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 その人は今まですっかり忘れていた人。
 その人は何よりも守りたいと思える人。
 そしてその人は、最も真実に近づいている人。

 

第ニ章 疑惑と目的

 

41 

 木々が風でざわめいている。その間から見える空は遥か彼方へと続くように高く青い。
 俺たちは森の中を歩いていた。隣にはリヴァがコンパスを片手に、後ろにはジェラーとロスリュが周りを気にしながら歩いている。そして俺の前には商人のラスがはりきって歩いていた。
 街を出てジェラーとロスリュを見失った後、東へ向かって進んでみれば無事に二人を発見できた。なぜ勝手に進んだのかと聞くと、非常に冷たい眼差しで遅かったからと口をそろえて言われてしまった。そしてまた行動を共にすることになったのだが。
「ね、ねえ樹、何か来るよ」
 かなり心配そうな声が横から聞こえてきた。それは言うまでもなく外人のものであり、心配そうな理由は魔物じゃないかと怯えているからである。
「じゃあさっさと下がってろよ。ジェラー、様子見てきてくれ」
「また僕が行くの? たまには君が行けば?」
 ぶつぶつと文句を言いながらも少年は俺やラスの前に立った。その隙にさっと外人は後ろに下がる。こんな時だけは反応が早い奴で困ったもんだ。
 街を出て森に入ってからは何度か魔物に遭遇した。その度に俺が一人で立ち向かいながらやられそうになり、外人が怯えて勝手に騒ぎ、ラスが後ろから応援してき、最後にはジェラーが呪文でとどめをさすのであった。そして俺が負った傷はロスリュが一瞬にして治してくれるが疲れは倍になるばかりであった。きっと今回もそうなるんだろうな。まったく先が思いやられる。はあ。
「まったく、ジェラーの奴倒せるんなら最初から倒してくれりゃあいいのに」
 独り言のように文句を言いながら二本の剣を両手で構えた。でもどうせやられそうになって終わりなんだろうな。そう思うとまったく乗り気がしない。またため息がいっぱい出てきそうな気がした。
「樹さん、頑張れ! 僕はいつでもあなたの味方ですよ!」
「あーはいはい。分かったから引っ込んでろよ」
 自称武器商人はなぜだか知らないが妙に明るかった。この面子の中では一番明るい奴だと言っても嘘ではないだろう。でもそのおかげで気分が楽になるということも嘘ではなかった。今ではこいつがいてよかったと思う時もあるほどだった。
 そんなどうでもいいことを考えていると、前を歩いていたジェラーが足を止めた。どうやら何かを見つけたらしく、じっと耳をすましているようだった。
 魔物か?
 心の中で話しかける。
『違う。人だね』
 返ってきたのはそんな返事だった。今までの緊張感がすっととける。魔物じゃないなら安心できるしな。
『一人じゃなくて何人かいるみたい。戦ってるよ』
 しかし完全に安心はできなさそうだった。戦ってるだって? 魔物にでも襲われてるのか?
 とけた緊張が再び舞い戻ってきた。何か嫌な予感がしてくる。
 少年はくるりと振り返り、声に出して皆に言った。
「この先で一人の人が何人かに襲われてる」
 人が人に襲われてる?
 緊張がますます高まっていく。すごく嫌な予感がした。
 こんな森の中で人が人に襲われている。そして俺たちはそれに遭遇した。
 もう放っておけるわけないじゃないか。
「行こう、その人を助けないと!」
 言葉より先に体が動いていた。台詞を言い終えた頃にはすでに走りだした後で、後ろから誰かにかけられた声ははっきりと聞こえなかった。

 

「来ないで! ……お願い、そこで聞いて」
 森の中の道のない道を走っていて聞こえてきたのは、誰かは分からないが少女の声だった。その台詞は弱いものだったが声には必要以上に張りがあった。まるで怒っているような、そんな印象を受けた。
 声が聞こえると同時に風がさあっと木々をなでた。辺りの草がざわざわと音を立て、右へ左へと踊らされている。
 その隙間からついに目的の人を見つけることができた。しかし何人もの人に囲まれていて声を出した人の姿はまったく見えない。
 草や木に隠れた位置で様子を見てみることにした。姿勢を低くし、見つからないように息をひそめる。
 その時。
「樹、何やってんのさ!」
「わっ!」
 いきなり背後から声をかけられ、驚きのあまり大声を出してしまった。慌てて口を手で押さえるが時すでに遅し。誰かがこちらに向かって歩いてくる足音が聞こえた。
「馬鹿、いきなり声かけてくる奴がいるかってんだ!」
 こそこそと小声で相手、リヴァに文句を言った。頭を押さえて無理矢理座らせ、どうにか見つからないようにと祈りに祈った。
「誰だお前たちは! そこで何をしている!」
 またしても背後から怒鳴られた。完全に見つかった。やばい。
 後ろには剣と盾を持ったどこかの騎士か何かのような格好の男が立っていた。それも一人じゃなく男の後ろには何人もの同じ格好の人がいる。
「まさかとは思うが今の会話を聞いていたのではないだろうな?」
 低くどすのきいた声で相手は言う。俺は両手に握った剣をぎゅっと握り締め、相手を少しだけ睨んだ。
 このまま正直に会話を聞いたと言えば間違いなくよからぬことに巻き込まれる。それだけは嫌だったので何も言わないでおいた。
「何も言わぬか。まあいい、どうせお前が何を聞いていようと関係のないことだ」
 そうそう、関係ないから早くどっか遠くにでも行ってくれ。これ以上巻き込まれるのはごめんだから。
 あれ? 俺って最初は襲われてる人を助けるために来たんじゃなかったっけ?
 いつの間に考えが変わったんだろ。だんだん分からなくなってきた。
「私はあなたたちには従わない!」
 張りのある少女の声が俺を現実に呼び戻す。少女は休むことなく続けていた。
「私は帰らない、私は戻らない! どうして私を縛るの、どうして自由にしてくれないの!」
 それは訴えというよりも憤りに近いものだった。
 少女の声が響くと目の前にいた騎士のような男たちの目の色が変わった。何やら落ち着かない様子になる人々。
 そして次の言葉が聞こえることはなく、代わりに金属が弾かれるような、そんな音が聞こえてきた。
 やばい。俺はこの音を何度も聞いたことがある。これは剣が弾かれる音。人が戦っている音だ。
 もう何かを考える余裕はなかった。衝動的に体が勝手に動き、戦いの起こっている方向へ走りだしていた。
「ちょっと何する気? またそんな無茶して!」
 後ろから聞こえた外人の声でも俺を止めることはできなかった。気持ちが一直線になって前しか見えないようになりつつあったのだ。
「止まれ! 止まらねば斬り捨てるぞ!」
 騎士の声が耳に入る。同時に後ろから大勢が近づいてくる足音もついてきた。さっきの奴らが追いつこうとしているのだ。
 くそっ、こんな奴らに構ってる暇はないのに!
 どうするべきか。このままでは確実に追いつかれるのが手に取るように分かる。俺は平凡な高校生であることには変わりないが、そんな平凡な奴らよりいくらか運動が苦手なのだ。もちろん走ることも得意じゃない。競争したらビリから数えたほうが早く数えられるような奴なのだ。
 こうなったら召喚でもするか?
 ふっとひらめいた案に右腕の腕輪をちらりと見てみる。しかしまだ呪文を覚えていないため紙が必要になってくる。そんなことをするには時間がかかりすぎる、駄目だ。
 だったら一か八か、剣で戦ってみるか?
 それこそ危なっかしく危険なことだったが逆にそうするしか手段がないように思えた。ちょうど剣も握っている。戦うなら今だ。
 腹を決めて足を止め、ばっと後ろを振り返った。そこには剣を構えて走ってくる騎士の人々がいる。
 来い、相手をしてやる!
 騎士たちが近づき間合いに入っただろう時に剣を握りなおし、それを思いっきり後ろに引く。そしてそれで反動をつけ、横になぎはらうように剣を振った。
 それは空振りに終わった。
「……は?」
 おい、何だよそれは! 今の攻撃をよけるのはいくらなんでも無理だろ! なんで空振りなんだよ?
 その時、目の前に黒い影が見えた。
「まったく、本当に無茶ばっかりしちゃって。君のお人好しに付き合うのも今回限りだよ?」
 黒い影――リヴァはそう言って俺の前に立ちはだかった。その先には追いかけてきていた騎士たちがいる。
「悪い、頼む!」
 俺はそう言い残し、向きを反対方向へ変えて再び走りだした。

 

 着いた先で見たものは驚異する他はないようなものだった。
 たくさんの人が倒れていたが、それでもまだ戦っている人が何人もいた。一人の人と戦っているらしく、その肝心の一人の人はやはり見えなかった。
 ぼんやりとその様を見ているうちにも一人二人と人が倒れていく。戦っている一人の人はかなり強い人なのだろうか。
 俺が来た意味ってあるのか? この調子だったら大勢の団体の方が確実に負けるよな。助けなんかいらなさそうだし。もう帰ろっかな。
「……あっ!」
 帰ろうかと足を動かそうとした時に聞こえてきたのはさっき聞いた少女の声だった。その声でぴたりと足が止まる。
 なんだ? なんだかこの声、聞き覚えがあるような気がする。誰のものだったっけか――。
 そうかと思えば足元で何かの音がした。ずしゃりと何か大きなものが落ちたような、そんな音が。
 無意識に音に反応し、目をそちらに向けてみる。そこにあったもの、いや、いた人とは。
「あ、あ……」
 かつての記憶が急速に蘇ってくる。明るい街の景色。身を隠すように羽織った質素な布。明るい黄色の長い髪に、空より澄んだ青い色の瞳。
 俺はこの人の名前を知っていた。
「アレート――」
 忘れかけていた声。忘れていた笑顔。それを持った人が俺の足元で倒れていた。
「おい、しっかり! しっかりしろ!」
 慌てて座り込み、必死に体を揺さぶってみる。しかし少女の瞳は閉じられたまま開こうとはしなかった。胸だけは上下していたので生きていることは確かだった。それが何よりの救いだ。
「誰だ貴様は? その方をこちらに渡せ」
 何十人もの倒れた人の中から幾人かの騎士らしき人がこちらへ歩み寄ってくる。俺はそいつらをきっと睨みつけた。
「この子をどうするつもりだ?」
「貴様には関係のないことだ。早くこちらに渡せ」
 また関係ない、か。こいつらはそんなことしか言えないのか。
 ふざけやがって。
「俺はこの子の知り合いなんだ。本人に聞けば分かる。この子を渡すことはできない」
 なぜだか分からない。分からないが、どうあっても相手側に渡してはならないように思えたのだ。考えより先に口や手が動いていた。
 少女をかばうように立ち上がり、前へ一歩進み出る。両手には剣を握り、再び相手を睨んだ。
 だけど分かっていた。いくら相手が傷を負っているにしろ俺が相手に勝てる確率はそれこそ絶望的な数値なのだ。まず間違いなく普通に戦ったら勝てない。だからどうにか逃げる方法を考えなくてはならないのだ。
 どうすればうまくいくか。どこから逃げればいいのか。
 何か手段はないのか? こんな時に限って何も思い浮かばない。くそ、なんだってんだよ。せめてここに誰か、外人かジェラーかがいてくれたら。
「呼んだ? 樹」
 急に隣から声が聞こえた。驚いて見てみると一体どういうわけかそこには藍色の髪の少年、ジェラーがいた。その足元には光が集まっている。
 お前、なんでここに?
『君が呼んだから。用があるんでしょ?』
 平然とした顔で心に直接話しかけてきた。だけど、そうだ用があるのは本当だ。いい時に来てくれた。
「この子を安全な場所へ運びたい。助けてくれ」
「分かった」
 少年は俺と同じように前へ進み出た。そして前を見たまま話してくる。
「その人を担いで、足元にある魔法陣の上に乗って」
 言われたとおり少女を背中に背負い、地面に見える光を放っている模様の上に乗った。
「飛ばすけどちょっと待っててね」
「え? 何だって――」
 すべて言い終わらないうちに光があふれだし、視界が真っ白になった。いつかの強制移動を思い出すものがそこにはあった。
 気がつけばまったく知らない場所にいて。
「おいおい……」
 今回飛ばされた場所は本当に何もない場所だった。

 

 一面どこを見ても草しかなかった。建物などはおろか、こういう場所にはありがちな山さえない。こんな場所でいったいどうしろって言うんだよジェラーの奴。
「ん……」
 背中からうめき声のような小さな声が聞こえた。慌てて少女を背中から下ろし、地面の上に仰向けに寝かせる。
 少女――アレートは苦しそうな表情をしていたがその瞳はずっと閉じられたままだった。今も開けられる気配はない。
 どうしよう。俺って本当に何すればいいんだろう。
「え? ちょっと」
 そんな時に聞こえてきたのはここにはいないはずの外人の声。隣から聞こえてきたのでそちらを見てみると、なんだか何も分かっていなさそうな顔をしている外人が立っていた。
「樹? 何なのこれ。なんか飛ばされたんだけど」
 ようやく口を開くと質問されてしまった。
「それは」
 答えようとしたが、再び移動のときに見た光が視界に入ってきた。光は真正面に急に現れ、それが完全に消えるとロスリュとジェラーがいた。
「おいおい、こんな所に飛ばしてくれてどうしろって言うんだよ? ジェラー」
 藍色の髪の少年に歩み寄り、ありったけの文句を言ってやった。どうせ飛ばすならもうちょっと気のきいた場所にしてくれればよかったのに。
「そんなことで文句言ってる場合?」
 返ってきたのは相変わらず冷たい返事で。しかしそれによって当初の目的をはっきりと思い出した。
「そうだ、ロスリュ! 回復呪文頼む! 怪我人がいるんだ!」
 忘れちゃいけないことを忘れるところだった、危ない。慌てて水色の髪の少女を呼ぶ。ロスリュはいつものようにスカートと髪を引きずりながら歩いてこちらへ寄ってきた。
「この人は?」
「今はそんなことより先に、助けてやってくれ」
 納得したのか、すっと手をアレートの胸にかざす。そこからは何度も見たことのある暖かい光があふれ出た。黄色い髪の少女はその光に包まれる。
 しばらくすると光は消え、アレートの傷はすっかり治ったようだった。しかしまだ目を開いていない。
「今は気を失ってるようね。しばらくすれば目を覚ますはずよ」
「そっか、ありがとな」
 とりあえず危険なことではないらしい。やっと安堵の息を吐くことができた。安心すると体中の力が抜けていく。思わずその場に座り込んだ。
「ねえ、その人誰なの?」
 隣には疑り深い外人が座り込んだ。相手の問いに簡単に答える。
「オーアリアの世界で一度会ったことがあるんだ。アレートって名前で、別に危険な奴じゃないはずさ」
「本当に?」
 また顔をむっと歪ませる。それは疑っている証拠だった。
「あのなー。そんなに誰でも疑ってたら人生楽しくないぞ? もうちょっと楽観的にいこうや。ほら、あの自称武器商人のラスのように」
「ラス?」
 あれ? そういえばあいつがここにいない。
 もしかして置き去りにしたとか?
 嫌な予感がして外人と顔を見合わす。どうやら相手も同じことを考えているらしく、同時に俺たちをここへ飛ばした張本人であるジェラーを見た。
「……何」
 冷たい視線で返される。それに負けずに外人は続けた。
「ねえ、ラスはどこ?」
「知らない。でもちゃんと飛ばしたけど」
 飛ばしたのにいなくなったってか。だったらそれほど心配することもないかな。あの場所から逃れられたら後は自分で何とかするだろ。それほどの根性があの商人にはありそうだった。
「とにかく今はアレートが目を覚ますのを待とう。ロスリュ、どれくらいで目を覚ますんだ?」
「詳しくは何とも言えないけど、そんなに時間はかからないはず」
「よし、分かった」
 そんなわけでしばらくこの何もない空間で時間を潰すことにした。地面に座ると足の疲れが癒されるようで、何とも気分だけはよくなってきた。

 

 これが再会の形だった。
 再び俺はこの少女と出会ってしまった。
 この出会いが後に大きく響くものとなることを今はまだ知らない。

 

 

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