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「うわっ、どうしたのその傷! 何があったの!? ちょっと……あ、動かないで!」
「痛ててて! 触るなよ!」
「文句言わないの! 精霊よ……」
 体中が暖かい光に包まれる。その光を出したのは他でもない、喧嘩をしてどこかへ行方不明になっていた外人であった。
 どういうわけだかは分からないが、街の中を捜そうとしていたら相手からこちらにやってきたのだ。それには少し面食らったが俺の傷を見るやいなやこれである。喧嘩をしたこともすっかり忘れたように心配され、無理矢理地面に座らされて勝手に呪文を唱えている。本当にこいつは何考えてるんだかさっぱり分からなかった。
「お前って回復呪文も使えたんだな」
 こればかりは意外だった。あんなに攻撃呪文ばかり放ちまくってたのに回復まで使えるなんて、欲張りというか何というか。
「当然だよ。癒属性の精霊アニスとも契約したんだから」
「ふーん?」
 また精霊か。本当いっぱいいるんだな精霊って。そんなにいっぱいいるなら全員と契約するのは疲れそうだ。俺には絶対に無理だろうな。うん。
「勘違いしないでね。ぼくは許したってわけじゃないんだから」
 忘れているのかと思いきや。やはりちゃんと覚えていて。
「なんでそんなに気に入らないんだよ? こいつにだっていろいろ理由があるんだ。それを分かってやらなきゃいけないだろ」
 喧嘩は再び始まった。だけど今は以前と違って落ちついたものであって。
「だけど敵だよ? あの子供は敵なんだ。いつ裏切られるか分からないじゃない」
「それはそうだけどさ。だからって信じてやらないのもどうかと思うけど?」
 一瞬、相手と目が合った。相手の銀色の瞳は普段より大きく開かれている。俺はにっと笑ってみせた。
「大丈夫だって。なんなら約束でもしてもらうか? 俺たちを決して裏切らないようにって」
「約束?」
 相手の顔がむっと歪んだ。大きく開かれていた目がすっと細くなる。
「そうさ。おーい!」
 明らかに機嫌が悪くなりそうな外人を無視し、俺の後ろでぼんやりしていた藍色の髪の少年を呼んだ。ちなみにまだ名前は決まっていない。それも忘れないようにしないとな。
 少年は呼ばれるとすぐにこちらへ歩いてきた。俺の隣まで来ると足を止め、無表情の顔でじっとこちらを見てくる。
「リヴァの奴がお前に約束してほしいんだってさ」
 一度まばたきをし、視線を外人へと移す少年。藍色のふわりとした髪が小さく揺れた。
「何を約束するの?」
「約束して」
 普段より強ばった声。顔を見てみると、まるで緊張でもしているかのように固まっていた。
「お願い、約束して。ぼくや樹に、決して裏切ったりしないと」
「…………」
 少年は何も言わなかった。何も言わなかったが、しばらくすると一つだけこくりと頷いてみせた。
 それだけだった。
 これで解決したんだよな? もう問題ないよな? よし、喧嘩はこれにて終了。仲間も増えたしよかったよかった!
「……あれ?」
 ふと何かを思い出す。仲間? 仲間といえば、確か。
「こんな所で何をしているの? 本当にあなたって情けないのね」
 あ。そうだった。
 この街ではいろんなことが起こって今の今まで忘れていたが、そうだまだ問題が残っていたんだ。そしてそれはさっきの声で鮮明に思い起こされてしまった。
 その声の主とは言うまでもないだろうが、あの泥棒の少女、ロスリュであった。
「そんな怪我をしてどうするつもりなの?」
「うるさいなー。今治してんだからいいだろ」
「だけどそんな治し方じゃ一日かかるわよ?」
 相変わらず冷たい物言いでロスリュは言いたいことを言ってくる。そして長いスカートと髪の毛を地面に引きずりながらこちらまで歩いてきた。俺の前へ来て外人の横に並ぶ。
「あなた退いて」
「え? ちょっと」
「いいから退きなさい」
 何をするのかと思えばロスリュは呪文を唱え続けていたのだろう外人を無理矢理押し退けた。おかけで回復呪文が遮断され、俺の傷は最後まで治っていない状態になった。
 しかしそうかと思えば今度はロスリュが外人と同じように呪文を唱え始めた。
「精霊よ、キュア」
 ぱっと光に包まれる。しかしそれは一瞬にして消えてしまい、後には何も残っていなかった。
 ロスリュは手を引っ込め、すっと立ち上がって俺に言ってきた。
「もう傷はないわよ。確かめてみなさい」
 本当なのか? 少し怪しかったがちらりと自分の体を見てみた。
 傷は一つもなかった。
「すごい、初級呪文でこんな一瞬で治せるなんて」
「あなただって中級や上級を使えば一瞬で治せるんじゃない?」
「ぼくは回復は苦手なんだよ……」
 ロスリュと外人は呪文の話ばかりして俺はそんな中に入れなくなった。なんだか取り残された気分だ。
 よし、暇になったから藍色の髪の少年の名前でも考えよう。何がいいかな。
 適当に思いついたものを言ってみることにしよう。
「おーい、聞いてくれ」
 少年を近くに呼び寄せ、思いつくままに名前を挙げてみた。
「お前の名前だけどさ。こんなのはどうだ? ジョンとか」
「やだ」
 速答。
 ええい、負けるな自分!
「ジョニー」
「やだ」
「ジョナサン」
「ふざけてるの?」
「ジェイソン」
「嫌だ」
「ジュライ」
「何それ」
 なんだよ、せっかく考えてやってんのに全部否定すんなよ! ああもう悲しいったらありゃしない。
「じゃあジェダとかは?」
「なんでさっきからジにこだわってるの」
 ん? それはもちろん。
「お前はそんなイメージがあるんだよ。ジークとか」
 少年は首を横に振る。また否定かよ。
「なんでそんなに気に入らないんだお前は。ジンは?」
「…………」
 今度は静かに睨みつけられた。ああ怖い。
「だったら、ジェラーダスト! もうこれでいいだろ!? これ以上は考えられないからな!」
「だったらジェラーがいい」
 え? もしかして決定?
 少年は俺を見上げながらもう一度言ってきた。
「ジェラーでいいよ」
「……えっと、ダストは?」
「そんなのいらない」
 ああ、また強く否定されてしまったよ。
 けどまあいいか。
「よし! じゃあお前はこれからジェラーだ! 分かったな!」
 こくんと頷く少年。それから俺の顔をまっすぐ見ながら、はっきりとした口調で言ってきた。
「だったら僕の名前はジェラー・ホクム。これでいいの?」
「え、いや、なんだよその名字みたいなのは」
 もしや自分で考えたとか? いや俺は別に構わないんだけどな。
「名字だけは知ってたから。教えてくれたんだよ」
「そ、そう」
 なんだ。自分で考えたんじゃなかったんだな。でも名字だけ知ってるってのも変な話だよな。ついでに名前も教えてもらったらよかったのに。
 何はともあれ、これで問題はすべて解決したはずなんだが。少々心配なこともあるにしろ、とりあえず丸くおさまったようでなによりだ。

 

 ところで俺はこれからどこへ向かえばいいのだろうか。
「なぁリヴァ」
「ん? 何?」
 ロスリュと呪文の話をして勝手に盛り上がっていた外人を呼んでみる。とにかく一番よく知っていそうなこいつに聞いてみるべきだ。
 しかしはたして本当に知っているんだろうか。そればかりは聞いてみなければ分からない。
「これからどうするんだ? スイなんとかって所に来たのはいいけど、どこにガーダンを作ってる奴がいるかとか分かってるのか?」
「はぁ? 何寝呆けたこと言ってんの君は」
 質問したら呆れられてしまった。言葉を言う前に外人は早口に続ける。
「もう忘れたの? あの紙に書いてたでしょ、スイベラルグのガルダーニアに戻るって。だからガルダーニアって場所に向かうんだよ、分かった?」
 あー、そういえばそんなこと書いてたような書いてなかったような。
「じゃあそのガルダーニアってのは国か何かなのか?」
 そんな意味の分からない横文字を並べられただけではガルダーニアとやらが何なのかは分からない。もしかしたら場所の名前じゃないかもしれないし。
「それは――」
 そこまで言って止まる外人。目をそらし、何やら考えているように見える。
 もしや、分かってないとか?
「お前本当に分かってるのか?」
「な、失礼な! この世界には来たことがあるんだから知ってるよ、ガルダーニアくらい! 確か国の名前だった……と思う」
 最初は威勢がよかったがだんだんと声が小さくなっていた。やっぱりちゃんと分かってないんだな。
「あら、あなたたちガルダーニアに向かっているのね」
 後ろから口を挟んでくる。その声の主は勝手についてくるとか言っている泥棒の少女、ロスリュだった。
「ロスリュは知ってるのか? ガルダーニアを」
「当然よ。知らないほうが世間知らずね」
 あっそう。悪かったな世間知らずで。
 ものすごく馬鹿にされた気がしたが、とにかくそれは流して聞くべきことを聞いてみた。
「じゃあここからどこへ向かえばいいんだ?」
「東。まっすぐ向かってればそのうち着くはずよ」
「そっか」
 よし、とりあえずこれで道も分かった。あとは街を出て東へまっすぐ進むべし。
 そうは言うけど本当にそれで着くのか? なんだかちょっと怪しかった。
「……樹」
 くい、と服を引っ張られた。見てみるとそこには藍色の髪の少年、ジェラーがいた。いつもと変わりない無表情の顔でこっちを見上げてきている。
 なんだ、どうかしたのか? 文句は受け付けないからな。
『聞いて』
 ……な?
 少し戸惑った。少年は口に出さず心の中だけで話しかけてきたのだ。今までこんな風に話されたのは一度きりだったのでそれが何か特別な意味を持っているように思えた。
 だから俺も口を閉じ、頭の中だけで会話をする。
 なんだか知らないけど。聞いてほしいなら何だって聞いてやるけど?
『うん、あのロスリュって人だけど』
 ロスリュ? ロスリュがどうかしたのか? もしかして何か企んでるとかか?
『違う、そういうことじゃなくて』
 ジェラーはそこで目をそらした。普段より落ち着きがないように見えてくる。
『あの人、心が見えないんだ。だから注意しておいた方がいいかもしれない』
 そして少年は背を向ける。
 心が見えないってことはつまり、あいつでも心を読めないってことか。それはまた奇妙というか何というか。
 俺にはどういうことなのか分からないから何とも言えないけど、とにかく少年の忠告は気にとめておくことにした。
 分からないことが多すぎるんだ。だから他人に頼るしかないわけで。
 情けないと思いつつも人の意見を聞くことしかできない自分がここにいた。

 

「なんだって、召喚呪文を忘れただって!?」
「いや、忘れたっつーか、紙をなくしたっつーか」
 それは街を出てすぐのことだった。召喚呪文の書かれてあった紙をなくしたことを話すと外人に思いっきり怒られてしまった。自分のことじゃないくせにかなり強く怒られ、どう言い返していいか分からなくなってきた。
 でもなくしたもんは仕方ないじゃないか。今更どんなに嘆いたって出てくるってもんじゃないんだし。
「それで、お前なら覚えてるんじゃないかなーって思って聞いてみたんだけど」
「あぁ、そう」
 まるで呆れているような口調で言われる。そんな態度することないじゃないか。
「別に教えてもいいけど。今度からは紙に頼らず自分で覚えること。そうしたら紙をなくしたって支障はないわけだし」
「分かってるさ」
 いちいち嫌味っぽく言ってくるのは気にくわないが、教えてくれるなら文句は言えない。それにこいつの言うことも分かっていたから反発なんてしようと思っても無理だった。
 それはともかく紙が必要になってくるわけだが。俺は紙なんて持っていない。
「なあ、紙、持ってないか?」
「本当に呆れる人だね、君って」
 外人はそう言いながらどこからか紙とペンを出してきた。俺はそれを受け取り、手の平の上に乗せて準備を整える。
「いい? 言うよ?」
「いつでもどうぞ」
 そしてリヴァは呪文を言い始め、俺はそれを聞き取って紙に書いていく。なんとなく覚えていたものもあったけどほとんどの言葉が覚えられていないものだった。やっぱちゃんと覚えておかないとなぁ。かなり面倒だけど仕方ない。
「これで全部だよ。ちゃんと書けた?」
 全部の呪文を言い終わると外人は紙を覗いてきた。とりあえず字は汚くなったが全部書くことができた。汚いと言っても読めないほどじゃないしな。これでいいだろ。
 それにしてもこの外人はよくもまあこんなに一字一句間違えることなく覚えていられたもんだな。何気にすごいことのような気がして、ますます自分が情けなくなってきた。
「驚いた? 記憶力だけには自信あるんだよ」
 隣から声が聞こえた。それは今まで呪文を教えてくれていた外人で。怒っているような顔ではなく、にっこりと笑っていた。
「自信あるって言ったって、お前これ自分のことじゃないだろ」
 他人のことまで覚えてるなんて怖いというか厄介というか。まあ今回はそれで助かったからよかったけど。
「うん……。それはいいんだけど。あの二人はどこに行ったの?」
「へ? あの二人ってロスリュとジェラー?」
 二人なら俺の後ろにいるはずだけど。
 振り返って見てみると、そこには当たり前のように誰の姿もなかった。
「どこにいるの?」
 追い討ちのように隣からは声が。
「ねえ」
「俺が知るかよっ!」
 これで知ってる方が怖いっつーの。無茶言うなよ。
「先に進んで行ったんじゃないでしょうか」
「そうそう、きっと先に進んで……って」
 ちょっと待て。今変な声が混じってなかったか? それも妙に聞き覚えのあるような声が。
 おそるおそる振り返ってみる。
「こんにちは。またお会いしましたね。ラス・エルカーンです」
 そこには輝かんばかりの笑顔の自称武器商人がいた。相変わらず重そうな荷物を担いでおり、見るからに貧相そうな服装をしている。
「聞きましたよ。あなたたちの目的地はガルダーニアだそうじゃないですか。実は僕もそこに向かってるんですよ。奇遇ですね!」
「はあ」
 奇遇だとか言われてしまった。なんか怪しいんだよな。しかし誰に聞いたんだろうこいつは。
「というわけで。一緒に行きませんか?」
 ああなるほど。それが目的だったというわけか。
 俺は別にこいつがついてこようと構わなかったが、はたして他の連中が許してくれるかどうか。どうにもひねくれた奴らばっかりだもんな。
「いいか? リヴァ」
「ぼくは別にいいけど」
 外人は思ったほど反発しなかった。少しは性格がやわらかくなってくれたようだ。
「じゃ、決まりですね。ガルダーニアへ向けて、いざ!」
 ラスは一人ではりきって真っ先に歩き出していった。そんな少年につられ、俺と外人も歩き出す。
 とにかくその時は目的地に向かうことだけを考えていた。この先には予想もしなかったとんでもないものが待っているとも知らずに。

 

 

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