前へ  目次  次へ

 

72

 存在理由。
 生きている意味。
 それはなければならないのか?
 なければ生きてはいけないのか?
 生きることに理由なんていらないだろ。
 そうだ、まったくそのとおりだ。
 理由なんてなくても構わない。
 構わないのに、どうして。
 どうして――。

 

 連れられたのは一つの建物の中だった。他の建物よりもいくらか原形をとどめており、雨風を防ぐには充分すぎるほどこの世界では立派な建物だった。もっともこの静かな世界に雨というものがあるかどうかは疑わしかったが。
 この場にいるのはただの二人。俺をここまで連れてきたのはスーリであり、つい先程まで共に行動していたラスはいない。彼はあの後、邪魔をしては悪いし何よりもっとこの世界について見てみたいからと言って姿を消した。どこに行ったかなんて知ることは不可能だったが、あいつのことだからその辺りをうろついて終わりだろう。それほど心配するべきことでもない。
 心配するべきことはやはりあいつらのことだろう。あいつら、つまり俺が仲間と呼んでいる人々のこと。この世界に来てから一度も会っていないから余計に心配は膨らむばかりだ。だけど今はどうしようもない。こんな状況ではどうすることもできない。いや、こんな状況でなくても俺には何もできないだろう。この白しかない虚しさのあふれる世界で一人きりになることがどんな意味を持つことか。俺にはなんだか想像するだけで胸が詰まる思いがしたから。
「何をぼんやりしている?」
 相手の声を聞いてはっとし、やっと我に返ったような感覚に陥った。気がつくと俺は建物の扉の前で立ちつくし、相手は屋内から俺の姿を見ている。
 少し気持ちの焦りを覚えながら中へと足を踏み入れる。
 この建物は本当に『建物』だった。あらゆる部分が壊れてはいたが他の物よりもはるかにましで、ちゃんとした屋根やら扉やら部屋やらがある。ここでなら誰でも普通の生活ができそうに思えたが、やはり色がなかったので寂しさというものを感じずにはいられなかった。
 中に入るとそこは一つの部屋だった。机があって椅子がある、どこの家にもありそうな部屋。当然と言えばそれまでなのだけど、なぜだか中に入ってから妙な気持ちが心に現れてきた。
「適当に座ってくれ」
 部屋の中をじっくりと観察しようにもそれを止める相手がいた。仕方がないので相手の意志に従っておくことにする。よく考えてみれば仕方がないと言うには語弊があるかもしれないが。
 言われたとおりその辺に転がっていたぼろぼろの椅子に腰掛ける。と同時にすごい勢いで埃が舞い上がってきた。それにはすっかり驚いてつい声を上げてしまった。
「すげー埃だな。俺の家でもここまで酷くないぞ」
 できるだけ小さな声で言ったつもりだ。でもきっとスーリにも聞こえただろうな。言ってから後悔する。
「はは。ずっと帰ってなかったから埃だらけだ。やっぱりいくらなんでも帰った時に掃除くらいしないといけないな」
 聞こえたんだろうか聞こえなかったんだろうか。頼むからそういう曖昧なことを言うのはやめてくれ。
「あんた、ここに住んでるのか?」
 ちょっと気になったので聞いてみた。
「まあそんなとこかな」
 返ってきた答えはあっさりしていた。でもそれよりも俺は相手と普通に会話ができたことに不思議と何も感じなかった。それは相手が今までとは違う雰囲気を持っているからなのか。
「さて」
 一つ息を吐き、少しだけ相手は目を閉じる。
 次に目を開けた時、また相手の持つ気配が変わっていたことを俺ははっきりと感じ取った。
「何年ぶりだろうか、ここで話をするのは。だけどその前に一つだけ言わせてほしいことがある」
 相手は俺の前に置いてあった椅子に座った。そして痛いほどの視線をまっすぐ向けてくる。
 大丈夫。覚悟なら――。
「おかえり、……ヴェイグ」
 覚悟ならあるから。
 覚悟ならあるはずだから。
 あるはずなのに。
「それが俺の名前?」
 今にもあふれ出しそうな感情を必死になって殺す自分がいた。きっと相手も分かっているだろう。俺ですら分かるのだから、あの何でも理解できる相手に分からないはずがない。
「今の名前とどちらがいい?」
 変なことを聞いてくるんだな。そんなのどうだっていいじゃないか。どちらかというと横文字の方が格好よさそうだとか余計なことも考えてしまう。
「気遣わなくたっていいから。俺だってもうそんなに子供じゃない」
「俺は少しも気遣ってなんかないけど?」
 嘘だ。
「なんだ信じてないんだな」
「嘘つきの目は見逃せないんでね」
「さすが天下のお人好しだ」
 そう言ってくくくと笑う。まさかこの人にまでお人好しと言われるなんて思わなかった。いやちょっと待て。これってお人好しと関係あるのか?
「お前は知らないだろうけど、お前が人並み以上にお人好しになったのにもちゃんとした理由があるんだ」
 お人好しになるには理由が必要ってか。そりゃまた変な話だな。性格なんて理由から作られるものではないと思っていたけど相手はそれを底から裏返すようなことを言ってくる。
「じゃ、その理由ってのは何なんだよ」
 ここまできてしまった以上、引き返すことなんて不可能だった。かと言って必要以上に前へ進むことも怖れている。今の俺にとっては相手の説明を聞くことがちょうどいいように思われたのだ。
 少しだけ周囲が静まった気がする。
「長い話になる」
 沈黙を破ったのはスーリ・ベセリアと名乗った青年。
「だから早く話せよ」
「大きな口を利くようになったな」
 昔は昔で怖かったけど、今でも充分相手は怖かった。それをやっと思い出したと思った時にはすでに俺の中にある平常心が消えかかっていた。
「哀しいな。俺がお前に再会した時にお前は何も覚えていなかった」
 哀しいのは俺の方だ。あんたもそうなのかもしれないけど俺にはあんたの気持ちは分からない。だけど俺がそうであるようにあんたも俺の気持ちは分からないだろ? お互い様だ。
「この世界には元々、人が住んでいた」
 静かな口調で話が始まる。周囲も言葉も静かであったが、その内容は決して穏やかなものではない話が。
「そして人は人でも一族として生きていた者たちもいた。彼らは自らのことをワノルロ族と名乗り、人には決して持つことのできないほどの魔力を持っていた。
 この世界には見てのとおり色彩がない。それを不思議に思った人々は各々の知恵を絞り出して原因を突き止めるべく研究を始めた。研究はあまりはかどらなかったと聞く。なぜなら彼らはそのことを調べるよりももっと身近なものに興味を抱いたから。
 彼らは研究によって様々な知識を身につけていた。知識は役に立つものだが同時に欲を生み、増殖させるものでもある。彼らの視点の先にあるものは、計り知れないほどの力を持ったワノルロの一族の者たちがいた。人は皮肉にも一族の力を自らのものとしようと欲を出したのだ。
 ここから先はある人の――研究者の一人であったまだ若い青年の物語になる」
 途切れることを知らない話は続く。俺には少しも口出しできない。
 視線は突き刺さったまま。
「青年の名はダザイアと言った。彼は豊富な知識を持っており、周囲からは天才的だと言われていた。しかし彼にとってそんなことはどうでもいいことだった。
 ダザイアには一人の友人がいた。その友人はワノルロの一族の少年だった。少年は一人の子供と共に街の外れで暮らしていた。街中で暮らさないのは人に見つからないようにするためであり、ダザイアに心を開いたのは一度彼に助けられたからであった。少年もダザイアもお互いを信じ切っていた。よって彼らは度々会っては話をするほどの仲になっていたのである。
 しかし二人の若い者たちはやがて大人の欲に巻き込まれることになる。いつものようにダザイアが少年の家を訪ねた時、家の中には少年の姿しかなかった。少年と共に暮らしているはずの子供がいないことをダザイアは不思議に思って聞いてみるが、少年は曖昧な返事しか返してこない。子供はどこへ行ったのか聞くと少年はただ『連れていかれた』と答えた。どこへ連れていかれたのかと聞くと少年はふさぎ込む。ダザイアには容易に予想できた。
 過去にダザイアは少年を助けたことがあった。その時に少年は人に捕まっていたのだ。人は一族である少年を捕まえて研究しようとした。それを見たダザイアは大人たちに反発し、少年を連れてその場から逃げていったのである。
 つまり少年と共に暮らしていた子供は人に捕まったのだ。それを知ったダザイアはさらに少年に問いを重ねる。しかし少年はまともに話を聞こうとせず、悩みと疑いと憎悪に満ちた瞳でダザイアを睨みつけた。
 あなただ、と少年は言う。
 あなたがここを教えたんだと少年は叫ぶ。
 ダザイアは違うと否定した。ただの勘違いだとなだめようとした。自分は何も知らない、何も関係ないと正そうとした。
 その時その瞬間の少年の心に彼の言葉は届かない。届いても少年は全てを信用しなかった。
 少年は言う。『あなたの他に誰がいる? 誰もこの家の存在を知らないはずなのに、はたして急に知ることが可能なのか? 苦し紛れの言い訳なんて聞きたくもない』と。
 しかしダザイアに心当たりがないこともまた事実であった。彼は本当に何も知らなかった。だから再び否定した。
 それがいけなかった」
 俺とは何の繋がりもないように思える長い話は続いていく。だが俺は話を聞いても何も感じなかったわけではない。自分には確かに関係ないかもしれないけど、こうして何か感じるものがあるのは人として当然のことだろ?
 相手は話を始めてから少しも休まなかった。すぐに続きが耳の中に入ってくる。
「ダザイアが自分は何も知らないと繰り返した時、少年の瞳に煌きが生じた。煌きと言ってもそれは決して輝かしいものではない。心の奥底に眠るものが抑え切れなくなって現れたものであり、それは少年の魔力と重なって周囲に漏れ出していく。
 ダザイアがその異常に気づいた時にはすでに世界全体が少年の魔力に包まれていた。そしてその異常なまでに大きな力は何なのかととっさに考え、答えを導き出した。彼が導き出した答えとは、人に捕まった時に加えられた『力石(りょくせき)』の力と負の思いとが混じり合ったものだということだった。
 力石とはこの世界の地中から掘り出された魔力の封じられた石のことである。ダザイアは少年が人に捕まった時に何かしらの方法で少年の体内にそれが加えられたと推測した。特に力石にはニ種類あり、負の力を増幅させる『黒いガラス』を取り込まされたと思われる。
 少年の最後に残した言葉は簡単なものだった。ただ一言、『さようなら』と言っただけだった。
 たった一人の少年によってアユラツは滅ぼされようとしていた。もしその時点で何の対策もおこなわなかったとすれば、今この瞬間にこの世界は存在しない。
 行動を起こしたのはダザイアだった。
 彼は破壊されていく世界の中を逃げるようにして走った。家の中から外へ、外からどこか遠くへ行けるように。だが決して逃れられないと知った時、彼の脳裏にあるものの姿が浮かんできた。
 それは少年に対抗するべく思い浮かんだ案だった。ダザイアはまず初めにいかにして少年を止めるかと考えたと言う。しかしここで彼の言う止めるということは、少年をこの世界の中から追放することに他ならなかった。つまり彼はこの世界を少年の力から守ろうと考えたのだ。
 ダザイアが思いついた案とはすなわち力石の力を使うことだった。幸い彼のいた位置からそれが保存されている場所は近く、ほんの少しの努力だけでダザイアは力石と黒いガラスの力を手中に収めることができた。彼はそれらを手に入れてすぐに力を解放した。先にも述べたとおり彼は非常に頭のよい青年だったので力の使い方を誤ることはなかった。
 少年の魔力とダザイアの力石と黒いガラスの力はぶつかり合い、その衝撃は世界に影響を及ぼした。大地はひび割れ生物は生き絶えた。当然人も一族の者たちも皆巻き込まれた。もっとも一族の者たちはすでに少数しか生きていなかったので巻き込まれたのは人だけだと言ってもいいくらいだろう。衝撃は起こったものの、それを起こした少年とダザイアはあまり被害を受けなかった。彼らは自身が持っている力石と黒いガラスによって守られたと推測できる。
 だがその衝撃により少年の体は世界の外へとはじき出された。運よく扉を通じたものだったので命は助かっただろう。ダザイアは少年がはじき出された瞬間を見たと言う。少年はダザイアの姿を認めると、勝ち誇ったような不吉な笑みを見せながら飛ばされていったらしい。それが意味するものは。
 そうしてダザイアはたった一人だけ生き残り、世界は崩壊の寸前で動きを止めたのである」
 ここまでを一気に語り終えた後、スーリは一度口を閉ざした。それは俺にはとても重いものに見え、この先にはもう何もないように思わせるには効果がありすぎるものだった。人の態度だけでこんなにも感じるものが違うなんて今まで知らなかったことだ。
 そしてそれは本当だった。感じたとおり、相手の口は重くてすぐには開かれないようだった。しかし考えてみるとその行動はまるで俺が何か言うのを待っているようにも見えるから不思議だ。何よりその予想を裏づける俺に向けられる視線があるため、俺は気づいてから後悔することになってしまった。
 しかし一体こんな話を聞かされた後に何を言えば許されるというのか。全く俺には何の関係もない話を聞かされて正直拍子抜けしたとでも言えばいいのか? 本当にそう感じたかはともかく、相手が何も言わないのだから余計なことを口に出す必要もないと思うことにした。
 静寂の中から見つけたのは一種のわびしさだけだった。
 やがて負けたのか勝ったのか、相手が何も言わずに立ち上がった。予想外の行動に少し驚きを覚えたが、そのまま奥の部屋へ入り込んでしまったので後を追いかけようかどうか少し悩んだ。
 悩んだものの、ここで追いかけなかったら俺は逃げることになると気がついた。逃げるのはなんだか嫌だった。格好悪いと思った。だからまだ考えがまとまっていないのにも構わずにさっさと行動に移してしまったのである。

 

 

前へ  目次  次へ

inserted by FC2 system