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 ふと聞こえてきた様々な思想。
 それぞれ違った音を奏でるのは異なった者だからなのか。
 扉の先に求めるものは、あの時と同じではない。
 だけど今こうして抱く思いは、不安定さを失いつつある決意だと思わせるものである。
 求めるのは嘘ではない。
 願うのは、本当の姿なんだ。

 

第五章 真実を目指して

 

62 

 眠い。非常に眠い。なぜってそれは、疲れすぎたからである。
 自分のベッドの上で寝転がり、楽な姿勢のまま目を閉じる。そうすると当然のように眠気が増幅されてすぐに眠れそうになる。が、そうさせてくれない邪魔者が隣に座っていた。
「樹、樹ーっ」
 名前を呼ばれる。うるさいな、無視だ無視。
「寝てないで聞いてってばー」
 ばしばしと真横の布団を手で叩いてきた。その程度で俺を起こせると思うなよ。今から絶対に寝てやるんだからな。
「ちっ、仕方ないな」
 無視し続けていると何やら諦めたようなそうでないような声が聞こえてきた。最初の舌打ちした声がものすごく怪しさを醸し出している。
 まさかとは思うが変なことしようとしてないよな? だんだんと不安がつのってくる。
「樹。起きてほしいってこいつ言ってるんだけど、本当はもう起きてるんだろ? 嘘つくなよ」
 今度は別の人の声が聞こえた。さっきの奴に比べるとかなり大人のように落ちつきのある、でもどこか安定していないような不自然な声。まあそれは仕方がないことなんだろうけど。
「あと十秒待つ。十、九、八、七――」
 いきなり数を数えられてしまった。十秒過ぎたら何が起こるんだろう。とか一応考えてみたがどちらにしろやばそうな事をされそうなのは明白である。だって、相手が相手だし。
「六、五、よ――」
 がばり。
 本気で危なそうだったので慌てて起き上がった。視線を泳がしてみると目の前に二人の青年の姿が見える。
「あ、やっと起きたね樹」
「もう少しで首でも落としてやろうかと思ってたのに」
 一人はにこやかに、もう一人は残念そうに言いたいことを勝手に言ってくる。しかし後者の言っていることは洒落(しゃれ)にもならない。
 俺の目の前にいるのはリヴァとラザーの二人だった。最初に起こしてきたのは外人だったが、先ほど数字を数えていたのはラザーである。白銀の髪の青年は片手にあの大きな鎌をしっかりと握っていて、もし俺が起きなかったら本当に首を切り落とそうかとか考えていたのかもしれない。
 怖いんですけど。まだあんまし相手のことを知らないからさらに怖いんですけど。
 ちらりと相手の顔を見てみる。するとすぐに目が合ってしまった。
「……冗談に決まってるだろ。そんなに恐ろしいものを見るような目で見ないでくれよ」
 俺が何か言う前にラザーは言う。そうは言うけど、だったらさっきの残念そうな表情は何だったんだよ。あれはどう見ても嘘には見えなかったぞ、おい。
 まあ、それは今は置いといてだな。
「俺は寝たいんですよ。だからもうこれ以上眠りを妨げるような真似はしないでくださいませんかねぇ?」
「でも君さっきからよく寝てたじゃない」
「お前らがうるさくて眠れなかったんだよ!」
 非常に腹の立つ言い方をしてきた外人に向かって疲れない程度に怒鳴る。
 くっそー、リヴァの奴。よくもまあ何事もなかったかのように思い違いをしてくれやがって。
 ここは正真正銘、俺の家である。さらに言うと俺の部屋。本当なら俺の許可がなくては入ってはいけないはずなのに、寝ようとベッドに転がったらなぜか異世界の住民が集まってきていたのだ。外人とラザーだけでなく、意味が分からないがアレートやジェラーまでいる。何をしにきたのかと聞いたらこの世界の物を見ておくとか何とからしい。
 本当に何考えてるんだこいつら。
「ねえ、あそこの箱の中にあるゲームやってもいい?」
 そしてやっていることはゲームだった。部屋の中にある物を古いのから新しいのまで出して勝手にしている。ほとんどRPGなのに、そんな短時間でできるものなんてないだろ。途中で飽きるなら最初からするなよな。俺はこれでも全部エンディングまでいったんだからな。
「するのは自由だけどデータは消すなよ」
「分かってるよ」
 嬉しそうにそれだけを言うと傍から離れていく。やっと寝れると思ったが、まだラザーがいた。あの怖い怖いラザーラスが。
「あのー、ラザーはなんでここにいるんすか?」
 さっきのこともあって思わず敬語を使ってしまった。それで注意されたことを忘れたわけじゃないけど、口が勝手に動いていたのだ。言ってから不安になってくる。
「だってほら、ラザーって誰かと馴れ合うのは嫌いなんだろ? こんな大人数の中にいるのは嫌なんじゃ」
「――れたんだ」
 重なった言葉には感情がこもっていて。
「何、だって?」
「言われたんだよ、師匠に。いや命令されたって言うのかな。とにかく誰でもいいから助けになるようなことをしてこいって。それが俺の為になるからって」
 なんだ、どんな恐ろしい理由なのかと思ったらいい話じゃないか。やっぱりラザーは心配されてるんだなぁ。うんうん。
「だからそれで、あの」
 勝手に一人で納得してしまったが、相手の話はまだ続いていた。なんだかいつもと違ってかなり不安そうな声で言ってくる。
「その、えっと、お、俺……」
「どーしたんだよ」
「ああ、だからな」
「うん」
「その……」
 …………。
 話が続かない。
 何が言いたいのかはっきりと聞きたいけど聞けない。なぜなら怖いから。
「ラザー、無理して言わなくたっていいって」
 ぽんと元気づけるように肩を叩いてやる。
「いや、でも」
「いーからいーから」
 それ以来口を閉ざす。何が言いたかったのか知らないが、やっぱり無理してたんだろうか。
「まあそういうわけだから、俺はもう寝るな。もし俺の助けを引き受けてくれるなら睡眠を妨害する奴を排除してくれや」
「分かった、そうする」
 急にラザーの顔が真面目そうな厳しそうなそれになった。……ほとんど冗談で言ったのに。
「排除って言っても、その鎌とか刃物、あと魔法の類は使用禁止だからな。ここは一般人である俺の家なんだから」
「分かった」
 すぐに答えてくれる。けど、やばい。この顔は本気にしている。
 どうしよう。今更やめにするってのも相手に対して失礼だしなぁ。少し様子でも見てみるか。
「じゃ、おやすみラザー」
「あ、ああ」
 ここは俺の家で俺の部屋。それなのに、まだまだゆっくり眠れそうにないのはなぜだろう。そんなこと考えるだけ無駄なんだけどな。はあ。

 

 光の精霊との契約を無事に終えた今、世界の扉を開くための準備は全て整っていた。あとは師匠やジェラーがどうにかしてくれるらしいが本番までは何もすることがないと言う。過去に行ったりしてかなりの疲労を作ってしまったので、とりあえず扉を開けるのは明日ということになっている。だから今日のうちにこの世界を満喫しておくとか何とかいうのは異世界の住民の言い分であるのだが。
「ねえラザー、樹を起こしてもいいかな?」
 最初に言い出したのは別の世界では王族と呼ばれていた少女だった。ラザーはどうするか。まだ妨害の域には達していないはず。
「どんな理由かは知らないが駄目だ。どうしてもと言うなら俺が相手になってやる」
 いきなり挑発的な物言いになる黒い服の人。まあ相手はアレートだから、すんなり引き下がってくれるとは思うけど。
「うーんじゃあ、樹に伝えておいてくれないかな。ロスリュが置き手紙だけを残して帰ってこないってことを」
 思わぬところでここにいない人の名前が出てきた。そういえばいつもジェラーかアレートと一緒に行動してたよな。それが、何だって? 置き手紙を残して帰ってこないって? ふーん。
 ――って、え?
 あの、それってかなり問題あることなんじゃないんでしょうか。
「なあっ、アレート! その話……」
「あ、樹が起きた」
 うっ。つい起きてしまった。ってそれはどうでもいいんだ。
「本当なのか、さっきの話。本当ならその置き手紙には何が書かれてあった――」
「待て!」
 え?
 怒ったような声が飛ぶ。思わず次に言うべき言葉が出なくなり、声を飛ばしてきた相手の、ラザーの顔を見た。
 見えるのは苛立ちだった。
「何を考えてるんだお前は。自分で妨害して何がしたい?」
 ああ、何を怒ってるのかと思ったらさっきの話か。そりゃ確かに自分で妨害してるようなもんだけどさ。
「もういいんだよその話は。それよりアレート、置き手紙には」
「ふざけたこと言うな!」
 止まらない。いや止まってくれないんだ。
「自分でまいた種だろ。自分の責任は最後まで持てよ。雇い主がそんな情けない奴なら俺は二度とお前には従わない。もう少し考え直せ」
 あれ、なんかやばいぞ。これ。
「仕事を任せられる側は必死なんだ。任せられたら何でもする。たとえそれが罪になることだろうとお構いなしに。お前がやめろと言ってももう遅い。排除してやる」
 そしてなぜかこうなってしまい。
 ああ、やっぱりラザーは怖い人なのだろうか。少なくとも今の俺にはそうとしか思えないほど恐怖を感じながら焦りも覚えてしまったのであった。

 

 わけが分からないまま目の前では戦闘が開始されていた。しかし一番の原因であるのは俺なのに矛を向けられているのは別の人だった。では俺は何をしているのかと聞かれても困る。
 この狭い部屋の中で戦闘を繰り広げているのは、それぞれ少なからずの原因を持っている二人だった。一方は真面目すぎたため戦いを挑んでいるラザーラスであり、もう一方は俺を起こそうとしたためとばっちりを食らったアレートである。その他の二人はそんなことにもお構いなしに自分のやりたいことをしている。まったくこんな時でもマイペースを通そうっていうのかよ。
「二人ともやめてくれって。こんな所で暴れないでくれよ」
 とりあえず攻撃が止まった瞬間を見逃さずに声をかける。両者ともお互いから目を放すことなく睨むように見ており、俺の言葉が届いたかどうかは謎だった。
 すぐに一方が攻撃を開始し、またばたばたとうるさい音が部屋の中に響く。俺の言葉は無視ですか。暴れるなって言ってるのに。
「なあ、聞いてくれよ二人と――」
「大丈夫だからっ!」
 また無視されるかと思いきや、なんと返事を返された。しかしそのせいで思わず口を閉ざしてしまった。
「私、一度でいいからラザーと戦ってみたいと思ってたから。これでも毎日修業してたんだからね」
 ふっと相手はこちらを振り返ってきた。その顔には迷いは見えず、相手、アレートはにこりと微笑んでみせた。
 ああ、アレート。
 俺が心配していたのはそんなことじゃないんですよ。そりゃ、それも少しは心配してたけど。でもアレートって何だかんだ言っても強いし。王族なのに。
 うう、駄目だ駄目だこんなんじゃあ。話ができたと思ってもまたいつのまにか戦闘開始してるし、どうにかして止めなければ。でもどうすれば止まってくれるんだよあの二人組。
「お困りのようですね川崎樹君」
「うわあっ!」
 何の前触れもなしに耳元で囁きが聞こえ、思いっきり驚いてその反動で壁に頭をぶつけてしまった。痛い。何なんだよ突然。
「あの二人を静める手段をお探しですかな?」
「は? 何言ってんだよお前」
 相手はジェラーだった。明らかにいつもと様子が違う。ひそひそと耳元で囁いてこられて怖いったらありゃしない。
「大丈夫。最も楽で簡単に静められる手っ取り早い方法を教えてあげましょうかね」
「お前、何か変なものでも食ったんじゃないのか?」
「……少しふざけてみただけだよ」
 うおっ。元に戻った。
「これをラザーにあげてみなよ」
 すっと何かを差し出してくる。見てみると、それは何やら無色透明の水が入っているコップだった。よく見てみると俺の家のコップだし。
 なんだ、ただの水か? それがなんで静める方法になるんだよ。意味分かんねえや。
「言っとくけどこれはただの人工的に消毒された自称飲める水ではないからね」
 う、そうですかい。どうでもいいけどそんな回りくどい言い方せずに水道水って言えばいいのに。
「って、じゃあ何なんだよその水は」
 怪しいぞそれ。水道水でもないなら尚更。
「何だと思う?」
 いつもの口調で聞いてくる。いやそんな何なのかと聞かれても。
 無色透明だしなぁ。ジュースか? 炭酸飲料か? それとも『にがり』とかいうやつ? ラザーはそれが嫌いだとかいうんだろーか。
「あぁ、それぼくも飲んだことあるよ」
 何なのかと考えているとそれを邪魔する声が聞こえてきた。言うまでもなくあの外人の声である。こいつはやはりとことん俺の邪魔をしたいらしい。
「何て言うか、不思議な味がしたねぇ。飲んだら体があったまるって言うか……うーん、何だろ」
「あったまるぅ?」
 だったらそれは冷たい飲み物じゃないのかよ。見るからに冷めてそうなのに。ジェラーもいい加減教えてくれないかなー。もう全然分からなくなったんですが。
「それではラザーラス討伐計画、開始!」
「は? ジェラーお前やっぱり変なもの食ったん――」
「うるさい」
 どすっ。
 思いっきり腹を殴られた。もう痛いとかそういう問題ではない。かなり苦しい。立っていられなくて床に倒れこんでしまった。そして殴られた部分を手で押さえる。
 くっそージェラーの奴、さっきから明らかにおかしくて何も言い返せなかったけど元に戻ったら見てろよ!
 って何を考えてるんだ自分。これじゃあ馬鹿にされても仕方がないじゃないか。落ちついて考えろ川崎樹十五歳!
 よし、こうなったらもうどうとでもなれだ。お前の方法とやらを試してやるよジェラー!
「ラザー! ラザー! ラザーラス・デスターニス君!」
 腹の底から声をしぼり出して相手を呼ぶ。白銀の髪の青年はこちらに目もくれずに一言だけ言ってきた。
「黙ってろ」
 ええい、負けるものか。
「そんなこと言わずに、ほらこれやるから」
 これ、つまり怪しげな水の入ったコップをジェラーから奪ってラザーラスに手渡す。相手は少し戸惑いながらもあっさりとそれを受け取った。もっと文句とか言ってきそうだったのに、なんだか少し拍子抜けだ。
「あ、取った」
 そして背後には外国人のギャラリーがいて。
「えっ、樹。私には何もないの?」
 青年と戦いを繰り広げていた少女は羨ましそうにラザーの飲み物を見ていた。
「いや、アレート。これはだな、そう、一つの計画に基づくものであるから」
「計画? 何それ」
 やばい。慌てて妙なことを喋ってしまった。そりゃ嘘ではないけどさすがに本人の前で言うことはできないだろ。
「そう、計画さ。そうだよなリヴァ」
「えっ」
 えっじゃない。こういう時は嘘でもいいからどうにかして誤魔化しておくんだよ。
「そ、そうだよアレート。それに君にもちゃんとあげるものがあるんだからね」
 苦し紛れの誤魔化し。そんなタイトルがぴったりの台詞を言った外人はこちらを振り返ってきた。かなり困ってそうな表情である。
 ま、頑張れや、リヴァ。
 俺は笑顔で答えてやった。相手は恨めしそうな顔を一瞬だけ作る。
「……アレート!」
 諦めたのか、リヴァは再びアレートと向き直った。さて一体どんな言い訳をするつもりなのか。
「あなたのためにこれを……」
「わ、ありがとうっ」
 どこに隠していたのか、外人はアレートに薔薇(ばら)の花束を渡した。こうして見てみるとリヴァがアレートを口説いているようにも見える。かなり似合わない二人だけどな。
 って何考えてんだよ俺。今はそんなことよりラザーだろ、そう、ラザーだよ! もう!
 意味のないことで頭を使ってしまったが、気持ちを切り替えてラザーのいる方へ目を向けてみる。白銀の髪の黒い服の人はジェラーの怪しげな水を落ちついて飲んでいた。
 そう、かなり落ちついて。
「……あのー、ラザーラスさん?」
 こわごわとだが声をかけてみた。相手は静かになってはいたものの、なんだか雰囲気があの水と同様怪しい。
「だ、大丈夫なのか?」
 まさか静まりましたか? と聞くことはできまい。
「その、調子悪くなったなら言ってくれよ。でないと分からないしさ」
 相手は何も言わない。
 えーと。
「ジェラー君どうにかしてください」
「なんで」
 近くにいたこの計画を考えた奴に頼んでみたが、相変わらずな答えしか返ってこなかった。本当に責任感がない奴だなお前。
「じゃあリヴァでもアレートでもいいから」
 こうなったら誰でもいいからどうにかしてくれ。やっぱこんな計画引き受けるんじゃなかった。とか言って後悔しても遅いしなぁ。はあ。
「あ、あのさー、俺まだ何をラザーが飲んだのか分かってないんですが」
「えっ、そうなの?」
 少し驚いたような声が聞こえた。そう言ってきた外人は普段より目を大きく開けている。
「実はね、あれは――」
「んなもんもう分かっとるからええって言ってんねやあ! この阿呆!」
 ……はい?
 部屋だけでなく家中に響くような大声。それを発したのは、さっきまで黙ってて俺を困らせていた張本人であった。

 

 どっ、といきなり身体が空中に投げ出され、そのまま後ろへ飛ばされる。何かにぶつかるかと思ったがその衝撃は感じなかったので何にもぶつからずに済んだんだろう。とりあえずそれだけはよかったのでほっとした。
 しかしそれよりも俺には全く状況が理解できていなかった。なんで急に攻撃を受けなければならないのか。だってさっきまではラザーと話をしていただけなのに。
「びっくりしたなぁ。大丈夫だった?」
 ふと後ろから声が聞こえた。振り返ろうとすると俺は誰かに背中を支えられたまま座っていることに気づく。自分の状態も分かっていないなんて、もう何が何だか分からない。とにかく分かったことは、俺を支えているのは外人とジェラーの二人だということだけだった。
「俺は大丈夫だけどさ、何が起こったか全然分からないんですけど」
 ちょっと恥ずかしかったが知らないままだということの方が恥ずかしいものである。こうなったら恥なんて捨ててやるさ。
「うん、なんかラザーがいきなり君を殴ったんだよね」
 笑われるかと思ったが、外人は意外と真面目に答えてくれた。そう言っている当の本人も少しだけ驚いているようにも見えなくはない。そんなに急なことだったんだろうか。
「……ってちょっと待て」
 何だって? 殴られた?
 一度落ちついてみることにする。できるだけ何も考えないようにして頭を空っぽにしてみると、なるほど確かに左の頬がひりひりする。
 でも変だよな、これって。ラザーならもっと強い力を持ってるはずなのに、こんなひりひりする程度の力で殴ってくるなんて。
「それはね、樹君」
 今度は左側にいた藍色の髪の少年が語りかけてくる。
「ラザーは君が渡した飲み物のせいで頭がぼんやりとしていて気持ちが正常じゃなくなっているからだよ」
 いちいち嫌味な言い方をしてくるのは相変わらずだった。
「なあ、それって俺が渡したんじゃなくてお前が渡せ渡せって言ってきたからじゃ」
「でも渡したのは君じゃないの」
 何だよそれ。俺のせいかよ。
「じゃあ結局何だったんだよ、あの飲み物は」
 かなり気にくわないことがあるがそれは気にしないことにしておき、それよりももっと気になることを聞いておくことにした。だって普通にあり得ないだろ、あんな少量の水だけで頭がぼんやりとか何とかになるなんて。
「分かんないかな。あれ、君のお姉さんが君にばれないようにって隠してた飲み物だよ」
「俺の姉貴が?」
 右側から口を挟んでくるのはリヴァ。思わぬところで姉貴の名前が出てきてさらに分からなくなってくる。
 いや、ちょっと待てよ。それってもしかして。
「まさかとは思うけど……」
 姉貴が俺に隠しているもので、飲むと頭がぼんやりしたり暖まったりするような無色透明の水。それらから考えられるものといえば――。
「……酒?」
「そうそれ」
 …………。
 なんでそんなことするんだよお前らは。
「だったらラザーは」
「きっとお酒に弱かったんだね」
 どこから出してきたんだよこの外人は。
 余計なことしやがって。
 そのまま妙な空気が流れていく。誰も何も言わず、ただ沈黙の空間ができるばかり。俺だって何も言いたくないし。
 確かにそれは手っ取り早い方法なのかもしれない。でもそれだと違反じゃないかよ。異世界ではどうなのか知らないけど、ラザーはどう見ても二十歳以上には見えない。そりゃ俺より年上っぽいし実際には二十歳なんてとうの昔に超えてるんだろうけど。
 謝った方がいいのかなー。言い出したのはジェラーだけど渡したのは俺だからなぁ。やっぱジェラーの言うとおり俺のせいってことになるような気がするし。
 しかしそのラザーは俺の見えている範囲にはどこにもいない。ついでにアレートの姿もない。二人ともどこに行ってしまったんだろうか。また喧嘩なんかしてなきゃいいけど。
「樹! 樹! ちょっとこっち来て!」
 噂をすれば何とやら。部屋の外から現れたのは王族の少女だった。なんで部屋から出ていってたんだろう。
 とかどうでもいいことを考えながらアレートについて行く。おまけに外人とジェラーもついて来ていた。この二人、正直いらないんだけどなー。
『じゃあ君は僕らがいなくても全てを解決できる自信があるんだ?』
 うっ。
 鋭い言葉を頭の中に直接投げてくるのはジェラー。いつもいつも厳しいことばっかり言ってくるが、今回はかなりきついぞお前。
「樹、ラザーが」
 そして気づけば目の前に白銀の髪の青年がいて。
「ラザー?」
 廊下の壁にもたれかかって座っている。思いっきり顔を下に俯けているし、長い髪が邪魔なため相手の表情は全くと言っていいほど見えない。彼の足元にはあの大きな鎌が無造作に置かれてある。
「あの、アレート。ラザーはどうしたんだ?」
 とりあえず青年には聞こえないように小声でアレートに聞いてみる。アレートはラザーの姿を見てからこちらに向き直り、はっきりとした声で言ってきた。
「寝ちゃった」
 ね、寝ちゃったってあんた。
「それより樹、ロスリュのことなんだけど」
 いや、『それより』で片づけちゃっていいの!?
「置き手紙ね、一応持ってきたから」
 なんだかんだでアレートのペースに持っていかれ、文句を言う暇もなく差し出された一枚の紙切れを受け取ってしまった。これがロスリュの置き手紙らしいけど。
「何? ロスリュがどうしたって?」
 後ろから聞いてくるのは外人ともう一人。もうラザーのことは無視ですかい。
 皆の視線が俺の手の中にある紙切れに集まってしまったため、仕方なく紙に書かれてある文字を読むことにした。異世界の文字だから分からないかと思ったらそうでもなく、普通に日本語で書いてあったので異世界の異常さが伺える。それに悔しいけど俺の字よりかなり上手いし。
 静かに声に出さずに黙読する。
 それにはこんなことが書いてあった。

 

 私は自分の目的の為に今まであなたたちと行動を共にしていました。
 でもどうやら目的を果たしてしまったようです。
 よってあなたたちの元から一度姿を消すことにします。
 忘れないでください。私はあなたたちに対して嫌気がさしたというわけではありません。
 誤解しないでください。あなたたちの全てを許したというわけでもありません。
 何を言っているのか分からないと思います。でも、覚えておいてください。
 そしてまたいつか会う時には、全てが分かっていると思います。
 その日までさようなら。

 ロスリュ・ワイノルカロ

 追伸。この先は樹だけが読んでください。

 こんな形で教えるのは気にくわないけど、あなたには少しだけ希望が見えるので教えておいてあげる。
 私には少し先の未来が見えるの。信じられないならそれでもいいわ。
 あなたはこれから再びスイベラルグの世界に戻る。そして新たな世界への扉を開くことになるわ。
 それまでの道のりであなたは大切なものを理解する。でも同時に、つらいことがたくさん待っているはずよ。
 私にはあまり多くのことを教えることはできないけど、どうか自分の目指すものを忘れないでいて。
 真実を目指して、世界の扉を開いて。
 そして決して間違えないでいて。
 この追伸の文章はあなたが読むと消えるようになっています。
 同じようにして他の人には見えないようになっています。
 樹。あなたはお人好しすぎる。
 だけど、それがあなたのいいところでもあるということを間違えないでね。

 

 読み終えたら、なぜだろう、涙が出た。
 読んでいくと同時に消えていく文字があまりにも素朴で、それでいて何かを必死に訴えようとしているようで。
 それでもあふれてくるのは悲しみじゃない。
 別れが辛くないわけではないのに。
 心の奥から涌き出るものは、小さな字面から受け取った優しさだけだった。

 

 

――第四幕へ続く

 

 

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