前へ  目次  次へ

 

58 

 目指していた場所にはすぐに着いた。どうやらかなり近くに移動させられていたようで、数分歩くだけで師匠の家に辿り着くことができたのである。
 中に入るとにこやかな笑顔の師匠が出迎えてくれた。なんだか変なことでも企んでそうだな。
「で、どうだった?」
「どうだったって言われても」
 簡単に相手の質問に答えながら視線を自分の右腕にやる。そこには服に隠されている、精霊たちがいる石がはめ込まれてある腕輪がある。今は何の反応もなく、ただの石のように静かになっている。
「ちょっと待っててくれないかな」
 とりあえずその場から離れることにした。家の外に出て扉を閉め、それから精霊を召喚する。
「精霊よ――」
「ねえ」
「へっ?」
 呪文を詠唱しようとすると声が聞こえてきた。そのせいで呪文が止められてしまった。せっかく紙を見ずに唱えようとしてたのに。
 声が聞こえた方向へ振り向く。そこにいたのはジェラーで、俺の顔をぼんやりと見上げていた。
 なんだ、まだ中に入ってなかったのかこいつは。こんな所で何やってんだろう。
「君って精霊を自由に召喚できるんだよね」
「は?」
 何を言いだすのかと思ったら。そんなことかよ。
「前から召喚してたじゃないか。見てなかったのか?」
 あんなに派手だったからそれはないとは思うけど。一応聞いてみた。
 相手は何も言わずに顎に手を当て、何かを考えているような仕草を見せた。そんなことをされたら余計に気になるんですが。
「確かオーアリアの扉は鐘で開いたよね。精霊の力が封じ込められている鐘で」
「ん? それはそうだけど」
 だけどそれが何の関係があるんだ。今回は鐘なんてないし、何より扉が閉じたのはスーリのせいなんだろ。だったら鐘なんて関係ないんじゃないのか?
「違う、僕が言いたいのは精霊の……ううん、やっぱりいいや」
 少年は首を横に振り、俺に何も話してくれなかった。しかしどうやら機嫌は直ったらしい。その証拠に去りぎわに俺にこんなことを言ってきた。
「もう少し考えさせて。考えがまとまったらちゃんと話すから」

 

「お久しぶりです、樹さん。皆さん元気にしてますか?」
「え? えーっと、まあ元気といえば元気かな」
「そうですか。よかったです」
 ぺこりと相手は頭を下げる。その行動の意味は分からなかったが、なんとなく許せるものだったので何も言わないでおいた。
 目の前にいるのは星の精霊、エミュだった。なぜエミュを呼んだのかとは聞かないでほしい。そう聞かれても答えられないのだ。なぜなら。
「なーんか久しぶりに外に出たなぁ。石の中って狭苦しくて貝だった頃を思い出すんだよな、これが」
「あら、エフ、私の心配はしてくれないのですか? 私はずっと石だったのですよ?」
「まあまあ、二人とも喧嘩しないでさぁ。せっかく外に出してくれたんだから今のうちに地味地味君に文句言っとかなきゃ」
「コリア、趣旨が変わってるぞ……」
 そう。今のこの瞬間に石の中には誰もいない。石の中にいた奴らは全員外に出てきてしまっていたのである。
 ではなぜそうなってしまったのか? そんなもん俺が知るか。俺は普通にスルクだけを召喚したんだぞ。それでなんで一気に全員を召喚したことになってるんだよ。
 とにかく、だ。
「全員が出てきたってことは師匠と会ってもいいってことなのか?」
 そうでなきゃなんで出てきたのか理由が分からない。
 精霊の面々は互いに顔を見合わせ、そしてはっきりと口を揃えて言ってきた。
「それはまだ分からない」
 はい? 何だって?
「会うって言ってもね、今ここで会うとしたら他の人の前にまで姿を見せることになるでしょ? あたいら精霊はそんなことできないのよね。地味地味君がスイベラルグでいたときの面々だけならそう文句はないんだけどねぇ」
 ぺらぺらとコリアは早口に言う。その台詞の意味は分かりそうでよく分からなかった。
 どういうことが言いたいんだろうか。
「あんた分かってないでしょ」
 そんなに気持ちが顔に出ていたのか、俺は太陽の精霊にすぐに指摘されてしまった。それは間違っちゃいないけどなんだか気にくわない。
「もうちょっと詳しく話してくれないかな」
 だいたい話が抽象的すぎるんだよ。もっと具体的に言ってほしいところだ。
「では私が説明しましょうか?」
 申し出てきたのはエナさんだった。
 よかった。エナさんなら安心して聞くことができるもんな。少なくとも元貝やいいかげんな太陽の精霊より遥かにましだ。
「じゃあお願いします」
「分かりました」
 久しぶりに会話をしたので思わず敬語を使ってしまった。相手も敬語を使ってくるからつられたんだろうか。
「私たち精霊は人前に姿を現すことはまれである、ということは知っていますね。しかし契約者に関しては別であって、精霊と契約を成功させた者たちの前に姿を現すことには何の支障もないのです。イツキ、あなたがスイベラルグでスルクを召喚したとき、あなたの傍には誰がいましたか?」
「え? えっと」
 突然の質問に少し焦ってしまう。だが落ちついて考えてみると答えはすぐに出てきた。
「あの時は確か、俺とリヴァとジェラーとロスリュ、あとラスと……」
 そこから先は言えない。言ったら思い出してしまいそうで、わざと名前を言わないようにした。
「あともう一人いた」
 もう一人とはあの人のこと。
 あの人。あの偽善者の人。偽りの善人だった人。
 これ以上思い出すのはやめておく。だって今はそんな時じゃないはずだから。
「ええ、そうですね」
 俺の気持ちを察してくれたのか、エナさんはそれ以上このことについては何も言ってこなかった。代わりにと言うべきか本題である話を進める。
「あなたは知らないかもしれませんが、その方々は皆私たち精霊との契約に成功した契約者なのです」
「……いや、その」
 驚いたというわけではない。薄々そんな気はしていたから反論する気にもならないし、実際に契約者だと知っていた奴もいるので何も不思議なことはないと思ったりもした。だけどこの話には明らかにおかしな点が一つある。
「あの。エナさん、その話だったらラスも契約者ってことになるんですが」
 あの人のことはいいとして、問題はあの自称武器商人のラスのことである。あいつが契約者であるわけないだろ。どこからどう見てもそうは見えない。実際に魔物に襲われて逃げ回ってたわけだし。
「いいえ、彼は紛れもない契約者ですよ」
 しかし相手の精霊から返ってきた返事はそんなもので。
「……まじで?」
「はい」
 エナさん、それはちょっと冗談きつい。
 でもエナさんが言うから嘘ではないんだろうなぁ。だけどあのラスが契約者だなんて世も末だ、とかつい思ってしまうんだが。
「今回私たちに会いたいと言っている人と、もう一人のガルダーニアの王族の方は契約者ではありません。だから私たちは容易に行動することができないのですよ」
「はあ」
 エナさんは分かりやすく説明してくれたが、俺はそれよりも別のことが頭から離れなくて気の抜けるような返事しかできなかった。だって、ラスが。
「そういうわけだから樹、お前には会いたいと言っている人のことを教えてほしいんだ。そうしたら決められるから」
 話に割って入ってきたのはお人好しさんだった。しかしそう言われても困る。
「あのさ、俺、師匠のことはあんまり詳しく知らないんだけど。俺が言えることといったら師匠は自分の名前を忘れたとかそういうことくらいしか」
 いや、そんなこと教えて何になるっていうんだよ自分。もっと別のことを思い出さないと。
「名前を忘れただって?」
 そう言ったのは月の精霊だった。どうでもいいようなことに反応されたのでびっくりしたが、よく見てみると他の精霊たちもそれぞれ何か意味がありそうな表情をしていた。そんな顔されても困るんですが。
「普通、自分の名前を忘れるなんてことがあると思うか? 明らかにおかしいだろ、それって」
 顎に手を当てて思案顔になるスルク。しかし俺にとっておかしいことは名前を忘れること以外にもいっぱいあるんだけどなぁ。それについては何も言ってくれないのか。本当に異世界って常識がないんだから。
 って言っても、よく考えてみたらそうか。名前を忘れるなんてことないよな、普通なら。
「だけどそれは分かったとして。名前を忘れることが不自然だからってそれがどうしたんだよ? 別に契約者とかそういうことについては関係ない気がするけど?」
 思ったことをそのまま目の前にいる集団に話す。相手側は少し目を泳がせたように見えたが、すぐに真面目そうな顔つきになって返事を返してきた。
「契約とは何の関係もないことは事実ですね」
 答えてきたのは星の精霊のエミュだった。そのまま目をそらさずに付け加えるように話す。
「ただ、その人はもしかしたら不老不死なんじゃないかと――」
 ……はい?
「何、だって?」
「だから、不老不死。いつになっても年をとらないし死ぬこともないって人のことですねぇ」
 ですねぇ、ってあんた。
 なんだかとんでもないことをさらりと言ってくれる。異世界の人ってみんなこうなのか? いやこいつらは精霊か。どっちでもいいけどこんなにうろたえてるのって俺だけ?
「あ、樹さん、一応私たちも不老不死なんですよ。精霊ですから」
「そ、そうなのか」
 エミュはやや強い口調になって言ってくる。しかしそんなこと言われてもなぁ。だからどうしろってんだよ。
 それにしても師匠が不老不死だなんて、やっぱりなんか不思議だ。そりゃ普通の人とは違うような雰囲気を持ってはいたけどまさか不死身だなんて。それが本当の話なのだとしたら、なんか……怖い気がする。
 だって不老不死なんているわけないと思っていたし、実際に俺の世界には一人もいないじゃないか。不老不死といったら年もとらないし死にもしない。そんな人がはたして存在するんだろうか。いや、存在してもいいのだろうか?
 もし仮に存在しているとしても、だったらその人の最期はどうなんだ? 死ぬことがないなら最期なんてあるのか? 分からない。
 分からないんだ。確かに永遠の命があったら嬉しいかもしれない。だけどそれは自分一人のためにあるようなもので、自分の傍にいてくれる人のためのものじゃなくて、つまり、つまり……あぁ、なんか分かんなくなってきた。何が言いたいんだろう俺。何を思って考えて、意見をひねり出しているんだろうか。
「もしその師匠って人が不老不死なら、会ってもいいんじゃないだろうか」
 ふと聞こえてきたのはお人好しのスルクの声。話しかけているのは俺ではなく精霊の面々だったが、彼は話しかけているというよりも自分に言い聞かせているようにも見える。そういえば前にもこんなことがあったよな。これが癖なんだろうか。
「そうですね、その方なら会っても支障はないかもしれません」
 続いてエナさんも口を開く。長い髪が風によってふわりと揺れていた。
「まあ、エナが言うならそうかもしれんが。オレは責任とらないからな」
「何言ってんの貝のくせに。あんたも会うんだからあんたにも責任はあるのよ!」
 珍しく今まで黙っていたうるさい二人組も言ってきた。それじゃあエフもコリアも師匠に会うつもりなんだろうか。
「どうやら決まりみたいですね。皆さん、それでは一度石の中に戻りましょう」
 その場をまとめたのはエミュだった。精霊たちはそれぞれ顔を見合わせると、すぐに眩しい光に包まれて姿を消した。石の中に戻ったのだろう。
 俺は一人取り残されてしまった。正直に言うとまだよく事態が飲み込めていないのだが、それはまあ後で考えるとするか。今はとりあえず師匠に精霊たちを会わせるようにしよう。
 しかし俺はすぐにそうすることはできなかった。なぜなら家に戻ろうと振り返ると家の扉の前にとある人物がいたからだ。
「樹、聞いて。扉を開く方法が分かったかもしれない」
 目が合った瞬間に言葉を投げられる。そうしてきた相手、ジェラーは無理矢理俺の腕を掴むとそのまま家とは別の方向へと歩きだしてしまった。
「ちょ、ちょっと待てよ。方法が分かったかもしれないって――」
「いいから黙ってついてきて」
 少年は相変わらず俺の言葉を無視して歩く。俺はほぼ引きずられるように連れていかれ、師匠の家からかなり離れたような気がする場所へ辿り着くとそこで止まった。
 そこは草原ではなく森の中だった。やはりアメリカっぽくない。
「で、なんでこんな所まで連れてきたのかな? ジェラー君?」
 相手の頭をぽんぽんと叩きながら問う。こいつは言っていることとかは子供のようには思えなかったが、どうしても姿を見ると子供にしか見えないのだ。いや、それが普通なんだけど。
「精霊は契約者以外の人に会ってはいけないんでしょ?」
 ぱん、と手を払いのけながら少年は言う。そんなに嫌がることないだろうに。
「扉は精霊の力を借りられれば開くことができるかもしれない」
 次に出てきた言葉はそんなもので。
 藍色の髪の少年はそれだけを言うと、昔のようにふっと微笑んで見せた。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system