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 多くの思うことがあった。だけど俺はそれを口に出して言うことはしなかった。今思えばその理由は自分が周りにいる他の者よりも高い場所に立っていたからなのだろう。俺は精霊たちのことを何だと思っていたのか、自分では分からなかった。いや、分からなかったのではなくて考えようともしていなかっただけなのだ。考えようとしなければ当然答えも出てこない。そんなことは分かり切ったことであるはずなのに、自分で自分が分からなくなったかのように質問しては悩むのであった。悩んだ末に出てきたのは自分を守るための汚い文句だけだった。どうにかして自分が卑怯な奴に見えないようにと、作り上げたありもしない理由を後生大事に抱えている。そして自分より下にいるように見ていた精霊たちには何の感情も抱かずに、ただ自分だけが大事で傷つかぬように言葉を使って壁を作っていた。そして自分はその高い壁を盾にして、何か危ないことがあればすぐにそれに頼って裏側へと隠れていたのだ。
 俺がそれに気づいたのはもう少し先のことだった。

 

 闇の精霊が復活し、光が元に戻ったと喜んでいたオセからは異様なものを感じた。それは他の精霊には見られないほどの歓喜であり、見方によれば脅威にさえ見えてしまいそうなものだった。
 オセはとにかく喜んで、誰も何も言葉をかけられないでいたらしい。俺自身もそうだった。喜びを壊すのが怖かったのだ。壊して相手の怒りを買い、自分に何らかの攻撃が加えられるのではないかと怖れていたのだ。
 俺は自分を守る体勢に入っていた。だけどそれは他の人に関しても同じことが言える。誰も何も言わなかったのはそういった理由があったからこそなんだろうから。
 でもそれがいけなかった。誰も何も言わないからオセは自分を抑えることができなかったのだろう、その場から逃げるように消えてしまったのだ。
 初め俺は追いかけようかと思った。だけどその前に誰かに声をかけられた。いや、誰かが呟く声を聞いたんだ。
「あの人は光を見ようと懸命なんだ。あの人は私を利用するために甦らせただけなんだ。私はあの人の役には立ったけれど、私がすべきことは何もできていない」
 言葉が意味するものは分かるようで分からない。
「樹さん、オセを追いかけましょう。ですが、その前に私の話を聞いてほしいのです」
 次に聞こえた声は俺に向けられていた。一度だけ目が合ってもすぐにそらされてしまったのに、今は俺の瞳だけを見ているのである。
 俺は短く返事をした。文句を言う必要もなかったし、正直言って追いかけるのが面倒だったので話を聞くだけの方が楽ができるような気がしたのだ。実際その方が楽だった。俺は体を動かすことよりも頭を使う方が多かったから。
「あの人が私を嫌う理由をお話します。あの人は、オセは、私の幼なじみでした。同じ街で生まれ、同じ環境で育った兄弟でした」
 紡がれる声は落ちついている。逆に落ちついていないのは俺だけ。
「ですがそれはただの数年だけのこと。まだ私たちが成人にもならない頃、街が何者かによって壊されました」
 静かな空気は時に痛さしか生まない。それを真正面から感じ取ってしまうと息も苦しくなり、胸が締めつけられる思いがする。
「私たちは共に逃げようとしました。ですが相手は大人、すぐに見つかってしまいます。オセも私も傷を負いました。それだけならまだよかった。よかったのに、二人とも二度と光を見ることができなくなってしまったのです。私は一瞬で光を失いました。ですがオセにはまだ光が見えていたそうなのです」
 潰されるんじゃないかと思った。心が潰されて、二度と立ち上がれなくなるんじゃないかと思えてならなかったのだ。どうして今になってこんな気持ちになるのかは分からない。だけど相手の話を聞いていたらよく分からない感情があふれてきて止まらなくなるんだ。
「私たちは盲目です。オセはその場から逃げ出しました。そして当時の光の精霊の元へ行きました。そこでオセは自分を光の精霊にするように頼んだと言います。相手はすぐには納得してくれません。オセは続けて言いました、自分にはまだ光が見える、光がなくなるのは堪えられない、光が欲しいのだと。オセは感情を殺しました。同時に自分というものも殺しました。光にだけ執着し、他のものは何一つ信用しなくなりました」
 闇の精霊は深い瞳を俺に向けている。俺はどんな目で見ているのだろう。俺はどんな目でオセを見ていたのだろう。オセはどんな心で世界を見ていたのだろう。
「一方で私は闇の精霊となりました。光を完全に失った私にはそうするしか道がなかったのです。オセはたとえ目が見えなくても光だけは見えると言いましたが、私にはそれは信じられるものではありませんでした。なぜなら光の精霊となったオセを前にしても光など見えなかったからです。オセはこんな私の考え方と生き方を嫌いました。光が闇と対立していることと同じように、オセと私も対立した思想を持っているのです」

 

 話を聞いた後、俺は精霊たちと共にオセを捜しに白い世界を歩いた。だけどエナさんとエフは石の中に戻しておいた。そうしたのは二人がそう望んだからである。
 オセは意外とすぐに見つかった。一人で白い空を眺めていたらしく、呼びかけるとぼんやりとした瞳をこちらに向けてきた。
 俺はどう声をかけていいものか悩んでしまった。相手の過去を知って同情したのではない。何も感じなかったわけではないけどそれよりも大きな思いが心の中を支配していて、そちらの方に押し潰されてしまった同情の気持ちが悩ませる結果となっていたのだ。
 いつまでも俺が何も言わなかったので、相手から声をかけてきた。
「主、お主には光が見えるのだ」
「光?」
 心が騒ぐ。
「お主は内に大きく強い光を持っている。だがお主には闇がないのだ。人ならば誰しも光と闇を持っているものなのに、お主には闇が決定的に欠けている」
 俺には闇がない。
「それにこの白い空気。お主と似通ったものを感じるのだ」
 内に秘めたる大いなる光。
「わたくしには何も見えぬ。これだけ集まった光でもわたくしには見えぬのだ。だがわたくしには人の中のものが見える。主よ、わたくしがお主と契約した理由はそこにもあったのだ」
 集まった光。光だけを集めた生命体。
「わたくしは意見を変えるつもりはない。闇の精霊のことなど少しも好感を持たぬ。だがわたくしは信じているのだ。わたくしはお主のことを信じているのだ、主。だからもう少し共にいさせてほしい。わたくしには光の力が戻ったため足手まといにはならぬはずだ」
 足手まとい。俺はいつも足手まといだったのに。
 光を求めたひとは、あまりに優しすぎた。
 闇を求めるひとは、あまりに強すぎた。
 分かったことがある。
「オセ、それから他の皆も。もう石の中に戻っていいから」
 俺の言葉に皆は怪訝そうな顔になる。
「いいのか? 言い出したのはお前だったのに」
 聞いてきたのは月の精霊。相変わらずお人好しで、思わず笑みがこぼれてしまう。
「ああ、いいんだ」
 短い言葉だったけど、それだけで相手は納得してくれたようだった。すぐに光があふれて姿が消える。それに続いてエミュとコリアの姿も消えた。
 残ったのは二人だけ。光と闇の精霊が一人ずついる。
「わたくしは人は嫌いだ」
 それはあんたから光を奪ったから?
「同様に、精霊も嫌いだ」
 それはあんたを精霊にしたから?
「だから主よ、わたくしはお主と契約したのだ」
 泣いてる。
 涙はないけど、きっと泣いてるんだ。
「主、闇の精霊と契約してくれないか。わたくしはもう戻るが、わたくしの中にある力を抑えられるのは闇の精霊しかいないのだ」
 それだけを言うとオセは光に包まれる。そして姿を消した。
 闇の精霊と向き直る。
「契約を、ソイ」
 迷いはない。
「ええ」
 たとえそれで俺の中に闇が流れ込んできても構わない。それが本来あるべき人の姿なら、俺はこうすることで人に近づけるのだから。
「私との契約に言葉は不必要です。樹よ、私はあなたを主として認める」
 ふっと相手の肌が触れた。
 怖くなった。何かが俺の中に入ってきたようで。
 冷たいんだ。
 黒いんだ。
 意識が拒んでる。でも、受け入れなくてはいけないから。
「契約は完了しました。私もオセや他の皆さんと共に待たせて頂きます」
 闇の精霊は光に包まれる。闇なのに光に包まれるんだ。これほどおかしなことがあるだろうか?
 俺はまた独りになった。
 だけど本当はこれでよかったんだろう。
 なぜなら見つけてしまったから。
 懸命になって捜し求めていたものを見つけてしまったんだ。他の誰よりも早く、この俺が見つけてしまったんだ。
 高く積まれた物の山の前。
 そこにあいつが立っていた。

 

「また会ったな」
 俺はお前なんかに会いたくなかった。
「そう言うなよ。せっかくこれから真実を教えてもらうんだから」
 真実なんて知りたくもない。何も知らないままでいたいのに。
「だったらお前がここに来た理由がなくなるじゃないか。理由がなくなるのは最も恥ずべきことで、最も卑怯なことなんだからな」
 恥をかいても卑怯でも何だっていいさ。やっぱりこんな世界に来るべきじゃなかったんだ。
「闇を見たのがそんなに怖かったのか?」
 そうじゃない。
「だったら光を失ったと思ったのか?」
 そうでもない。
「ならばただの思い違いだ。俺には分かるからな。お前は俺であって、俺はお前なのだから」

 

 +++++

 

 自分は一体何をしているんだろう。
 どうして自らの運命を受け入れようとしないで、信実さえ聞こうとしないのだろう。
 それでは少しも前へ進めないのに。それでは何の解決にもならないのに。いや、それ以前に誰の役にも立てなくなることを自分は知らないのだろうか。
 せっかく片割れと再会できたというのに自分は子供のままだ。その自分が僕と同じ存在だということがなんだか悔しい。
 まだ知らないからなのだろうか。知れば変わるかな。僕と同じように。
 全てを失ってしまってから理解するのは時間がかかるかもしれない。僕とは違って今の自分は別の世界で暮らした違う人物なのだから。
 愚かかな。
 いや偽善者だ。
 今の自分は、善を盾に取った偽善者にすぎないんだ。

 

 

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