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80 

 そこは、この世界の中で最も高い場所だった。
「ここに力石と黒いガラスが封印してあるのか?」
 目前には白と影からできている巨大な扉。ただ大きいのではなく巨大なんだ。とにかく今まで生きてきた中でここまで巨大な扉に出会ったことなどない。
「鍵が反応してるの。きっとここだよ」
 扉に辿り着いた時、すでに他の二人は巨大なそれを見上げていた。どうやら俺たちが来るのを待っていたらしい。
 ここに来るまでの道はとにかく上ってばかりなものだった。白い大地の真ん中に一つ上へ続く階段があり、それを上っていくと平面の大地に辿り着く。そしてその大地のどこかに同じような階段があって上っていくとまた別の大地に到着する。そんなことの繰り返しで気分的にはすっかり疲れてしまった。
 やっと辿り着いたこの場所は周囲は空であり、大地の上ではなく階段の上に巨大な扉が乗っている。扉は階段よりも遥かに大きいのにおかしな話だ。とりあえず振り返ってはならないことだけは分かる。そして下を見ることも許されない。
「やっぱ鍵で開けるんじゃねーのかな」
 扉には鍵穴があった。巨大な扉に小さな鍵穴、といういかにも不細工な外見をしている。そりゃあ巨大な鍵なんて持ってないからこれでちょうどいいんだけど。
「ねえ、それよりラザーはどうしたの? なんで二人なのさ、君ら」
「ん? ああ、それは……」
 そこまで言いかけて止めた。言葉を失った俺を外人は不思議そうに見つめる。
 正直言って迷っていた。あのことをこの二人にすべて話してしまっていいのだろうか。リヴァだけならいいけどここにはアレートがいる。きっと彼女が今の状況を知ったら力石や黒いガラスの封印どころではなくなるだろう。
 でも、アレートだって家族なんだよな。血は繋がってないけど俺の姉ってことになってるし一緒に暮らしたこともあったんだ。アレートにとってもスーリやシンは兄なんだ。兄なんだから、ちゃんと知っていてほしいとも思うんだ。
「どうかした? 樹」
 首を傾ける姿は到底姉には見えない。
「いや、何でもない。ラザーは帰るための準備をしてくれてるんだ」
 嘘だ。でもこうでも言わないと前へ進めないんだ。
 ごめん。
『君が謝ることなんてないでしょ』
 いいんだ、謝らせて。せめて心の中だけでもさ。
 ごめんな。
「アレート、扉を開けてくれ」
「分かった」
 すぐに返事を返し、少女は扉の真正面に立つ。扉との高低差は計り知れないほど巨大なものだった。
 まるで俺たちは塵だ。ゴミみたいだ。
 黄色い髪が揺れて少女は金色に光る鍵を作り出す。何度も見たはずなのに今はそれがすごく不気味に見えて仕方がなかった。
 ――壊すんだ。
 この哀しみをここで止めるために。
 俺にしかできないことを。俺にできることを。
 鍵穴に鍵を刺し込む。白い光があふれて扉には何やらよく分からない模様が浮かび上がってきた。それは周囲の景色と同じような白黒のものではなく、俺たち異世界から持ち込まれた鮮やかな色彩を有していた。
 中心に赤。周囲に青。そしてあふれる白い光。
 眩しくて目を閉じたい思いに見舞われる。
 しかしそうする暇も与えてくれずに扉は開いた。ゆっくりと音を立てながら、俺たちを歓迎するかのごとく。
 先は暗くてよく見えない。
「……開いた」
 知らず知らずのうちに口から零れていた。
「うん、開いたね」
 隣から答えてくれたのはリヴァセール。
 俺の前にいる少女は振り返らない。
 ――壊すんだ、俺が。
「行こう」
 声をかけてから俺は足を扉の中へ向かわせた。後ろからはすぐについてくる足音が聞こえたのでひどく安心することができた。


 内部は思ったより明るかった。外から見たら暗かったが、どうやら力石と黒いガラスの力で光が満ちているらしいのだ。
 そして肝心の力石と黒いガラスはと言うと、今ちょうど俺の目の前にある。一つしかない部屋の真ん中に置かれてある。探す手間なんて少しも必要としないほど堂々と置いてある。おかげでちょっと拍子抜けしてしまったほどだ。
「これがそうなんだろうな」
 見たことはないけど俺の中の兵器が教えてくれるんだ。これが本物、これが本当なんだと。
 すっと手をのばし、二つの白と黒の塊に触れようとする。
 冷たい。
 触れると冷たかった。それでも光を放っている。
 掌の大きさほどもない石ころ。こんな物に今まで俺たちは振り回されていたのかと思うとなんだか情けなかった。
 でもそれももうお終いだ。
 俺は手を離し、二つの塊から少しの距離を取るべく離れる。他の皆は邪魔にならないようにずっと俺の後ろに立っていた。
「我は契約者。我は召喚者。我は魔の魂の所有者。我は光。光の魂に応えよ、世界の欠片の者たちよ――」
 口の中で唱えるのは呪文の文句。光と言う意味も、今ならなんとなく分かるような気がする。
 俺は光なんだ。
「月光よ、ライトソード」
 現れるのは月の精霊の力。ぱっと光って力石と黒いガラスに剣風が直撃する。
 まばたきをした後に見えたのは粉々になった白と黒の塊だった。
「……はあ」
 安心すると力が抜けた。その場にぺたんと座り込んでしまう。
「お疲れ、樹」
「ん、ああ、うん」
 後ろにいた皆も安心したのか、ぞろぞろと俺の周りに集まってきた。その中で声をかけてきたのは外人だった。
「ずいぶん呪文が上手くなったんだね。一体精霊とどんな話をしたのさ?」
 ああ、それが聞きたかったのかこいつは。
「それは後で。今はもう早いとここの世界から帰っちまおう」
「それもそっか」
 相手も納得してくれたので俺は立ちあがる。力石と黒いガラスは本当に粉々になってしまって、今ではただの砂のようだ。
「じゃ、帰ろうか」
「ご苦労様」
 ――あ。
 体が止まった。何もかもが止まっていた。すべてが動作を止めていた。
 風が吹いている。扉の外から吹きつけてくるんだ。
 その扉の影になっている壁には。
「ご苦労様……欠陥品野郎」
 シン・ベセリア。
 彼が立っており、俺を見下ろしていた。
「シン、あんた――無事だったんだな」
 思ってもいないことが口から滑り出してくる。
 何を言っているんだ俺は。
「なかなかゆっくり話ができなくて困ってたんだ」
 違う。俺が言いたいのはそんなことじゃない。俺が言いたいことは。俺が本当に言いたいことは。
「なあ、もう兵器は作られないんだ。もう終わったんだよ、喜んでくれよ」
 手が震えている。声はそれ以上に震えている。
「シン」
 そこでやっと俺は相手の姿をちゃんと見た。
 相手はいつもの格好じゃなかった。古そうな頭に被っていた布も、右目を隠すようにして巻いていた赤い布も見当たらない。短い金色の髪の下から覗くのは二つの瞳。だけどその一方は、いつも隠していた右側のそれは左のものよりも遥かにどす黒い赤色をしていた。まるで一度流れた血が固まったかのように。
「本当にお前は『いい子』だな」
 静かな微笑を浮かべて一歩近づいてくる。
 あの鳥の姿は見えない。
「全く俺の思った通りに動いてくれたんだから」
 甦るのはスーリの言葉。
『これは罠だ、――』
「今更気づいたのか、馬鹿が」
 違う。
「所詮お前は他人にどうにかしてもらうことでしか生きられないくだらない魂なんだよ!」
「違う! そうじゃない!」
 叫んでいた。誰が? 俺じゃない。
「樹は樹として生きてるんだ、くだらないのはあなたたちの方だ!」
 声と口調で、いや口調は変わるものだけどそれだけで分かった。この言葉は俺の隣にいる外人のものだ。
「何も知らないくせに口を出してくるんじゃねえよ、クズが」
 それでいてなおも近づいてくる相手。
「大丈夫」
 ふっと小声で囁いてくる。
「君は君だよ。もう迷わせはしない」
「お前――」
「大丈夫!」
 笑ってたんだ。
 全然楽しそうじゃなく、全く逆の感情のこもった笑顔。
 ありがとう。少しだけ勇気が出てきた気がする。
「シン。シン! どうか聞かせて」
 俺は一歩前進する。相手との距離はすでにかなり縮まっていた。
「あんたはスーリに逆らってるんだよな。兵器を作ることに反対なんだよな。それは一体どうしてなんだ?」
 吐き出してすっとした。一つの疑問が解決できたと思ったんだ。
「どうして、だと? はっ、まだ知らねえのかてめえは。いや、あのクソスーリの野郎がわざと教えなかったんだな」
「教えなかった? 一体どういう――」

 煌き。
 光が弾けた。
 いや、破裂したのか。

 気がつけば俺は後ろに飛ばされ、壁に激突していた。一瞬の出来事だったので何が起こったのか瞬時には理解できなかった。
「がはっ――」
 意識し始めてから痛みが襲ってくる。ああ、これ、少年漫画とかでよくあるシーンだよな。壁に叩きつけられて、口から血を吐いて。
 かつん。
 靴の音が異常なほど響いていた。
「教えてやろうか? 深淵が見えるぜ」
 頭が重い。
 かつん。
「俺やスーリのような出来損ないの運命なんてクソくだらねえものさ」
 倒れそうだ。倒れてはいけない。
 なんとか足で地面に立っているが少しでも気を抜いたらすぐにでも崩れてしまいそうだ。
「俺の命。あいつの命。それは元から決められていた」
 かつん。
「命が終わる時。即ち死ぬ時。あらかじめ決められていたんだ」
 かつん。
 かつん。
「俺が死ぬ時。それは」
 かつ、ん。
 ――ああ。
 頭に手を乗せられた。そのまま強い力で締めつけられる。
 俺はどうしようもなかった。どうかしようとも思えなかった。ただ相手の思うとおりにしてくれれば、これで相手の気がすむならそれでいいと思っていた。きっとこれがあの時のスーリの気持ちなんだろう。こんなにもすぐに分かるなんて。そしてこんなにも哀しくて痛くてやるせないものだなんて。
「お前がやるべきことを成し遂げたその時、俺の命は止まる」
 俺は、初めて見た。
 この人の『涙』を。
「なあ、おい? お優しい樹さんよ? こんなことが許されるって言うんだぜ、あのクソ野郎どもは」
 赤い瞳からただの一筋だけ流れている。
 でも、右目からは流れていない。
「俺は生きちゃいけない命だと言うのか? 俺は最初から最後までこんなくだらなく愚かな世界に縛られて生きて、要らなくなったらさっさと死ななきゃならない生命なのか? 俺は俺として生きられねえのか? え? おい、何とか言ってみろ、このクソ野郎!」
 こんなの反則だ。こんなの、卑怯だよ。
 相手の気持ちが痛いほど伝わってくるようなんだ。
「まったく馬鹿な話だ! なあ、そう思うだろ、心の底ではお前だって俺みたいな命を嘲笑しているんだろ? そうさ俺だってこんな愚かな命は嘲笑してやりたいさ、あざ笑って罵って蹴り飛ばしてやりたいさ! これ以上におかしなものがあるだろうか? いやないね。本当に、まったく、好いものだ! 愚かな命というのは安っぽくてよ! そうだろう? 俺の生きている意味ってやつはよ、こんな世界の奴隷だぜ? 奴隷だよ奴隷! 一生下働きでお終いだ、どんなことがあろうと逃げ出すこともできない可哀想な従僕だ! ああ、まったくよ、なぜ俺なんかが生まれてきたんだろうなあ? 生まれてこなきゃよかったのに。生まれなかったら何もかもが巧くいっていたというのに、馬鹿だな! ダザイアの奴は。何がこの世界のためだ。自分のことしか考えなかった自己中心的な野郎が知ったような口を利くなんて滑稽(こっけい)だ。それを真に受けたスーリも馬鹿だ。皆狂ってやがる。おかしいんだよこの世界は! 俺さえいなきゃ巧くいっていたのによ! どうして俺なんか創ったんだ! 失敗するような腕でなぜ創ったりしたんだよ! 創られたからには、ああ、そうだ、創られてしまったからには俺は知ってしまうんだ。世界にある楽しいこと、嬉しいこと、美しいもの、可愛らしいもの、愛しいもの。知ってしまったら戻れなくなる。知ってしまったから生きたくなったんだ。どうして! 知らなきゃよかった。知るほどの頭脳がなければ望みなんて現れなかったのに! 望みなんて欲と一緒だ。全くの同類だ。違うところなんてありはしない。欲が取りついた人が何をするかなんて分かるだろ? それなのにあいつは、俺に心を与えたんだ! もし俺が何も考えられないただの木偶(でく)だったりしたらダザイアもスーリもお前もウィーダも大層変わっていただろうにな! これは間違いなんだぜ、お優しいヴェイグ君。いや樹君かな。まあどっちでもいいことだ。どうせお前なんか己のことなど何も知らない出来損ないなんだからよ!」
 相手の顔は醜く歪んでいたり、それでいて急に明るくなったりしていろんな顔を見せてくれた。俺はこんなにも多くの言葉を一気に吐き出す相手の姿を一度も見たことがなかった。どうしていいか分からなかった。だってここにも俺のせいで犠牲になった人がいるんだ。相手に一体どう謝れば許してくれると言うのか!
「少し頭を冷やしてこいよ。過去の自分を振り返ってこい。そして己の愚かさを思い知れ!」
 また光が視界にちらついた。そうかと思うと世界が回った。俺は地面に仰向けに寝そべっていた。倒されたんだ。
 見える光は眩しい。眩しいけど目を閉じられなかった。似ていたんだ。昔によく見たあの白い光に。
 白い光に。
 ――怖い。
 全身が震え始めた。相手は俺を殺す気じゃないんだ。殺すことよりももっと恐ろしいことを企んでいるんだ。
 嫌だ。嫌だった。でも言い返せなかった。だって俺は。俺は。俺は!
「――やめて!」
 ぱっと一気に光が弾け飛んだ。
 何も起こっていない。何ら変化は見られない。助かったのだろうか?
 あの声は誰のものだったのだろう?
「やめて、やめて……」
 体を起こしてみると見えたのは黄色い髪。
 ああ、君が止めてくれたのか。
 だけど肩が震えている。
「シン、お願い、やめて。あなたのその思いは充分樹に伝わったはず。これ以上は何もしないで、何かするなら樹ばかりに辛い思いをさせないで!」
 驚いた。一呼吸置いてから驚いてしまった。
 アレートの弱さがこれなのか。シンの戸惑いがこれなのか。アレートの本音がこれなのか。そしてシンの迷いがこれなのか。
「お前、お前、ウィーダ、お前が俺に逆らうのか、おい?」
 相手の顔はひどく歪んだ。先ほど見せていたものよりももっと。
「お前、誰のおかげでその命があると思ってるんだ、え? おい。お前が俺を止めるだと? ふざけんなよ! 死にたいのか! せっかく救ってやった命だというのによ! 馬鹿かお前! 大馬鹿だ! そこの欠陥品野郎よりも遥かに馬鹿だ、愚かだ! 愚か――いや、ああ、なぜ! もうやめてくれ、俺を困らせないでくれ! どうして! どうして俺は困る必要があるんだよ! もうわけが分からない。分からない。分からない。分からない……あああああああっ!!」
 心の底からの叫びと共に地面が揺れ始めた。シンの周りには制御など少しもされていない魔力が渦巻いている。
 壊す気なんだ。いや、無意識にそうしているんだ。
「シン!」
 呼びかけても相手には聞こえなかったのだろう。頭を抱えて大きすぎる魔力を暴走させている。
「くそ……」
「樹!」
 皆が周囲に集まってくる。
「早く逃げた方がいいよ、これは」
「分かってるさ!」
 冷静に判断するジェラーの言葉も今の俺にとっては焦りを増幅させるものにしかならなかった。
「思い知れ……」
 後ろから響いてきたのは低く冷たい声。
 振り返るとまっすぐ俺に向かって手がのばされていた。
 はっと息を呑むこともできなかった。
 視界が真っ白になる。
「思い知れ! 己の愚かさを思い知れよ!」
 光が浸食していく。俺の中に入って何かを構築していくことが分かる。
 息もできない。まるで水中で溺れているような感覚だ。
 苦しい。
 やめて。
 やめて!
 やめ――。

 いいや。何だろうこれは。
 意識が薄れていく。
 体中に纏わりついた光はどうやら害のあるものではないらしい。
 だったら何なんだろうか?
 けどさ、分かるんだ。
 俺の中の俺の心が、俺の気持ちが、俺の考えが、俺の喜びが、俺の痛さが、俺の苛立ちが、俺の思考が、俺の間違いが、俺の苦悩が、俺の愛しさが、俺の欲望が、俺の弱さが、俺の情けが、俺の遠さが、俺の哀しみが、俺の強さが、俺の優しさが、俺の舞台が、俺の厳しさが、俺の理由が、俺の価値が、俺の、俺の、俺の存在が。
 消えていくんだ。
 消えるんだ。
 消える。
 消え。

 

 

 

 少し、休ませてくれないだろうか。

 オヤスミナサイ。

 

 

 

 

――第五幕へ続く

 

 

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