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50 

 時折、孤独を感じることがある。
 それはほんの稀なことだったけど今日は一日中感じ続けていた。
 なぜだろう。俺はこんなに大勢に囲まれているのに。

 

「おはよぉ樹」
「あ、姉貴」
 朝、目が覚めると俺の部屋の中に姉貴がいた。何事かと思いきや、なんと珍しいことに部屋の中を掃除している。いつもなら全部俺に任せてばっかりなのにどういう風の吹きまわしなんだ。
「あんた今日休みでしょ? 今のうちにお墓参りに行っておかなくちゃ」
 お墓参り?
 ああそうか。いろいろありすぎて忘れてたけど今日はちょうど父さんの命日だった。それで母さんは二日後。どういう皮肉か知らないが、こんな偶然があるのも珍しいよな。
「んーじゃあそうする……ってちょっと待て」
「何よ?」
「何ってっ」
 慌てて体を起こして床の上に立つ。
「あいつはどうするんだよ? まさか家に置き去りにするわけにはいかないだろ」
「それってリヴァセール君のこと?」
 他に誰がいるんだ。
 あいつを一人にしたら何をしでかすか分かったもんじゃない。俺のいない間に余計なことをされそうで恐いんだよ。
 それに。
「せっかく一緒に住んでるんだからちゃんと構ってやらないと駄目だろ」
 昨日のあいつの言葉が頭から離れなかった。
 言ってたんだ、独りにしないでって。
 なんか今日はその気持ちが分かるような気がするから。
「でもねぇ。関係ないのに付き合わせるってのもどうかと思うんだけど」
「そ、それは」
 否定できない。
 何しろあいつは自分に関係ないことには関わりたくないとかはっきりと言ってたような奴だもんな。姉貴の意見は俺に反論をする気力を失わせるには充分すぎた。
「こうなったらあんた聞いてきなさいよ。私たちはお墓参りに行くけどどうするか、って」
「んな無茶な……」
「いーから聞いてきなさいっ!」
「いてっ!」
 ばしりと背中を叩かれ部屋から追い出される。まだ着替えてもないのにひどい姉だな、まったく。
 仕方がないので外人の部屋へ行く。珍しく戸が開いていたのでそのまま中を覗いてみた。
 誰もいない。
「どこ行ったんだあいつは」
 一人で呟いてみるがそれで答えが出るはずがなく。
 別の場所を捜そうか。
 なんだか疲れそうで嫌だったが仕方ない。くるりと踵(きびす)を返し、方向を転換する。すると。
「何してるの?」
「うへっ!?」
 目の前に探していた人物がすました顔で立っていた。おどかすなよな。
「あぁあ、でもちょうどよかった。俺、今日姉貴と一緒に両親の墓参りに行くんだ。で、お前はどーする?」
「どうって何が?」
 まっすぐに聞かれる。そんなもん俺が聞きたいっつーの。
「だから。家で残っててもつまんないだろ。一人は嫌なんだろ?」
「じゃあ一緒に行こうよ」
「それは駄目だ」
「なんでさ?」
 相手は顔をむっと歪ませる。けどそんなことしたって無駄だ無駄。俺は意見を変えるつもりはない。
「どうせ後で文句言ってくるに決まってるから。お前が言ってたこと忘れてないからな」
 こんな時までこいつの文句を聞きたくはない。今日くらいはゆっくりさせてほしいんだ。
「それなら大丈夫」
「は?」
 思いがけない台詞に目を丸くする。外人はどこか面白くなさそうに小声で続けた。
「ぼくも、お墓には用事があるから」
 さらに思いがけない言葉に言葉を失う。
 何言ってんだこいつ。お墓に用があるって、一体どういう用なんだよ。こいつが言うとどうしても変なことでもありそうで恐い。
「だからつれてってくれないかな。途中まででもいいから」
「はあ」
 何だか分からないが真面目な話らしい。とりあえずそう言うなら、まあいいか。
「だったら早く準備しろよ。この日だけは早いんだからな」
「分かった」
 こうして俺は余計なおまけ付きで墓参りに行くことになった。

 

 墓地には誰もいなかった。そんな静寂の中を俺と姉貴の二人は歩く。
 手にはそれぞれ花を胸に抱えている。それは死者を悼む気持ちであり、同時に感謝を示す気持ちでもあった。
「父さん、母さん。私がちゃんと樹を――」
 隣から聞こえる姉の声は次第に聞こえなくなってゆく。
 俺は目を閉じ、暗闇の中で静かに祈る。
 どうか。
 どうか。
 俺がここにいることを、許してくださいと。
 目を閉じて祈り続けた。

 姉貴は俺のせいではないと言ってくれるが、両親が死んだのはほとんど俺のせいだった。
 俺は両親の本当の子供じゃない。そのことが両親に苦労をかけたのだ。
 事故と病気で亡くなった両親。
 ずっと毎年毎年、俺は許しがほしかった。
 時折孤独を感じる理由はそのせいなのかもしれない。
 今日だけは、この一日だけはみんなが敵のように見えて。
 誰かの傍にいたい気持ちなんて微塵も残っていないのだ。

「姉貴、悪い。今日も」
「……そう。いってらっしゃい」
 姉をその場に残し、俺は墓地を後にする。
 これも毎年のこと。もうすっかり恒例行事と化してしまった。姉貴もそれを分かっているから止めない。
 行きたい場所があるというわけではない。ただ一人になりたくて、どこか人気のない場所に行きたいのだ。
 一人になりたい。
 おかしな話だよな。前までは誰かに傍にいてほしくて、誰にも嫌われたくないなんて思ってたくせに。
 だけどその理由とはまた違うものがあるんだ。
 たまには一人でいることだって必要だろ?
「なんて、ただのこじつけかな」
 今まで何度も戦ってきて。
 命の鼓動に近づいた気がしていた。死と隣り合わせの淵に立たされると深い暗闇が見えるんだ。それは人なんかじゃ到底理解できないようなほど不思議で、不可解で、神秘的なもの。
 それらを知ったのはいけなかったんだろうか。
 なぜならそのせいで俺は。
「なんでだよ……」
 余計に、混乱してしまったのだから。

 

「あれっ?」
 適当に知らない道をふらついていると興味をひくものが目に入ってきた。
「あれって、……アレート?」
 どうしてこんな所にいるんだろう。人気もなく暗い町外れにアレートは一人でたたずんでいた。
 俺の呟くように小さい声が聞こえたのか、ふっとこちらを振り返ってくる。青い空色の瞳と目が合った。思わず目をそらしてしまう。
「樹、こんな所で何してるの?」
 どうしてこう、会いたくない時に会ってしまったんだろう。
「ちょっと散歩してただけさ」
 嘘ではないだろ。たとえ口が裂けても逃げ出したなんてことは言えないが。
「時間ある?」
 いつもの口調、いつもの声。
 そう聞かれたらやはり嘘は言えなくて。
「少しくらいなら」
 知らない間に俺はそう答えていた。
「そっか。うん。ありがとうね」
「いや、別に俺は何も」
 どうしてお礼を言われるのか分からない。どうして微笑んでくれるのか分からない。
「あのね。私、本当は昨日言いたかったんだけど、ほら、いっぱい人がいたら恥ずかしいでしょ? 仲間だって分かってはいるけど、けど、あなたに直接、あなただけに言っておきたいことがあってね、だから……」
 落ちついていないのか、アレートは一つ一つ言葉を切りながら言う。それらにはまとまりというものがなく逆に聞き辛かった。
 それでも少女は喋り続ける。
「そう言っても、あのね、あなただけじゃなくてみんなに言いたいんだけど、みんな忙しくて、ジェラーも、ロスリュも、リヴァも、私と知り合って短いし、分かってくれないのが怖いの。誰か傍にいてほしいんだけど、それはわがままで、一人よがりの幸せで、誰かの幸福を犠牲にしなくちゃならないでしょ? 人って一人で生きていけないけど、最後には誰でも独りになって、それでも淋しくないって思えるんじゃないかとね、でもそうするためには今は誰かの傍にいて、自分の存在を誰かに見ていてもらわないと駄目なんじゃないかな。だから、私が言いたいのは……」
 俺は、俺は。
「私にはもうあなたたちしか頼れる人がいないの。だからお願い、見捨てないで下さい」
 深々と頭を下げられる。
 俺はどうしても何も言えなくて。
「本当なの」
 だんだん嫌になってくる。
「私、今まで一度も国を出たことがなかったから国の外に知り合いなんていないし、国は滅んでなくなってしまったし、みんな、みんな、目の前でこ、殺された……から、だから、だから――」
 怒りが、憎しみが、憎悪が心の中に満ちあふれて止まらない。
「だからもう何も、ないの」
 まっすぐこちらを見てくる瞳には苦痛の色がうかがえる。
 嫌なんだ。
 俺は自分自身が嫌なんだ。
 頼られても何もできなくて、話を聞いていても何も感じられなくて。
 そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。
「アレート」
 静かに少女の名前を呼ぶ。呼びかけられた少女は一つまばたきをした。
 ゆっくりと手をのばす。相手に触れられるように、相手を安心させるために。
 俺の手は少女の白い手に触れた。それをぎゅっと握り締める。
 何も言えないから。
 何も感じられないから。
 だから俺にはそうすることしかできなかった。
 慰めてやることも、笑ってやることもできないけど。
 それでも少女は俺の手を握り返してくれた。それがただ単純に嬉しい。
 静寂の中でも、俺は一筋の光を見た気がした。

 

 知らない間に俺は家に帰ってきていた。姉貴はまだ帰っていない。だがそれもいつものことだから気にする必要はないんだ。
 誰もいない家の中を歩いていると妙に怖くなる。早く自分の部屋へ行ってゆっくりしたい。休みたい。
 部屋の扉を開ける。すっかりぼろになった扉は嫌な音を立てながら開いた。
 そして一瞬動作が止まる。
「おかえり、樹」
 出しっぱなしになっていた椅子に座っていたのはリヴァだった。笑みも怒りもない顔で話しかけられ、反応に困ってしまう。
「ずいぶんと早かったんだね。もっと時間をかけてうじうじしてるのかと思った」
 相変わらずの文句が飛んでくる。だけどその言葉も今は俺には届かない。
「出てけよ」
 代わりに出たのは冷たさで。
「出てってくれよ!」
 こんな時まで、いや、こんな時だからこそこいつの傍にいたくなかった。傍にいたら弱さを見られそうで怖いんだ。
「何を言い出すのかと思ったらそんなことか。本当に君は幸せなんだね」
「……何を言ってんだ」
 言ってからふと気づく。
 相手は俺を睨んでいた。
「幸せで幸せで苦労を知らない子供だよ、君は。聞けば親とは血が繋がってないそうじゃないか。偽りの家族で、よくそんなに笑えるもんだね」
「何を――」
「家族? 親? 血が繋がってないのに? そんな嘘の幸せなんて存在するわけがない。ああ、でも君には分からないか。本物の親には捨てられ、拾われた先でも毎日雑用ばかり。十人以上いる嘘の兄と姉にも相手にされず、心も何もない日を送ってばかり。その気持ちが分かるわけないよね、だって君はそんなに笑っていられるのだから」
 止まらない。相手は止まってくれないんだ。
「好きでもない相手のために身を尽くして、働いて、働いて、それでも誰にも見られない。兄と姉は次々と家を出ていき、残されるのはたった一人の最も年が近い姉だけ。最後にはその姉も消えて、大人は子供を見下した。子供はいいように使われて、少しの愛情も受けずに存在している。大人は次第に自らの醜さに気づき始めるがすでに遅すぎて、翌日には世界から消えていた。これがどういう意味だか理解できる? これがどうしてだか君には分かる?」
 相手に圧倒されて何も言えない。
 それでもそこから伝わってくる怒りは心に染み渡っていくように広がってゆく。
「大人なんて汚い」
 吐き出されるのは嫌悪の言葉。
「大人なんて、親なんて、人なんて嫌い」
 俺はまっすぐ相手を見ることができなかった。
 相手の、リヴァの言っていることの意味は詳しくは分からない。それでも彼の気持ちだけは嫌というほど伝わってきて、完全に言葉を失って何も言えなかった。
 言うべき言葉は浮かんでくる。どんなに言葉があふれても何も言えはしないのに。
「ねえ。君は怒ってる?」
 唐突な質問にはっとする。しかしその意味が分からない。
 何をいきなり言ってるんだこいつは。一体何を言いたいんだ。俺に何を言ってほしいんだよ。
「怒るよね、馬鹿にされたんだから。当然だよね。だけど」
 すっとリヴァは椅子からおりる。床の上に立って止まった。そして懐から何かを取り出す。
「戦って」
 取り出したものを俺に向けてさしだしてきた。
「ぼくと戦ってみて」
 それは一本の短剣。
 瞳はひどく真剣だった。
「お願い」
 だけどそれは懇願でもあり。
「……分かったよ」
 俺は相手の手に手をのばした。
 冷たい金属に手が触れる。それをぎゅっと握り締めるとその重さが伝わってきた。
 訳は知らない。けど、そう望むのなら俺は付き合ってやるまでだ。
「全身が――」
 小さな声が聞こえた。相手は俯いてしまって表情が分からない。
「とても震えてね、だけど痛さは感じなくてね」
 先ほどまでとは打って変わって弱い声になる。片手に刃物を持ったまま、リヴァは立ちつくしていた。
「分かんないかな。初めて怒られた時のことだよ」
 怒られたって誰にだよ。
 どうしてそんな話を俺にするんだ。どうして何も説明してくれないんだよ。
 ふっと横を風が通り過ぎた。髪が乱れ、視界が少し遮られる。
 気づけば相手は目の前にいた。俺は壁に背中をつけていて、喉元には刃物を突きつけられている。
「どんなに混乱したか分かる? どんなに怖くなったか理解できる?」
 聞かれることはばらばらで、何を答えていいのか分からない。だけどこの状態がひどく懐かしいように思えたのは嘘ではない。
 こいつと初めて会った時。俺は今と同じことをされていた。
「本当はすぐにその場から逃げたかったんだよ。だけど涙も出ない、声も出ない。何より幼すぎたんだ。何かを考えるにしても一人で生きるにしても幼すぎて、何もできなくて他人に従うしかなくてさ。それなのに混乱していたんだよ。おかしいでしょ? 可笑しいよね? そうだよね?」
 喉元に突きつけられた刃物が光る。しかしそれはかすかに震えていた。
「ぼくはね、樹」
 すっと刃物を引っ込める。代わりに俺の肩に手を置き、顔を覗き込むようにしてこちらを見てきた。
 それから一呼吸してから静かに続ける。
「君と同じでね、本当の親を知らないんだよ」
 一瞬だけ息が止まった。
 だけど俺はやっぱり何も言えなくて。
「拾われた先の家には十人以上の子供がいてさ。皆ぼくより年上の人ばかり。それも二つや三つ違うとかじゃなくて、十以上は離れてたから」
 落ち着きを取り戻したのか、冷静さが戻ってきたのか。外人はいつもよりいくらか静かだったが普段のように親しみを込めて話してくれた。
「兄や姉たちは皆仕事をしてて忙しかったから、毎日の家事は全部ぼくがやってたんだ。何歳だったかな、その頃。物心がつく前からやらされてたから覚えてないや」
 ああ、なるほど。だからこいつは料理が異常なほど上手いんだな。家事を文句も言わずに手伝ってくれた理由もそれなのか。
「たまに手伝ってくれてた姉もいたんだけど、体が弱かったからほとんど動けなかったんだ。その人が一番歳が近かった人。一番ぼくのことを心配してくれてた人なの」
 肩の上に置かれた手に力が込められてくるのが分かった。それでも俺は邪魔しないようにと何も言わない。
「そして両親はね、仕事も何もしてないくせにさ、ぼくのことを怒ってばかりなんだよ。叱って叱って叱り続けていた。父親には何度も殴られたし、母親には数えきれないほど刃物で刺されたよ。だから日が経つにつれて、そういうことに慣れていってしまってね。気がついたらどんなに殴られても傷つけられても、全然痛みを感じなくなってた」
 ……なんだよ、それ。
 親なのに、それじゃあ虐待じゃないか。自分で拾ったのに子供をそんな、そんな奴隷みたいに扱うなんて。
 そんなこと、そんなことが――。
「だ、だってその親って奴らは、お前のこと拾ったんだろ? なのになんでそんなことするんだよ!?」
 抑え切れなくなって俺は気持ちを声に出していた。だって分からなかったんだ。いいや、理解できなかったんだ。
 そんな話を聞いたことがなかったから。聞いたことがあったとしても実際にそれを見たことがなかったから。だから信じられなかったんだ。
「厳しいようだけど、世の中にはそういう人だっているってことだよ。自分のためにって、自分のことしか考えられない人はきっともっとたくさんいる。それは自分自身ではなかなか分からないことだけど」
「だからってそんなことしていいわけ――」
 言いかけてから慌てて口を塞いだ。
 相手の銀色の瞳がこちらを見ている。その光には言い様のない哀しみがあふれていることに気づかないはずがない。
「どうしてなんだろうね。ぼくにもそれは分かんないよ。そんなこと一度も聞いたことなかったから」
 小さく微笑む顔を見ると泣きたくなる。
 無理してやがるんだこいつは。
「しばらく月日が経つと姉と兄はいろんな場所へ行って、残されたのはぼくと一番歳の近い姉と両親だけでね。その状況で何日か過ごしてると、ある日、姉は出かけると言って家を出ていった。それっきり帰ってこなかった。何の連絡もなかった。家出だとは考えにくいし、誘拐だとしても捜そうにも捜せない。幼かったからね。だからぼくは残された両親と暮らすことになったんだ」
 リヴァの昔話は続く。俺はそれを望んでいたはずなのに、なぜだろう、聞きたくなくなってきた。
「転機は訪れた。両親が疲れたと言い始めて、あまり叱られなくなった頃だったよ。広い家に誰か侵入者の姿があったんだ」
 その話はあまりにも悲しくて。
「侵入者は泥棒でも何でもなかった。ただの通りすがりの人だった。その人はぼくが眠ってる間に親と話をしていたみたいだけど、なんにも覚えてないから全然分からないの。だけどぼくが目を覚ましたら両親はすでに息がなくって、その侵入者が部屋の中で一人で座っていたんだ」
 その話はあまりにも恐ろしくて。
「ぼくの顔を見たらね、立ち上がって、頭をなでてくれたの。ふわふわっとして、暖かくって、すっごく大きく見えて。今でもその瞬間のことは忘れられないよ。その時が初めてだったから。大人には褒められたこともなかった。けど、その人は大人なのに優しくしてくれたんだ」
 その話はあまりにも痛かった。
「ぼくはその人についていった。その人は、今はもういないけど」
 ぺたんと外人は床に座り込む。刃物が俺の手の中から滑り落ちて小さな音を立てた。
 なんとなく分かったような気がした。
 こいつのことが。こいつの幼い子供のような一面と、妙に大人のような一面のことが。
 過去を知ることが必ずしもいい結果を招くわけではない。それでも知りたいと思ってしまうのは、きっとその人のことを大切に思っているから。
 なんてことはない、俺はいつのまにかこいつのことを友人だと意識していたんだ。
 その幼さは子供時代が無かったからなのか。その大人っぽさは世の中の悲劇を知ってしまったからなのか。
「ぼくが用があるって言ってたのは、その両親のお墓のことなんだ」
「でもこの世界には」
「うん、ないよね、向こうで亡くなったんだから。だけど両親にはもともとお墓がないんだ。だからお墓参りは心の中ですまして終わりなんだ」
 力が抜けたように俺は床に座り込む。なんだか相手の言っていることを聞いていたら疲れてきた。
「墓くらい、作ってやれよ」
「そう? でも……うん、そうかもしれないね」
 なんだよその曖昧な返事は。軽く文句を言ってやりたくなる。
 それでも俺はリヴァに感謝していた。
「どうでもいいけどお前、勝手に人の部屋に入るなよな」
「でもみんな入ってたでしょ?」
「そ、それとこれとは話が違う!」
 こんなに穏やかな気持ちでこの日を終えられるのは言うまでもなくこいつのおかげだから。
「じゃ、出ていこうか?」
「別に無理にとは言わねーよ」
「そう? だったら独りにしないでね」
 ……あ。
 そうか。その理由もそうだったんだ。
 独りになりたくないと言っていた理由も、幼さや大人っぽさと同じところから来ているんじゃないだろうか。
 いろんなことが分かった。
 分かれば分かるだけ辛かった。けど、俺はそれを理解してやらなければならないんだ。
 辛いことは時が経てば嬉しいことに変わる。
 いつかそうなることを信じて人は生きていかなければならないんだろう。
 たとえそれがいつになるか分からなくても、いつかは必ず来るから。
 そう信じられるからこそ、つらいことも乗り越えていくことができるのである。

 

 

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