光が光として成り立つのは闇の中だけ。
同じように、闇が闇として成り立つのは光の中だけ。
一つでも欠けてしまえば両方とも成り立たなくなる。
取り戻すためには、あるべき姿に戻さなければならないんだ。
第三章 闇を求めるひと
68
昔から持っていた光がある。
よく分からないけど頭の中から離れない白い光。
もう一つ、白のすぐ傍にあった黒い光。
なんだろう。
ちょうど今見えている景色はそれだった。
この世界の名前をアユラツというらしい。
どこを見ても白と黒だけ。まるで白黒テレビだ。白黒テレビなんて今時は見たことないけど、そう形容するのが最も簡単だろうから。
だけど厳密に言えばあるのは白と影だけだった。黒という色彩があるのではなくて、白いものの影が黒で彩られているらしいのだ。その証拠に黒だけでできている物体が一つも見当たらない。きっとここにあるものは全て白だけでできているのだろう。
自分の姿を見てみると目が痛くなった。色彩は元のまま消えていない。周囲が白だけなので余計に色彩が目立ってしまうんだ。
「ここがアユラツ?」
不思議な場所だ。
もっと動揺するかと思っていたのに、逆にすごく落ちついていられる。
後ろを振り返ってみると通ってきたはずの扉がなかった。あるのは何だかよく分からない積み重ねてある物だけ。よく見てみるとそれはぼろぼろに風化して、今にも朽ち果ててしまいそうだった。
そういえばラスが言ってたよな、本当かどうか分からない伝説だって。それってつまり何十年も誰も足を踏み入れなかったってことだよな。そんなすごい場所に来てしまったのか。
「で、ここからどこに行けばいいんだろ?」
誰も知らないだろうけど、背を向けたまま一応聞いてみた。知ってる奴がいたら逆に怖いよな。
…………。
返事がない。
あれ?
「なあ、本当にどうするん――」
言ってから驚く。
振り返っても誰もいなかったのだ。返事がないのも無理はない。
「まじかよ」
やばい。非常にやばい。こんなわけ分かんねぇ場所に置き去りにされるなんて考えもしなかった。いつものように誰かと一緒にいられると思ってたのに。
くっそー、どうするか。周囲はなかなか見晴らしがいい。それすなわち、近くには誰もいないということであって。
よし、こんな時こそあいつらの出番だ。
今になって初めて俺はちゃんと準備をしてきてよかったと思えた。右腕の袖をめくり、そこにある物をじっと見つめる。
「精霊よ――」
そう。呼び出すのは契約をした精霊の誰か。誰を呼び出すかなんて、そんなものはすでに決まっている。
見覚えのある光と共に現れたのは青い髪を持つ青年、つまりは月の精霊スルク。俺が知る異世界の住人の中で最もお人好しな人である。
「お久しぶり、お人好しさん」
「だからなんでいつもいつも俺ばかりを呼ぶんだよ」
にこやかに挨拶したのに返ってきたのはため息だった。ひそかにそれってひどいぞお前。
「それで、今日は何の用だ? 忙しいから早く帰りたいんだけど」
「用って言われてもなぁ。とりあえずしばらく一緒に行動してくれ」
俺の言葉に相手は表情を歪める。
「そもそもなんで他の奴らとはぐれたりしたんだよ」
そんなもん俺が聞きたいっつーの。
「仕方ないだろ。一人だと危ないじゃんか」
「だからって精霊の邪魔をするなよな。はあ」
確かに邪魔をしたのは悪かったかもしれない。でも精霊は契約者を守るもんだろ。これでも俺は契約者なんだからな。
渋々とだが相手は納得してくれたらしい。どこからか大きな剣を取り出してそれを背中に背負った。よく見てみると以前と違って長いコートを着ている。
「どうしたんだよその服。前はもっと質素だったのに」
「あぁ、これか。これはオセがもっと身だしなみをきちんとしろってうるさいから」
うっ。久しぶりに怖くなってきたぞ。
オセはつい最近になってから契約した精霊。光の精霊らしいけどあまりそれっぽい雰囲気ではない。光といったらもっとやわらかそうなイメージがあったけど、オセにはそんなもの微塵もない。
「じ、じゃあオセはいつも何してるんだ?」
本人には到底聞けないだろうからスルクに聞いてみる。石の中にいる精霊たちは一つの部屋にいるようなものなので、それぞれ何をしているかは分かるらしいのだ。それであまり喧嘩が起きないのはかなりすごいことである。
「あいつは毎日仕事をしてる」
「仕事ってどんな?」
「そんなもん知らねーよ。あいつに近づいていったら思いっきり羽ペンを投げられるんだ、怖くて近寄れやしない。仕事の邪魔するなって、そればっかり」
なんだか大変なんだなぁ。
でも何か変だな。なんだろう、何かが引っかかるような。
「あいつきっと苛々してるんだろうな」
考えの中に月の精霊の言葉が入ってくる。
「ほら、オセってソイがいないせいで光の力を失ってるだろ。だから羽ペンで攻撃したり本で叩いてきたりしかしないんだよ」
「ふーん」
スルクは俺の知らないことをよく説明してくれる。ソイがいないせいで光の力が失われてる、か。
ってどういうこった。分かんねえ。
「なんで光の力がソイと関係あるんだよ?」
ソイは闇の精霊のことである。今はすでに死んでいてこの世にいない。俺は以前オセの依頼のために過去に行って会ったことがある。オセとは違って普通の人だった。
「なんだ、オセから聞かなかったのか? 光の力は闇があるからこそ成り立つものなんだ。闇がない、つまり闇の精霊がいない今となっては光の力は無きに等しい。だからあいつは今、呪文が使えないんだ」
あー、そういえば似たようなことを聞いたことがあるような。
「だから羽ペンで攻撃してるんだな」
「本当怖いんだよあいつ」
再び出てくるのは深いため息。スルクも苦労してるんだなぁ。なんだか同情してしまうよ、まったく。
そんな他愛ない会話を交わしながらも、俺は月の精霊と共に白い世界の中を歩き始めた。道なんて分からないから適当に進んでいく。しばらく歩いていたらきっと誰かに会えるだろうと信じていたから。
一体どのくらい歩いただろうか。時計を持ってこなかったことを後悔するがそれは仕方のないこと。いくら後悔しようとも何も変わらないのが現実だから。
時間の感覚だけでなく方向感覚まで狂ってしまいそうだった。とにかくどこを見ても同じような景色しかなく、自分がどの方角に向かっているのか、本当にまっすぐ進んでいるのか分からないのである。だからただひたすら歩くことしかできない。
これだけ歩いても誰にも会えなかった。だんだんと焦りの気持ちが現れてくる。このまま一人だけ置いていかれたらどうしようかとか、誰かが心配して捜してくれてるんじゃないかとか、そんなことばかりを考えてしまうんだ。
「なんで誰もいないんだ」
一度立ち止まって休憩する。俺の隣を黙って歩いていたスルクも立ち止まった。
「なあ樹。誰か他の奴にも協力してもらった方がいいんじゃないか?」
「他の……精霊に?」
相手は一つ頷く。
他の精霊に協力してもらう。
思えば単純な案だ。どうして今まで思い浮かばなかったんだろう。
「精霊よ――」
召喚呪文と共に光があふれる。だけどこれはなんだかおかしい。いつもなら呪文を唱え終わってから光があふれてくるものなのに、どうして今――。
「わっ」
そうかと思うと誰かが背中を押してきた。いや、ぶつかったと言うべきか。そのせいで俺は地面に倒れてしまう。
なんだよ、変な光が現れたり背中を押してきたりして。そんなに俺に不満があるのかよ。
「あれ? ここ、外? うそぉ、なんで出ちゃったの?」
後ろから聞き覚えのある声が。
「えっと、これはスルクの仕業ですか?」
「いやー違うだろ。きっとあいつの仕業だな、あの偉そうなオセの。このエフ様が言うんだから間違いないね!」
「またあなたは勝手な推測をして。ですが……」
起き上がって後ろを振り向く。案の定、俺の背後には知り合いの面々がずらりと並んでいた。
見事なまでに全員が揃っている。精霊たちはそれぞれ違う表情をしていたけれど少なからず驚いていたらしい。
が、その中でただ一人驚いていない奴がいる。それが高慢で偉そうな印象を受ける精霊、オセである。
「主よ」
「へ?」
オセに注目していたのが悪かったのか、声をかけられてしまった。それだけならまだいいけど音もなくこちらへ近寄ってくる。これがなんだかものすごく怖い。
「な、何でしょうか」
間近まで近寄ってきたオセは周囲の視線も気にせずに、がっと俺の肩を掴んできた。思いっきり顔を近づけられ、後ろに引いていきたくなる。
だが、相手は普段よりも真面目そうな顔をしていた。少しの優しさすら見えてきそうなのだ。だから俺は相手の言葉を落ちついて聞くことができた。
「ここは何という名の世界だ?」
「ア、アユラツですけど」
「近くで何か黒いものを見なかったか?」
「白いものしか見なかった」
「……そうか」
何を聞かれるのかどきどきしたが、答えられないものでも答えにくいものでもない普通の質問だったのでほっとする。これで答えられなかったら相手はきっと怒ってくるだろうから。心の底から簡単な質問でよかったと思った。
「主よ、わたくしはこの世界から闇の気配を感じるのだ」
「ふぅん……じゃなかった、そうですか。よ、よかったんですか?」
「何をそんなにびびってんのよ地味地味君」
これがびびらずにいられるかっての。太陽の精霊はそんな俺の気持ちも分からないのか、平気そうな顔をして言いたいことを言いまくっていた。
「オセは闇の気配がするって言うけど。今は世界に闇なんてない光の時代なのに、なんで闇の気配なんて感じるのよ。あんたずっと地上に来てなかったから感覚が鈍ってんじゃない?」
本当に言いたい放題だな、おい。
「鈍ってなどいない。わたくしよりお主の方が鈍っているのではないのか」
「あ、なんかむかついた」
そうかと思えば二人の間で睨み合いが始まる。どちらも互いに引こうとはせず、一気に空気が重々しくなった。
何をやってんだか。こんなことしてたって意味がないだろうに。
「お二人ともやめてくださいよぉ。精霊同士では喧嘩しちゃいけないんですよ。ほら、樹さんも困ってることだし」
止めに入ったのは星の精霊のエミュ。その勇気には頭が下がる思いだ。俺なら絶対に無理なことを平気でするのだから本気ですごい。まあ、単に空気が読めてないだけなのかもしれないけど。
しかしエミュの行動によって少しばかり空気が和らいだ気がする。
「そうだ、おいオセ。そいからコリア。ここで喧嘩を始めるのはオレが絶対に許さねー。許さねーかんな。絶対にだぞ」
相手を怒っているのかそうでないのか分からないことをエフは言う。心なしかいつもよりも偉そうにしていないのは相手がオセだからなのか。
「精霊はイツキや他の人たちとは違うものです。普通の争いでも力を使えば世界の均整が保てなくなるのです。――分かっていますね?」
比較的穏やかな口調なのはエナさん。この人はやはり相手が誰であろうと変わらない。それははたしていいことなのか、それとも。
「わたくしとてそこまで愚かではない。自らの立場くらい心得ておる。――だがこの意見は変えられぬ」
皆に何を言われようともオセは引かない。最後まで自分の意見を押し通す気なんだ、きっと。
なんてはた迷惑な。
「わたくしが感じたことをそのまま口に出して何がいけない? 確かに闇の気配を感じるのだ、わたくしは。あの光の入っていけない深淵の気配がこの世界にはある。それを確かめないと、自分の目で見ぬかぎりわたくしは、わたくしは――」
でも珍しいこともあった。こんなに必死になっているオセの姿は初めて見たから。
少しだけ許してやろうかという気持ちも出てくる。
「オセ」
名前を呼ぶと光の精霊はこちらを振り返ってきた。動いたせいで帯びている光の残光が煌めく。
「どこから感じるんだ? 闇の気配ってのは」
「樹! あんた何言って……」
「いーから黙ってて」
隣からの不満そうな声は無視しておく。
オセの表情はいつものものと全く変わらない。瞳の中の光も、哀しみも、優しさも、何も。
「よいのか? 主よ」
「どうせ止めても行くんだろ。だったら止めたって無駄ってことだよ」
すでに恐怖など感じなくなっている。
「ふ……」
聞こえてきたのは小さな笑い。顔を少し俯け、髪で瞳は見えないが口元が笑っているのが見える。
「やはりお人好しだと言われるだけはあるな。だが――感謝するぞ」
またお人好しとか言われちまった。そう言ってきた相手がオセなのであまり違和感がないような気もするが。だってオセを見てたら他の人がみんなお人好しに見えてしまうし。
だからなのか、なんだかそう言われるのも嬉しいような気がした。
オセが感じたという闇の正体。それは本当にその場にあった。
しばらくオセはある方角へ向かっていき、俺と精霊たちはオセを追いかけて歩いていた。歩いていると次第にオセの進むスピードが速くなったりして大変だったが、なんとか離れずに最後までついて行くことができたのでほっとする。
光の精霊が前進を止めたとき、最初に目に入ってきたのは黒い塊だった。
塊だったんだ、本当に。形は玉と呼ぶには及ばないけど石と呼ぶには整いすぎている。白い地面の上に無造作に転がっており、いつかの遺跡で見たあの玉のように置かれてあった。大きさもあの玉と同じくらい。だけどその色は無色でも虹色でもなく、漆黒。
醸し出されるのは暗黒だった。
「このような場所に捨てられていたか」
落ちついた口調でオセは言う。
「無様なものだな、闇というものは」
俺は相手の後ろにいるので顔は見えない。だから表情が見えないのが当然。
「オセ、それは――」
隣で立っていた星の精霊が口を挟んだ。相手は振り返りもせずに声に答える。
「闇の精霊の精神だ」
精神。
それは言い換えれば、心のこと。
どうしてそんなものがこの世界にあり、捨てられているかのように転がっているのだろう。
「なるほど精神とは言ったがすでに意識はないようだな。時間と共に失ったか。だが所詮は愚かな精神だから仕方あるまい……」
どういうことか、オセは闇の精霊を非難しているようだった。理由は分からないけどやっぱり対極の立場にいるから嫌っているのだろうか。
「甦らせる気ですか? オセ」
再び尋ねたのはエミュ。その質問の意味は。
何も答えないままオセは闇の塊に手をのばす。その手の中にあふれてくるのは眩しいほどの光だった。だがそれに合わせるかのようにオセの周囲に浮かんでいた、光を帯びている長い紙がオセの手元へと集まっていく。
「何をする気なんだ?」
無意識の内に口を開いていたことに気づく。隣に立っていたエミュはオセの動作に見入っていて、俺の言葉は聞こえなかったようだった。
光の精霊は何かを言い始めた。いや、読み上げると言った方が適切か。どうやら手元に集まった紙に書かれてある文字を読んでいるらしく、聞いたこともない言葉が俺の頭の中を通過していくようだ。
誰も何も口出ししない。それならば俺も口出ししない方がいいのだろう。だってこれは精霊たちが勝手にやっていることだから俺には関係ないわけだし。口出しして怒られるのも嫌だしな。
紙の端から端まで読み終えると変化が起こる。闇の塊が見えなくなったのだ。見えなくなっただけで消えたわけではない。なぜそれが分かるのかというと、目の前に闇の精霊が立っていたから。
闇の精霊。少し前に会ったばかりだけど相手からすればかなり昔のことに思えるだろう。だけど俺はこの人のことを知っているから。
ソイと名乗っていた精霊。性別は分からないけど、どこか女性のように思わせる振る舞いをしていた。
相手はゆっくりと目を開ける。
「オセ……」
目覚めてからの第一声はそれだった。
名前を呼ばれた光の精霊の顔は相変わらず見えない。
「それに、皆さんも。私を目覚めさせてくれたのですね」
闇の精霊のソイは周囲を見回し始めた。一瞬だけ視線が合う。
だがすぐにそらされてしまった。
「感謝します」
一度お辞儀をした。そこから感じたものは、俺に向けられているものではないということだけ。
確かに俺は第三者だ。何の関係もないただの契約者。だけど疎外感を感じてしまうのもまた事実だから。
「――これで世界に闇が復活した」
ふと聞こえたのはオセの、光の精霊の言葉。
「闇が復活したということは即(すなわ)ち光も復活するということ。そうだ、光を集めなければならぬ。それがわたくしの役目ならば……いや、そんなことをしている場合ではないのだ、わたくしには光が必要なのだ。光は闇から生まれる。ならば闇をもっと作れば良いだけではないか。闇をもっと、光を、光を――」
悪寒が走る。
「光を、もっと光を! わたくしのような者の心にも届くほどの輝かしい光をもっと! 闇を増やせ、光を増やせ! そして解放せよ! 光は甦った! く、くくく、あははははは……」
集まってくるのは光ばかりだった。だけどその集まってくる場所がいけない。
白い世界の中で笑うオセの声は、光の中に埋もれてしまって俺には何も見えなかった。ただ一つ分かることは、悪寒を感じるほどの力がオセの中に流れ込んでいったということだけ。