは分からないけどよくないことがありそうな気がしてきた。
 背中の痛みも忘れるほど慌てて立ち上がり、少年の見つめる先を凝視してみる。ここから少し離れた道の先に俺と少年の視線が集まった。そこは街の中心から少し離れた場所で人気がない所で、三人の人がひとかたまりになって何かを話しているように見えた。
 それだけなら何の問題もないだろう。しかしその三人の人はそれぞれ目立つ武器を抱えていた。まるで今から戦争にでも行くように見えるのだ。街中にいないから騒がれていないが、かなり危ないことは言うまでもないだろう。
「なんであんな物騒な格好してるんだ? あの人ら」
「僕を追ってきたみたい」
「え、何だって?」
 思わず前方の三人から目をそらしてしまった。しかし横にいる少年はじっと相手を見つめたまま動かない。俺はわけが分からなかったがもう一度視線を三人に戻した。
 だが。
「あれ? いない?」
 ちょっと目を放した隙にいなくなっているではないか。なんだ、どこか別の方向へでも進んでいったのか?
 そんなに警戒することでもなかったみたいだな。やれやれ、変なごたごたに巻き込まれなくてよかった。
「樹、下がってて」
 無表情のまま一歩前へ踏み出す少年。何を言ってるんだこいつは。なんで下がる必要があるんだよ?
 まさにその時だった。間近で何かと何かがぶつかり合う音が聞こえてきたのは。
「な……?」
 何も分からないままずるずると後ろへ下がった。よく見てみると少年の前には三人の男の人が立ちふさがっている。それぞれ目立つ武器を持っている、例のさっき見えていた三人であった。
「なんだ?」
 どういうことなんだ? さっぱり状況が理解できない。一人で頭が困惑してきた。
「やっと見つけたぞ、国の仇!」
 男の人の声が耳に入ってくる。三人のうち一人が言ったものだ。それは分かった。
「よくも国を混乱させてくれたな。この罪を忘れたとは言わせないぞ!」
「そうだ! 国へ来てちゃんと全員に謝れ! そうしない限り俺たちは許さないからな!」
 次々と言葉が飛んでくる。それは少年に向けられたものには違いなかったが後ろで聞いていると俺にも向けられているようで悲しくなってきた。
「だからどうだっていうの?」
 静かな少年の声。藍色の髪が風でふわりと揺れる。
「僕が国の人全員に謝って何かが変わるの? それだけで国が元に戻るとでも思ってるの? 馬鹿らしい」
 冷たい言葉には感情がなく、それによって一層冷たさを増していた。俺まで寒気を感じてしまう。
「なんだとてめえ!」
「子供だからって許されると思うな!」
 痺れがきれたように三人は各々の武器を振り上げた。それに反応して少年の持つ空気が変わったことを感じる。
 何やってるんだこいつらは。
「待てよ!」
 無意識のうちに叫んでいた。その場にいる全員の動きがぴたりと止まる。
「戦ってすむってもんじゃないだろ」
 視線が集まってくるのを感じた。心臓の高鳴りが激しくなってくる。
「どういう理由かはよく分かんねえけど」
「関係ない奴は引っ込んでろ!」
 ――光。
 それは剣が抜かれたときに見える光だった。少し離れた位置で確かにその光が見えた。
 近づいてくるうるさい足音。再び変わる子供の持つ空気。何か武器を握り締めるかすかな音。
 それは。
「や……」
 俺を動かせるには充分なものだった。

「やめろぉおっ!」

 気がつけば三人と少年の間に走っていて。
 後ろに守る人がいることを知りながら、ばっと大きく手を左右に開いた。
 三種類の武器が直撃したのだろう、体に激痛が走った。
 だけど倒れるわけにはいかない。ぐっと地面に足を踏ん張る。
「やめろよ、こんなことしても何にもならない! こんなやり方間違ってる。怒りをぶつければそれでいいってものじゃない! 分かるだろ!」
 声だけは立派に出てきた。腹の底から絞り出すように、お腹に力を入れて叫ぶ。
「うるさい、そこをどけ! 俺たちはお前に用はない!」
「誰が退くかよ! 何もさせはしない!」
 そうさ、ここで引いちゃいけないんだ。相手はただ怒りがあふれていて周りが見えていないだけ。だから落ち着いて考えてくれさえすればきっと。
「樹」
 小さな呼びかけが聞こえた。大丈夫。きっとなんとかなるって。
「そこを退いてくれないならお前も道連れだ! 恨むなよ、自業自得なんだからな!」
 再び光が煌めいた。それぞれの武器の攻撃を真正面から受けとめる。いや、無防備なのだから受けとめるという表現はおかしいか。俺は三つの攻撃を受けた。
「……っ!」
 攻撃を受ける瞬間にはぐっと目を閉じる。それでも痛みはやわらいでくれなかった。目にはうっすらと涙さえ浮かんでくる。
 痛くないと言えば嘘になる。だけど今は嘘をついてでも立ちふさがらなければならないのだ。甘えていい時じゃない。それは分かりきったことなのだ。
 倒れない。倒れてはいけないから。
「やめろよ! もうやめろ!」
 こちらから手を出すことも許さない。戦って解決したって何の意味もないから。
「構うものか! おいお前ら、こいつも倒せ!」
 それでも相手は引いてくれなかった。
 痛さと絶望とで涙の量が増してくる。俺はそれが零れないようにまばたきをするのを我慢した。そのせいで視界がぼやけてだんだん何も見えなくなってくる。
 また三つの武器が俺を狙ってくるのが目に見えた。今度は目を閉じるわけにはいかなかったので歯を食いしばって攻撃を受ける。
 自分の体がどうなっているかは分からなかった。なぜならそれを知りたくなくて見ないようにしていたから。
「樹」
 そして聞こえてきた消えそうな声。それは後ろから聞こえてきたもので、その声の主が言う言葉にしてはあまりにも弱々しいものだった。
「もういい……だからそこを退いて」
 駄目だ。ここから退くことはできない。
「退いてよ、もういいから」
 俺は声を無視して前方の三人に向かって言葉を投げた。
「もうやめてくれないか。俺はどんなことがあろうとここから引くつもりはない。謝ってほしいならこいつの代わりに俺が謝る。だから、どうか争わないでくれ!」
 その言葉さえも聞いてくれなかった。三人は再び武器をこちらに向けてくる。
 自然と体の疲れや痛さは感じなくなっていた。いや、体が麻痺してきたと言うべきなのだろうか。それほどまでに俺の体はぼろぼろだったのか。
「やめて――」
 大丈夫だ。最後まで壁になってやるから。だからお前も手を出すな。
 光の煌きがまた見える。これで何度目だろうか。
 同じように、何度も何度も同じように攻撃を受けた。だけど今回ばかりはさすがにきつくて、とうとう床に膝をついてしまった。
「争わないでくれ、頼むから」
 俯いて相手の顔が見えなくなる。
「本当に大事なことを忘れないでくれ。あんたたちが今しなきゃいけないことはそんなことじゃないはずだろ?」
 ぼやけていた視界が鮮明になってくる。いつのまにか涙が引いていた。
「だけど俺たちはこうするしかこの怒りを――」
「だからって他人まで巻き込むの?」
 相手の言葉に答えたのは俺の後ろにいる奴であって。
「謝ってほしいなら謝るから。殺したいなら殺されるから。だから他人まで巻き込まないでくれない? もうやめてくれない?」
 その口調はいつものように淡々としたものだったが、声には張りがなさすぎた。
「ごめんなさい」
 ぽつりと。聞こえた。
 なぜだろう。その言葉が耳に入ってくると引いていた涙がぶわっとあふれた。
 止めようと思っても止められなくて。
「……あ、謝ったから許してやるよ。行こうぜ?」
「あ、ああ」
 最後には決まりが悪そうになっていたが、三人の男の人はそのままどこかへ去っていった。
 それで気が緩んだのか、俺は地面に倒れ込んでしまった。

 

「どうしてこんなことしたの?」
 俺は仰向けに倒され、少年は俺のことを見下ろしながら言った。その表情には感情は含まれていないのだろうけどいつにも増して冷たいような気がした。
「無事でよかった」
「君が無事じゃないでしょ」
 そう言って少年はしゃがみ込む。そしてすっと手を俺の体にのばした。何をするのかと思うと傷口の上に手を当てて何やら早口に呪文らしきものを唱えていた。
「お人好しにもほどがあるって言ったでしょ」
「そんなお人好しだなんて」
 自分ではやはり自覚はないんだけど。他人から見ればそう見えてしまうんだろうな。
「僕は回復呪文は使えないから、傷はちゃんと癒えないけど痛み止め程度なら」
 少年は俺の体から手を離した。そうは言ってもすでに体が麻痺してるのか痛みすら感じないんだけどなあ。
「そっか、ありがとな。じゃあ、あいつを捜そうか」
 とりあえず気分だけは楽になったので立ち上がってみた。なるほど痛み止めは効果があったことにすぐに気づいた。立ち上がってみても疲れを感じない。
「あんな奴ら、倒してしまえばよかったのに」
 冷たい言葉が聞こえた。
「君がでしゃばる必要なんてなかったんだから」
「だから、それじゃ駄目だって言ってんだよ!」
 振り返らずに少年に向けて言う。
「そんなことばかりしてたら本当に大事なものを見失ってしまうって言っただろ!」
「じゃあ何なの、その本当に大事なものって」
 冷たさと苛立ちが混じったような声だった。そこには感情があるように聞こえたのだが本当に少年に感情はないのだろうか?
「それが何かなんて誰にも分からないもんだろ」
 それを探すために生きてるようなもんなんだから。
「何だか分からないもののために自分を犠牲にするの? ……馬鹿みたい」
「馬鹿で結構」
 どうせ俺はお人好しの甘い奴ですよ。やっぱりそれは自分でも認めなければならないようだった。
「名前、だけど」
 足音と共に声が聞こえた。さっきまでの声とは打って変わった、まるでいつものあいつに戻ったような声だった。少し待つと俺の前へ少年は歩いて来た。
「知りたがってたよね、君」
 ああ、そりゃあもちろん。ずっと呼び名がないのはさすがに呼ぶ側としてもつらいし。
「教えてくれるのか?」
「無理だよ」
 え?
 少年は無表情の顔で俺を見上げてきた。
「僕は自分の名前を知らないから」
 藍色の瞳で見つめられ、どう反応していいか困った。少年はそんな俺に構うことなく淡々と語る。
「前に話したでしょ、記憶がないって。昔どう呼ばれていたのかなんて知らないし、牢屋の中では誰も僕を呼ぶ人なんていなかったから」
 まるで他人事だ。そう言わんばかりの口調で冷たく語っていた。
 そうか。そういうことだったんだな。俺は一人で納得した。
 今まで何度か名前を聞いたことがあったけど教えてくれなかった理由。そりゃそうだよな、知らなかったら教えろという方が無理がある。俺は今まで無理があることを聞いていたのか。
「だけどさ。それは分かったとしても名前がないのは不便だろ?」
 どうせなら俺がつけてやろうか?
「なんで」
 申し出は疑問の形で返された。
「なんでってお前」
「今までだって名前なんてなくても生きてこれたんだから」
 う。それはそうだけどさ。
「けど! お前は俺についてきたいんだろ? 仲間になりたいんだろ! だったら名前はなくてはならないんだよ!」
 もう無茶苦茶な理由だったがこうするしかこいつを諭す方法はなかった。
「何それ」
 そしていつものごとく返ってくるのは痛いほど冷たい言葉で。冷ややかな視線さえ感じる。
 あーもう!
「とにかく俺がお前の名前を考えてやるからな!」
 目の前にいる少年をびしりと指で指す。こうなったら反論されようと何されようと無視だ無視!
「勝手にすれば……」
 諦めたのか、それとも呆れられたのか。少年はそう言うと背中を向けて歩き出した。

 

 

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