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 世界にはいろんな人がいる。
 強い人もいれば弱い人もいる。
 その中にどんな基準があるのかは知らない。
 だけど、基準を知らなくても頂点が分かることもあるものである。

 

第三章 世界の頂点

 

57 

「川君。川くーん」
「何だよもう、うるさいなぁ」
 後ろからやたらと名前を呼ばれる。今日はせっかくの休みだからゆっくりしたいというのにこれじゃあ落ちついて昼寝もできない。
 昼寝をするといってもここは俺の家ではない。ここはアメリカにある師匠の家だった。なぜこんな所にいるのかというと、それは師匠が無理矢理俺を呼んできたからである。
「そんなあからさまに嫌そうな顔しないでさ、少しは俺の話も聞いてくれよ」
「なんでだよ。俺は家でゆっくりしたいんだっての!」
 誰も俺から休息を奪う権利なんて持っていないはずだ。最近ごたごたしててろくに寝てないんだ。だから寝たい。昼寝でも朝寝でも夜寝でも何でもいいからとにかく寝たいんだよ。
「ゆっくりするのはここででもできるだろ。そんな閉鎖的なこと言わないで俺の話を聞いてくれって」
 なんだよ閉鎖的って。
 師匠はしつこかった。こんな調子で話しかけられてすでに一時間くらい経過したように思える。いつまでたっても意見を変えてくれないらしく、俺は一向に休憩できそうになかった。
「じゃあ話聞いたら休憩させてくれるんだな?」
「いくらでも休憩しろよ。だから俺の話をさぁ」
 なんだかあまり信用できなかったが仕方がない。このまま言い合いをしていてもどうにもならないのでとりあえず話は聞いてやることにした。
「話っていうのはそんなに難しいことじゃないんだ。川君って精霊を連れてるんだろ?」
「精霊?」
 何を言い出すのかと思いきや。また精霊の話か。最近よく話題に出てくるよな、なんてことを考えつつも師匠の次の言葉を待つ。
「その精霊に会わせてほしいんだけど無理かな」
「いや、それは」
 困った。
「俺だけでは何とも言えないんだけど」
 まさか俺が一人で決めてしまうわけにもいかない。ずいぶん前に精霊を呼んだ時は文句を言われてすぐに帰られてしまったのだ。その時は精霊は忙しいだとかなんとか言っていたので、そんなに簡単に呼んでしまっていいのかどうか疑わしい。
「だったら精霊と話してきてくれよ。頼むよ川君、このとおりだから!」
 そう言って師匠は軽く頭を下げる。ずいぶん軽い頼み方だな、それ。
 ……はあ。
「分かったよ。とりあえず頼むだけ頼んでみる」
 どうせ頼んでも無理だろうけどこうでも言わないと師匠は許してくれそうになかったのだ。だから仕方なしに呟くように返事をする。
「いやぁ、悪いねー川君。じゃ、頼むよ!」
 師匠はぱっと笑顔に変わった。いや元々笑顔であることはあるのだが、さらに輝かしい笑顔になったのである。
 かくして俺は面倒なことを引き受けてしまったのであった。

 

「精霊よ、世界の影を見守りし月の精霊よ。我は願う。魔の力なきこの空の器に、輝きの宿りし欠片より出で、その力を我が前に示さんことを――」
 久しぶりに唱える召喚呪文。唱え終わると通常通り眩しい光があふれ、呼び出した精霊が俺の前に姿を現した。
 師匠に精霊に会わせてくれと頼まれた後、俺は呪文によって家に飛ばされた。本当に呪文なんか使いまくりである。加減とかしなくていいんだろうか。
「忙しいところ悪いけど、ちょっと話を聞いてくれないかな」
「……だから、なんで俺を呼ぶんだよ」
 今回も呼び出したのはあのお人好しのスルクだった。だってこいつは真面目に俺の話を聞いてくれそうだし、もっと真面目に聞いてくれそうなエナさんには迷惑をかけたくないし。だから自動的に呼び出すのはスルクだと決まったのである。
「どうせならエミュでも呼んでやればよかったのにさ。あいつお前に会いたがってたぞ?」
「そうなのか?」
 それは意外なことだな。まさかそんなことがあるとは思わなかったので軽く驚いてしまう。
「でもまあ。それはいいとしてだな、今回呼んだのは精霊たちに会いたいって言ってる人がいるからなんだけど」
 正直に事情を話す。その言葉を聞いたスルクはさっと表情を変え、彼にはよく似合う真面目そうな顔つきになった。
「別に断ったっていいんだけどさ。でも師匠が……あ、会いたいって言ってる人ってのは師匠って人なんだ。その師匠が俺にしつこく言ってくるんだ。だから仕方なしにこうやって頼んでるんだよ」
 そうでなきゃ誰がこんなことするか。わざわざ机の中から腕輪を引っ張り出して召喚呪文の書かれた紙まで探したんだ。少しは師匠を納得させる方法でも考えてくれよな。
「お前はそう言うけど、精霊ってのはそう簡単に人の前に姿を現すものじゃないんだぞ。まあこんなことを精霊である俺が言うのもどうかと思うんだが」
 目の前の月の精霊は何やら深く考え込んでいるようだった。そのため俺に向けられた言葉も自分自身に言い聞かせているようなものにしか聞こえない。
「それに契約もお前がしたような形は珍しいんだ。普通なら精霊がその人の力を見なければならないけどあの時は仕方がなかったから」
「あのー。それは今は置いといてくれる?」
 なんだか話が別の方向へと発展していきそうだったのでとりあえずそれを防ぐために相手を止めてやった。スルクははっとしたような顔になってまた口を開く。
「あぁ、精霊に会いたいって人のことか。それは俺だけでは判断できないから、そうだな……とりあえず俺は石に戻るから、お前は腕輪を持ってその人の家にでも行ってくれないか」
 次に出てきた台詞はそんなもので。
「いいのか? 忙しいとか言ってたことは?」
「それは変わりないけど仕方ないだろ」
 仕方ないだけで片づけてしまってもいいのだろうか。
「じゃあできるだけ早く頼むな、樹」
 それだけを言うとスルクは腕輪にはめ込まれた石の中に戻っていった。戻るといっても光があふれて姿が消えるだけなので、本当に戻ったのかどうか怪しいことは怪しいのだが。
 よし、じゃあ早いうちに師匠の家に戻るか。そしてさっさと諦めさせて休憩する。昼寝する。
 えーと、いつもは師匠の家に行くには呪文を使って行くよな。それを唱えるのはラザーだったり師匠だったり。ってかこの二人しかいないか。
 師匠は自分の家にいるから無理か。ラザーは確か師匠から『処分』を受けている最中だったような気が。
 …………。
 はい?
「二人ともいないじゃん」
 なんてこった。これじゃあ師匠の家に行けないじゃないか。歩いて行くことができるような場所じゃないし呪文以外の方法だったら時間がかかりすぎるよな。
 俺に、どうしろと?
「…………」
 精霊って移動呪文使えるのか?
「…………」
 リヴァに頼むことはできないし。
「……あ、そうだ」
 ぽんと一つのひらめきが生じた。
 危なかった。このまま何も思い浮かばなかったらどうしようかと思った。ほっとして胸をなでおろす。
 手に持ったままだった腕輪を右腕につける。その瞬間に妙な懐かしさが襲ってきたが、それを無視してさっき生じたひらめきを実行してみた。
「ジェラー、聞こえるか?」
 言葉が終わるとすぐに目の前に光があふれる。そしてその中から藍色の髪の少年が出てきた。
 そう。ひらめきとはジェラーを呼ぶということだったのである。そんなものひらめきでも何でもないとか言われるかもしれないが。
「何? 用がないならもう帰るけど。またくだらないことを考えてるようだし」
 飛んでくるのは相変わらずな冷たい言葉。本当にこいつは。
「また人の心を読んだのかよ」
「知らない。勝手に入ってくるから聞いただけだし」
 少年はすぐにそっぽを向く。まったく、少しは愛想よくしてくれたっていいのに。
「とにかくだ。俺を師匠の家に連れていってくれないかな」
「自分でどうにかすれば?」
 どうにかできないからお前を呼んだんだろうが。
「冗談。連れていってあげるよ」
 無表情の顔のままで少年は話を進めた。冗談とか言ってる暇なんてないってのに。さっきからこいつのペースに持っていかれたままで少し悔しい。
 俺ってそんなに他人に流されやすいかなぁ。なんか自信なくすんだよな。
『ほら、また余計なことを考えてる』
 頭に響いてくるのはジェラーの声。言われなくても分かってるっての。分かってるけど、なんか考えてしまうんだよ。ほっとけ。
「早いとこ片づけてしまいたいからもう連れていってくれないか?」
「それが人にものを頼む態度?」
 ……こいつ。
 俺はこれでも普通に言ったつもりだぞ。
「まあ、いいか」
 ぽつりと藍色の髪の少年は呟く。少し顔を下に俯けてしまい、そのせいで表情が見えなくなってしまった。
 そしてそのまま俺はジェラーの呪文に巻き込まれた。

 

「いつまで寝てるつもり? 樹」
「おわっ!」
 変な声が出たのも久しぶりのような気がする。俺は藍色の髪の少年の冷淡な蹴りによって起こされた。
「あのなー。もうちょっといい起こし方とかないのかよ」
 蹴られたのは腹だった。そこに手を当てて痛みをこらえながら起き上がり、地面の上に座り込む。しかしいくらなんでも蹴ることないだろ。お前が蹴ったら岩でも吹っ飛びそうな勢いなんだから。
「また余計なことを」
「分かったよ、さっさと行けばいいんだろ、行けば!」
 もう泣きたくなってくる。なんだって俺はこんな年下の少年に指図されなければならんのだ。
 立ち上がってみるとそこは視界が開けていた。見えるのは高く青い空と遥か彼方へと続く地平線。それらを遮るものなど少しもなく、俺が目指していた家の姿など影も形もなかった。
 えーと、ジェラー君?
「これはどういうことですか?」
「知らない。自分で考えれば?」
 そうくるか。
 目の前にいる少年に表情はない。自分で感情がないと言うだけあって愛想など微塵もない。そんな顔からは何も読み取れないので、相手の考えていることを俺が言い当てることなどできるわけがないのだが。
「家の場所を忘れたとか?」
 とりあえず予想してみる。
 少年は軽く睨んできた。怖い。
「俺を歩かせて体力をつけさせるとか言うなよ」
「それもあるかな」
 言うなって言ったのに。本当に泣くぞ。
「でも、じゃあ何なんだよ? もう他には何も考えられないぞ?」
 俺はジェラーじゃないんだから。人の考えていることが分かるなんてことはありえないだろ、普通に。
「そんなに分からない?」
「分かるかよ」
 少年は俺を見上げてくる。大きな藍色の瞳に写っている俺の顔はなんだか情けないようにも見えた。
 ふっとジェラーは背を向ける。そして何も言わずに歩き出した。俺は慌ててその後を追う。
 何も言ってくれないのか。俺には分からないっていうのに。
「なあ、ジェラー」
 少年は答えない。ただ黙って歩くだけ。
「俺、何かお前の機嫌が悪くなるようなことしたか?」
 それにも答えない。歩いて前を見ているだけで何の反応も示してくれない。
 相手はなんだか機嫌が悪そうに見えた。いつもなら余計な聞いてもいないことをぺらぺらとよく喋ってくれたのに、今は質問しても答えてくれないし口数もかなり少ない。表情は全く変わらないけど態度からして機嫌が悪そうに思えたのだ。
 最近あまりこいつと話をすることがなかったから忘れていたのかもしれないけど、それでもこいつの印象はかなり強かったので態度や仕草は覚えているつもりだ。特に第一印象なんか最悪だったもんな。いきなり呼び止められて強制移動だ。思い出しただけでも腹が立つ。
 まあ、それはいいとしてだな。
「本当にこっちの方角で合ってるのか?」
「君に」
「え?」
 思わず立ち止まってしまう。話しかけたら答えられた。しかし答えている内容がおかしいような気もするが。
 少年はこちらを振り向き、俺の顔を見ないで別の方向へ視線を投げたまま続けた。
「君に話したいことがあったけど、もういい」
 それっきり口を閉ざす。
 もういいって言われても。だったら俺はどうすればよかったんだよ。お前の考えてることをちゃんと言い当てなければならなかったのか? そんなこと無理に決まってるのに。
 少しだけ相手に対する文句が出てくる。
『言いたいなら口で言えば?』
 頭に響く相手の言葉。またそんなことをしているのか、お前は。
『知らない。勝手に入ってくるから聞いただけだし』
 そして最後に聞こえたのは先ほどと全く同じ言葉だった。

 

 

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