前へ  目次  次へ

 

60 

 頭の中で言葉が渦巻いている。ぐるぐるして、流れていて、何か別の意識が入り込んできたみたいに。
 気分が悪くなってはっと目を覚ますと、そこには見慣れた天井があった。それを見て安堵の気持ちがあふれてくるのが分かる。
 ゆっくりと体を起き上がらせた。周りを見てみると傍の椅子には藍色の髪の少年が座っている。
 そうか俺、また気を失ったんだっけ。異世界に行ってから常識が通じないから疲れがたまっているのだろうか。それに嫌なこともたくさんあったし。だから体の弱い奴のように何度も倒れたりするのだろうか。自分では詳しくは分からないのだけど。
「どうしたの、急に倒れたりして」
 傍から声が聞こえてくる。そう言った相手は俺に背中を向けたままで顔は見えない。
「どうしたって言われても」
「分からないなら別にいいから」
 すぐに次の言葉が飛んでくる。俺が何か言う前に相手の少年は立ち上がり、一度だけ振り返ってこちらを見てきた。
 それだけだった。それだけで他には何も言わずに、ふっと背中を向けて部屋の中から出ていった。扉を閉める音が無駄に大きく聞こえ、残された俺はそのままじっとして何も考えずに座っていた。
 ここは何度も見たことのある、何度もお世話になっていた師匠の家の部屋だった。こうして静まり返っているということは喧嘩は止まったのだろうか。
 そんななんでもないことを考えていると部屋の外からノックの音が聞こえた。誰だか分からなかったが適当に入るように言い、扉が開いて相手が入ってくるのをただ見ていた。だいたい予想はついていたが、入ってきたのは師匠だった。
「起きたところ早々悪いんだけど、扉を開く方法について話したいけど……いい?」
 先ほどまでジェラーが座っていた椅子に腰掛けながら相手は言う。師匠にしては珍しい真面目そうな表情からして真剣な話らしい。俺は一つだけ頷いて続きを促した。
「藍君から尋ねられたよ、俺とラザーは不老不死なんじゃないかって。まあ隠す必要ないから言うけどそれは正解。俺もあいつも人だけど人じゃないようなものさ」
 軽く相手は笑った。どうして笑っていられるのか分からない。
「そんな暗い顔しなさんな。で、ラザーの処分についても尋ねられたんだ。あいつの処分は確かにここじゃない場所へ飛ばしたものだ。だけど今は扉が閉ざされていて異世界へは飛ばせない。そこで俺は、あいつを過去へ飛ばした」
「……過去」
 思わず声が漏れる。思いもしなかった現実を突き付けられたようで、胸の鼓動が高まっていくばかりだった。
「そう、過去。そこで何をさせたかは置いておいて、今回の扉の件、君にも過去へ行ってもらおうと考えている」
「俺が……」
 なんだか突然すぎて全く状況が理解できない。何を言ってるんだろうこの人は。俺にどこへ行って何をしろと言ってるんだ?
「光の精霊のオセは言っていたそうじゃないか、闇の精霊に会わせろと。だが闇の精霊はすでにこの世にいない。だったら過去に行って闇の精霊を連れてくればいいわけだ」
 はあ。なんかよく分からない。まだ頭がぼんやりしているせいかな。
「あぁもちろん一人で行けとは言わないさ。ただ俺は過去へ送るためにこっちで残らなければならないから、俺の代わりと言ったら変かもしれないけどラザーを連れて行けばいい。あいつなら過去からこっちに帰る方法を知ってるからな。それでもまだ不安なら――」
「はい! はいはいはい! ぼくがついて行きます!」
 は?
 突然誰かが割り込んできた。開かれたままだった扉の外から割り込んできた相手が現れる。そこにいたのは、ここにいるはずのない外人だった。
 なんでこいつがこんな所にいるんだよ。今回はこいつには何も言わずに家を出ていった、もとい、家から飛ばされたはずなのに。
「ずるいじゃないか樹。精霊に会うならせめてぼくに一言くらい言ってよね。急に腕輪が君の机の中から消えててびっくりしたよ、まったく!」
 勝手に入ってきて勝手に怒っている。何がしたいんだこいつ。
「師匠さん、なんだか樹まだ頭がぼーっとしてて何を言っても全然理解できてないみたいです。もう少し時間を置いた方がいいですよ」
「ん? そうなのか。……あ、だから何も質問してこなかったんだな。納得納得」
 何が納得なんだよ。だけど何も理解できていないのは本当なので言い返せない。それがまた虚しいし情けない。
「ま、とにかく護衛役も決まったことだし飛ばそうか。話は全てラザーが知ってる。詳しいことはあいつに聞くんだな」
「分かりました」
 おい、何の話をしてるんだよ。俺を置いていくなっつーの。何が何だかさっぱりだ。それなのになぜか嫌な予感がするし。
「ラザーは……家にいないか。まあいいや、人に見つからないことを祈ろう。じゃあアス君、川君を頼むよ」
「はい」
 何も分からないうちに話はどんどん進んでいく。ぼんやりしていた頭もだんだんと冴えてきた。ちょっと待てよ、何が頼むよ、なんだよ?
 しかし頭が冴えてきたところで全てを理解できるというわけでもなく。気がつけば俺は床の上に立たされ、腰には異世界でお世話になっていた二本の剣が吊されていた。おまけに右腕には腕輪をつけたままであり、まるで今から異世界へ行くような格好である。
「んじゃ、健闘を祈る! 頑張れよっ!」
 え? ちょっと。
 ぱっと視界に光があふれて何も見えなくなった。これは移動呪文の時のものとよく似ていたが、それよりも何倍か不思議な感覚が襲ってくる。体がおかしくなりそうだというか、時間が変わっていくというか。
 目が覚めてから少ししか時間がたっていなかったのに、俺はまた気を失うこととなってしまった。

 

 改めて考え直してみれば師匠の言っていたことの意味は全て理解できるものだった。あの時は俺の頭が違うことでいっぱいでぼんやりしており、深くものを考えようとしていなかったから何も分からなかったんだ。だから今更だけど俺にはこの状況の意味が理解できる。
「過去って言ってもここって俺の世界じゃないんだな」
 視界に入ってくるのは大勢の魔物の姿。そんなものを前にしても逃げ出そうとしないのは、まだ相手側に見つかっていないらしいからである。でなきゃこんなに落ちついていられるかっての。
 ここは過去の異世界の森の中だった。目が覚めたらここにいた。そして隣には当然のようにいきなり現れた外人がおり、魔物の姿を見てかなり不安そうにしていた。まだ魔物が怖いんだなこいつ。
「話には聞いてたけどまさか本当に魔物がいるなんて……過去って怖いところだ」
 何を言ってんだか。
 とにかく今この場から動けば魔物に見つかるのでじっとしている。早いところ魔物がどこか遠くへ行ってくれればいいんだけど。
 この過去で俺がするべきことは、闇の精霊を連れてくること。そんなこと勝手にしていいのかどうか不安だったが、まあ師匠がそうしろって言うからいいんだろう。俺は何も知らないから決められないし。だからその闇の精霊って人を捜さなければならない。
 そのために師匠はラザーも一緒に過去に飛ばすようなことを言っていた。が、その白銀の髪の青年の姿はどこにもない。
 まさかとは思うけど先に行っちゃったとか? いや、それはさすがにないだろ。ないはずだ。……ないよな?
「樹。魔物に見つかったらぼくの盾になってね」
「あのなー」
 横から腕を捉まれる。こいつ何のためについてきたんだよ。俺の護衛役とかいうのじゃなかったのかよ。意味ないじゃんか。
「だってあんな魔物なんて見たことない。きっと過去に滅んだ種族だよ。そんな得体の知れない奴なんかと戦えると思う?」
「わ、分かってるって。だからお前は戦わなくっていいから」
 それ以前にこいつに呪文を使わせないようにしないといけない。こんなところで倒れられても俺にはどうしていいか分からないし。
 なんか、さっきから分からないことばっかだな。やめよう、こんなこと考えるの。きりがない。うん。
「樹、ぼくって足手まといだったかなぁ?」
 魔物のせいか、それとももっと別の不安のせいかは知らない。そう言ってきた外人は何だかいつもより沈んだ声をしていた。
「精霊に会いたいって思う人はたくさんいるよね。ぼくだってその一人。だけど君についていけば会えるんだよね。たとえ魔物から逃げてばかりで何もしなくても。他の人はこんなに簡単に会えないのに。……これってやっぱり、駄目なことなんだろうかって思って」
 驚いた。
 正直言ってかなり驚いた。
 前はあんなに自分とは関係ないことには巻き込まれたくないだの何だのと言っていたのに、今はこんなことを言うなんて誰が想像するだろう。
 とにかく驚いて言葉が出てこなかった。
 変わったのか? こいつは。それとも元から?
「こんな所で何をしている? 闇の精霊の元へ行くんだろ?」
 聞こえてきたのは青年の声。振り返ると機嫌の悪そうな顔をしたラザーラスが腕を組んで立っていた。頭には深くつばのついた帽子を被っており、どのくらい長いか分からない髪は上にあげて帽子の中に収まっていた。そして背中には武器のようなものが見える。剣とか槍とか、そういうものには見えない。何なのかは分からないけど武器であることは確かだった。
 すっと音を立てずにこちらに近づいてくる。そして視線を魔物の群れに向け、声のトーンを落として話しかけてきた。
「敵は十二。そっちの戦力は?」
「へ?」
「だから、どのくらい戦えるのかって聞いてるんだよ」
 気の抜けるような返事を返したら苛(いら)ついたような声が飛んできた。やっぱり機嫌が悪いらしい。確か師匠の話しぶりからしてラザーは家にいなかったんだよな。もしや本当はこんなことしたくないのでは?
 いや今はそんなことを考える時間ではない。ラザーが聞いてるんだから答えないと。えーと、どのくらい戦えるか、ね。
 どのくらい。
 …………。
「あの」
「何だよ、早く言えよ」
 だったらそんなに怒らないでください。
「リヴァは魔物を相手にはできないし、それ以前に呪文を使っちゃ駄目なんだ。それに俺もラザーが思ってるほど戦えないし」
 うわー、なんかすごい情けないなぁ俺たち。結局ラザーがいないと戦力なんてゼロだったんじゃないかよ。ラザーがいてくれてよかった。本当に。
 ちらりと横を見てみるとラザーは相変わらず機嫌の悪そうな顔をしている。が、さっきよりも顔を歪ませているようにも見えなくはない。まあ当然といえば当然なんだろうけど。
「仕方ない。戦えない奴は引っ込んでろ。足手まといだ」
 青年はすっと背中の武器に手をのばす。と同時に頭に被っていた帽子を空いている方の手で取り、それをこちらに投げてきた。そこから長い白銀の髪が姿を現す。
 足手まといだなんて、と思ったが俺に何かができるというわけでもない。だから俺はラザーに従うしかなかったのだ。ただ従って外人と一緒に見つからないように隠れて、ラザーが帰ってくるのを待つことが俺にできる唯一のことなんだ。
 やがて魔物のうなり声が聞こえる。それは敵を見つけたときに出す声。
 俺はまた人に頼ってしまった。

 

 大地がわずかに揺れる。静かな森の中に風が吹き抜けていく。
 目の前に見えるのは白銀の煌き。そして何かの叫び声と共に飛び散る赤いもの。
 身体に震えが走った。正直怖いと思った。自分は守られているはずなのに、どうしてこんなことを感じなければならないのか分からない。だけど目の前で起こっていることはあまりにも残酷だったのだ。
 いや、そうやって一言で片づけるには矛盾があるかもしれない。だって俺だって今までそうしようと努力していたのだから。もっとも努力だけでここまで辿り着けたことは一度もないのだけど。
「……ちっ」
 風が止んだ。短い声を発したのは白銀の髪の青年で。
「苛々する……」
 静かに呟いてから乱暴に足元にあった何かを踏みつける。それは赤く染まった魔物の姿であって。
「な、なんだか怖い、ね」
 ふと隣から声が聞こえた。そちらに目をやると今まで魔物を見て怖がっていた外人がいる。
「――そうだな」
 短く答えた。だって俺も同じことを考えていたのだから。
 ラザーラスは俺とリヴァを後ろに押しやって自分だけ魔物の群れの中に飛び込んでいった。飛び込むと言ってもゆっくり歩いていったのであり、俺には一瞬ラザーは魔物にやられはしないかと思ったほど無防備に見えたのだ。でもそれは無意味な心配であり、青年は一人で魔物を全て片づけてしまった。
 そこまでならいい。けど、そのやり方がなんだか怖かった。恐怖を感じたのだ。身体がばらばらになるまで切り刻んでいて、ものすごく酷くて残酷に見えてならなかったのだ。そこまでしなくてもいいのにと思うけど、それすら口出しできないほど怖かった。
 魔物を倒した場面を見たことは何度もある。でもよく考えてみれば、それはほとんど呪文の力で倒したものだった。刃物で倒したものはあまり見たことがない。だからこんな気持ちになるのだろうか。
「何をしている。さっさと行くぞ」
 はっと気づけば相手は目の前にいた。その手には魔物を殺した刃物が握られたままであり、その刃物には目をそらしたいほど赤い血がついている。
 刃物と言ってもそれは剣じゃない。青年の髪と同じ白銀に煌く大きな鎌だった。持ち主の身長よりも大きそうなそれは鈍い光を放っている。
「あの、さ」
 俺が鎌を観察しているとラザーは口を開いた。さっきまでと声色が違っていたので思わず相手の顔を見る。そこにはすでに苛立ちの消えた顔があった。それによって少し恐怖が消える。
「ごめんな、なんか今日は調子が悪いっていうか、苛々してるっていうか」
 ……へ?
「ほんっとごめん」
 そう言って頭を下げる。俺に見せてきたその動作には師匠と同じものが見えた。
「いや、こっちこそ守ってもらってるわけだし」
 だから文句を言えなかったんだし。
「本当はこんなもの見たくないんだろ? あんたは一般の人だから。でも俺は魔法は得意じゃなくて、それにばらばらにしないとまた甦ってきそうで怖くて――」
 続けざまにラザーは喋る。少し驚いてしまったけどどうやら相手は俺の心配をしてくれているらしい。俺や外人の思っていたことを理解しているのか、その言葉に嘘は見えなかった。
「じゃあ今度は魔物に見つかったら逃げたらどうだ? 別に無理に戦わなくたっていいわけだしさ」
「それより帽子返してくれないか」
「え? あ」
 せっかく戦わなくて済む方法を提案したのに無視されたらしい。相手は俺たちなんかより帽子の方が大切だってのか。その帽子はというと、外人が魔物に怯えながらもちゃんと持っていた。
 頭に帽子を被りなおしても髪を上にあげることはしなかった。そのため長い髪は下におろされたままになっている。
 しかしまあ、男なのに綺麗な髪の毛だよな。癖がなくて銀色だからなのかもしれないけど、なんか手入れとか几帳面にやってそうだし。俺だったらそんなに長いのはごめんだけどな。
「闇の精霊はこの辺りにいるらしいけど、そう簡単には会えないと思ってくれた方がいい。それは分かってるだろ?」
「分かってるよ。でもぼくは精霊に会えるならどんな危険でも来いって感じだけど」
 おい。
 精霊の話が出たら外人は急に元気が出た。本当に精霊が好きなんだな、こいつは。
「ん。分かってるならさっさと行くぞ」
「はぁい」
 改めて考えなおすとなんだか変な奴らだな、あの二人。いつのまにかラザーが仕切ってるし。俺はほとんど忘れられてるし。
 ってそんなことを考えている場合ではなかったっけ。見ると二人はすでに歩き出している。
 慌てて後を追ったため、俺が後ろを振り返ることはなかった。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system