73
俺は俺の中にある自分というものを見つけることに時間をかけすぎた。
本当はずっと昔には全てを理解していたのに。
でも、はたして理解することはいい結果を招くものなのか?
知ることと理解は違う。だが、理解と覚悟もまた違うものであるということを失念してはならないんだ。
奥の部屋にはたくさんの書物と紙が積み重ねられていた。非常に散らかっており、その上埃もたまっているから汚いことこの上ない。よくもまあこんな部屋を放置できるものだと逆に感心してしまいそうだった。その部屋の真ん中あたりでスーリは立っていた。
「あの話はつまらなかったか?」
背中を向けた相手は聞いてくる。とりあえず正直に答えておくことにした。
「なんであんな話を聞かされなきゃならないんだろうって思った。そういう話は聞きたがってる奴に話した方がいいと思う」
「お前らしいな」
「そうじゃない。俺らしいことなんてない」
「なぜ?」
「それは」
言葉に詰まる。続きが喉まで出ているのに口の中でとどまって外に出てこないような状態だ。
「分からなくてもいい。でもお前は理解できる頭を持っている。それだけは信じても構わないことだ」
「俺にそんなものはない」
「今に分かるはずさ。――続けようか?」
ここで言う続けるということは話を続けるということなのだろう。話というのはあくまで『話』であって『会話』ではない。あの長い話の続きを話すということなのだろう。
「うん」
簡単に返事をしてしまったが、その後に見た相手の目は俺をちょっと戸惑わせた。
さっきよりも数倍もの光を帯びた目がじっと見ているんだ。
「言っただろ。俺はもう子供じゃない。だからちゃんと全部説明するならしてくれ」
これはただの強がりだと言う前に気づいていた。だけど俺の心はあの自分には関係のない話を聞いたおかげでずいぶん無防備になっていたのだ。
俺は知らない。真実はすぐ傍まで来ていたことを。
「お前がそう言うなら、望みどおりに」
相手は知らない。俺がどんな心持ちで話を聞いているかを。
「立って聞いてくれ。立ったままで、そのままで聞いてくれ。その方がずっとお前自身のためになると思われるから」
最後の最後にスーリは変な頼みを押し付けてきた。俺は言われたとおりにしようと思った。だけどこの部屋には椅子なんてなかった。あるのは本と紙の山だけ。
「そしてこの先俺が誰を何と呼ぼうと口出ししないで欲しい。それ以外のことについては口出ししてくれて大いに結構だけど、呼び名については決して聞かないでくれ」
頼みと言うより命令と言う方がしっくりくるだろうか。相手の意図は分からなかったが俺は一つ頷いてみせた。
「世界が――」
そして唐突に話は始まる。
+++++
世界が落ち着きを取り戻した頃、一人だけ生き残ったダザイア様はこのアユラツの世界を守ろうと決めた。
守ると一言で言っても簡単なことではないのは分かるだろう。世界を一つ守るということの事の大きさがさらにダザイア様の頭を支配した。世界を守るということはすなわち崩壊を防ぎ、外敵から守るということに繋がる。
まず崩壊を防ぐことは容易なことだった。アユラツには力石と黒いガラスという大きな力を秘めた物質がある。それを世界に置いておくだけで世界は守られているも同然だった。よって問題は外敵だけに絞られることとなる。
外敵から世界を守ることというのは一見簡単であるかのように思われがちだが実はそうじゃない。身を守るためには防具が必要であり、場合によっては武器も必要となってくる。そのうちアユラツにあったのは力石と黒いガラスという防具だけだった。
崩壊を防ぐためにはアユラツにとっての武器が必要だった。ダザイア様には知識はあったが力はなかった。よってあの方は力石と黒いガラスを用いた『兵器』を作ろうと試みた。しかし力石と黒いガラスは多くあると言えども使いすぎてはいけない。かと言って充分にそれらの力を使わなければ完璧な『兵器』は完成しない。
今の時代の外敵といえば人以外には思いつかなかった。ダザイア様の頭の中ではすでに『兵器』の形が決まっていた。『兵器』とは言うけれどもそんなに大層なものではない。ただ単純に普通の人よりも優れた力を持つことが最大の条件だった。
あの方は手始めに実験も兼ねて力石の一部を使った『兵器』を作った。結論から言うとそれは失敗作だった。『兵器』は人の形をしていて意志を持っていた。しかしその失敗作は魔法の力が乏しかった。それではいかに強大な力を持っていても世界は守れない。よってダザイア様は『彼』を失敗作だと呼んだ。
だけど失敗作の『彼』は何と呼ばれようとも嬉しかった。なぜならこの世界に生を受けさせてくれたから、どんな形でも生きている理由と場所を与えてくれたから。『彼』はダザイア様に忠誠を誓った。そのおかげで『彼』は放棄されずにすんだ。
最初に作られた『彼』の名前はスーリ・ベセリア。ダザイア様の子として認められた証にダザイア様の姓を受け取った。
次にダザイア様は黒いガラスを用いて別の『兵器』を作ろうと試みた。しかしそれも失敗に終わる。今度は魔力は充分すぎるほどあったが体力に乏しかった。両方の力が充分になければ『兵器』とは呼べない。あの方は一度はその失敗策の放棄を考えたが、『彼』もまた強い意志を持っていた。
当時はスーリも『彼』も子供の姿をしていた。それでも我々の頭の中にある言葉の群れは子供のそれではなかった。ただ一般の人間よりも劣っているものがあった。それは経験だった。しかしそれはそう簡単に補えるものではないものだということも理解している。
やがて『彼』もまたスーリと同じようにしてダザイア様の仕事の手伝いを始めた。『彼』に与えられた名はシン・ベセリア。彼もまたダザイア様の子として認められたのだ。
二つの失敗作品とそれらから得た新たな知識。これらを踏まえてダザイア様はさらなる『兵器』を作ろうと試みた。今度のものは今までとは違った作り方をした。まず初めに力石と黒いガラスを両方使った身体を作り、後から生命の代わりとなる『魂』を入れることにした。
もちろんそれだけの作業にも多くの時間を費やす必要があった。今までは力石と黒いガラスをどちらか一つだけを使って作っていたが今回は二つ同時に使わなければならない。簡単なように思われがちだがそれは少しでも使う量を間違えたら使い物にならないようなものしかできなかった。思うようにいかずに幾つもの失敗作が生まれた。しかし幸か不幸か、それらには意志がなかった。よって排除されずにすんだものも幾つか残っていた。
生命の代わりになるべき『魂』は力石もしくは黒いガラスから取るものと考えていた。物質にはそれぞれ『魂』が存在する。目には見えなくとも必ず存在するそれは簡単に引っ張り出すことができるものだった。そしていよいよ力石もしくは黒いガラスから『魂』を取り出して『兵器』を完成させようとした時、ダザイア様とスーリは大きな失敗をした。
身体となる『兵器』の器(うつわ)はすでに完成していた。ダザイア様は力石と黒いガラスを融合させ、一つになった物質から『魂』を引き出した。そしてそれを器の中へ入れ、『兵器』は完成した。
しかし我々が気づかなかった点で変化が起きていた。
我々とはダザイア様とスーリのことを指す。残ったのは――。
+++++
静かな空気の中に響く声はそこで一度止まった。
この長い話を聞いて分かったこと。俺だって馬鹿じゃない、自分に関係ないからといって内容を全て聞き流すような愚かな真似はしていない。押しつけられた多大な情報を必死になって要約するとつまり、今自分の目の前にいる人は人であって人じゃないということである。
もちろん分かったのはそれだけじゃない。あの人も関係していたということ、ダザイアという人の存在。まだよく分からないこともあるけれども多くのことが頭の中に入り込んできた。だけど本当にそれらの情報が俺のためになるものなのかは分からない。もしそうだとしても、こんなに無慈悲な情報を俺は受け入れたくなんてなかった。
俺は何のために話を聞いているのだろう。
俺は何のために存在しているのだろう。
何のために? 誰のために。
理由はもっともっと身近にあってもいいはずだろ。
「それで? 今度は俺もあんたたちと同じような存在だとでも言うのか? ――いい加減にしろよな」
怖れているわけじゃない。むしろ怒っていたのかもしれなかった。
俺はどんな答えを欲しているのだろう。
「言っただろ。『兵器』は失敗で、我々の見落としていた点があったのだと」
「だからそれは一体何だって言うんだ」
相手の答えを促進するのは逃げ出したいからなのか。
「それまでに作った失敗作の身体はまだ排除されていなかった。それを利用した、もとい、完成品とすりかえた奴がいたんだ。魂を身体の中に入れる時にその器を運んできたのは……」
なぜだか知らないが相手はひどく落ちつきがないように見えた。まるでその先に言うべき名前を言いたくないかのようにも思える。でも今更隠そうとしたって、俺にはもう分かってしまったから。分かってしまっては仕方がないことだ。
「それがシン?」
相手は頷いただけだった。
「シンの中では気持ちの変化が起こっていた。彼は自分は誰にも必要とされていないのではないかと思い始めていたんだ。あいつは人知れず淋しさを心の内に秘めていた。それは『兵器』の完成が近づくにつれて大きくなり、次第に淋しさから妬みへと変わっていった。その思いが我々を騙したんだ」
あの人は本当に淋しさを抱えていたんだろうか。今の姿からは想像できない――こともない。
「よって『兵器』は欠陥品となった。だが我々は『兵器』が出来損ないになったことに気づかなかった。ダザイア様も俺も『兵器』は間違いなく完成したと信じて疑わなかったんだ」
それってつまりシンを信じていたってことだよな。俺だって最初はあの人のことは信じていた。だから裏切られた時、騙されていたと分かった時の気持ちは尋常なものじゃなかったんだ。俺には誰かに裏切られた経験なんてほとんどなかったから。あったとしても本当にどうでもいいようなことしかなかったから。
「忘れていたけど」
そして新たな話題を持ち出したのは相手。
「欠陥品である『兵器』にも名前が与えられた。俺やシンと同じようにダザイア様の子と認められ、姓も与えられた出来損ないだった」
言葉が冷たく感じられたのは気のせいだろうか。
「名前は」
あれ? ちょっ――。
「ま、待って」
気づけば俺は思ってもいないことを口走っていた。
どうして? なぜ止めたんだ? これじゃあまるで、まるで。
「出来損ないの名前は」
「やめろ!」
今度は叫んでいた。これにはさすがの相手も驚いたのかしばらく黙り込んだ。
駄目だ。俺はもう完全に分かっている。全てを知った時に反発できるほどの気持ちが消えかけているから知ろうとしていないんだ。
どうしよう。馬鹿だ。愚かだ。愚か愚か愚カ――。
「ヴェイグ・ベセリア!」
衝撃のように響いてきた声は今まで話していた相手のものではなかった。
「ヴェイグ・ベセリア」
もう一度呼ばれる。
声のした方を振り向くと、そこにはあの人が立っていた。
「出来損ない野郎が……」
向けられたのは鋭い視線だけ。
俺は本当は何も分かっちゃいなかった。あの長い世界の過去の話の内容も、誰がどんな思いを抱きながら生きてきたのかということも、自分は何のために存在する者なのかということも。
だけどあの人から名前を呼ばれた瞬間に俺の中の何かが目覚めた。それは多分昔の俺の深い記憶であって、そいつが俺に絶えず何かを言ってくるんだ。
拒もうとしたのはそいつに会いたくなかったから? そうではない。俺は俺の中にいる奴のことなんて少しも知らなかったのだから。
「何をしに来た、シン」
「俺は自分の家に帰ることも許されねえってか? 相変わらず厳しい野郎だな」
距離のある会話が目の前で繰り広げられる。俺にはそれをぼんやりと聞いていることしかできなかった。
「誰も帰ってはいけないなんて言ってない。俺はお前が帰ってくる時にはいつも何かあるからそれを警戒しているだけだ」
「はっ、クソ真面目野郎が」
吐き捨てた台詞の後、シンはゆっくりと歩きだした。向かう先は俺とスーリが立っているこの場所。彼が俺の目の前に来るまで誰も何も言わずに足音だけが大きく響いていた。その足音と同じ速さで俺の心臓は脈打たれる。
「おい、クソ欠陥品野郎」
頭上から声が降ってきた。
「もう疑問はないだろ。お前はただの出来損ないで最も愚かな存在だ」
その言葉の後に頭に重力を感じた。優しいものでもやわらかいものでもない。いつもの鋭い雰囲気を重力と化したもののような、非常に重くて痛いものだった。
何も言えない。
「馬鹿だな」
反論もできない。
「ただのゴミだ」
「シン! 何を――」
隣で何か大きな音が響く。でもそれは俺には何の関係もないこと。
「てめえは黙ってろ、スーリ」
大きな魔力が渦巻いている。目では見えるけど、普通の人にもできる肌で感じるという行為が俺にはできない。
「なあ、クソ餓鬼ヴェイグ」
頭に乗せられているのは相手の大きな手。徐々に掴まれている力は大きくなっていく。
相手は、いや、俺以外のものは何でも大きい。理由は俺が全てにおいて小さいから、劣っているから。
俺は欠陥品だから。
「消したいと思わねえか?」
耳元で囁(ささや)くのは誘いの言葉だった。
「全てにおいて嫌気がさすだろ。何もかもが嫌になってくるだろ。お前が俺を嫌うように俺もてめえが大嫌いだ。できるなら今すぐ殺してやりたいほどに。お前だって俺のことをそう見ているんだろう? 何だかよく分からないのに操られたり、騙されたり、変な話を聞かされたりして。なあ、ヴェイグ。いっそのこと全てを消し去りたいと思わねえか?」
静かに、それこそ俺にしか聞こえないほど静かに言ってくるんだ。きっとこの言葉はスーリには聞こえなかったんだろう、止めるべき人は何も口出ししてこなかった。
でも俺は。
「シン、それからスーリも」
俺は何をしていいのか分かっていない。
「つまり俺は力石と黒いガラスからできた身体と魂、なんだよな? 早く言っちゃえば、俺は人――人間じゃないんだよな?」
顔を上げて二人の青年の表情を見つめると、どこかぎこちない点があるように思われた。あんな話を聞かされて真実が分かってしまったからそう思えるのだろう。今まではそんなことを考える余裕なんてなかったから。
「否定しないのか?」
優しそうでそうでない言葉をかけてきたのはスーリ。
「仕方ないだろ。なんか、妙に納得してしまったから」
嘘ではない。本当に俺は相手の話を納得して聞いていたのだろう。だって俺が欠陥品であるならあらゆる物事でつじつまが合うから。
例えばいつになっても強くならないということ。例えば精霊との契約のこと。魔力がゼロだというのもそうだ。明らかに尋常じゃない自分。それは『欠陥品』という一つの単語で片付けるには充分すぎるものだった。
「だけどまだ分からない。俺は欠陥品なんだろ。出来損ないなんだろ。だったらなぜそうだと気づいた時に捨てなかったんだ? それに、どうしてダザイアって奴はここにいないんだ?」
「ヴェイグ、それは――」
「俺はヴェイグじゃない」
相手の、スーリの言葉を制す。
まだそう呼んでくれるな。俺はまだ川崎樹なのだから。
「あ――じゃあ樹。それはダザイア様に聞いてくれないか」
スーリは妙なところで気を遣ってくれるらしい。わざわざ名前を言い直してくれた。それに比べると俺はまだ子供のように見えるかもしれない。でもしつこいようだけど俺はヴェイグじゃないから。
「ダザイア? あの野郎がどこにいるって言うんだ。笑えない冗談だなクソスーリ。死んだ者が甦るとでも思っているのか?」
死んだ?
ああなるほど。ダザイアはもう生きてないんだ。
考えたら当然だよな。スーリの話ではもうかなり昔のことだったらしいし、今も生きているなんて不老不死でもない限りありえないことだ。もちろん作られた人であるスーリやシンや、――俺なんかは寿命なんていくらでも操作できるんだろうけど。
「確かにあの方はすでに亡くなられた。しかしいつかヴェイ……樹が帰ってきた時のために一冊の本の中に意志を封印なさっているんだ。それは今も俺の手元にある」
この人たちは、俺の知る限りでは不可能なことを平気でやってのける。
はたしてそれは本当に吉となるのか。
「くだらないな」
言葉と共にふっと目前から影が消えた。シンは俺に背を向けて歩きだす。小さくなっていく背中を見つめながら俺はいつものあのメロディを聞いたような心持ちになった。
それはつまり淋しさと。
相手に寄せる甘えであり。
世界に対する懐かしさが、今まで分からなかった感情の一つだったんだ。
「あいつの言うことは無視しろ。何を言われたのか知らないが、あいつはダザイア様に逆らう愚かな人形だから」
シンが姿を消すとすぐにスーリは呟くように言ってきた。彼はあの人のことを今の言葉だけで否定した。その口調には少しの偽りも見えなかったのでなんだか恐ろしく感じられた。
頭が痛い。胸が熱い。
これが『兵器』のために作られた感情?
「こちらへ、樹」
相手は俺を樹と呼んでくれる。
確かにそうしてほしいと頼んだ。自分で頼んだはずなのに、どうしてかな、相手の呼ぶ声に含まれている思いが他人事であるかのようなものに思えてしまうんだ。俺の別の名前ではあんなに親身になって呼んでくれたのに、名前だけでこんなにも態度は変わるものなのか。どうなんだろう。
スーリはさらに奥の部屋へ入っていった。この建物は無駄に部屋の数が多い。今までだって何回も部屋を通過してきたはずだ。こんなにぼろぼろなのに多くの部屋が残っているなんてなんだか不思議でならなかった。
「ダザイア様が本の中で生きていられるのはあと数時間のみ。一日ももたないかもしれない。樹、それだけは決して忘れるな」
案内された部屋は先程と同じで書庫のような部屋だった。
多くの積み重ねられた本の中から一際綺麗に掃除されている本を手に取る。そして相手は俺と視線を合わせてきた。
「それからこれも忘れるな。ダザイア様はいわば俺やシン、そしてお前の生みの親――父親にあたる存在だ。会えるのは一度きりだと思っていてほしい。この先は二度と会えないだろうから」
一つ頷いてみる。
やばい。抑えてた感情が、殺していた意志が戻ってきそうだ。その前に終わらせなきゃ。惨めで情けなくなる前に解決しなきゃ――。
「俺は」
本を手に持ったままの相手の様子が少しおかしくなる。
「俺は何も望みません。だから」
ぱらり。
スーリの手の中の本は開かれる。
「だから、俺が必ずヴェイグを――」
声は最後まで聞こえなかった。
視界に広がるのは光だけ。
+++++
おれは確かにこの世界にとっては特別な存在だ。
だけどその特別であるということの意味は決していいものじゃないんだ。
ごくありふれた物語なら、おれは今頃には皆に羨ましがられる奴だと分かって複雑な思いを抱えていただろう。そして最後には誰がどう見ても正義の味方みたいなことをして物語の幕を閉じるつもりだったのだろう。
でもおれは勇者でもなんでもない奴だった。
悪役ではないのだろうけど、一般の人よりも明らかに劣っている欠陥品だったんだ。
おれは何のために生きているの? おれは誰のために生きているの?
おれの、俺の存在理由は何ですか?
+++++
自分の存在理由って、本気になって考えたことなんて一度もなかった。いつも俺は多くの人に囲まれながらも自分の居場所を確保していたから、生きている意味なんて少しも考えずに生きるのが当然であるかのようにして暮らしていた。
でもさ、それって今の現代社会に生きる人にとっては当たり前のことだろ。自分が存在する理由なんて考えるほどの余裕もなく、いつもせわしなく与えられたするべきことに必死になって向き合っている。それが悪いなんて言わない。むしろその姿が俺の目指しているものだったから言えないんだ。
だけど俺のように突然変な世界へ飛ばされて、ゲームみたいな世界の中をうろつかされて、挙げ句の果てには自分は異世界の住民だったと知らされたりしたらどうなんだろう。俺みたいな欠陥品じゃなく、ましてや完璧な兵器の考えも望まない。ただ単純に一般の反応が知りたいだけなんだ、俺は。
考え始めると止まらなくなってきた。悪い癖だ。気分を改めるために目を開けて前方を見つめてみる。
俺がいる場所はどうやら部屋の中ではないらしい。ということはおそらく本の中か、そんな感じの場所なんだろう。白と影だけの空間ではあったようだけど何もなくて、見えない床の上に立っているような状態だった。
「ヴェイグ――か?」
ちょうど俺の背後から声が聞こえてきた。今までに聞いたことのない、だけどどこかで聞いたことのあるような忘れられない声だった。
「俺はまだヴェイグじゃなくて、樹だよ」
言いながら振り返る。
立っていたのは一人の若い男の人だった。その面影はスーリやシンによく似ている。並んで見てみればきっと俺にも似ているんだろうな。
感じるのは威圧感。
「そうか。お前の記憶は消されていたのだったな。失礼した、樹」
「消されていた?」
記憶?
ああそうだった、今まで不思議に思わなかったけど俺にはこの世界で生まれた記憶なんてなかったんだった。なるほどだから『消されていた』か。
「お前は何も聞いていないのか?」
「聞いていないというか――話の途中だった気がする」
「では知ったことを言ってみろ」
俺が知ったこと。それは。
思い出すのは白い部屋の光景。淡々と話す青年の姿。止めるようにして割り込んできたあの人。
俺が知ったことは。
「なぜ」
思えば半分くらいの意識は消えていたのかもしれない。
「なぜあんたは『兵器』なんて作ったんだ?」
気づけば相手に質問していた。相手の目が少しだけ見開かれたように見えたのは気のせいだったのだろうか。
「聞かなかったか? この世界を守るため以外にどんな理由がある?」
「そうじゃない。そういうことを聞いてるんじゃないんだよ。俺は、俺はあんたの行動が間違ってたとか、否定するつもりはないんだよ。だから何が言いたいかってそれは」
「少し落ちつけ、樹」
落ちついてるさ、あんたに言われなくても。ただ今は言いたいことが多いから上手く言葉にして表せないだけなんだ。
俺が言いたいことは俺が言うべきものじゃない。本当ならば――。
「世界を守るための『兵器』に、どうして心があるんだ」
相手の男は会ってから一度も表情を変えない。これではまるで、この人には心がないみたいじゃないか。
「心があるせいであいつらきっと苦しんでるんだ。知らない間に欠陥品呼ばわりされてて、捨てられそうになったり『兵器』を作るのを手伝ったりして。武器なんだろ。どうして武器に心が必要なんだ? あんたほどの力があれば心を消すことだって簡単なことなんだろ。それでも残しておくなんて、そんなの、そんなのあまりにも無慈悲じゃないか?」
言葉は言いたいことを乗せて運んでいく。もはやそれを止めるすべは知らない。
「この世界には武器が必要って言うけどそれは本当に正しいのか? こんな何もない廃墟の世界に誰が攻め入ってくるって言うんだ。たとえ壊されたとしてもこの世界に何があるんだ? あんたはただ世界を滅ぼそうとした少年が怖いだけで、本当は『兵器』なんてこの世界には要らないんじゃないのか?」
この意見は相手を底から否定するものだった。そうであるにも関わらず相手は表情一つ変えずに俺の言葉を聞いていた。
だけど本当は、この意見はただの俺の願望だった。こんな何もない世界のためだけに生まれて生きていくのはこの上なく耐えられないことのように思えたから。だってもしそんなちっぽけな存在理由なら、俺という人の価値なんて見られないようになるだろうから。
「確かにお前の言うとおり、私はあの子を怖れている」
聞こえてきたのはまっすぐな相手の声。
「そしてお前のすべきことからも、お前の意見の正当性を見出すことが可能だろうな」
嘘ではないらしい。
どういうことだ。俺の願望どおりになるのか? そんなに安っぽい理由ならどうして。
「自分で言っておきながら納得いかぬか、樹」
見透かされている。駄目だ。
「何なんだよ俺のすべきことって?」
聞きたくもないことを聞いていた。これではただ逃げているだけじゃないか。心の底では分かっているけどこうでもしなければ俺は俺でいられなくなりそうなんだ。
「俺はこの世界を守るために――いや、あんたを守るためにいるんだろ。そんな俺がなぜ地球で暮らしていたんだ? あの世界はでたらめな世界の力も魔法の力も無関係なんだ。それじゃあまるで」
捨てられたみたいじゃないか。
違うよな。
違うよな?
捨てるくらいなら殺せよ。
消せよ。
「しばらくのあいだ、お前という存在が息を始めてからしばらくのあいだはこの世界にも活気が満ちていた。その理由は私の他にも生命が生きていたから。お前は私やスーリやシンと共にこの世界で暮らしていた」
相手の声を聞いたのは今が初めてであるはずだけどどこか懐かしさを感じる。それは彼と共に暮らした記憶が残っているからなのか。無論俺の中にはっきりとした思い出などはない。相手の話では俺の記憶は消されたというのだから。
「たとえお前が完成品であろうと欠陥品であろうと『兵器』は最初から完璧ではない。完璧にするには何年かの時を犠牲にして修行する必要があった。それにはお前だけでなくスーリやシンにも加わらせた。お前はそれすらも忘れたか?」
分かり切ったことを聞くなよ。俺がそんなことを覚えているはずがないじゃないか。
「その頃は私もお前のことを完成品だと信じて疑わなかった」
彼の瞳に光は見えない。見えるのはむしろ――。
「結論から言わせてもらうと、お前はやはり『兵器』だ。しかしただ世界を守るための『兵器』ではない。お前がこの世界の『兵器』としてすべきことは、全世界の運命を変えることだ」
見えたのは光でも闇でもない人間らしい欲望だった。
それは人としては当然のこと。でもこの人の場合、その欲望の裏にまだ何かが静かに眠っているように感じられるのだ。何かの正体は分からないけど、彼の言う運命という言葉は確かにそれを暗示していた。
「運命?」
「そうだ、全世界の宿命を」
「宿命――」
俺は『兵器』。
俺は守護者。
俺は価値。
俺は……革命?
革命?
革命?
何を? 人の世を? 世界を?
何の為に? 平穏を? 安全を? 幸福を? それとも自分を望むから?
自分の為に全世界を変革する?
自分の為に全世界を変革……?
「お前は何も考えずに私の言うことを実行すればいい」
言葉は届かなかった。
「何も考えるな、余計な雑念は捨て去れ」
声は聞こえた。
「時を、世界を、さだめを変えろ。それがお前の存在理由だ」
そして俺の中の何かが変わった。
「――ふざけるな」
もはや俺の中に押しとどめていた意識はない。
「ふざけるな、ふざけるな!」
消えた意志の元ではもう何もできない。自分の中の感情も、惨めさも、願望も止められない。
「何が運命、何が宿命? あんたが言うその望みはただの欲望だろ。なぜあんたは世界を求めるんだ。世界を守りたかったんだろ? 守りたかったのに、どうして運命を変えるなんて言葉が出てくるんだ! たった一人の意志だけで世界を変えるなんてこと、そんなことは残酷にもほどがある!」
相手は何も言わない。いや、言えないのだろう。なぜなら相手は消え始めていたから。
「俺はやっぱりヴェイグには、お前らの望むヴェイグにはなれない。頼まれたってなってやるもんか。誰かに操作されて世界を変革なんてこと絶対にしないからな」
心の奥から声が響く。
『駄目だよ樹君。おれの意志を無視してくれては』
これは昔の俺の、ヴェイグの声なのだろう。声は俺のすぐ隣か後ろか前か分からない方向から聞こえ、同時に肩に手を置かれたような感触がした。
『君は馬鹿だ。君はダザイアに従う必要がある。先走ってはいけないよ、何も知らないくせに』
うるさい。これ以上何を知れと言うんだ。
「俺は俺なんだ。俺の行動は俺がすべて決めることができる権利がある」
『ないね。君の行動は全て決められたことなのだから。現に今までの行動がそうであったのだし』
「分かってるさ、そんなこと」
そう、分かっていたかった。でもどこかで分かることを怖れていた。理由は簡単。ただ単純に信じたくなかったから。
偶然にしては上手くいきすぎると思っていたんだ。俺が外人と会ったことも、異世界へ飛ばされたことも、ヴェインと見間違えられたことも。それから多くの人と出会い、妙な気持ちに後押しされて引き返せなくなってあの人を追い始めて。極めつけはあの人の誰かに操られているような言葉だった。俺に向けられたあの声は俺をこの世界へ導いてきた。
世界は操作されているんだ。誰になんて聞くまでもないだろう。
だけどだんだん分からなくなってきた。あいつらは俺が欠陥品であることをちゃんと知っている。それなのになぜここまで俺にこだわってくるのだろう。力石って物の魂を有しているから? でも本当にそれだけ?
次第に視界は歪み、見えていた光は消えた。
そして俺は静かに目を閉じる。