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「……誰?」
久しぶりに聞いた声には怖れと憤りとが混ざっていた。
「忘れたのか? 前一回だけ会ったんだけどな。樹だよ」
「イツキ? イツキ――ああ! 覚えてる覚えてる!」
名前を聞いて安心したのか、少女の声は明るいものになった。
少女、アレートが目を覚ましたのはあれから数分後のことだった。あまり時間がたたずに目を覚ましたので暇になることもなく、ちょうど休憩もできてゆっくりすることができた。そして目を覚ましてからの第一声があれだったのである。
あー覚えてくれててよかった。これで忘れられてたら本当に虚しくなるところだった。
「そっか樹か。久しぶりだね」
そう言って微笑む姿は前とまったく変わっていなかった。そのせいか少し懐かしさを感じる。
「あなたに助けられてしまったね。迷惑かけてごめんなさい」
黄色い髪の少女は少し俯き、強ばったような声を出した。それはあの時に叫んでいたようなものと似ていて。
「別にいいさ。それに俺が助けたってわけでもないし」
「うん……。皆さん、ご迷惑をおかけしました」
アレートは今度は外人たちに向かって謝罪した。それを見た三人はそれぞれ困ったようなそうでないような、変な表情をしてしまった。
「えっと、君の名前はアレート。だよね?」
何とも妙な雰囲気を打ち消すかのごとく外人はアレートに話しかける。アレートは素直に一つ頷いた。
「君はどうしてあんなに大勢の人に襲われてたの?」
「それは」
少女の瞳に雲がかかった――ような気がした。
「ごめんなさい、今は言えないから」
そう言ってまた頭を下げる。さっきから謝ってばかりだ。
「じゃあ、あなたはどこへ向かうつもりだったの?」
代わって口を開いたのはロスリュだった。それを聞いてもアレートは曇った表情を見せる。
あーもう。
「みんなさ、知りたいのは分かるけど人には知られたくないものの一つや二つあるもんだろ。あんまり詮索するのはよくないと思うんだけど」
本当にこいつらは疑り深いんだから。こうでも言わない限りとことん質問しそうな気がした。
俺の言葉に効果はあったようで外人もロスリュもアレートに何かを聞くのを諦めたようだった。なぜならそれ以来そのことに触れなくなったからだ。やれやれ。
「ところでここはどこ? あの森の中ではないようだけど」
急に話題がずれた。そうした本人であるアレートは何も感じないのか、平然とした顔をしている。
「それはジェラーが」
勝手に飛ばしたんだもんな。俺に答えられる質問ではない。それに俺だって聞きたい質問なんだし。
俺の隣に座り込んでいた藍色の髪の少年はちらりとこちらを見上げてきた。なんだかまた文句でも言われそうな気がしたが、何も言ってこずにすぐに視線をアレートに移した。それから感情のない声で言う。
「あそこからはそんなに離れてないはずだけど」
「あ、そうなんだ」
へえ。そうなのか。アレートと一緒に俺も納得する。
納得したのはいいが、黄色い髪の少女は何やら落ちつかない様子に見えた。しきりに周りを気にしだし、青い瞳がきょろきょろとよく動いていた。
なんだかそんなことをされたら聞かなければならないような気になってくる。はてさてこれは一体どうしたものか。
「何かあったのか?」
ストレートに聞いてしまった。少女は俺の顔を見てから静かに口を開く。
「私、やっぱり迷惑なんじゃないかと思って」
そう言った少女の顔はどこか淋しげで。
アレートは俺から視線を外し、俺の後ろにいる二人や隣にいる少年を気にしているようにそちらを見ていた。どうやら自分のせいで機嫌が悪くなったのだと思い込んでいるらしい。
「あのさぁ。あの三人のことは気にしなくていいからな。リヴァやロスリュはもともとあんな性格だし、ジェラーは自分で感情がないとか言ってるし……って、そういえばまだ紹介してなかったっけ」
忘れていた。いつもなら真っ先にする自己紹介をしていなかった。俺だけはアレートのこと知ってたから気にもとめなかったからなぁ。
アレートの顔を見ると少し微笑んでいた。どうやら誤解は解けたらしいがまだ心配しているような気もしなくはない。
「お前ら自己紹介しろよ。俺は前から知ってるからな」
そう言って三人を横に並べた。ここまできっちりしたものにするのもどうかと思うが、この自分勝手で何を考えてるか分かったもんじゃない奴らをまとめるにはこれくらいのことが必要だったのだ。三人は文句を言わずにさっと並んでくれた。そのうちの二人は相変わらず無表情なのだが。
最初に口を開いたのは外人だった。
「えっと、ぼくはリヴァセール・アスラード。リヴァでいいよ」
いつかの時と同じように、名前を言った後に手をさしだした。俺はその手を握ったことがある。
「あ、どうもね」
俺と同じようにアレートはさしだされた手を握った。そしてにこりと笑う。
次に口を開いたのは泥棒の少女だった。
「私はロスリュ・ワイノルカロ。彼らとは目的は違うけど一緒に行動してるのよ」
「へえ、そうなんだ」
ロスリュはかなりはっきりと言っていた。こっちとしてはなんだか痛かったんですが。
最後に藍色の髪の少年が言う。
「僕は……ジェラー・ホクム。だけど本名はこれじゃない。本名は知らない」
「そう、なんだ」
こっちもまたはっきりと言っていた。だけどそれを聞いたアレートの反応が気になった。なんだか妙に哀しそうな顔をしている。
「俺たちはガルダーニアって所に向かってる途中なんだ。アレートはこれからどうするんだ?」
とりあえずせっかく再会できたんだからこれくらいは聞いておこう。何も聞かずに別れるのはさすがに後に気にかかるようになるだろうし。
しかし少女の口から出てきたものは驚かされるものだった。
「私もそこへ向かっているから。一緒に行ってもいい、かな?」
そう言うアレートの顔から笑みは消えていて、何か厳しいものが見え隠れしている。
「いいよな?」
隣の三人を見る。それぞれの表情からは特に異存は感じられなかった。
「じゃあ一緒に」
「そうされては困るんだよ」
まさに手をのばそうとしたその時だった。俺の前方から、真正面からその声は聞こえてきた。
誰のものなのか。聞いたことのない声。いや、どこかで聞いたことがあるような気がする声。だけどそれが誰のものなのかは考えても分からなくて。
前方、つまりアレートの後ろにその人は立っていた。
薄い青の癖のある短い髪に水色の長袖のハイネック。下は黒いだぶだぶのズボンで、ジェラーのように感情のない顔をしている青年だった。
「誰だお前?」
何だか嫌な空気だった。なぜだか分からないけどこの人が持つ空気がとてつもなく気に入らなかった。そんなことばっかりだ、くそ。
「そこのお姫様をこちらに渡してもらおうか」
青年は静かに言う。それから、にこりと怪しげに笑った。
背筋が凍った。
何だ。何だこれは。何が起こっている? いや何がどうなってるんだ?
体が動かない。手も足も思うように動かせないんだ。呼吸も難しくなってきたし全てが時を止めたみたいになっていて。
頭が痛い。何だよ。なぜ、どうして? どうしてこんなことになっている? 俺は何もしていないし相手も何も――。
「樹、樹! 逃げるよ!」
ぎゅっと服の袖を掴まれる。そうしたのはリヴァで、俺ははっと我に返った。
青年の笑みを見るととてつもなく怖い気持ちがあふれてきた。そのまま見続けていたら涙があふれてきそうなほど怖かった。それほどあの人の持つものが異常で大きかったのだ。そしてこの気持ちは以前も味わったような気がしてくる。
「逃げる気か? 呪文で? 魔法で? 何でも構わないさ、どうせ逃がしはしないのだからな」
この一秒一秒が何分もの時間に感じられる。青年の台詞が聞こえると同時に、青年の反対側から大勢の騎士のような人たちが現れた。それは以前アレートを襲っていた人たちで、前よりも人数が増えている。
「やばいよ、あの人やばい……!」
騎士たちに視線を奪われている時、かなり近くで外人の声が聞こえた。まだ服を掴まれたままだったのでその手がひどく震えているのを必要以上に感じてしまう。
「ジェラー、ジェラー! お前が移動呪文唱えてくれ!」
あてにならないと思ったわけではない。だけど外人に、リヴァに任せるのは駄目だと思った。そこまでこいつばかりに負担をかけたくはないのだ。
「そう言うけど無理だよ。呪文を封じられたから」
しかし藍色の髪の少年から返ってきた返事は絶望的なもので。
そうしているうちにも騎士たちは確実に近づいてくる。その反対側には一人の青年がいる。普通に考えれば青年の側へ向かえば逃げられるかもしれないと思うだろうが、どうしてもそうだとは思えなかった。現に誰もそうしようとはしていない。それは俺の考えがほぼ正解だと物語るには充分なものだった。
「どうした? 逃げるんじゃなかったのか? それとも捕まる気になったか?」
うるさい。いちいち話しかけてくるな。
軽く青年に対し、怒りを覚える。
俺は気づかれないように気をつかいながら、そっとポケットの中へ手を忍ばせた。そして一枚の紙に触れ、それをしっかりと手で握る。
これは一か八かの賭けだった。呪文と召喚は同じものなのか違うものなのか分からなかったから、ここで悩むよりも試してみようと思った。紙を見えるところまで引っぱり出し、小声で早口に呪文を唱える。
「精霊よ……」
「分からないか。そんなことをしても無駄だ」
はっとして顔を上げると目の前に青年がいた。彼は俺の右腕にある腕輪を押さえつけ、手の中にある紙を自らの手で隠していた。
唯一の希望さえも絶たれた。青年は厳しい表情をしていた。睨みつけられている。
「俺が怖いか?」
ストレートで一直線な質問。俺はそれに答えない。
だけど相手には答えなくても分かるだろう。
「もう足掻(あが)きはおしまいか。弱いな、お前は」
うるせえよ、黙れよ。
嫌な気持ちがあふれ出て止まらなくなってくる。
やるせない怖さ。本質が見えない憤り。それは前にも味わったことがあった気持ちだった。あの時はどうしようもなくなったが、今だってまったく同じであって。
「そろそろ終わりにしようか」
そんな時に青年の冷たい声が頭に響いてきた。
ふっと相手の手が離れるのが分かった。しかしそれに気を取られる隙もなく、腹に重く鈍い衝撃を感じた。そのまま体が後ろに投げ出される。
空中に飛ばされ、どっと何かにぶつかった。しかしそれは予想外にも固いものではなく。
「大丈夫?」
俺は外人に支えられていた。おかけであまり痛くならなくてすんだ。
「悪い」
「いいよ」
気にしないで、と言い相手は前を向く。
突然腹の痛みが現れた。さっきは何が起こったか充分理解できていなかったが、痛みと共に頭が冴えてきた。どうやら俺は青年に殴られたか蹴られたかは分からないが攻撃を受けたらしい。両手を腹に当て、その痛みをこらえる。
正直すごく痛く、すぐには立ち上がることができなかった。それでも前方を、青年の姿を見るべく顔を上げる。
が、そうする前に妙なものが見えた。地面に黒い影が映っている。驚いて後ろを振り返ると――、
「リヴァ、後ろ!」
「え?」
外人の後ろに剣を振り上げている騎士が見えた。その剣が太陽の光で光っているのがよく分かる。
やられる。
気づくのが遅すぎた。いくら外人がいても敵はすでに剣を振り上げているのだ。もうなすすべがない。
座ったままぎゅっと目を閉じる。
剣が風を切る音が間近で聞こえた。
「まったく、気をつけてよね」
……え?
俺は攻撃を受けなかった。なんで? 確かに今、剣の音が聞こえたはずなのに。
恐る恐る目を開けてみる。目の前にあったのは、折れた剣先であって。
振り返るとそこには藍色の髪の少年が片手に杖のようなものを持って立っていた。
「もう少し自分のことにも頭を回したらどう? 樹もだけど、君も」
その瞳の先にいるのはリヴァだった。外人はジェラーの顔を見て驚いたようにまばたきをしている。
ジェラーは俺や外人が何かを言う前にさっと身を翻し、大勢の騎士たちの前へ歩いていった。何を考えているのかと思ったが、少年が騎士の目前まで行くとその行動を止める声が響いてきた。
「下がっていなさい。面倒だから」
その冷たい声はロスリュのもので、片手に先にふわふわしたものがついている扇を持って口元を隠していた。誰かが止める暇も与えずに誰よりも一歩前へ進み、何も持っていない方の手を顔の高さまで上げる。すると光があふれ、それは騎士たちを一瞬にして包み込んだ。
光が消えると今度は騎士たちはばたばたと倒れていく。最後には誰一人として立っている人はいなかった。
何なんだ今の。何が起こったんだ?
「心配はいらないわ。ただ眠らせただけだから」
言いたいことが分かったのか、そう言って扇を閉じる少女。しかしそう言われても、今って呪文を封じられてるんじゃなかったのか?
疑問は止まることなく現れてきたが、それを中断するかのような不安が波のように押し寄せてきた。その元に目を向けるとやはり驚くものがあって。
「危ない、アレート!」
少女の後ろに手がのびていた。そのまま掴まれそうに思えて腹の底から声を出す。アレートは素早く振り返り、手をのばしていた青年から一歩後ろへと下がった。
青年は手を下ろし、にこりと口元を笑わせる。その顔からは何も感じられない。怖さも、憤りも、何も。
だけどやはり見逃してはくれなくて。再び少女に手をのばす。
ばしり、と乾いた音が響いた。
それはアレートが青年の手を払った音だった。こちらからは顔が見えないので表情は分からないが、その乱暴な払い方からして怒りを覚えているのかもしれない。少なくとも別の世界で会ったときにはこんな感情を見たことがなかった。俺は驚きを隠すことができない。
「どうしてあなたは私を狙うのですか? あなた一体誰なんです?」
厳しい声が青年に飛ぶ。それを聞いても青年は態度を変えなかった。
「俺が誰であろうと関係ないさ。お前は本来ここにいるべきじゃない。だから来いと言っているんだ」
一歩前へ踏み出す。アレートは何も言わずにその様子を見ているようだった。青年はさらに歩を進める。そして少女の近くまで来たとき、急に姿が見えなくなった。
いや、そうじゃない。
黄色い長い髪が風に揺れた。少女の後ろに音もなくまわった青年の攻撃はアレートにしっかりと受けとめられていた。後から鈍い音が響く。
その時は何が起こっているのかよく分かったが、それから先は駄目だった。俺には到底ついていけない戦いが目の前で繰り広げられていく。音は絶えず聞こえてくるのに姿はさっぱり見えなかった。
「リヴァ、ジェラー、ロスリュ。俺はどうすれば」
とにかく誰かの助けになりたく、痛みを我慢して立ち上がった。アレートが青年の相手をしてくれている今、何かできることがあるのならそれをやりたい。ただそう思うだけだった。
「どうにもできやしないさ、お前には」
そして聞こえてくるのは青年の見下したような声。後ろから肩を掴まれ、脅(おど)しのように痛いほどみしみしと締めつけられる。肩が壊れそうに思えるまで力を入れられ、痛みと恐怖で振り返ることすらできなかった。
声も出せないでいると黄色の髪が目に入ってくる。その持ち主の少女は俺の隣を通り抜け、青年の手を素早く振りほどいてくれた。緊張が解け、肩を押さえてその場に崩れるように座り込む。
「う……」
同時に気分が悪くなってくる。吐き気や目眩(めまい)が襲ってきて、肩の痛みよりもそちらの方がきつかった。自然と口に手を当てる。
蘇ってくるものがある。それはいつのことだったか。この世界じゃなく、鐘が鳴り響いていた世界でのこと。
青年と同じような声で、青年と同じような声色で。その人は俺に質問してきた。そしてどこかへ去った、銀色の羽を残して。
似ていた。非常に似ていた。この威圧感も、空気も、声も。他に類がないと言ってもいいくらいそっくりだった。全てが似ていて、まるで同じ人物のように思えた。
スーリ。外人の話ではこれが名前らしい。
俺にはこの青年の名前がそうなのではないかと思えた。いや、そうとしか思えないようになっていたのだ。
「樹には手を出さないで!」
高い声の哀しげな叫びにはっとする。
アレートは両手を広げ、俺たちの前に立ちはだかっていた。それはまるで何かを守るかのように。
「この人たちは関係ない、これは私だけの問題だから! 巻き込むような真似はやめて!」
守られているのは俺だった。
「うるさいな」
青年の瞳が鋭くなる。すっと一歩前へ出た。
それに合わせるかのようにアレートは手をゆっくりと下ろす。右足を少し後ろにずらし、ぐっと地面を蹴った。
長いスカートがふわりと翻り、下に履いていた白のズボンが見えた。目にも止まらぬ速さで青年に蹴りをくらわせ、その反動で一回転する。そしてとどめのように押し出すように青年を手で突き出すように飛ばした。
飛ばされながら青年は体勢を立て直す。地面に無事に着地すると顔を下に向け、表情が見えなくなった。
しんとした時間が流れる。誰も何も言わずに、俺の鼓動が誰かに聞こえるのではないかと心配になってきた。
「……くっ」
小さな笑み。いや、笑いか。
声の主は他でもない青い髪の青年であって。
「くっくくく……はははは、ははははははは! あはははははは!」
痛い。
おかしい。意味が分からない。青年は気が狂ったように笑い続けていた。声を大きく張り上げ、誰もその人に声をかけることができないでいる。
嫌な気持ちが心の中を支配する。恐怖とかそういうものじゃなく、ただ単純にこの場にいたくないという思いだった。
寒気がする。離れたい。離れて何もないところへ行きたい。
「ははは、そうさ、これが答えだ! 分かってるじゃないかガルダーニアのお姫様! いいですよ、あなたが素直にこちらに来てくれるなら俺はあなた以外に危害は加えませんよ!」
頭に響くような嫌な声が耳に入る。耳を塞ぎたい衝動にかられるが、その声に答える声が同時に聞こえてきたのでそうすることはできずにいて。
「嘘じゃなくて? 本当に?」
「そうさ。ただ――」
大地が揺れるような大きく鈍い音が響く。
「あ……」
小さな、少女の声。
隣に何かが落ちる音。それは目で見なくても分かることであって。
「あなたにはしばらく眠ってもらうがな」
背後からは青年の声が。
振り返るとそこには気を失ったアレートを抱いている青年が立っていた。薄く微笑みながら見下ろす瞳は氷よりも冷たいもので。
「もう一度問う。俺が怖いか?」
見られているのは俺だった。
「怖くなんかないよ。その人を放して」
だけど答えたのは藍色の髪の少年で。ざっと地面を踏みしめ、俺をかばうように前に立つ。
「そう、怖いなんて一度も思ったことがないんだから。その人を放しなさい」
少年に続いて扇を持った少女も前へ出る。ぱっと扇を開き、口元を隠した。
「大丈夫。一人じゃないよ、孤独じゃないよ」
放心したように何も言えないでいた俺に普段よりも何倍も優しい声が囁(ささや)きかけてきた。そっと片手を握ってくる。
俺は、俺は。
「俺はあんたなんか」
「名前はスーリだ。いずれまた会おう」
言葉を遮るかのように早口に青年は喋った。そして片腕にアレートを抱いたまま空いている方の手をすっと上にあげる。
闇。
何が起こったかも理解できないうちに、そこでふっと意識が途切れた。最後に見たものは深い深い黒の闇だった。