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 その人は目を閉じ口を閉じ、まったく生きている気配がなかった。まるで死んでいるようにも思えたが、どうやらまだ生きているらしい。なぜだか分からないけどそう思えるんだ。これも俺の中の兵器が教えてくれているんだろうか。
「まったくふざけてる。なんで敵を助けなきゃならないんだ」
 文句を言っているのはラザー。腕を組んで俺の隣に立ち、苛ついた眼差しで相手の顔を見ている。
 ここはかつて俺が真実を知らされた建物の中である。なぜこんな場所に戻ってきたのかというと、それは俺の提案で安静にできる場所へ行きたかったからだ。
 これは他でもない、ついさっき倒れたスーリ・ベセリアという青年のため。
 ラザーが怒るのも無理はないことだった。だって俺たちは敵を助けたのだから。
「どうやらスーリはシンに力を奪われたみたいだね」
 普段と変わらない表情でジェラーは言う。
「力を奪われたって?」
「そのままの意味だよ」
 そんなことが可能なのだろうか。それともあの人だからできたのか。
「どうするの? ここに置いて逃げる? 今のうちにとどめを刺しておく?」
 さらりと恐いことを言う少年である。まったくこいつは。
「とどめを刺すなら俺がやってやるよ」
「いや待てってラザー」
 すぐに反応して懐から刃物を取り出したラザーを慌てて止める。なんだってそんなことだけはよく聞いてるんだよ。しかもすぐに実行しようとするなっての。
「だけどまさかこの人を一人だけ置いていくことなんてできないでしょ、君のことだから」
 なんだよその俺のことだからって。
「だから今のうちにとどめを刺しときゃいいんだよ」
「いやよくないって!」
 こいつ、意地でもとどめを刺したいんだな。これがラザーだから本当にやりかねなくて恐い。
 しかし困ったな。これじゃあさっぱり話が決まらない。さてこれはどうしたものか。
「一体何をしているの?」
 後ろのドアが開かれて聞こえてきたのは少女の声。それはとても聞き覚えのある、だけど同時に懐かしくもあるものだった。
「な、なんで――」
 思わず口から出てきたのは疑問の言葉。まず最初に感じたことは、自らの目を信じられないという妙な感覚だけだったのだ。
「あら、私は未来が見えるのよ。忘れたの?」
 微笑を浮かべて立っているのは長い髪の少女、ロスリュだった。

 

「なるほど、ね」
「分かったのか?」
 淡い光が消え、少女はこちらを振り返る。
「確かに危険なものだけど、安静にしていれば命に関わるほどのものではないわ」
「そっか」
 自然と出てくるのは安堵のための息。
 ロスリュはスーリの傍にしゃがんで回復の呪文を唱えてくれた。それによってあの痛々しいほどの傷は消えたがまだ意識は戻っていない。だけど大丈夫だと言うんだ、きっとそうなんだろう。
「それじゃ、どうしようか」
 スーリの状態は分かったもののこれからどうしたらよいかは分からない。さすがにラザーもとどめを刺すなんてことは言わなくなったが、残された問題はまだまだ山積みだ。
「何を悩む必要があるの?」
 ふと響いたのは少女の冷淡な言葉。
「あなたたちにはやることがあるのでしょう? だったらそれを優先なさい。ここには私が残っておくから」
「だけど、ロスリュ」
「だけども何もないわよ。こんな場所でいつまでもうじうじしてて、他の二人のことが心配じゃないの?」
 他の二人――リヴァとアレートのこと。
 確かに心配じゃないとは言えない。でもこっちだって心配なんだよ。
「樹、ここはロスリュの言うとおりにした方がいいよ。シンが何するか分かったものじゃないんだし」
「うん――」
 少年に促されて返事をしたものの、やはり何かが引っかかってここから離れたくなかった。どうしてだろう。いつもなら真っ先に二人の心配をするはずなのに。
 まるで行ってはいけないと兵器が言っているようだ。
「ラザー」
「あ?」
 そんな嫌そうに返事をしなくてもいいじゃないか。
「ラザーはここに残っててくれないかな」
「は? ふざけんなよ。なんで俺がこんな奴らの傍に」
「お願いだ」
 俺はラザーラスの目を見る。彼の赤い目は少しも恐ろしくなかった。
「……ちっ。分かったよ」
 それだけを言うと相手は背中を向けた。
 よかった。これなら安心だ。もし俺たちがここに戻ってこれないような状況になっても彼ならきっとこの二人を守ってくれるだろう。
『いいの? それで』
 いいんだ。誰も死んじゃいけないんだ。
『……おかしな考え方』
 構わない。
「それじゃ行こうか、ジェラー」
 できるだけ平静を装った顔で俺は皆に向かって言った。
「待て……」
 まさに歩き出そうとした瞬間だった。思わず足を止めてしまう。呼び止めてきたのはずっと敵だと思っていた人。
「行くな、樹……」
 今にも消えそうな声が俺の動作を止めてしまう。動こうと思っても体が少しも反応してくれないんだ。何かの呪文とかそういうのではない。ただ、単純に。
「これは罠だ、あいつが何か企んでいるんだ!」
「動かないで! まだ回復し切ってないのだから」
 後ろでは静止の声が聞こえる。きっと立ちあがろうとしたんだな。本当に無茶をする人だ、いつもいつも無茶ばかりして――。
 それがすべてこの世界のためだなんて。
「スーリ」
 相手の名前を呼ぶと心が騒いだ。
「ごめんな」
 振り返りはしない。だってこんな表情は見せられないから。
 やばい。くじけそうだ。逃げ出したい。すべてを捨てて逃げていきたい。何も考えなくていい場所へ逃げたくなってきた。駄目だ、駄目だ。そんなことは駄目だ。やっと見つけたんだから、やっと分かってきたのだから。
 落ち着け。
 一つ息を吐くとすっとした。体も思うように動かせる。
「行かないで――」
 俺は部屋から出ていった。

 

「よかったの?」
「うん? 何が?」
 白い大地の上を走りながら少しばかりの会話を交わす。
「何か思うところがあったんじゃないの?」
「……」
「ねえ」
 よく分からないんだ。
「分からない?」
 俺の中の兵器は何でも知ってるんだ。危ないものとか、俺にとっての敵とか、戦いの技術なんかもすべて。その兵器が俺に教えてくれているような気もするんだけど、なんだかそれだけじゃないような気がして。
 何なんだろうな一体。別の誰かから呼ばれているような感じでもあるんだ。それも遠い未来の方から兵器の力を持つ俺を呼んでいるようなんだ。その声が俺の中に届いてきて、動作や思考を鈍らせているみたいだ。
「ふうん。でもこっちから見ればとても安定しているようだけど?」
 それは……そうかもしれないな。二つの力がお互いに引っ張り合ってつりあってるような状況なんだ。
「それはよいことなの?」
 さあ。分からないな。
 だけどさ、よいことがすべていい結果を招くってものでもないだろ?
「確かにね。ま、今はそういうことにしておこうか」
 俺たちは走り続ける。

 

 

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