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66 

 彼の話は終わった。だけど後に残ったのは言い様のない虚しさだけ。
 ラザーは全てを詳しく語らなかった。考えれば当然のことだ。誰だって他人には知られたくないことがあるんだから。少し知り合っただけの俺に過去の話をしてくれただけでも大きな意味を持ってるんだから。
「そんなわけで俺は今ここにいる。こうやって生きていられるのは確かに不老不死の力があるからだけど――」
 違うよな。
 ラザーを今も生かしているのはもっと別の力があったからこそなんだろう。過去の話を聞いていて、俺にもよく分かったような気がする。
「すまないな、時間を取ってしまった」
「ああ、いや。いいよ。おかげでゆっくり休めたし」
 二人して立ち上がる。長い間声を出していなかったのでちゃんと出るか心配だったけど、どうやらそれは余計な心配だったらしい。でも気をつけないと変な声が出るときがあるんだよな。寝起きとか、びびったときとか、気持ちが押し潰されてるときとか。
「俺の目的、言ったよな」
「え?」
「スーリを捜してるってこと」
 質問の意味を納得して一つ頷く。
 まさかラザーの過去の話に彼の名前が出るとは思っていなかった。だけどだからこそ理解できることもある。
「俺の人生を狂わせたあいつに会いたいんだ。絶対に捜し出して、見つけたらこの負の感情を全てぶつけてやって、それで……」
 自分一人に言い聞かせるようにラザーは呟く。
 言わなくたっていいから。聞かなくてもちゃんと分かるから。
 だからあまり聞きたくないな、そういうの。
 いつものごとくなんでかは分からないけど。
「行こうラザー。早くしないとあいつらに負けちまう」
「ん。そーだな」
 相手は表情を和らげた。
 口元に笑みを浮かべて微笑んでいたけど、それでもやっぱり哀しそうに見えるのは目の錯覚なんかじゃないはずである。

 

 広い空間があった。
 細い道を進んでいったらいきなり広い部屋に出たのだ。突然広くなったので思わず入り口で立ち止まって中の様子を注意深く見てしまったほどだった。
 でも、それだけ。
「何もないな、ここ」
 率直な意見がこれだった。
 何もない。本当に何もない。よくある例としては中央あたりに台か何かが置いてあるものなのに、ここにはそんなもの一つもない。
 かと言って素通りすることはできなかった。道がここでなくなっているのだ。それらの条件からしてここは最深部らしいけど、最深部に何もないってのもおかしな話だよな。
「ラスって奴は何があるって言ってたっけ?」
 広間の中央付近へとラザーは進む。それにつられて俺も彼の背中を追った。
「玉。『虹色の水晶』だったと思うけど」
「玉ねぇ」
 なんだか悩んでいそうでそうでもないような声が部屋の中に響いた。ラザーは目の前をじっと見つめている。何か見つけたんだろうか。
「玉ってあれのことじゃないのか?」
 そうかと思えばある方角を指さす。示された方向へ視線を向けると、暗い中に一ヶ所だけ光が当たっているように明るい場所があった。もっとよく見てみるとそこに何か玉のようなものが幾つもあることが分かる。
 あぁ、確かに玉だなあれは。
 さすがラザー。見つけるのが早いったらありゃしない。
「偽物ならまた探さなきゃならないけど、まあとにかく調べてみろよ」
「よしきた」
 すたすたと歩いて玉の群れに近づいていく。ラザーは俺の後についてきた。本物かどうか見極めるのは俺の役ってことだな、よし。
 なんて気合いが入っているが実際俺は一度も今探しているものを見たことがない。よって見ただけでは分からないということになるのだが、それでも一つだけヒントがあるのでそれを信じることにしたのだ。
 ヒントとは探しているものの名称。ラスは『虹色の水晶』だと言っていた。つまり玉は虹色をしている。多分だけど。
 すぐ近くまで近づいてみると、なるほど確かに多くの玉が転がっている。まるでどこかから忘れられたように無造作に置かれてあり、何の手入れも片づけもされていないことが見てすぐに分かった。元はここにあったものじゃなかったような気さえする。誰かがここに忘れていったのか、それとも意図的に置いていったのか。
 意味のない推測はやめておこうか。考えたって分からないもんな。そんなことより今は玉だよ玉。目の前にあるじゃないか。
 床にしゃがみ込んでまじまじと玉を見つめてみる。どれもこれも同じ大きさ、色、形。手よりも少し大きいサイズで無色透明である。虹色のものなんてない。
 ここまできてはずれ、なんてやだからな。
 きっと何か仕掛けがあるはずだ。見ただけでは分からないようにしてるんだな。よし見てろ、俺がお前なんか攻略しちゃるんだからな!
 こういう仕掛けは大概、動かせば何かが起きる。こんなあからさまに怪しげに置いてあるんだ、きっと簡単な仕掛けであるはず。
 すっと一つの玉に手をのばす。無色透明の玉に俺の手が映って色がついた。が、そんなことを考えている場合ではない。
 玉に触れた。冷たい感触。
 だけどそれと同時に視界が真っ白になった。
 ――え? 白?
 あ、分かった。また光か何かが出てきたんだな。光ってことは精霊の誰かかな。まったく困ったもんだよな、呼び出してもないのに勝手に出てきたりして。
 ――違う。
 違う。これ、光じゃない。
 光ならすぐ消えるはずだ。でもこれは消えない。これは光じゃないんだ。
 でも、じゃあ、だったら何なんだよ?
「待って!」
 ……子供の声?
 どこかで聞いたことがあるような気がする。でもどこだったか、誰のものだったか。思い出せない。
「待ってよ! 待って!」
 俺に言ってるんじゃないってことは確かだ。だって俺は一歩も動いてない。となれば他に誰かいるってことだよな。でも真っ白で何も見えないんだよな……。
「待って、よ! お願い……!」
 声が近づいてきた。視界の中から、白の中から一人の子供が見える。
 子供の姿も背景と同じで白かった。影があったから子供がいることが分かった。子供は俺の背の半分もないほど小さい。
 走ってこっちに向かってくる。けどかなりきつそうだ。長時間走り続けてたんだな。そこまでして何を追いかけてるんだろ。
 まっすぐ、まっすぐに。向かってくるんだ、俺の前へと。ゆっくりだけど確実にあいだの距離は縮まっていく。
 やがて子供は目の前まで来た。そこで一度足を止め、ぜえぜえと荒れた息を整え始める。汗が顔から流れていた。まだ小さな子供なのに、誰がこの子をこんなにさせているんだろう。
「待って!」
 少しも時間が立たないうちに子供は再び走りだした。おいおい、そんなまっすぐこっちに向かってきたらぶつかるじゃないか?
 否、ぶつかりはしなかった。そして気づいてしまったんだ。
 すりぬけていったんだ。あの子供が俺の体を。
 つまりそれが意味するものは。
「待ってよ!」
 再び聞こえた言葉はひどく遠く感じられた。
 また真っ白の世界に戻る。

 

「こんにちは」
 ふと声が聞こえた。どこから聞こえてくるのかは分からない。誰のものかも分からない。
 でもなんだろう、俺はこの声を知っているような気がする。知ってるといっても不確かで根拠もないものなのだけど、なんだかいつも傍で聞いているように感じられる声だった。
「会うのは初めてだったかな? だけど俺が誰だか分かるだろ?」
 声は言う。
 それは間違いなく俺に向けられていた。すぐ近くにいるように聞こえるのに、相手の姿は影も見えない。
 誰だよ。俺が知ってる奴なのか? それとも相手が知っているだけなのか?
「そうかお前は何も知らないんだったな。だったら姿を見せた方が話が早いな」
 目前の白い空間にずれのようなものが現れた。歪みのようなそれは次第に黒い穴の形になり、その闇の向こう側から人影が一つ。
 人影は白と黒だけだった。でもそれは黒い穴から出てきた瞬間のみのこと。完全に相手の体が白い空間に出てきた時、さっと色彩が彩られていく。
 初めはうっすらと。時間が経過するにつれて濃度は増していく。
 相手の顔が完全に見えるようになった時、白い空間の中に一ヶ所だけ淡い色彩が集まっていた。

 俺の前に立つ相手。
 それは、俺だった。

「驚いたか? いやそれはないか。お前は俺の存在を知っていたんだよな」
 目の前にいる俺は勝手に喋る。
 なんだよ、これ。
「何をぼんやりしてるんだよ。お前は何度も人違いをされて怒っていたじゃないか。それも忘れたと言うのか? いや、そうは言えないはずだ」
 どうして目の前に自分がいて。
 どうして自分と同じ声で話しかけてくるんだろう。
「覚えてるよな? 覚えてるはずだ。お前の記憶の中に俺の名前はちゃんと残ってるんだから」
 自分とそっくりの相手。
 いや、そっくりというレベルではない。
 同じなんだ。
 同じ。何もかもが。背丈も、声も、髪の色も、顔に現れる表情も。
 こんな人がどうしているんだ。
 どうしてこんなにも似ているんだよ?
「名前は?」
 静かに相手は聞いてくる。
「川崎、樹」
「そうか。俺はヴェインだ。――知ってるよな?」
「…………」
 忘れるわけがない。
 何度も勘違いされて危険な目にあった。だけどそのおかげで大きなものを見つけることもできた。
 恨めばいいのか、感謝すればいいのか。俺には判断できない。
「でも俺が今ここにいるのは、あんたのせいだ」
 心の奥に秘めていた言葉が流れ出る。
「あんたさえいなきゃ俺はずっと平凡に暮らせていたのに!」
 こいつさえいなければ誰にも会えなかったのに。
 分かってる。今更何を言っても何も変わりはしない。それでもたくさんの責任を背負いすぎていて、何かにそれらをぶつけないと気持ちが押し潰されそうになるんだ。
「そうかい」
 響いてきたのは呆れた声。
「そうかい、そうかい。お前はそんな考え方をするんだな、樹」
 樹。
 俺の名前。
 自分が自分の名前を呼んでいる。
「お前はお人好しだと言われていたな。だけどそれは愚かな間違いだ。お前はただの弱虫だ、屑だ、ゴミだ」
「そん――」
「否定するか? いやできないね。なぜならそれはお前自身が最もよく分かっていることだからな」
 かつん。
 相手との距離が縮まる。
「気づいてないとは言わせない。お前が考えていることは全て俺には分かるんだ。どうしてだと思う?」
「知るかよっ!」
 切羽詰まったように答えてしまう。
 かつん。
 また一つ距離が縮まる。
「どんなに離れていようとも全て分かる。お前は俺であり、俺はお前だからな」
 かつん。
 嫌だ。聞きたくない。
 無意識に両手で耳を塞いでいた。周囲の音が聞こえなくなる。
 何も聞きたくない。これ以上聞きたくない。この先のことを聞いたら後戻りできなくなりそうだから。この先のことは俺には耐えられないことのように思えるから。
 だけど相手はそれを許してくれなかった。すぐに手を掴まれて周囲の音が耳に入ってくるようになる。
「なんだよ、何が――」
 何がしたいんだ相手は。
 俺に何をしてほしいって言うんだよ?
 相手は手を放さないまま、ぐっと顔を近づけてきた。顔を遠ざけようにも手を掴まれていてまともに動けない。
「見せてやる」
 囁(ささや)いてきたのは怒気を含んだ声。
「お前の愚かでちっぽけな命の欠片を」
 そして再び真っ白になった。

 

 最初に見えたのは大きな機械。
 白と影しかない部屋の中にそれはあった。そのせいなのか機械以外の周辺はぼんやりとしていて鮮明に見ることができない。時が止まったように機械は停止している。何の雑音もない。
 強いて言うならば自分の心臓の音が雑音だった。それが意味するのは俺という存在が今ここで生きているということだけ。生きることとは無音の中では雑音にしかならないのか。
 その中にいる自分はと言うと、まるで宇宙の中へ放り込まれたような無重力空間を彷徨っているような形だった。つまり簡単に言えば宙を浮いているような、なんだかふわふわしてバランスが取りにくいようになっているのである。
 周囲は全て白。自由に体を動かすこともできないらしい。たとえできたとしても俺は何もできないだろう。
 ここで何をしろと言うのか。なぜこんな場所に放り出されなければならないのか。何を考えてるんだよあいつは。
 あいつ。俺と同じだと言っていた奴。同じ声で同じ姿で、まるで鏡を見ているような気持ちになった相手。
 あんな人が本当に存在しているなんて。そのことすらまだ信じられないことだった。
 なんてことを考えていると、ふっと目の前の景色が変わった。同時に周囲から音が聞こえ始める。
 歌だろうか。誰かが歌っているらしい。かなり近くから聞こえる気がする。その歌声は少女の綺麗な声だった。
 歌と共に足音も聞こえる。どうやら歌いながら歩いているようだ。足音は軽いステップを踏みながらこちらに近づいてくる。歌っている歌も軽いステップも、相手の陽気さと明るさを想像させるには充分だった。
 近づくにつれて歌声が鮮明になってゆく。当然のことかもしれないけどなぜか不思議な感じがした。当然のことすら知らないような、そんな感覚に陥ってしまっているらしいんだ。
「ら、ららら、ららら……」
 聞こえたのは歌詞のないメロディだけだった。すごく綺麗な気もするけど、何か、もう一つ別の感覚が襲ってくるようだ。
「――あ」
 気づかないうちに相手は目の前で立っていた。予想どおり相手は少女であり、大きな瞳がこちらを見上げている。
「あった!」
 走ってすりぬけていく。風が体の中を走り抜けたように冷たかった。
「わ、すごく真っ赤!」
 分かってる。俺はここには存在しないらしいから。俺はここにいてはいけないらしいから。
 振り返るのが怖い。
「これなら喜んでくれるかな、みんな」
 あの瞳を見るのが怖い。
「お兄ちゃんも、――も」
 視線はあっているのに相手からこちらは見えていない。そんな目を見るのはとてつもなく嫌だから。
 返せよ。
 返せ。
 俺の視覚を返せ。俺の感覚を返せ。
 こんなものを見せて何になるっていうんだ。俺なんかに見せても何の意味もないじゃないか。
 ふざけるなよ。そして甘く見るな。
 お前なんかに俺は左右されない。俺は俺として生きているのだから。
 返せよ。
 俺を返せ。

 

 +++++

 

 真っ暗だ。何も見えない。
 白の次には黒かよ。まったく単純で分かりやすいったらありゃしない。
「――き、いつ――」
 誰かの声だ。
 えーと、誰だったかな。いつも傍で聞いていた気がするんだけど。
「起き――と、――文――つよ?」
 はは、勝手なこと言ってら。仕方ない奴だよな、あいつも。
 あいつ?
 あれ。
 あれ?
 誰だよ。あいつって誰だ。傍にいた奴って誰? 友達って誰?
 信じてほしかった奴って? 認めてくれた奴って? また会いたい奴って? 信用できる大人の人って?
 それから、それから、あと一人、とても大事な人がいた気がする。その人を守るために平凡を捨てて、だけど本当は自分のために来ていたと知って。
 どうしようもない奴だから、俺って。
 俺、って。
 ……あれ。
 俺……『俺』って、誰?

 

「起きろーっ!」
「うわぁっ!?」
 顔の横を素早く何かが通り過ぎていった。耳元で変な音が響き、それが俺の真横に落ちたことが分かる。
 目線をそちらに向けてみると、見えたのは銀色に光る刃物。
 って。
「いきなり何すんだよ! 危ないじゃないか、人が寝てる時にそんなことして!」
 起き上がって相手にありったけの不満をぶつけてやった。これはもう言い返すことなんてできないよな。
「何言ってんの。いつまでも寝てる君が悪いんだから」
 返ってきたのはそんな言葉で。
 思いっきり反発する体勢ですか。
「本当にぐーすかとよく寝てたね。ここまで運んできたラザーが可哀相だよ」
「嫌味な奴だな」
「お互い様でしょ?」
 相手は、リヴァはそう言ってけらけらと笑う。周りを見回すとすでに全員が揃っていた。

 なんだか、孤独感を感じた。

 

 

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